第一話 戦いの神の星
火星探査有人船「シュペイア」の船長のハリコフ大佐は、探査船のAIであるエウレカに呼びかけた。
「着陸ミッションに入る。コード3275。エウレカ、各センサー以上ないか。」
柔らかな女性の声をしたエウレカが応答する。
《各センサー異常感知ありません。侵入コース確認。クルーの確認が終了しだい、いつでも降下に入れます。》
続いて搭乗員の二人が、
「アルベルト。こちらも問題ありません。」
「フェスティーヌ。こちらも問題ありません。」
と、応答した。
宇宙飛行士3名を搭乗させて、人類初の火星有人探査船は火星の衛星軌道上に位置し、地上に設けられた基地に向けて、着陸船の降下を開始しようとしていた。
西暦2028年。
人類は、火星に向けて、AIを搭載した無人惑星探査船「オポチュニティーシリーズ」を送り込み、火星上に幾つかのプラントを持つ基地の設営を始めた。月面都市での設営開発を元にして、無人でも設営可能な基地を建設することが可能になったのである。降下したロボットたちは、火星の砂塵に手こずりながらも、着々と建設を進めていった。なにしろ彼らAIは人間の指示なしに活動できたので、人類は2日に一度送られてくる膨大なデータを、月面の開発センターにあるAIで解析し、少しの指示と確認をするだけで良かった。よって人類は、月面にあるAIとの確認作業というなんともへんてこりんな火星開発となったのであった。
西暦2031年3月。
第三月面宇宙港の衛星軌道上から、火星探査有人船「シュペイア」が出航した。探査船の航行能力が上がったとは言え、片道9か月の旅は、この退屈な時間をいかにして過ごすかという課題も抱えていた。ドーナツ状の居住区を胴体に抱え、遠心力を使った疑似重力のある地面を作り、日々のトレーニングをしたり、まれに可能になる地球との交信、エウレカとの問答もあったが、やはりマンネリな生活を打ち破るのは、予期できない小さなハプニングが必要だった。そこで、やはり地上で暮らすことになるだけ近づけるように、野菜や花を植えて不規則に伸びる葉や花を楽しみ、家畜やペットなども同乗させて、小さな驚きが絶えぬよう工夫を凝らした。
そのため宇宙船は巨大になったが、これは宇宙飛行士が精神を正常に保つ上で、大変有効だった。地球の軌道上であれば、地球との交信は頻繁に可能であったし、地上を眺めては、夜景や、刻々と変化するオーロラ、タイフーンなどを眺めて気が休まるのだが、火星と地球の間には何もなく、宇宙船の中で心を完結するしかなかった。
そして忘れてはならないのが、生命の維持そのものにかかる材料、すなわち、水、食料、空気だった。これらの材料は、あらかじめ貯蔵タンクに圧縮して詰め込まれてはいたが、植物やバクテリアの力も使って再生、循環させた。あとはエネルギーであるが、電気だけは太陽光パネルで補うことができた。
それらのユニットを結合して、火星探査船「シュペイア」が構成されていた。よって「シュペイア」は、先頭をコントロールルームとした一本の細長い軸に、着陸船、巨大なドーナツの筐体、巨大な太陽光パネル、エネルギーを詰め込んだ球体をいくつも並べて、放射状に延びたフレームの先端に噴射装置を付けたなんとも不格好な乗り物であった。
選ばれた乗員3名は、この環境によく溶け込んでいた。彼らは研究者であり、こういった空間に籠る事をなんとも思っていないようだった。彼らの探求心は専門的で小さな知識や情報、そして火星へ探検できるという満足感で満たされていた。
そしてその9か月後、ついに火星軌道上に静止した探査船から着陸船に乗り込み、着陸態勢へと入ったのだった。
「エウレカ、地上のお出迎えはきちんとしてもらえるのかな。」
ハリコフ大佐は、目の前のモニターに拡がる火星基地からのライブ映像を眺めながらエウレカに聞いた。
