043 ノリパス
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青空に白天旗が映えますなあ。
頬をつねれば……痛み。ゆえに不肖の身は生き残っており、つまりは白家軍の勝利が夢ではないということ。先日吠えた勝鬨もまた。
「ノリパス、大丈夫か? お前、ろくに寝てないだろう」
「左様、二日ほどは。守役殿も働きづくめでしょう。慰問に埋葬にと」
「姫が熱心だったからな」
ようやくお休みになりましたか。幕舎の警護は……ふむ、ヨウトラ殿がいるなら万全ですな。物音を控えるよう周囲へ指示しておきましょう。
「……敵の死体をほっとけば、もっとずっと楽だった」
ナタ、でしたか。姫様が東都で雇い上げた小姓の。
「身体はな。だが心は違う」
彼といい守役殿といい、戦場に立つのは早すぎます。姫様に至ってはもはや。
「死んだ奴らを、かわいそうって思うからか」
「それもある」
「あわれんだって、意味ない。死んだらもう何もわかりゃしないんだ」
「姫様は言った。弔うのは、本人のためよりもむしろ遺族のためだと。そこにしか死の悲しみはないとも」
「……おれは……」
二人とも指爪を土で汚したままですね。怨みもあるでしょうに。
さあ、誰も彼も粛々と働きましょう。敵味方の区別なく命へは真摯に。姫様の御心に叶いますよう。
「や、ただいま戻ってきましてん」
ケイジン。様子から察するに、リバルヒンの追跡は空振りですか。
「距離もあるさかいに、東都入り、もうどうあっても阻みようありまへんよ?」
「……軍師殿の策とやらに期待しましょう」
雷国無双―――かつての白家軍が敗れに敗れて成さしめた、忌まわしき二つ名。
毒獣の旗の下、今日もだらしなく過ごしていますね。それでいて文書を記す手が止まることなし。配下のハージィなる将校も練兵を休まず。
「あと、日暮れ前にはユーベイン将軍が到着しそうでっせ」
「随分と早いですね」
「速いんですわ。なにしろ百騎だけで駆けてくるんやから」
何たる豪気。私にはわからない駆け引きがすでにして始まっているのでしょう。
わかる範囲に職分あり。用意だけはしておきましょうか。
ヨウシジ殿へは再度の先発の要請を。
「ウム、わかった。実に名誉なことではないか。白幟を掲げ、威風堂々と進もう。攻城戦にはならんという話だが、ま、なったとて城下の民は苦しめまいよ」
サイルウ殿へは後方の諸々の委任を。
「ええ、一度宿場まで戻ります。負傷者や各種手配も任せてください。ついでに街道の拡充についても調べておきますよ。要り様になること間違いなしですし」
さて、先触れが来ましたか。
騎馬を率いるのは、軍師殿の配下のヨシュアなる将校。人畜無害そうな顔をしていますが、聞けば汚れ仕事を的確迅速にこなしたとのこと。
「壮観ですねえ。白天旗と幻獣旗が共に空を泳いでいるなんて」
何と。あれは。典雅な軍装といい、従う騎馬たちの勇壮さといい……ユーベイン将軍ですか。貴族随一の軍才の。
「白家の幼姫はすごい人のようですね、イクサムくん」
「お久しぶりです、将軍」
「君の元服以来ですか。元気そうで何よりです」
よかった。烈騎殿が出迎えてくれましたか。
「『黒狼』を討ち取ったそうですね。素晴らしい。武人の頂から望む世界はどのようなものですか?」
「……頂にいるつもりはなく、何が見えてもいません。生きて帰ることを望まれる身の上を、ありがたく思うばかりです」
「ああ、彼は寂しく果てましたか……死に誘われて?」
「はい。紙一重を分けたものは、まさにそれかと」
英雄英傑と呼ばれる人間は決断が早く行動も速い……かかる人物が出てきたからには、まさか。
「やあやあ、さすがは雷国無双ですねえ! 殺されても死なないばかりか、またもこうも世の中を引っ掻き回すとは! 性懲りなし性懲りなし!」
やはり。使者ワーテル。おそらくは辺境伯本人の。
「けっ! やっぱり来やがったな、酔狂もんが」
旧知でしたか。ありうることです。いい関係ではなさそうですが。
「やれやれだぜ。てめえ、落ち着きがねえ上に手癖も悪いからよお」
