041
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決戦だ。
切りこみの入った黒い旗。あたしを殺そうとした、あの黒騎士の旗だ。あっちの大きな紅色の旗。あれも知っている。お寺の藪に隠れて覗き見たやつだ。東都統領リバルヒン・クリムゾンテルが来たってことだ。
でも……すぐには戦わないんだね。にらみ合いって感じ。
川を挟んで、距離を開けて、お互いにテントや幕で村とか町とかみたいになっている。規模は同じくらい。ケイジンが言うには兵隊の数は互角らしいけれど。
「……ガロ」
「何だ、我が盟主。この団子はやらねえぞ」
「なぜ、こうけはうごかない」
「理由は二つ。一つ、兵力がそろわねえ。一つ、攻めるか退くか判断できねえ」
「ガロ、あんた何を仕掛けたんだい? ウマそうな団子だねえ?」
「あ? ババアもかよ……しょうがねえ、団子は分けてやる。だがな、我が盟主、一度に口へ入れるな。四分の一に噛み切ってから食え」
「せつめいを」
団子じゃないから戦争だから。何なの、この雷国無双。
「リバルヒンの野郎、無茶な行軍をやったからな。見ろよ。兵の割に馬が多い」
「徒歩兵を脱落させてきた証拠だねえ……ずいぶんと数を減らしたようだ」
「足腰の弱えやつらをいちいち受け入れなきゃならねえ後軍は、ま、悲惨だわな。軍の体裁を保てるかどうかも怪しいもんだ」
「それで進みはより遅くなるって寸法かい」
「いいや? いくら待っても来やしねえぞ」
「……どういう意味だい?」
「ハージィに襲わせた」
シレっと何を言うの、あんた。
「隙がなけりゃ要所で本隊を奇襲。隙がありゃ後軍を強襲。そう指示しておいた」
「むう、あんたの右腕の将校か……」
「相手はほぼ騎馬なしで、物にしろ人にしろ荷物が多い上、油断してんだぜ? 五百騎じゃ多かったくらいさ」
「……後軍の指揮官は泡を食ったろうね。本隊へ追いつくのに必死だったろうし、敵はその本隊の先にいると思い定めてたんだから」
「伏撃ってのは、やられてなお信じられねえってもんが上等なのさ」
二人の平然とした態度。何千って人命を左右する、ゾッとするような酷薄さ。
「……けずったほうは?」
「そっちの一万はもう辺境伯軍に撃破されたはずだ」
あたしも残酷さに加わる。だって他人事じゃない。
「よくもやったもんだねえ。殿下の軍を巻き込むなんざ」
「名将ユーベインを出してきてんだぜ? もとより切っ掛けを欲してたのさ。さもなきゃヨシュアがどう細工しようと動かねえって」
「奇襲して戦端を開かせたってわけかい」
「いいや? 両軍とも夜襲させた。勿論、辺境伯領軍へは紅家軍の装いでな」
「あんた、そりゃあ……!」
「勘違いすんな。ユーベインの了解は得てるっつうの」
「……人死は避けたと」
「死体が要るだろ。すぐにも攻めるためには」
悪質だ。でも非難しない。する資格がない。
辺境伯へは手紙を書いた。ガロと同盟し、東都を占拠するっていう宣言。それがユーベインって人を動かす一因になったのなら……あたしも共謀者だもの。
息が苦しい。心臓が痛い。たくさんの人を殺しながら、あたしは生きている。
「……姫、少し休むか?」
「だいじょうぶ」
水筒をありがとう、ゼキア。少しだけのつもりだったのに、喉が大きく鳴った。
「ガロ。もうひとつのせつめい。どうして、はんだんできない?」
「東都陥落の危機が、疑わしくなっちまったのさ」
疑わしいも何も、誰も東都を攻めていない。ガロが嘘の情報を流していただけなんでしょ? バレちゃったってこと?
「ここまで来たからな。物見斥候の口伝てに東都の実際を知ったろう。ところが統領代行からの書状じゃ相変わらず危機が訴えられてんだ。混乱もするわなあ」
「……たねあかしを」
「化かされてる気分ってか? それがそのままリバルヒンの野郎の気分だよ。あいつは俺のえげつなさをよく知ってるから、なおのことだろうな」
鼻を鳴らしたし、肩もすくめたし、軽口めいているけれど。
「決められねえのは苦しいぜえ? 東都へ急ぐなら無理攻めになる。拮抗した兵力じゃ勝ちがおぼつかねえ。だが転進も難しい。何せ俺がいる。常勝の雷国無双が」
その瞳。暗く暗く、奥底に毒を煮えたぎらせているような、黒い殺意。
「あの野郎、どんなツラで後軍を待ってんだろうなあ。周りを怒鳴り散らしたところで、自分を誤魔化せやしねえぞ? 強行軍は失敗だったと認めたくねえなあ? 一万を足止めに残したのも失策だしなあ? どっちも徹底的に殺されて―――」
バシンって、ガロの頬を叩いた。両手ではさむようにして。
「おしえて」
真ん丸に見開かれた目に、あたし、ナインベル・ホワイトガルムが映っている。
「これは、ひつよう? おわらせるために、ひつよう?」
戦争だ。人が死ぬ。勝つためにたくさん殺す。わかっている。それでも戦うと決めたからここにいる。ガロと契約し、力を借りてもいる。
だから、これはただの確認。犠牲にする命に、見て見ぬふりをしないだけ。
「……必要だ。リバルヒンの軍に負けないために。東都を無血で占領するために。ひいては紅家と対抗するために。そうさ必要だとも。つまりはこの戦争を勝って終わらせるために、俺とてめえは、ここで何万という人間を殺めるんだ」
「……わかった」
もう尋ねない。あたしはあたしの選択の結果、いつか報いを受けるだけ。
「姫様、軍師殿」
イクサムが来た。まだ右足の骨が折れているし、微熱もあるしで、顔色も……顔色は悪くない。化粧だ。騎士の作法だっけ。死の作法。口紅も少し引いている。
「黒騎隊に動きがあります。出撃を許されたく」
長くは戦えないんだ、イクサムは。それでも他の誰よりも強いから、戦うんだ。
「おう、頼むぜ。恐らくは牽制だろうが、そろそろ敗残兵が逃げてきてもおかしくねえ頃合いだ。状況が急変することもある」
「……挟撃を嫌い、東都統領が動くか」
「ああ。動き出したらもう止まらねえ。そん時はそのまま遊撃に回ってくれ。『黒狼』の相手を頼む。あいつの突破力だけが厄介だ」
「もう不覚を取らない、オレは」
「当然だ。だが無理はすんなよ」
イクサムとガロ。白王子と黒王子。そんな風にあだ名して、楽しめる日が来ればいい。来なくても文句は言わないけれど。
二人と目が合った。うなずき合う。微笑み合う。
贅沢な時間だね。これでもう十分かな。
誰かの大声。駆け込んでくるケイジン。伝わってくる敵の動き。イクサムが足を引きずって去った。ウルスラ婆ちゃんも槍を取って出た。張りつめる空気と震える吐息。ノリパスとガロが何か話している。鉦が鳴る。号令が連鎖していく。
「みんな、よろしく」
輿をかついでくれる四人に声をかけた。ヨウトラくんとナタにもだ。ゼキアは馬に乗った。旗係の人も騎馬。白天旗が高々と掲げられている。
行こう。あたしたちの全てを賭けて、この戦いを決するんだ。
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