濡れ落ち葉
明くる日
辻村の家には、聖の車で行った。
(JR奈良駅まで薫を迎えに行った)
奈良県T市の11階建てマンションだった。
オートロックで新築。部屋は3階だ。
「まだ仏壇が無いんです」
と妻は言った。
和室のローテーブルに遺骨と写真が並んでいた。
あっけなく死んだ男の顔は
短い生涯を知っていたかのように
力ない笑顔であった。
「電話で話した友人です。どうも子供の幽霊の話が気になりまして」
焼香のあと、薫は聖を紹介した。
妻は介護職だと自ら話した。
30才位の小柄で童顔の女性だ。
夫婦だけの家は余計なモノは無くスッキリしている。
「主人は三年前まで製薬会社に勤めていましたが、海外転勤が嫌で辞めたんです。その後非常勤で小学校に。元々子供好きで先生になりたかった人なんです。学生の時は塾でアルバイトしていたし、免許も持っていました。
順調だったのに、あの学校に9月に行き始めてから……生徒に悪戯されていると、悩んでいました」
「成る程。それが職場でのトラブル、ですか」
薫はメモを取らずに会話を進める。
「ええ。あの人は生徒に好かれるタイプだと……本人もそれは自信があったし前の学校でも、その前も生徒に慕われていました」
「子供の悪戯ですね、構って欲しくて、やったとは思えなかった?」
「悪質だったみたいです。全てを聞いた訳では無いですが、靴の中にゴキブリの死骸を入れたり、チョークに針を仕掛けたり」
「それは酷い。高学年ですか?」
「ええ。5年の担任です。『子供の幽霊を見た』と、言い出したのは車がパンクして……
それもイタヅラかもしれません。ガラスの欠片が刺さっていたと、割れたビーカーの欠片だったと、聞きました」
「それは腹立ちますなあ。そんで、パンク事件の後に、子供の幽霊、と?」
「その夜です。夜中に起き上がって『幽霊を見たかも知れない』と」
(夢見たの?)
妻は聞いた。
(違う。あれは幽霊なんだろうか)
(どこで見たの?……どんな幽霊?)
(子供だよ。ちっちゃい子供)
「それから何かを思い出したように、あっ、と叫んで起き上がって、慌てた様子で書斎に(隣の部屋)行き、何かを探してたようで……、多分アレです。あの夜から机の上に置いてありますから」
妻は隣の部屋からアルバムを持って来た。
「見ても、ええんでしょうか?」
「どうぞ」
まだフイルムを現像していた頃の、写真だ。
家族写真、子ども達の写真。
薫はゆっくりとページをめくる。
聖は隣で覗き込んでいる。
あるページで
2人声を揃えて
「おお、」
と大きな声を出していた。
「どうしました?」
妻が不安げに聞く。
薫の指は一枚の写真を差す。
男の子2人の写真。
小学生3年生くらいの子が
2才くらいの子を抱き上げている。
その幼児が
黄色いカバーオールを着てるではないか。
キリンの刺繍もハッキリ見えている。
ではコレはハヤトか?
