教会編-2
朝食を食べながら自己紹介をする事になった。
ちゃぶ台の上は、おにぎり、ししゃも、漬物、味噌汁という庶民の一般的な朝食ではあったが、龍神のところの食事と比べると見劣りするのは事実だった。味噌汁の具材のネギは包丁の切れ味が悪いのか繋がっているし、おにぎりは、麦や雑穀いりのご飯で白米では無い。とはいえ、久々に誰かと食事をするような時間で、思わず食欲が出てしまい、自分が与えられた分はどうにか食べられそうだった。
「私から行きます! 私は飯田初美です。訳あって孤児でこの教会でお世話になっていたけど、来月結婚します!」
初美姉ちゃんが明るく自己紹介する。
来月結婚というのも驚いたが、孤児だという事情もあっけらかんと話していて、私は目を丸くしてしまう。
「教会は、現代の孤児院のような福祉施設でもあるんですよね。私はこの神谷教会の牧師です」
次に黒い服の男性が自己紹介する。
「あの、ボクシってどんな漢字なんですか?ごめんなさい、学がなくて」
思い切って質問してみた。
「ええ、紙に書いてみましょう」
ボクシさんは雑記帳のようなものに鉛筆に走り書きして見せてくれた。「牧師」という漢字である事はわかる。
「まあ、牧師は分かりやすく言えばお寺における僧侶みたいなものですね。神様の言葉を信徒に伝えたりするのが主な役目です」
牧師さんにそう説明されて、どういう仕事であるのか何となくわかってくる。教会という場所もよくわからないが、神殿だとか西洋風のお寺みたいなものだと説明してもらって理解がついてくる。
「ま、教会は神様の子供の家です。家族です。今日から志乃さんも家族ですよ」
牧師さんにそう言われたが、ピンとはこない。ただ、他の行く場所もないし、どうすれば良いのかもわからない。太郎くんの様子を見る限り、ここで世話になるのが一番良い気がする。
続いて太郎くんが自己紹介をする。
「僕は藤沢太郎。龍神にいじめられて逃げてきた所を助けて貰ったんだ」
「あれ? 太郎くんっていじめられていたんだ」
初美が大きな声を上げる。私も驚くが、あり得そうな話だと思った。
「龍神に食われそうになった時、逃げてきた。でも変なの。夢みたいで、幻見てた感覚もあってさ、神社に龍神なんていないんだよね」
太郎くんの言葉に一同首を傾げるが、私は頷く。龍神は本当いたかどうかは分からないが、幻か夢を見せられていた可能性は高い。ただ、それを確かめる手段はないが。
次に私の自己紹介だ。
「佐竹志乃です……」
しかしこれ以上、話す事も思い浮かばない。名前を言っただけで下を向いてしまう。
ただ、他の誰も自分の事情や身の上などは詮索して来ないでほっとした。沈黙が生まれる間もなく、最後に若い洋装の男が自己紹介をする。
「神谷隆だ。東京の女学校で英語を教えている」
「隆兄ちゃんは、学校の先生なんだよ」
太郎くんがちょっと自慢気に声をあげる。確かに隆さんは、学校の先生の様な厳しそうで近寄り難い印象である。江戸時代の武士のような雰囲気もあり、背筋がピンと張って姿勢が良い。決して美男子と言えないが、誠実さや真面目さが外にも滲み出て居る印象だった。
「隆は私の息子でね。こんな可愛げはないが」
「父さん、今はいいでしょう」
隆さんはそう言って苦笑する。牧師さんと隆さんの真面目そうな雰囲気はよく似て居ると思った。
こうして自己紹介も終わり、和気藹々とちゃぶ台を囲んで朝食が進む。ちゃぶ台の上の料理はあっという間全て無くなってしまった。
久々に賑やかな料理に私は何だかとても嬉しい気持ちになってしまった。
食事が終わると、なぜか隆さんに呼び出された。寝かされていた部屋のそばの縁側で。
とっつきにくそうな隆さんと二人きりになると、無条件に緊張してしまい、身体が強張る。
予想通り怒られてしまった。
「お前、『頂きます』と『ご馳走』はちゃんと言えよ。あと、姿勢が悪い。箸の持ち方も雑だし、あまり咀嚼しないで飲み込んでいるのもダメだ。話し方もモゴモゴしていて、態度もわるいぞ」
「う……」
どれも指摘通りでぐうの音も出ない。龍神は「頂きます」と「ごちそうさま」は言わなくて良いと言っていたが、やっぱり不味かったのだろう。
「ごめんなさい」
「わかれば良い。まあ、食前のお祈りはしなくてもいいが」
「食前のお祈り?」
「ああ。私達キリスト教徒は、神様に日々の恵みを感謝し、祈りを捧げるんだ」
「私もやってみたいです」
キリスト教というものがどんなものかはわからなかったが、日々の恵みを感謝する気持ちは理解できた。むしろ龍神の家で食事を感謝するなと言われた方がおかしいな事だったのである。
「まあ、それは別にいいが。太郎も一緒にやってるし、やってもいいけどな」
そう言うと、洋装のポケットの中から綺麗に畳まれたハンカチーフを取り出した。あの形見のハンカチーフだった。
「そ、それは私のです!」
「大事そうに持っていたからな。一応畳んで持っておいたよ」
そうして隆さんは、私にハンカチーフを返してくれた。ありがたくて涙が出そうだ。しかし、なぜかお礼の言葉が出てこない。龍神の所の記憶は幻だったかも知れないのに、心の底にこびりついてしまったようだ。幼子のように人見知りになってしまったようだ。
「はぁ。まあ、良いけどよ」
隆さんは呆れた様な声を出し、私は恥ずかしさで下を向いてしまう。
「じゃあ、私は仕事に行ってくる。牧師さんや初美に迷惑かけるなよ」
「い、いってらっしゃい」
私はどうにかそう言い終えると、隆さんは縁側に置いてあった西洋風の黒い靴をはいて仕事に出かけてしまった。
悪い人なのか、そうで無いのかはわからない。ただ、このハンカチーフを失くさないように持っていてくれたのは事実だ。
今度会う時は、ちゃんとお礼を言おう。そんな事を思った。




