017 ヨウシジ
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「誰というわけではないが、ワシが頭を垂れたくなるような主君がいたとしてだ」
軍配杖をパシリと鳴らして、言ってやる。
「まず、このヨウシジ・ハイアルコを丸呑みにする器でなくてはならん。幅広く、奥深く、飲み干せんほどの酒を注いでなお底が知れんような大器が理想だ」
おぬしもそう思うだろう? 澄ました横顔だが賛意が透けて見えるぞ。
「兵法の強さは要らん。それは器の中身たるワシらの担うもの。全てを任せてくる度量と、ワシらを従えて戦場に立つ威風とを、合わせ持ってもらいたい」
周りの兵から苦笑やら失笑やら聞こえてくるが、おぬしは……微笑むのだなあ。
幼主への仕え方には信頼と敬愛がある。何とも艶やかなことだ。
イクサム。音に聞こえた強者よ。
白家軍の精鋭「烈騎隊」の将校だったか。若くして抜擢されたのは相応の武勲があってこそだろう。「閃」の二つ名がその証左よ。
戦いぶりを見たい。そう思い連れてはきたが。
原野には対峙する二つの軍勢―――猛り立つ蟹井家軍一千五百と、かろうじて軍の体裁をなしただけの腰抜け軍一千弱。
それらを見下ろす位置ではあるが、我が軍は五百と少々。まともには当たれん。
「注進! 蟹井家軍より一騎、来ます!」
来たか。昼を待たずに仕掛けるようだな。
「上酒家軍へ告げる! 即刻軍を退かれたし! これは当地の水利を巡る争い! 貴家には何ら関わりなきこと! また、当家は紅家より承認を得ているものぞ!」
ぬけぬけと言う。ここは三領の境だぞ。貴様らがそこの腰抜け軍を蹴散らした後に狙うものなど明らかだろうが。
「我が領に我が軍を配しただけのこと。嫌ならもそっと遠くで戦えと言ってやれ」
しかも、あれに見える一千五百が全軍であろうはずもない。同程度の軍勢が別に我が領の境を窺っていよう。そういう狡猾を働く家だ。
「おい、あの腰抜け軍から援軍の要請は? 伺いの使者も立てたろう?」
「は! いまだ何も!」
「やれやれだな……陣ぶれを出せ。鍋釜を残さず馳せに備えよ」
さあて、勝負どころだ。
城には一千を残してきた。土磁家の来援も望める。それでもここで蟹井家軍に打撃を与えなければ立ち行くものではない。何とか横槍を入れなければ。
「ハイアルコ殿」
「何だ、客将殿」
間違ってもこの男を死なせるわけにはいかん。思惑が外れて苦戦必定の今、いっそのこと帰らせてしまうのも手だが。
「厚顔を承知で請う。百騎全て、オレに預けてほしい」
「ほう? 仮に預けたとして、どうする」
「蟹井家軍を崩す」
気負いも感じさせずに、よくも言ってのける。
「ワシは死兵を使わん。その上で『閃』の名に恥じない戦を約束できるか?」
本当は幼主の名を出して誓わせたいところだが、それができない以上……うお、イクサム! 笑むのか、ここで!
「敵方に雷国無双なく、黒狼もまたなし。死などどこにも見当たらない」
面白い。そうまで言われて否やがあるものか。
「ワッハッハ! よおし、預けようとも! 思うがままに駆けてみろ!」
「ありがたく。では早速に」
ひらりと白馬にまたがるや、もう動くのか。おう、まさに蟹井家軍が軍鼓を鳴らし始めた。先陣が寄せていく。喊声が上がる。
ひどいな。ひとたび戦が動き出すと、こうも一方的になる。
蟹井家軍の勢いに、腰抜け軍はたちまち腰砕け軍へと変じたぞ。槍合わせもままならん体たらくではないか。軍人が少なすぎだ。農民をかき集めただけでは。
早々と逃げ出す兵も出始めた……おう、イクサムめ、何という用兵!
敵騎馬隊をスルリと避け、勢いをそのままに、蟹井家軍本隊の横腹へ突き刺さりおった。さては先頭を駆けておるな? まるで布を引き裂くかのようではないか。
「勝機だ! 全軍、思い切りぶつかれい!」
まずは敵騎馬隊だ。馬鹿め、味方へでも突っ込んで追うべきところを逡巡して。槍を喰らうがいい。そら、次は早くも敵本隊だ。将校らが叫んでおるが、前後に分断されてしまっては隊伍も何もあったものかよ。砕け散れ。
「突けい! 突き崩せい!」
ワシも斬り込みたいほどよ。散々っぱら挑発されておったからな。
「逃げる敵は追わんでいい! 崩せ! 軍であることを許すな!」
イクサムはどこだ? なんと、突き抜けたのか。とてつもない鋭利さよ。率いるべき者が率いれば、我が騎馬隊もここまでやれるのだなあ。
「注進! 蟹井家大将、戦場を離脱していきます!」
「捨て置けい! 勝手働きはするなよ! この場を制することに専心せい!」
勝った。が、ひとまずというだけだ。
「ハイアルコ殿」
ウム。戦場の王者という態度で戻ってくるではないか、イクサム。手傷もない。
「見事だった。烈騎隊をでも見るようだったぞ」
「よく練られた兵であればこそ。もうひと駆けするや否や、判断を」
「……蟹井家軍を追い散らせるか? あれを率いているのは嫡男のようだ」
「討ち取らずに、勢子のように駆けよと?」
「そうだ。まあ、落としどころの問題だな。その代わり実利はもらうさ」
この戦、我が軍は救援を願われて参じた……ということにする。今から腰砕けどもの本拠を襲い、後先でも証拠を書かせる。年貢台帳も奪う。つまりは併呑だ。
「乱世だ。共に戦えん家は干させてもらう。悪党の所業と思うかね?」
旗本の若者にとっては、いささか生々しい話であろう。だがおぬしの器量も計らせてもらうぞ、幼主の宝剣であるからには。
「悪党……秩序を乱す輩であり、畢竟、紅家の支配に抵抗する者たちをも指す」
馬上から戦場を睥睨して槍をひと振り。穂先がピタリと止まる、その精妙。
「ならば、オレも悪党。皇都に凱旋するその日まで、悪党であることを誇るのみ」
ウムウム、そうかそうか。そうであるからには。
「おぬし、ワシの娘と」
「ご遠慮つかまつる。しからば御免!」
お、おおう? 騎馬隊、素晴らしい速さで……縁談……行ってしまったなあ。
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