027 サイルウ
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「やあ、出立してくれましたか。よかったよかった」
主君を楼閣から見送るのは不敬かもしれませんね。まあ、仕方ありません。ケイジンくんの仕事ぶりを敬いお椀をでも掲げましょう。黒豆汁をひとすすり。
「三歳……もう四歳でしたっけ? どっちにしろ非凡なほどに賢いし、敏い子ですからね。こちらの企てに気づかれやしないかとヒヤヒヤでしたよ、ボクは」
姫様を安全に逃がせる機会、今この時をおいて他にありませんからね。
かといってバカ正直に窮状を説明したら騒動になったでしょうし、姫様のことですから、下手をすれば意固地に居座りかねません。
ねえ、そう思うでしょう? 謀事を共にしたご両名。
「ウム、可愛い子であり見事な大器よ。ゆえに護衛には末息子をつけた」
上酒家のヨウシジ殿も、朝とあっては酒も……何を飲んでいるんですかね。白くてドロドロとしていますが甘酒でもなし。何だか酸っぱい臭いがしますし。
「ご子息ですか。それは、本当に護衛の役に立つので?」
ノリパス殿は例の奇怪なお茶ですか……好んでそれをとは。新白家の家宰になろうという奇特さに通ずるのかもしれませんね。
「ははあ、ノリパス殿は『剣鬼』って聞いたことあります?」
「存じております。岩断ち、熊退治、宿場路二十人斬りと逸話の多い……まさか」
「そのまさかですよ。しかしまた豪気な人選をしましたねえ」
「あれは兵の指揮はてんでダメだが、剣の腕はワシに次ぐし、暴力乱闘ならば誰にも負けん。たとえ軍に囲まれようとも姫様を逃がしてのけるだろう」
「あはは、それはないでしょう。軍に囲まれるのはボクらの方ですよ。ねえ?」
「……左様、事態がこのまま推移すれば、まず間違いなくそうなるかと」
三者三様、ズズッと飲みましょう。現実のほろ苦さを甘く誤魔化しましょう。
先の合戦は痛み分け。紅家軍は一時的に後退しただけ。かの『黒狼』と対決してそれなのですから結構大したもので、これならばと遅れ馳せた中小豪族の合流もあり兵力はむしろ合戦前を上回るまでになりましたが……勝てませんね。
宿場を要塞化したところで、数万からの数で来られたら抗えません。降伏です。そうなれば首謀者たるボクら三人はそろって打ち首でしょう。
「まあ、仕方がない。紅家の圏北再編の意図は見え透いていたからな。どこかで戦わざるを得なかった」
まさにその通り。大いにうなずき、大いに黒豆汁をあおりましょう。
「もう少し先になると思ったが……姫様のお陰で面白い戦となった。悔いはない」
「ええ、何しろ辺境伯領軍の協力を取り付けられましたからね。ボクらの決起に先んじて関を越えてくるなんて、いやはや、破格にもほどがありましたよ」
「左様……最初の使者、本当に辺境伯本人だったのかもしれません」
「ワーテルと名乗ったとかいう人物ですか。会えばよかったかな」
「どうあれ、あの子を良き待遇で受け入れてほしいものだ」
「姫様の立場が良ければ良いほど、圏北の民の扱いも良くなりますしね」
紅家の支配に異を唱えられる勢力は、現状、東北山奥だけ。畢竟、姫様が落ち延びる先も唯一そこだけ。紅家に逆らった民を保護してくれる先もまたしかりです。
ボクの家は、良くて捨扶持を与えられての代官もどきでしょうね。万一にもという面々はもう避難させましたし……ま、なるようになれです。新領主は弓矢の心得のあるなしで苦労の量が変わりますよ。
「……白家は御二方の献身に報いるでしょう」
「君の献身にもね。いずれ姫様が記してくれるだろう手記に期待しましょう」
白家軍上級将校ノリパス、か。かつても今も損な役回りの多い男です。君へ寄せられる信頼と君の無名さとの不均衡には、勤勉実直が感じられますよ。
「悪いがワシはもう名を上げたぞ。耳にしたか?」
嬉しそうにまあ、この殿様剣豪は。
「ああ、何だか呼ばれてましたね。『不壊陣』でしたっけ?」
「ウムウム。寡兵でも押し負けず、包囲されても崩れずの陣構え……その強固さゆえに『不壊陣』。さあ、どうだ。いい武名だろうが」
「わあ、巻物を出してきた」
「見事な毛筆ですが……能筆に用意させたので?」
「ウム! 喜ばしくてな!」
「あっはっは! いいなあ! ボクにも一筆書いてくださいよ。盾に貼ります」
「おお! そういうことなら盾を持ってこい。彫刻させよう」
「わはあ、大事になりそう」
楽しいひと時です。次に紅家軍が来たらばお終いの、ある意味でさっぱりと気軽な過ごし方ですからね。未決済の書類も未判決の訴訟も、ボクもう知りません。
心残りがあるとすれば……ふうむ……それはやっぱり。
「どうした、土磁家の。随分と切なげに空を見るが」
「いやあ……彼女はどこから来たんだろうなあと、何だか不思議に思いまして」
ナインベル・ホワイトガルム。ひょっこりと圏北へやって来た、白家最後の子。
到底、普通の生まれではありません。どう育てたってああも聡明に育つはずがないんです。度胸と器量も底が知れません。あの凄惨な戦場で、恐るべき『黒狼』に対して立ち上がってのけた在り様……万民を導く姿でしょう、それは。
いっそ白雲の上の世界から降りてきたと言われた方が納得できます。
このボクがこうも心服してしまう幼児なんですから。
「あの子の来し方を知れず、行く末もまた知れん……確かに未練だな」
「左様ですな……本当に左様です」
姫様が東都で首尾よく事を成せるとは思いません。世の中というやつはそう甘くありませんからね。きっと悲しい思いをするでしょうけど。
でも、もしかしたらとも思うんですよね。
どんなに無理で無茶なことも、姫様なら何とかしてしまうんじゃないかって。
もしも本当に何とかしてしまって、もう一度会えたとしたら、その時はボクの命を捧げて仕えますよ……ま、今でも命が懸かってるんですけどね。
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