008 ケイジン
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ジャランと弦を掻き鳴らせば、夕闇に諸行無常が響き渡るっちゅうもんや。
何や様子のけったいな姫様を上座に、ゼキア守役は興奮冷めやらぬっちゅう態度やし、ウルスラ僧師は苦虫を噛み潰したような顔で皺を深めまくっとる。
来る日が来たってだけの話なのかもやけど……しんどいことやんな。
「イクサム坊のいない間に事を決めたかないが、こうなっちまっちゃ仕方がない」
嫌そうに言うね、ウルスラ僧師。実際、越権やろうしねえ。
「僧院は紅家軍の要求を呑んだ。三日の後には財物押収の部隊がやって来て、そのまま駐屯する。まず、ろくなことになりゃしないよ」
「やっぱり焼き討ちでっか?」
「目録が効いてる内は時を稼げるが、荘園台帳を獲られた日にゃお終いだ」
「まあた土地や……どこもかしこも、やれ水争いだ、それ森争いだ、刃物のぎらつかん日のない有り様やのに」
「紅家のやり方が強引だからさ。連中、何を焦ってああも無理を押し通すんだい」
戦争や。獣の喧嘩やなし、どうしたって経済の話になる。
未来の当主様と側近長とは言うても、三歳と十歳にわかりいと望む方が無茶っちゅうもんや。キョトンとした顔を……あれ?
姫様、いつものように放心せんとって、じっくり聞いていいひん?
「とにかく姫様には夜にも場所を移してもらうが、思案のしどころだ。長屋に戻っても安心はできないよ。イクサム坊は悪目立ちをしちまった。紅家令嬢のお気に入りとあっちゃ、欲得ばかりか悪意も招くってもんさ。だから……」
うお、ちんまい手が真っ直ぐに伸ばされて……おお……何や、この迫力は。すごい目力やで。ウルスラ僧師が言葉を続けられんようになるなんて。
「いま、せんそうが、はなされている」
しゃべった! 初めて声聞いた! ゼキア守役は、ああうん、そっちも聞き慣れてはなさそうや。ほんで興奮しとんのか。
「わかっている。だから、たしかめなければならない」
気圧されるような視線が、ワイに向けられて、逃れようもない!
「あなた、なまえは?」
「えっ、あれ? 名乗ったような?」
「ゆっくりと、もういちど」
「ケイジンっちゅう者やけど……」
「わたしをひめとよび、みかたをする……なぜ?」
「十代の頃から、ワイ、白家軍で戦ってきましてん。紅家の横暴には腹立って腹立ってしゃあないし、御恩もあるさかいに……意地を通したく思うんや」
言葉が、胸の底から引きずり出されたで。息苦しいほどや。
「そう……わかった。あなたはわたしのなかま」
「あ、ありがたく」
ほんまに三歳か? これが、白家令嬢のすごみっちゅうやつなんか。
「あなたは?」
「ウルスラだ。姓もあったが捨てちまった」
「そう。ウルスラは、なぜ?」
「……わたしゃ、別にあんたの仲間じゃないよ」
はあ!? ウルスラ僧師、何を言うてんねん!
「もとは禁軍の……皇帝陛下の軍の将校だ。白家だの紅家だのと、軍閥が台頭することを歓迎しちゃいない。それでも時代の流れと諦めて、まだしもマシな方の味方をしてるだけのことさね」
ああ、せやな。それも本音やろうな。根っこのところで、この人は国に殉じる御人なんやろう。
「ありがとう。ずっと、みかたしてもらえるよう、がんばる」
う、受け入れた……話を理解しただけでもすごいのに、でっかい器量やで。天賦のもんか? それとも教育の……守役、顔真っ赤にして感動しとるね。
「ゼキアは、かくにんしない。あのひとも。ことばにするひつよう、ない」
「姫……!」
おーおー、涙流しとる。守役としちゃ感無量ってもんやろうなあ。
「つぎ……ウルスラに、ききたいことがある」
「聞こえてたってことかい」
「そう。どうしてここに、ガロ、つかまっている?」
……は? え、今、何て?
「らいこくむそうの、ガロ。こうけのえいゆう。ここにいるのは、なぜ? リバルヒンはしっていた。どうして?」
あの時か! 東都統領が奥の院へ来た理由はそれか!
雷国無双といったら、恐るべき男やで。
誰一人、ただの一度も勝たれへんかった。あれこそ神算鬼謀っちゅうやつや。何度殺されかけたか、どれだけの仲間を殺されたか、わからへん。
その怨敵が、ここに囚われとる? 東都統領も承知の上で?
「あの男……ガロは、紅家当主シクスガン・クリムゾンテルを暗殺し損ねたんだ」
はあ!? どういうこっちゃ、そりゃあ!
「身内を害されたらしい。逆上して襲い掛かり、失敗して、何をとち狂ったのか白家軍本陣へ駆け込んだんだ。軍を貸せ、シクスガンを殺してやるって息巻いてね」
「んな、アホな……常軌を逸しとるわ」
あかん、思わず茶々を入れてもうた。でもアホちゃうか。ほら、姫様もウンウン頷いとるで。
「もちろん信用されなかった。だけど何かの罠とも疑われたんだ。他ならぬ雷国無双だからね。さりとて決戦は間近で拷問にかける暇もない。それで、戦場へ影響しない遠方、つまりはここへ送られてきたのさ」
「……そのまま、ほうっておかれた?」
「……あんたの父親が死んじまったからね。秘密裏の移送だったってこともある。三年の間、座敷牢で絵ばかり描いてるよ」
はあ……ため息出るわ。あの決戦の裏でそないなことがあったとは。
「だが知ってるやつは知ってたのさ。リバルヒン・クリムゾンテルもその一人だ。東都統領として赴任するや、すぐに釘を刺してきたよ。ガロをそのまま生かさず殺さずにしておけ、逃がせば僧院を更地にするってね」
時期を逸したってことかなあ。それこそ、生かすにしろいてこますにしろ影響のある大物やし。
「そのめいれいも、もうない」
「その通りだ。殺す分には好きにしろと言われたよ。あの口振りじゃ、遠からず殺さないと妙な疑いをかけられそうだ」
巧妙の獲物を狩り終えて、鋭敏の矢も犬も片付けられる……か。敵であれ英雄の結末としては物悲しいもんや。
「……殺すかい、あの男を。あんたにゃそれを決める権利があるよ」
酷なことを聞くもんやけど、道理や。白家としても子としても。
さあ、姫様。聞かせてもらうで。どういう判断を下すんや、ナインベル・ホワイトガルムっちゅうあなた様は。
「ころさない。いのちは、だいじ。とりかえしがつかない」
「いいのかい?」
「ことりのえ、すてきだった……そうつたえて」
なるほど、ね。戦渦の真ん中から、命の価値を語る……なるほどやねえ。
これは、ワイももっと本気で命懸けにならんと。胸が、笑いだしたくなるくらいに熱くなってきたからには、ね。
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