006
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「どうも軍資金の要求みたいや。要するに、紅家へ屈服しろっていう脅迫やな」
この干し果実、もとの形がイメージできないな。味は甘いけれど。
「そのためにわざわざ東都統領が来たと」
「ここ一カ所きりじゃ釣り合わんけど、東都各所の僧院への威圧、ひいては東都領域諸勢力への示威行為と見るならわかる話や。効果的やで、実際」
「……逆らえば、見せしめか」
「せやな。さぞかし盛大な焼き討ちを喰らうやろなあ」
ここ、奥まったところの建物だからかな。空気がひんやりとしていてかび臭い。片付いているけれど、人の生活からは遠い感じ。
はー、イケメンくんを鑑賞したいなー。行商人のお兄さんじゃ物足りないよ。
「とりあえずのところ姫様の存在は露見していいひん。いくらも逃げようはある」
「そうか……イクサムが拷問に耐えかねて、などとほんのわずかでも疑った自分が恥ずかしい。あの男ならば首級になっても姫の敵を討つだろうに」
「す、すごい信頼と仮定やね……烈騎、紅家令嬢に随分と気に入られたみたいや。都内巡回だか物見遊山だかであっちゃこっちゃ連れまわされとるで」
「どういう女なんだ? 何を考えてる?」
「気まぐれやけど施しを好むさかいに民の評判はええ。身分を問わずを人を抜擢するらしいから、烈騎、仕官の誘いを受けとるのかも」
ヒソヒソ話が、うるさい。イライラする。息がつまる。
「姫、どこへ? 厠なら供を……なぜ嫌がる?」
「まあまあ、守役。ここいらはまず安全なんやし」
「しかしだな」
「ワイが渡り廊下に居座る。ぼちぼちそうしようかと思うとったところや」
「それなら、まあ……」
「守役もゆったりとしよな。よう休むのも斥候のコツやさかいに」
廊下へ出て、ため息をひとつ。八つ当たりはよくないぜ、あたし。まったく。
トイレ行こうトイレ。この世界、ちり紙があるのは救いだよね。クシャクシャにもみ込まないと使えたものじゃないけれど。
外は明るいのに、薄暗いなー。窓が縦細で手もくぐらないサイズだもんなー。
って、何この紙。廊下に一枚きり落ちているのは、小鳥の絵?
墨の黒一色だけで描かれているのに、すごい、今にも羽ばたきそう。巣立ちの場面なんだ。まだ卵の子もいたり、殻を破る最中の子もいたり、とてもにぎやかだ。
「ガキが、なぜこんなところにいる」
声。どこから? あ、こっちにも窓がある。絵が落ちていたところの、横。
うわ、目が合った。
縦細の隙間の向こう側に、真っ白い頬と、どす黒い目。まるで深い深い穴。
「どういう目だ……てめえ、物の怪の類か?」
化物呼ばわりしなかったか、こいつ。
「気持ち悪い。生きてんのか死んでんのか、あいまいな命をさらしやがって」
「……さい」
うるさい。そっちこそ不気味な目と声のくせして。
「聞こえねえな。届ける気概のねえ声なんざ、家畜の鳴き声よりも無様だぜ」
悪口を言うな。悪口は嫌いだ。死ぬほど、死んじゃうほど聞かされてきたから!
「うるさい! だまれ!!」
あ、声。喉を震わせて、音と熱とが飛んでいった。
あたし、今、しゃべったんだ。この身体になって、初めて、言葉を話したんだ。
「……人間の化物か。ガキのくせに、胸糞悪い」
こっちのセリフだっての。何なのこいつ。ものすごくムカムカする。言いたいことも言えずに立ち去ったら、負けって気がする。
「……あなた、なにもの?」
「てめえこそ何者だ。ババアの手の者にしちゃお粗末にすぎる」
「ババア……?」
「世話係ですらねえやつがここにいる……凶事だな。紅家軍でも来襲したかよ」
「なぜ、わかる」
「ババアがババアだからだ。それみたことかと伝えろ。毒じゃなく剣をともな」
何なの。言っている言葉はわかる……よく聞き取れるんだ。意味もわかる。
でも、会話がかみ合っている気がしない。勝手にわかられて、利用されている気がする。こいつ、ものすごく頭がいい気がする。
「あなたは、だれ。なぜ、ここにいる」
「てめえから名乗れ」
うわっ!? せ、背筋にビリビリって……!!
怖い。怖いよ。大事なところだって、どうしてか理由もなしにわかっちゃった。何と答えるかで、きっと、あたしの運命は変わる。良くも悪くも変わっちゃう。
町娘のベル? 白家のお姫様のナインベル? それとも、過労死した日本人?
どれもあたしだけれど、どれ一つ、上手くできなかった。誰かとまともに話せもしなかった。それって、たぶん、どれかでしか生きられないってことなんだ。
あたしは、誰として生きる? どの名前で、今を生きるの?
「……ナインベル」
「あ? 冗談で口にしていい名じゃねえぞ」
「わたしは、ナインベル・ホワイトガルム」
「……白家最後の子の名だ、それは」
「そう。それが、わたし」
言ってしまうとストンと納得できた。胸の奥がジンジンとしびれている。
「あなたは?」
「……てめえの人生を台無しにした男だ」
闇の色の瞳が揺れた。深く息が吸われて、吐かれて、もう一度吸われてから言葉が発せられた。少し強がったような声が。
「紅家軍を指揮して全戦全勝。『雷国無双』のガロとは俺のことさ」
フフンって鼻で笑った。自慢げにも聞こえなくはないけれど、何だか自嘲的って感じたのは気のせいかな。
そもそもさ……いや、一応確かめてみよう。うん。
「……ゆうめいじん?」
「えっ!?」
あー、目をまん丸に見開いちゃった。
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