第五話 地球へ帰還しよう。
4時間の休息が終わり、アルベルトは居住スペースに居た。
三人とも診療システムによる身体検査で異常は感知されなかったが、やはり筋力は衰えていた。
「やっぱりきついな。歩くだけでも大変だよ。仮想重力の設定を少し落としてくれないか。」
アルベルトは、筋力の落ちた足で震えながら歩いていた。
「そうだな。まあ、正直俺もうまく歩けないし、少し落としておくか。」と、スピーカーからハリコフ大佐の応答があった。
ハリコフ大佐は、コントロールルームで帰還のための準備を始めていた。
「エウレカ。居住スペースの仮想重力を、0.8Gに変えてくれ。」
《了解しました。居住スペースの回転数を下げて調整いたします。》
ドーナツ型の居住スペースは、その回転数をゆっくりと落として仮想重力を落とした。
人間もふわふわと足元が浮いたが、家畜兼ペットの羊もふわふわ浮いて、異常を察知してメェーと鳴いた。
「エウレカ、艦内のチェックは済ませてあるか?異常があったら教えてくれ。」
《了解しました。艦内の空気量、成分とも異常なし。生命維持機関も順調に稼働しています。ただし、艦全体に0.2%のひずみが見られます。現在は異常が見られませんが、このままひずみが大きくなれば、何らかの故障や支障が発生するでしょう。》
「ふーむ。それはちょっと気掛かりだな。どんな故障が考えられる?」
《艦の筐体のどこかに、極微細な亀裂が生じることは予想されますが、急激な噴射や重力が掛からなければ問題はないでしょう。問題は、ひずみから発生する部品同士の隙間です。特に、空気、水は外部の真空に引っ張られるので、隙間を埋めることができなければ、生命維持の継続が困難となります。》
「ひずみは進んでいるのか?」
《はい、おそらく太陽光による艦表面の寒暖差によってひずみが生じているので、このまま太陽光を浴び続ける限り、ひずみは進んでいくと推察されます。》
「月面基地まで、艦は維持できそうか?」
《艦の構造自体に影響は少ないと思われますが、生命維持の継続に関しては、保証できません。》
「まあ、もとより宇宙飛行に保証なんかないのかもしれんが・・・。」
ハリコフ大佐は、そのまま黙ってしまい、親指を顎に当てて考え込んだ。
正直、少しやっかいなことになったと思った。
「エウレカ、月面基地までの生命維持の確率はどれくらいだ?」
《このままひずみが続くとなると、82%です。》
別な解釈をすれば、約8割進んだところで生命が維持できなくなる可能性がある、ということである。
「アルベルト教授、フェスティーヌ、コントロールルームに来てくれないか。問題が発生した。緊急ミーティングを開く。」と、落ち着いた声で呼びかけた。
「穏やかじゃないね。」と、アルベルトは肩をすくめた。
数分後、三人はコントロールルームに集まった。
まず、ハリコフ大佐が口火を切った。
「実は、艦全体に0.2%のひずみが発生している。ひずみを戻すことはできず、なおかつ進行中だ。このままひずみが進むと、18%の確率で、空気が漏れ出てしまい、我々は生命を維持することができない。そこで、地球の管制センターへ報告書を転送する前に、二人から忌憚のない意見を聞きたい。」
アルベルトは目を丸くしてぎょっとなり、フェスティーヌは口を結んで少し上を向いて悔しそうな顔をした。
が、そこは宇宙飛行士たる者、冷静に思考をめぐらせていた。
「ま、少なくとも死にたくはないな。」冗談交じりに応えるアルベルト教授。
「そうね、羊さんたちとも仲良く帰りたいわ。」無理に笑顔を作るフェスティーヌ飛行士。
「で?」言葉を続けるよう促すハリコフ大佐。
「原因は掴めているのかい?」と、アルベルト教授は斜めに向き直って聞いた。
「エウレカの報告によれば、艦の表面に当たった太陽光の熱で、金属的なゆがみを発生させているらしい。つまり、日の当たる場所と、影の部分の温度差で、艦全体がひずんでいるということだ。」
「なるほど、そうならないように設計されていた訳だが、そうはならなかったという訳か。」
通常、宇宙船は同じ方向から太陽の熱を浴びないように、ゆっくりと回転させるのだが、何らかの原因で、均一に熱が加わらなかったと考えられた。
「そうだ。我々が航海する途中で大量発生した太陽のプロミネンスの影響が考えられる。これは俺の推測だがな。」
「太陽神さまさまね。エウレカにもわからないことがあるのね。」フェスティーヌが口を挟んだ。
「それはそうだ。エウレカは万能の神ではない。過去のデータを分析して組みあがっているだけで、予想できないこともある。それに、彼は、あくまで我々のサポーターだからな。」
