三文小説編-6
龍神様からの口付けはしばらく続いた。
ただ、なかなか唇の方には行かず、わざと避けているみたいだった。
「志乃……」
琥珀色の瞳に見つめられて、名前を呼ばれる。
「あ、あの龍神様のお名前は?」
私は何とか声を上げる。口付けの嵐でぼーっとした頭の割には、うまく言葉にできたと思う。
「俺には、名前がないのだよ」
「え、本当?」
「ああ」
「それは寂しいですね」
「いや、志乃がいるならそれで良いんだよ」
「旦那さまとお呼びした方が良いですか?」
「ああ」
そして龍神様は、ごく自然に私の唇に口付けをした。なぜか龍神様の唇はカサカサに乾いていて、唇を合わせているのに唾液や息づかいのような人間らしさがなかった。
本当に人形としているみたいであったが、そもそも龍神様は人間ではないので、そんなものなのかも知れない。温もりというものも感じない。思考は終わっているのに、心が冷えていく事は感じていた。
「志乃、嫌か?」
「え?」
私は嫌な表情をしていたのに違いない。ただ、なぜかこの口づけをまともに受け取る事が出来ず、俯いてしまう。
「嫌ってわけでは……」
言い訳のような言葉が溢れるが、龍神様は私を抱きしめたまま、そっと布団の上に寝かせた。
龍神様が身体にのしかかり、重みを感じるが、身体は全力で拒否していた。
私はこの優しい男性に心を開いたはずではないの?
それなのに身体が勝手に動いて、彼の逞しい胸板を押し退けていた。
「い、いや…」
そんな言葉まで溢れている。自分の口は一体どいしてしまったんだろう。自分の思考とは全く逆の事を言っているなんて。
しかしこんな抵抗も虚しく、龍神様は体勢を変えない。それどころか、寝巻きの帯を軽々と解き、あっという間に私を半裸にしてしまう。
「嫌!」
大きな声で叫ぶように言うと、やうやく龍神様は手を止めて、起き上がった。
私も寝巻きを急いで着直し、起き上がる。龍神様の髪は全く乱れていなかったが、私の髪はグチャグチャに絡まり、寝巻きからは肌が見えてみっともない有様だった。
「ごめんなさい……」
無表情なまま、私を見下ろすように見えている龍神様に謝った。どこに地雷があるかわからない。
これからこの美しい顔が怒りで歪むのも、優しく微笑むのもどちらもあり得そうだった。
「ち、違くて、私は背中に大きな火傷の跡があって、みられたくないというか……。恥ずかしくて……」
出てくるのは言い訳のような言葉ばかりだ。それでも龍神様は納得したようで、再び私の髪の毛をとかすように撫でる。この手つきを思うと、少なくとも怒っているわけでは無いようだ。
何で彼を拒絶してしまったのだろうか。自分でもわからないが、身体が全力で拒否している事はわかっていた。
はじめての夫婦の営みに緊張したのか、そもそも龍神様の心を開いていなかったせいなのかはわからなかった。
「まあ、俺は焦り過ぎたのかもしれん。こういう事はもっとゆっくりした方がいいかもな。志乃が慣れるまで、ゆっくり」
そう言って龍神様は綺麗な歯を出して笑う。本当に絵に描いたようような綺麗な口元だった。しかし頭のどこかで鬼のお面のような、獅子舞のような顔をにも見えはじめているのは、なぜだろう。
「背中の火傷なんて俺は気にしない」
龍神様はそう言って、再び私の髪を撫でる。優しい手つきにさっき感じた事は、勘違いだった気もしてきて混乱する。
「何で火傷なんてあるんだ?」
「それは、絵里麻が怒って八つ当たりしてやかんのお湯を浴びせたの」
もうすっかり忘れて忘れてしまった事だが、こうして言葉にすると当時の痛みややるなさを思い出してしまい、泣きそうになる。言い訳とはいえ、こんな嘘をついてついてしまった事に後悔しかない。
「なんだって!?」
龍神様はなぜかとても怒っていた。
「旦那さまが怒る事では無いですよ」
「絶対許さない! なんという娘だ」
龍神様は鬼のような形相で怒っていた。美しい顔が怒りで歪んでいる。自分に向けられた怒りでないのに、やっぱり少し怖い。
すると、龍神様は何かぶつぶつとお経なような言葉を唱えはじめた。日本語では無いような言葉だ。初めてあった時もこんな風に意味のわからない言葉を言って、目の前に沼のような池が現われた事を思い出すと。
「旦那さま、一体何を?」
龍神様がその言葉を言い終えると、私は恐る恐る聞く。
「ああ、その絵里麻という娘にたんと呪いをかけてやった」
「え? 呪い?」
「大方、死にゆく重い病にでもなるだろう。3ヶ月、あと1ヶ月ぐらいで死ぬんじゃないか。あんな娘は死ねばいい。というか死ね。死んでしまえ」
「そんな……」
言葉も出ない。絵里麻の事は嫌いだが、何もそこまでする事は望んでいない。
「志乃が好きだから、復讐してやったんだよ」
「だからって……」
「いいんだよ。あの娘は悪事を重ね、ろくな人間にはならんだろ」
「そん……」
言葉を出そうとしたが、龍神様の乾いた冷たい唇に塞がれる。
そのまま再び寝かされるが、さっきみたいに覆いかぶさる事はなく、横で添い寝をしていた。
私が眠るまで背をさすっていた。その為、再び思考が壊れてしまい、大人しく眠るしかなさそうだった。
今日は色んな事があり、疲れてもいた。こうして私と龍神様の初夜は失敗したわけだが、不思議とそうするしか無いような気もしていた。
「おやすみ、志乃。馬鹿な人間の娘。永遠に眠っていてくれよ」
眠りに落ちる瞬間、龍神様はそんな事を言っていたような気がした。それよりも眠気の方が強く、聞き返す事はできなかった。




