018
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まーた、イクサムに会えないんだけれど。
ヨウシジさんの戦へ参加したのはいいのよ。大活躍したんでしょ? サイルウくんの手伝いもしたよね。それで、特別な騎兵隊を作ることになったのもオーケー。
でも、めっきり家にいないのは嫌だ。生活に彩りが足りないの。
命懸けのことってわかっているからこそ……つらいのよ。
「姫さま? おねむになっちゃいました? 少しねんねします?」
あふ、あったかい手が背中にさすってきた。ぷにぷにの感触と、日なたの匂い。
「やめて、アーヤ」
ゼキアより一つ年下で、だいぶ背の低いこの女の子は、かなりカワイイけれど。
「ねない」
「じゃあ、どんぐり茶でも飲みます?」
「いらない」
「煮バッタも出しちゃいますよ? あ、ダンゴ虫炒めましょっか!」
「い、ら、な、い」
山の幸と言うにもワイルドすぎるのよ、あんたの薦めるものって。炊事を任せたの割と後悔しているし。ヘビとかカエルとか初めて食べたし。
「……イクサム、どこ」
「丘の向こうのそのまた先じゃないですか? 『閃騎隊』の訓練ですからね!」
嬉しそうに言えるのは、いいことかも。アーヤ、イクサムが駆けつけなかったら殺されていたって聞くものね。戦争って子どもにいいことが一つもないよ。
「アーヤ、邪魔をするな。姫は勉強中だ」
「はーい。お絵描きの勉強、がんばってくださいね!」
「……姫?」
「……これは、いきぬき」
「経文詩歌の書き写しは文字の習熟に……また不可思議な絵を」
わあ、取り上げられちゃった。でもそれちょっと自信作だったり。
「フム……これはイクサムか?」
「あ、やっぱりそうなんです? すごくカッコイイですよね!」
お、わかってくれるかアーヤちゃん。イラストって文化なのさ。
「こっちの、目が線だけの男はケイジンだな」
「この怒った顔の子は守役さまですね!」
「む、そうなのか?」
「この人もカッコイイなー」
「おそらく土磁家の当主だ。サイルウという」
何だ、ゼキアも楽しそうじゃん。見ていていいよ、あたしがお茶淹れてくるし。ええい、お構いなくお構いなく。あたしはどんぐりじゃないやつが飲みたいのよ。
「何やってるんでっか、皆して」
あれ、ケイジンだ。今度はどこへ行ってきたのかしらん……って。
「……だれ」
悲鳴を飲み好んで、問うた。
ケイジンの後ろにいる男。若い。顔はいいのかもしれない。服装も洒落ている気がする。でもダメだ。ゾクゾクと悪寒がする。鳥肌全開。
危険だ、この男は! あたしの日常を引き裂くやつだ!
「誰、と問われたならば名をもって答えましょう。ワーテルと申します」
嘘。今こいつ、絶対に嘘の名前を言った。わかるんだぞ。
「えっと、この御人はさるやんごとなき方の使者やねん。遠路はるばる来てくれたさかい、一服してもらうってことでお願いしたいんやけども」
ケイジン、あんた、何も感じていないの? ゼキアとアーヤも、挨拶とかお茶の支度とか、そういうのやっている場合?
「おやおや、興味深いものが散らかっていますね」
あ、お前。勝手に。
「独特に過ぎる……人物の見方も表現方法もね。既存の絵画芸術との間に断絶がありますよ。それでいて大きな技術体系を感じさます。稚拙かつ未熟とはいえ、ね」
ギョロリとあたしを見た、その、化物じみた目!
「このような不可解さは、東都でたぴ汁なる珍妙な飲み物を飲んだ時以来ですよ。あれも調理の歴史から逸脱した代物でしたが……はて?」
こいつ、何を言おうとしている。何を知っているんだ。
「これ、誰を描いたものでしょうね? とても惹きつけられる目をしていますが」
「―――ガロ」
口にして、わかった。このゾクゾクする感じ、ガロに会った時と同じなんだ。
怖くてたまらない。ワーテルとか名乗ったこいつは、きっとあたしの運命に大きく関わってくる。どういう風にかはわからないけれど。
「雷国無双ですか……フフン……もっと丸々とした顔でしたが、こういう生意気な目つきをしていた気もしますね。どこかで惨めに死んだと聞きますが……さて?」
ケイジンとゼキアが何か言っているのに、聞き取れない。耳の奥でドクドクって音がしている。ワーテルというお前がニヤニヤと嗤っている。
「……いえいえ、御年三つであれば、大人しく座っているだけでも十分でしょう」
見透かしたような目、やめろ。
「……フフフ、十分に面白いものを見させてもらっていますよ。さすがは貴き血に連なる白家の嫡流。絵画の一枚にすら、かくも神秘が宿っています。愉快ですね」
何が。適当に放り捨てておいて。
「辺境伯殿下も、きっとお喜びになるでしょう」
誰かに頭を下げる気なんて欠片もないやつの、妙に嬉しそうな、敬い言葉。
「元来武門とは帝室および貴族選氏に従うものであり、その逆は不遜……殿下も憂いていらっしゃいます。紅家は討たれるべきだと」
ああ、そうか。わかったよ、お前の正体が。
「期待していますよ、幼き君。白天旗の掲げられたその日には、東北山奥十万騎をもって、白家軍を厚く支援いたしましょう」
お前が、辺境伯だ。
東北山奥を貴族領として広く支配しているっていう、皇帝の叔父だか何だか。ガロに言われたから調べておいたんだ。
名前は確か、ペンスリー・アルテマレイン……!
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