《火星地上基地支援AIマルスと交信し、準備完了との回答をいただいております。》
「重力が低くても、久しぶりに大地の重力に体を預けられるって待ち遠しいわ。」
シートに身を預けて、目を閉じるフェスティーヌ。
「赤い惑星かぁ・・・。早く降下して、火星の重力を感じたいね。」
高校生まで体操競技で体を鍛えていたアルベルトは、肉体に関する関心も強かった。
「さあ、いよいよ降下するぞ。エウレカ、カウントダウンを始めてくれ。」
《了解しました。火星への降下開始まで、あと150秒。各センサー異常なし。月面都市との交信はこちらで継続しております。次に、火星地上基地からの情報。》
《こちらは火星基地支援AIマルスです。大気に大きな異常は見当たりません。風速0.5m/h。降下に支障ありません。着陸船の受け入れ態勢問題なし。離発着ドームの外殻開きます。牽引レーザー射出準備完了。いつでもどうぞ。》
《カウントダウン60秒前。59、58、57、・・・・》
「人類は、AIにお世話になりっぱなしだな。」と、ハリコフ大佐。
「AI同士の会話を聞くのにも、すっかり馴染んでしまいましたね。」
と、アルベルト教授。
「ま、その代わり、人間は、AIよりも少ない情報で方針を決めなければならないから、どうにも皮肉なものだ。」
「さすがにAIは夢を見ないでしょう。人間は夢を見ることができて、やりたいことを見つけて進化していくんだもの。AIがあるおかげで、人類の進化が加速してるんだと思うわ。」
フェスティーヌは、宇宙服の大きなフェイスシールド越しに、横目でハリコフ大佐を見た。
「そうだな・・・。火星到達ミッションも、その夢の一つなわけだ。」
《28、27、26、25、・・・》
「どこまで行っちゃうのかしらね・・・、人類は。」
人類が火星に到達してしまえば、現実的にその先となるような惑星も、そのような対象も見つからなかった。フェスティーヌは、幸運にもこのプロジェクトに参加できたのだが、火星という“研究対象”に到達しても、しばらくは・・・といっても数百年だが、金星や木星に行くということはありえないだろうと思っていた。ただ、その人類の探求心とか、終わることのない欲望のようなものに、つい溜息をつくような言葉になったのだった。
もし、仮に火星の先へ行くことができるとすれば、それは人類ではなく、AIか、冷凍スリープされた人類・・・もしくは冷凍遺伝子、またはデータ化された遺伝子であろう。いずれにしても彼らには途方もなく遠い話で、自分達の限られた生にとって現実味はなかった。
フェスティーヌは冗談交じりに呟いた。
「もう全部AIに任せてしまえばいいんじゃないかと思うこともあるわ。特に、今回みたいなミッションとか。(笑)」
「そうなったら、有人飛行じゃないだろ!」
「とりあえず、俺たちの夢は地球に帰ることだがな。」穏やかに笑うハリコフ大佐。
「そうね、早くフランスに帰ってビーチで日光浴がしたいわ。なんたって地球が一番よ。」
「おいおい、宇宙飛行士がそんなこと言っていいのか?でも、私もこっそり招待してくれよな。」と、突っ込むアルベルト教授。
「いいわよ。地中海の海は最高なんだから。」と、フェスティーヌはウィンクした。
《16、15、14、13、・・・》
「おっと、続きはまたあとで。各センサーの監視よろしく。」
「了解。」
「了解。」
《5、4、3、2、1、ロック解除。噴射開始。時速1.5kmで離脱開始。》
淡々と、冷静沈着に、エウレカは進行を読み上げた。
そして、着陸船は小さな噴射音を構内に響かせて、静かに、静かに、戦いの神の星と呼ばれた惑星に降下していった。
(火星にも神様はいるのかしら。)
フェスティーヌは、こんな時につまらない事を思ったな。と思ったが、
(そういえば火星は戦いの神の星だったわ。)
と、またしてもつまらない事を思ったと、心の中でぼやいた。