「おや、二万五千の兵に何ら報いないとでも? いいように利用しておいて?」
「……譲るのは霧河から宇陽までだ。東の港も融通してやる」
妥当な落としどころです。ある種の軍事同盟ですからね。共闘の対価であると同時に、辺境伯領軍を東都圏に縛るための楔。
「おい、投資するなら今だぜ? 後になるほど値打ちが下がるぞ、東北山奥は」
「生意気を言いますねえ。勝ち続ける他には何の価値もないこと、おわかりで?」
「ひねくれた礼だな。喉元の刃を除いてくれてありがとうってか」
「……東都、確実ですか」
「俺は賭けもしなけりゃ占いもしねえ。ま、その目で確かめるんだな」
この御人をして、雷国無双の策は暴ききれませんか。
「ところで、幼君の姿が見えませんね?」
「んあ? そういやそうだな」
「まだ寝てる」
守役殿、ここは通さんという態度ですね。
「会いたいのですが」
「ダメだ」
「重要な話があります」
「起きてからにしろ」
「……辺境伯殿下の」
「使者でしかないなら、会わせん。身分をわきまえろ」
左様、これは一本取られましたねえ。お忍びとあっては名乗るわけにもいかないでしょうし、そら、居心地の悪そうな笑みで退散するよりありません。
「フ……フフフ……」
おっと、笑いをこぼしてしまいました。大概気が緩んでいますね。
慣れない勝ちに浮かれているのか、それとも、幼き主君が眠っていられることが嬉しいのか……おそらくどちらもなのですよ、姫様。
仕事をしましょう。万端整え、東都へ向かいましょう。
日が明け暮れても焦燥なく、道行く足取りも軽快そのもの。この行軍は貴方を戦場へと運ぶものではなく、きっと凱旋。そう信じさせてくれるのは、雷国無双の軍略や烈騎殿の剽悍ではなく、輿の上でくつろぐ貴方の微笑みなのですよ。
進みましょう、東都へ。白天旗を雄大に掲げて。
遠く見えてきたそこには……おお……白き旗がそよいでいるではないですか。そこかしこに、統領府に、我らの白家を表わす幾棹もの旗が。
「ガロ、せつめい」
「俺の軍団の副団長、紹介するって言ったろ?」
「……もしかして」
「統領代行の腹心をさせてあんだよ」
……とんでもないことを言い出しましたね、この男。
「クガイアだっけか? あの野郎、突発的に俺を処刑とかしそうだったからなあ。安全のために仕掛けておいたんだが……いやあ、呆れるくらいの絶妙手になった」
呆れますよ、本当に。
なるほどそれなら、東都統領へ偽報も出せたでしょう。あいや、確かその統領代行、ウルスラ殿の武勇により深手を負っていましたね? それも追い風に?
「まあ、立場は強いが手勢が少ないからな。決戦の隙をついて統領府を占拠するのが精一杯。あとは旗を立てまくっての寄るな触れるなだ。リバルヒンの野郎は慌てたろうよ。今頃はどこまで逃げたやら」
内間の計。示強の計。それらを駆使する鮮やかさ。
「ちょっと待ちな」
「なんだ、ババア」
「そいういうことなら、北の僧院、焼かずに済ませられたんじゃないかい?」
「……シクスガンに、俺の死を偽装したかった」
言葉じりに、震え。それは怯え? 雷国無双が?
「状況は変わったが……奴のおぞましいまでの読みを思えば、今からでも死んだことにしたいくらいだ。俺はやり口を知られちまってる。間違いなく狙われる。何をどうひっくり返されるかわかったもんじゃねえ……」
シクスガン・クリムゾンテル。紅家の頭領。
そう、彼の者こそが怨敵。雷国無双も『黒狼』も、言ってしまえばリバルヒン・クリムゾンテルでさえも、彼の者の手足指先であったにすぎません。
「わたしがいる」
姫様?
「わたしを、わかるものか。シクスガンがどれほどでも」
ああ……なるほど。
姫様がいます。かつての決戦を生き延び、いかなる捜索にも見つからず、今や東都圏を統べようというナインベル・ホワイトガルム様が。
「姫が負けるものか」
「勝利を。オレたちはそのためにいるのですから」
はい、その通りですね。
たゆまずの働きで、進みましょう。姫様のもと、新たなる白家として。
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