第三話 アンドロイド法施行(しこう)
千鳥ゆうなが自宅に帰って、電子ペンを走らせている頃、三ヶ島吾郎は、デザインに悩む必要がなくなってほっとしながら、自宅でビールを飲みながらニュースを見ていた。
中国の深圳からのレポートだった。
〈ここ、深圳では、アンドロイドやAIに依存しすぎたために、労働意欲を失い、自宅でひきこもる人が増えている問題が発生しています。結婚する人が減少し、少子化が進み、このままだと数年のうちに人口の6割がアンドロイドに入れ替わってしまう可能性が指摘されています。年齢のバランスを取るために、他県や外国からの移民も話し合われていますが、進み過ぎたアンドロイド社会に恐怖を覚えたり、「それは既に人間社会ではない。」と毛嫌いする人も多く、人口の流出が流入を超えており、皮肉にもアンドロイド社会を受け入れてしまった人達が残るという結果になってしまい、人口減少は止まらないようです。〉
(中国はデジタル化が進んでいたからなぁ・・・。進み過ぎるのも、人間にとって弊害かもしれないなぁ・・・。アンドロイドに生かしてもらってる。ってのも変だし・・・。その点、日本はまだまだアナログが残っていて幸せだなぁ・・・。)
進んでいないことに、妙な安心感をもって、ほっとしたことが滑稽で、自分の考えに笑ってしまった。
しかし、吾郎の笑いは、笑いごとではすまない切実な問題だった。
実は、中国政府のみならず、世界中の政府や科学者、哲学者たちが、この事態を危惧していた。なぜなら、ついに人類がAIたちにコントロールされ始めたと考え始めたからである。しかし人々の心配とは裏腹に、AI達には、生活を補助しているとか、養っているという思考しかなく、支配しているとか、飼っているという思考は組み込まれていなかった。人類が勝手に妄想して、「ついにディストピア到来か?」と煽る連中も出現し始め、自分の不幸を誰かの責任にしたがる現象は、この時代になっても変わらず、散発的ではあるけれども先進国において「アンドロイド狩り」と称した残酷な破壊事件が見られるようになった。
深圳では機械化、コンピューター化が進み過ぎて少子化を引き起こしてしまったが、日本では少子化が進み過ぎたおかげで、機械やコンピューターに頼らざるを得なかった。
よって、日本でも、AIを搭載した自律型ロボット、つまりアンドロイドの普及も進み始め、「アンドロイド狩り」にみられるような社会的混乱が生じかねないとして、新たに法律を制定する必要がでてきた。
それが、『疑似人間型自律機械運用法』通称〈アンドロイド法〉である。
この法律では、アンドロイド定義、所有権の保護、登録、審査に関する事、危害を加えた場合の賠償、許可制製造、廃棄方法、原料、材料に関する規定、行動範囲の制限、追尾システム、出力制限、ネットワークへの接続制限、AIの思考に関する倫理規範などが定められ、ロボット人権などという大それたものではなかった。
ここで難題の一つであったのが、【アンドロイドの定義】である。
まるで人間のように会話が可能であり、歩行し、手足を動かしているのがアンドロイドというのは簡単にイメージできても、例えば、目が3つあるとか、上半身だけ人間で、下半身が二輪であるとかいった場合、または顔の代わりにカメラがついていたり、動物の顔がついていたりするのは、アンドロイドと言えるのか?腕の代わりにハサミが付いていたら?AI搭載の自律型の車は?モニター内にのみ存在するアンドロイドは?
逆を言えば、アンドロイドの定義から外れてしまえば、法から逃れることもできる。
そして、自律型のAIの定義と言っても、単純な作業の判断から、複雑な論理の思考、人間と会話できるような思考をもったものまで様々で、簡単に定義できるものではなかった。
ロボット工学の専門家、ロボット産業の開発者から哲学者に至るまで、様々な分野から専門家が集まり、結果、分類付けをして、なんとか法を策定することができた。
このうち、〈疑似人間型〉とは、人の表情を持ち、人間と日常生活の会話が可能であり、外観がほぼ人間と変わらないことが求められた。軽微な変更に関しては、例えばアクセサリーの形をしていたり、額に小さなセンサーを付けるために、インド人の化粧のように見せれば可能であったし、腕にハサミを付けたい場合は、そういった作業をするときのみ、人間のような腕と交換することで緩和されていた。
もう一つは【AIの倫理規範】である。
ロボット三原則は適用されるとしても、原則から外れた場合、法律から外れた場合、命の選別を迫られた場合、どのように判断させるのかが鍵となった。
道徳、倫理、モラル、信条、宗教などについては、そもそも人間の永遠のテーマであり、これを定義づけることはできなかった。
そこで専門家たちは、原則の他に、細則として “今、日本で正しいと思われている判断、基準の思考”をAIに学習させ、そのほかは所有者の判断に委ねることとし、車の車検と同じように、新規登録時、定期点検時に倫理テストが行われた。もし仮に、アンドロイドが罪を犯せば、それは所有者の責任に準ずることとなった。
こうやって、『疑似人間型自律機械運用法』通称〈アンドロイド法〉は、議論の余地を残していたとはいえ、とにもかくにも個体の管理だけは早急に実行せねばならないとして施行された。
ちなみに、議決した国会の議員達は、法の中身についてはよく分からず、自分にはあまり関係がないとして、とりあえず賛成している者がほとんどだった。国家公務員の天下り先の機関が一つ増えたことで、官僚にも貸しが出来るだろう。くらいのことである。既にこの時、『秘書アンドロイド』を一部の者が使用していたが、当人が使うのではなく、秘書官が、機械的に業務をこなしてくれるアシスタントとして『秘書アンドロイド』を使っていた。なぜなら、アンドロイド達は、法の遵守にうるさく、詳細に正しく覚えており、AIに「空気を読む。」「忖度する。」という発想はないので、政治家たちの邪魔になったからであった。
もちろん、吾郎たちは、もっと和やかで夢を見させてくれるアンドロイドを作ろうとしていた。
いまや、利用者に喜んでもらえるアンドロイドを開発することが、吾郎の夢となった。