再び火因村編-4
鈴木さんからこんな話を聞いてしまった私たちは、一度神社の方を見てみる事になった。
「龍神はいなくなったのかしら?」
私は思わず呟いてしまう。神社の本堂がめちゃめちゃに崩壊していた。
「もしかして最近地震があったんですかね。土地もぬかるんでいるし」
ハンスさんも酷い有様をみて、顔を顰めていた。
神社のそばにある森の方からは、鳥に声も聞こえてきて、昼間といえど不気味ではある。
「まあ、どんな理由にしろこれで現実に偶像の祭壇が壊れたのなら、悪い事ではないだろう。祭壇が壊れたなら悪霊の入口が壊れたはずだ。おそらく龍神はもうここにはいない」
隆さんの言葉を聞き、私はホッとして胸を撫で下ろした。
「初美から聞きましたよ。龍神とかいう悪霊がやってきてみんなで追い払ったんでしょ。たぶん、その悪霊はイエス様にボコボコにされていますよ」
いつもは温厚そうなハウスさんであるが、少しニヤリと笑っていた。
「まあ、そうだろうな。安心したか? 志乃」
「ええ。これで大丈夫ね」
隆さんにもそう言われて、私は心底安心してしまい、もう悪霊や悪魔の奴隷ではない解放感も感じた。イエス様は心の自由もくれるのかもしれない。もちろん罪人である事は変わりないので自分の弱さとはずっと向き合わなければならないが。
「じゃあ、行きましょうか」
ハンスさんがちょっと明るく言い、私たちは奥様の家に向かった。
予想以上に奥様の家は酷い有様だった。
洋風の本邸が地震で倒壊していた事はわかっていたが、門や女中部屋がある離れ、米蔵にも「この村から出て行け!」「疫病の原因!」などと張り紙をされていた。嫌がらせもされているようで、庭には生ごみが撒かれていて、嫌な匂いも漂っている。
かつての庭は、季節の花々が植えられた綺麗な場所だったが、跡形もない。私は庭の花の手入れの仕事もやっていたので、余計に心が痛んでしまった。
「想像以上の酷いな」
隆さんは顔を顰めていた。
「日本人はこういう時、自業自得って言うんですよね?」
ハンスさんがため息をつきながら言っていたが、私も隆さんもそんな事は言えなかった。
龍神のところにいたかつての自分だったら、似たような事を思ったかもしれないが、ただひたすらの心が痛い。自分でも信じられないぐらい奥様や絵里麻の同情心を持っていた。
自分も一歩間違えれば似たような状況だった。今生きているのは、単純に運がいいだけだ。
自業自得など口が裂けても言えない。自分はそんな立場では無いのだ。
私たちは、女中部屋がある離れの方の門を叩く。こちらは日本家屋の平屋ではあるが、かつて自分が暮らしていた時より酷い。玄関の戸には酷い言葉が書かれた紙だけでは無く、絵の具か何かで奥様絵里麻を深く傷つけるような性的の下品な言葉も書かれている。
火因村の村人は一見、温和で優しいが、実際はこんなものである。表面的には善良なのがその仮面の下のは、黒々とした悪意しかなかったのかと思うと、思わずため息が出てしまう。
「奥様、志乃です。いらっしゃいますか?」
玄関の戸を叩くが、返事は無い。
「我々は、志乃の保護者だ。何もあんたを責めるつもりできた訳では無い。医者もいる。手助けにきたんだ」
隆さんはかなり大きな声を出して、玄関の戸を叩く。
「私は医者ですよ。何か困っていたら、来てください!」
ハンスさんも大きな声を上げる。すると、数分後。玄関の戸がゆっくりと開く。
「何よ、あんた達…」
奥様が出てきて、私達を奇妙な動物でも見るように見つめている。奥様がだいぶ変わってしまったようだ。
短い髪の毛のは、乱れ洋装ではなく木綿の着物を着ていた。私が残していった着物とそっくりのものだ。おそらく他の着るものがないのか、私の着物を着ているのだろうが、この件については深く追求する事はやめようと思った。
今は少ないながらも初美姉ちゃんや信徒さんのお下がりの着物をもらって着ている。お下がりとはいえ、丁寧に手入れのされていた着物で他所行きまで貰った。そう思うと、今の奥様が私の着物を着ているという事もどうでも良い。
「志乃じゃないの。何しに来たのよ?」
奥様の声は掠れていた。
少し痩せたようで、疲れが顔や身体にかなり出ている。それでも以前のようの私を睨みつける姿は、姿勢がよく、やはり良い家の奥様というのは伝わってきた。
「我々は、志乃を保護している教会のものだ」
隆さんは軽く自分の事を話す。
「へぇ、志乃はそんな所に拾われたの。龍神の食われたわけじゃなかったのねぇ」
「あんな悪魔に頼ってどうにかしようとしたから、こんな事になっているんだよ」
隆さんはぶっきらぼうに呟く。この場の空気がとても重くなる。
「まあ、お嬢さんが身体が悪いんでしょ。私は医者ですから、診てみましょう」
「あなた、医者なの?」
奥様がびっくりしたように言う。
「ええ。この辺は医者がいませんが、娘さんは医者に診せました?」
ハンスさんの言葉の奥様は首を振る。
「それはダメじゃないですか。早く診せないと!」
半ば無理矢理ハンスさんが家の中に入り、奥様も渋々私達が受けいれた。
「全くなんなのよ…」
ぶつぶつと奥様は、文句を言っていたが、とりあえず奥様と話をする事は出来そうだ。




