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悪党令嬢ナインベルの乱!  作者: かすがまる
第1章 東都戦火
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004 ゼキア

◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇



 姫の体温が手の内に涼しい。焦るなと諭されてるかのようだ。


 慌てずに走ろう。すぐにも東都を脱出できるよう荷造りをしなければ。


「おや、ゼキアちゃん。どうかしたのかね?」


 しまった、大家だ。こういう時に限って。


「……妹が、眠そうで」

「え、ゼイゼイ息しているけど……まあ無理もないか」


 姫を言い訳に使うなど恥ずべきことだが。


「君くらいまで育てば、ものの役には立つがね。この頃は野良犬のようなガキが多くてウンザリするよ……ま、それはさておき、サムくんはまだ商いかね? 彼はいい男さ。姪っ子を引き取り育てようなんて、まず、なかなかできることじゃない」


 親を亡くした子を親戚が養うという、ごくありふれた作り話だ。怪しまれやしないが、どうにも困ったな。この人は話が長い。


「実際のところ、彼には誰ぞ恋のお相手はいるのかい? 見合いの当てはいくらもあるんだ。実はさる大店からも打診されていてねえ……まとまればたっぷりと謝礼も出ようってもんだが、君たちにとってもいい話だと思うんだよ。この縁談は」


 いい話、か。


 姫が、白家の令嬢であることを捨て、たとえば私の妹として生きる道。ベルという名の穏やかな暮らし。平凡な幸せ。


 全てを忘れ、忘れられて、それが叶うならば。


 手を、姫が強く握ってくる。唇を結び首を横に振る、その意思は明らかだ。姫の守役である私が揺らぐなどあってはならない。


「……そろそろ失礼する」

「いやいや待ちなさいよ。ゼキアちゃん、君からもサムくんに話をだね」


 しつこい。偽装を疑わせないための世渡りが、こうも災いするのか。


「こんにちは、大家さん。いつも気に掛けていただきありがとうございます」


 イクサム! 切り抜けてきたか!


「やあ、いいところに。今話していたところなんだが」

「聞こえましたが、遠慮します。オレは妻帯しません」

「おいおい、これはいいことずくめの話だよ? 姪っ子のことなら先方も承知していなさる。まあ、婿入りだから一緒には暮らせないだろうさ。それでも手習いくらいはさせてもらえるだろうし、大店の下働きなら食いっぱぐれの心配もない」

「……姉夫婦の墓前で誓ったことですから」

「誓い? 何だい、そんな食えもしないもの!」


 ああ、いけないな。イクサムの目つきが変わった。


 大家は知る由もないが、本当のところはお館様と奥方様への誓いだ。そして武人の誓いとは秘めたる激情……軽んじれば血を見る。そら、殺気が漏れはじめたぞ。


「口を閉じろ―――」


 片目を細めて手を差し伸ばす仕草。イクサムが必殺の間合いを測る際の、手癖。


「―――そのまま、しばらく開くな」


 息も絶え絶えじゃないか。可哀想だが好機だ。さっさと部屋へ入ってしまおう。


 さあ、姫……姫?


 瞳が潤んでいる。頬が赤い。前方を凝視して小刻みに震える。これは。


「……ゼキア、どうしました」

「すぐに寝具を用意してくれ」


 大丈夫だ。部屋は狭いが清潔に整えてある。水も毎朝新しく汲み直すし、換気にも余念がない。こういう時のためにこそだ。


 そっと横たえ、よく絞った手拭いで両目を覆う……これでよし。


「のぼせただけだ。夕暮れまでには回復すると思う」


 イクサムめ、ずいぶんと不安そうに。さっきの迫力が嘘のようだな。


「増えましたね、こういう発作が」

「ああ。放心する方の発作なら、まだしもな」


 姫は何かが普通ではない。神懸かりの子であると奥方様はおっしゃったが。


 生まれた時、呼吸がなかったという。大人の泣き声の中でいつの間にか目を覚まして、不思議そうに天井を見つめ、何かをしゃべったとか。祝詞のような何かを。


 あの月夜の都落ちにおいても、一切泣くことがなかった。今にいたるまでずっとそうだ。超然と世界を眺めやる姿は、なるほど、大いなる達観や遥かなる境地とでも言うべきものを感じさせるが。


「……かくも繊細でいらっしゃるというのに、どいつもこいつも」


 私が言ったか? いや、イクサムか。まったくその通りだよ。


 白家嫡流の血筋は姫を残して既に断たれた。傍流もシラミ潰しの勢いだ。紅家の執拗さは凄まじい。それに恐れおののく者たち……白家残党もまた、姫を求める。この情勢下ではどちらに見つかっても同じことだ。


 この三年、何度危険があったか知れない。いつかは誰かに発見されるだろう。


 姫は、ナインベル・ホワイトガルムであることをやめられないのだ。


「荷造りだけでもしておくか?」

「ええ、今日の内に北山の僧院へ匿ってもらいましょう」

「白家が建立した僧院だろう、あそこは」


 紅家の追求に対しては心強いが、しかし。


「懸念については心配無用。話のわかる尼僧がいます」

「そうは言っても……」

「すぐに手紙をしたためますから、ウルスラという尼僧へ渡してください」

「む? イクサムは行かないのか?」

「オレは、日暮れまでに統領府へ出頭しなければなりません」

「何だと!?」


 荷袋を取り落としてしまった。どういうことだ、イクサム!


「その約束で解放されました。紅家令嬢あなどりがたしです。流れの兵法者という態でごまかすつもりですが、興の醒めるまでは拘束されるかもしれません」

「それは……」


 統領府は東都の要であり、紅家の支配するところのものだ。そこへ行くなど。


「囮になるつもりか、イクサム」

「場合によっては。もしもの時は四つ辻の茶屋で食事を。白家軍の人間が接触してくる手筈になっています」

「白家軍! お前、まさか、白家残党と通じてたのか!?」

「オレは元旗本。良くも悪くも顔見知りが多いのです。隠れるよりも同志を増やした方がいい……尼僧にしろ手筈の男にしろ、姫の幸せを考えられる者たちですよ」


 遺言のように言うな。私を、守役として信頼してくれる目だけでなく、子どもを慈しむような目でまで見るな。私だって、姫のために働けるのだぞ。


「あの日、あの夜、誰よりも姫様を護ったのは君です。任せましたよ、ゼキア」 



◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇

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