否、違うかも。
2人の子は顔が似ている。
小さい方に辻村の面影がある。
「奥さん、この写真、誰か、知ってはりますか?」
「ええ。主人です。抱いているのは主人の兄です」
妻は写真を覗き込む、そして
何かに気付いた表情。
「刑事さん……この服、あの絵と同じですね。どういうことかしら」
妻は今初めて知った、ようだ。
「奥さん、この服ね、28年前に行方不明になった子が着ていたのと同じなんですよ」
薫は、妻はこの事実も知らないだろうと推測した。
「行方不明?」
「はい、コレです」
スマホで、ググり、ハヤト君事件の記事を見せる。
「県営団地……辻村さんも当時、この団地に住んではったんです」
「それは存じてます。姑がおりましたから。2年前亡くなるまで1人で暮らしていました。……でも、そんな事件があったなんて今初めて知りました」
辻村も姑も、事件を話題にした事は無いと言う。
「あ、でも……居なくなった子は年下なんですよね。それなら仲良くしていて、お下がりを上げたんじゃ無いでしょうか」
「そおか、お下がりか。ほんなら不思議でも何でもないですな」
「姑が、そんな話はしていました。近所とモノの貸し借りをしたり、子供の服は順番に回して着せていた……助け合って暮らしていたと」
「成る程ね。辻村さんは子供の幽霊を見たといい、古いアルバムを探し、黄色いカバーオールを確認し、その絵を描いた。セイ、どういうことやと思う?」
黙って座っているだけの霊能者に出番をくれた。
「辻村さんは黄色いカバーオールを見たのが始まりでしょうね。
幻覚かも知れないし、リアルにその服を着た子供を見たのかも知れない。
只、酷く恐ろしかったのでしょうね。
何が恐ろしいのか自分でも分からなかった。
そして、不意に思い出した。あの服を知っていると。
アルバムで確認した。
記憶は遡り、あの服は団地内の小さな子に譲った、そして、その子が居なくなった事件も。奥さん、パンク事件の後も『幽霊』を見たのでしょうか?」
「はい。怯えていました。幽霊の仕業だと。イタヅラが幽霊の仕業だと言い出して」
食欲は落ち、酒の量が増えてきた。
「ノイローゼだと思いました。アルコール中毒に発展してはいけない、心療内科を受診して欲しいと、私は言っていたんです」
(いや、刑事に話を聞いて貰う、)とある日言い出した。
(高校時代の友人に同期が奈良署に居ると聞いたから)
「でも、結月さんには会えなかった。あの人ね、今日会ってくれるって、嬉しそうに電話してきたんです」
「ほんなら奥さんは、あの日、自分とご主人が会うのを知ってはったんや」
「はい。久しぶりに明るい声を聞いたので、これで、良い方向に行く、あの人は立ち直れると希望を持ちました。でも、……あんな酷い目にあって……」
妻は涙を浮かべた。
悲しみに恨みが含まれているのを
薫は見逃さなかった。
「非常に間の悪い、誰のせいでもない、1羽の鳩が発端の事故でしたね」
薫は慎重に言葉を選ぶ。
「ええ。そうなりますね。でも、あの悪戯が無ければ、主人は死ななかった」
妻は、はき出すように意外なことを口に出した。
「悪戯? どんな?」
聞き捨てならないと、薫は手帳を取り出し控える。
「見て下さい……車の写真です」
青い軽自動車。
辻村の車らしい。
フロントガラスに……落ち葉が一杯
何と、隙間無く張り付いて居るでは無いか。
自然にこうはならない。
人が、濡れ落ち葉を貼り付けたのだ。
「主人は落ち葉を矧がさなければならなかった。この悪戯がなかったのなら、あの位置に立つことさえ無かった。窓の真下に長く留まる必要は無かった」
「成る程、そういう背景があったんですね。分かりました。現場を見てきます。学校に行ってきます。『幽霊』の出没場所も学校やろからね。そうやんな、セイ?」
いきなり、ふってきた。
「おそらく、そうですね。奥さん、こちらには何も悪い気配は感じませんから、どうぞ安心して下さい」
霊能者っぽく言ってみた。
「ありがとうございます。主人の為に動いて下さるなんて、とても有り難いです。あの人をあんなに苦しめたモノの正体がわかれば、せめてもの慰めになります」
妻は頭を下げたまま、泣いていた。
「セイ、偶然が重なった事故に、偶然で無い部分があるかもな」
「うん」
①掃除の時間に3階工作室に鳩が入り込んだ。
②鳩を出すために普段開けない窓を開けた
③開けた窓から鳩を追い出そうとバタバタ
④窓際で生徒達が暴れ窓辺の棚から石膏像が3体窓から落下
⑤落下地点に立っていた辻村の頭に石膏像が直撃
「辻村が石膏像落下地点に、ちょうど落下の瞬間、立っていると、誰も想定できないと思い込んでいたが、少なくとも、あの位置に暫く留まると、葉っぱ貼り付けた奴は分かるな」
「下に居るのを知って石膏像を落としたと?」
「わからん。小学校いってみな分からん」
「生徒の悪戯か? 打ち所が悪くて死ぬなんて、子供だから考えなかった?」
「子供やから考えついた完全犯罪なんか、大人の知恵が介入しているのか、落ち葉の悪戯も偶然と呼べるのか、現場調べな分からんで」
薫は、(次は小学校やで)と言いながら車に乗り込んだ。