「わかってるわ。ちょっと言ってみたかっただけよ。」
《申し訳ございません。フェスティーヌ飛行士。わたしにも限界はあるのです。》と、エウレカが突然割り込んできた。
「おや、これは珍しいな!初めてエウレカが謝ったぞ!」
三人は、声を上げて大声で笑った。
「いやいや、これは愉しいこともあるもんだ!フェス!お手柄だな!」
「いやねぇ・・・。こんなことで褒められても嬉しくないわ。」
しばらく笑っていたが、実はこれはコミュニケーションの一環であり、円滑な関係を作るための自然に身に付いた彼らの習慣であった。
「さて・・・、どうするか・・・。」
笑い終わった後、ハリコフ大佐が顔を横に向けてつぶやいた。
「そうね、私のボーイフレンドだったら迎えに来てくれるわね。」
「え、付き合ってる人いたの?ひどいよ。」
「ばかねぇ・・・たとえ話よ。だとしてもあなたとお付き合いする気はありませんけど。」
「どっちにしても、しょんぼりだなぁ・・・。」とおどけるアルベルト教授。
「そうだな、それが現実的かもな。8か月・・・、ランデブーする時間も考慮すると半年くらいか・・・。それくらいあれば、連合も送迎艦の準備が出来るだろう。」
「ひずみを止める手段はないのかな?」
「まんべんなく太陽光を浴びせるとか、伸びていない面を太陽に向けることも考えられるが、ひずみの度合いが読めないだろう。修理キットがあるわけでなし。船外作業で、ひずみを直すことはあきらめた方がいいだろう。」と、ハリコフ大佐。
「わかったよ。それじゃあ、地球に報告してくれ。回答を待って対策を練ろう。」とアルベルト教授が答えた。
わかっていても、質問と回答を繰り返して、お互いの考えをチェックしたり、新しいアイデアを生み出す。このやりとりも、そういった理由で敢えて行っていた。
「エウレカ、艦の詳細報告と帰還シーケンスに入る報告を送信しておいてくれ。この問題の解決方法を求む。ともな。それから何かメッセージは届いているか?」
《了解しました。現在の艦の報告と問題解決の問い合わせを送信いたします。地球の管制センターからビデオメッセージが届いています。再生しますか?》
「頼む。再生してくれ。」
《再生を開始します。》
[西暦2032年12月21日記録。連合管制センター。送り主、管制センター最高責任者ジェリー・フレッチャー。]
「メリークリスマス! 我々から最も遠い宇宙の探検者!火星探査完了おめでとう。今頃は、クリスマスケーキを楽しんでいるかな? それとも、誰かさんが全部平らげてしまったかな?」
動画が始まると同時に、フレッチャー最高責任者が、カメラに向かってクラッカーを鳴らし、「メリークリスマース!」と叫んだ。画面から姿が消えると、画面の中には、広い管制室が映り、多くのスタッフが映り込んだ。スタッフの中には、コーンの形をした紙の帽子を被った者や、サンタの衣装をした者までいて、すっかりクリスマスムードを演出していた。
「すっかり順調なようだな。我々も安心して見ているよ。気は抜かないようにしているがな。AIのおかげで随分と楽になったよ。早くデータを送ってくれよ。地球上の科学者とAIが待ち構えているからな。何かあったらすぐに連絡くれ。何もなくても『何もない。』と報告くれ。じゃあ、しっかり頼むぞ。」
それだけ言うと、画面が真っ暗になった。
《動画は以上です。》
「なんだ、ずいぶんとお祭り気分じゃないか。クリスマスケーキなんてあったっけ?エウレカ?」
《はい、ございます。ですが、本日は12月23日ですので、ご提供するのは明日の夕食となります。》
「なんだ、そういうことか。奴らも随分と気が早いものだ。」
「通信のタイムラグを踏まえて転送してきたんだろうが、一日惜しかったな。」
「まぁ、いいじゃないか。エウレカ、何かクリスマスソングを流してくれよ。」
《承知しました。》
すぐに、シャン、シャン、シャン、シャンと鈴の音が鳴り始め、クリスマスソングが始まった。
「やだ、うきうきして困っちゃうわ。羊さんに赤いリボンでもつけようかしら。」
「エウレカ、クリスマスっぽいホログラムも頼むよ。」
《承知しました。居住スペースにてランダムで投影します。どうか良いクリスマスを。》
居住スペースには、クリスマスツリーや、雪景色、星をまき散らしながら飛んでいく小さなサンタのソリ、雪だるまなどが映し出され、三人のクルー達は、クリスマス気分を味わった。
(冬か・・・。コールドスリープを使うことになるかもしれんな。)と、ハリコフ大佐は、降ってくるホログラムの雪を見ながら、そう思った。
第四夜の後編に続く。