031 ワーテル
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報告書の数多。
圏北に放った「草」からの、東都へ張り巡らせた「根」からの、白家に潜ませた「陰」からの、紅家に仕込んだ「毒」からの……とある一人にまつわる情報群を総括するとしよう。
その者、齢三つ四つながらも、すでにして傑物なり。
よく民衆を掌握し、よく将兵を狂奔させ、よく臣下の信仰を受ける。
ナインベル・ホワイトガルム―――血の神秘があきらかであるとはいえ、幼児。ご利益のある偶像のように扱うつもりでいたが、これほどならば……。
「殿下、今度はどのような面白き趣向を思いつかれたのですか?」
「……藪から棒だな、ユーベイン」
「頬を愉快げに持ち上げておられますから」
フム。触れてもわからないが。
「自由人ワーテルとしての笑みは珍鳥を愛でるがごとし。今は真摯な深謀遠慮……ペンスリー・アルテマレイン辺境伯殿下としての笑みにございます」
肩をすくめて返答とする。要は企みを説明しろと求めているのだろう。
まあ、ユーベインは私の考えを聞く義務と権利がある。我が乳兄弟にして辺境伯領軍の誇る名将であるお前にはな。
「ナインベル・ホワイトガルムのことを考えた」
「おや、結構なことですねえ」
「結構も結構。東都からの急報によれば、敵総大将リバルヒンが密かにこの場を離れるつもりだそうだ。確度は高いぞ。留守を預かる側近騎士から漏れた情報だ」
「ははあ……それはまた……親切なのやら気前がいいのやら」
驚いたか。さもあらん。対陣の膠着を大きく左右する情報だ。
ほら見てみろ、筆を執った者も興奮で字が震えている。これは白家の斥候の……まあ、憶えるほどの名でもない。いずれあくたのように消えていこう。
「さても、この値千金の諜報を成し遂げた者の名……どうだ、当てられるか?」
「尋常でない宝は尋常でない者よりもたらされるもの……まさかとは思いますが」
「小さな体躯を駆使してのことらしい。恐るべき幼児もいたものだよ」
「間諜の技を極めたとて至難の仕事でしょう。よほど幸運に恵まれたものかと」
「運についてはどうだろうな。何しろ家運は最悪だ」
白家。尊き血を分けた家門として最も信頼していた。紅家を抑えるため緊密に協力すべきだったが……その計画をことごとく潰されがために今へ至る。
なぜ、と疑わずにはいられない。
全てをシクスガン・クリムゾンテルの才覚による災禍とするのには無理がある。彼奴もまた人間でしかない以上、どうにも説明のつかない不幸不都合が多過ぎる。運の有無で補足しきれるとも思えないが、しかし。
「いっそ不運であればこそ、運命へ影響するほどの神秘を宿したのかもしれない」
神秘。帝室の血に乗る不可思議な力。
権威を飾るべく聖なるもののように言われているが、体験した身からすると、その本質は病毒や呪詛の類にしか思えない。あれは健康な心身と相容れないものだ。
「……ゆえに、ナインベル・ホワイトガルムを十二分に活用してみようと思う」
「幼姫の神秘をもってして東都圏に楔を打ち込むと?」
「いかにも妖しい表現ではあるが、まあそういうことだ。股肱の臣を救出すべく策動しているようだからな。事が大きくなるよう状況を整えてやろう」
「ふうむ……つまるところ、陽動ですか」
「控えさせていた一万騎にも関を越えさせろ。秘していた五千騎も見せていい」
「ああ、それは。東都統領殿に怒鳴られてしまいそうですね」
「物腰やわらかにいなしてやれ。その間に東都へ偽情報を流し込む。東都統領は援軍の遅さに怒り心頭であるとな。他にも統治代行の拙さをつつき回してやろう」
うん? どうしたユーベイン、返事もせず私を見つめてくるなど。
「だいぶ、無辜の民が犠牲になる策ですよ?」
「紅家が恨まれれば恨まれるほど、その後の諸々が上手くいく」
「……殿下を恨む者もありましょう」
「私を恨む視野を持つ者は、私を恨む無益さを知る者でもあろうさ」
さて、気づくかな? いかに器が大きくとも、中身が武辺者ばかりでは見えぬものも聞こえぬものもある。自ら諜報を為すなど弱点を晒しているようなものだが。
東都から紅家軍をあるだけ吐き出させてやろう。脇の甘い代行統治者を揺さぶってもやる。埃っぽくなるぞ。あるいは血生臭くもなる。民衆にとってはさぞかし迷惑な話だろうが、統領府へなにがしか仕掛けようというお前には好都合だろう?
私のお膳立てと気づいたところで、お前は駆け回るより仕方がないのだ。
「まことに楽しそうですね」
「久方ぶりに他人へ期待しているからだろう」
「おお、それは素晴らしい。殿下は人見知りでいらっしゃるから」
「……お前の目には、世界がどう映っているのだろうな」
世界観など人それぞれだ。白家のそれは帝室に近く紅家のそれは遠い。何としても紅家の隆盛へ掣肘を加えなければならない。紅の一色にのみ染まるのではなく、千万の色彩を寿ぐ国であるために。
さあ、ナインベル・ホワイトガルムよ。機会を活かしてみせろ。紅家軍の後背を乱しに乱せ。そうやって私の役に立て。
これは公正な取引だ。少々押しつけがましいがね。
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