第36話 Denouement - C
「おい、そろそろ引き上げないか?」
すでに夜闇が広がり、足元に広がる空間にも無数の星がまたたいていた。
今、俺たちは空中庭園都市アミュティスに来ている。
砂漠のど真ん中にある空中に作られた石造りの都市だが、夜になった今は砂漠が町の月明かりを反射しており、そのためまるで星の海のど真ん中にいるようだ。
その美しさはしかし、俺たちの心には届いていない。
狙いの品が見つからないらしく、この街での買い物は大層難航していた。もう三十軒ほど色んな店を梯子しており、大手は全滅したため今は見逃していた市場の外れにあった小さな武器屋から出てきたところだ。
何度目かの問いに、同じく何度目かの首振りで返される。
「まーだーネ。…もう音を上げたノ? ベガー、年?」
動き出したゲフィがからかうように返すが、彼女の目は笑っていない。数時間前と比べて白くなった額に、大粒の汗が浮いている。
俺は努めてそれらに気づかない振りをして、あっけらかんと返した。
「ぬかしゃぁがれ。ひよっこに心配されるほど俺はまだ耄碌してねぇよ」
「フフ…そういうことニしとくネ」
そういう自分こそ久しぶりに歩き回った疲れが溜まっているだろうに、ゲフィは音を上げない。
恐らく――残された時間がわずかだと知っているからなのだろう。
こんな時間になってしまったのも、ちょこちょこ停滞症を発症していたためだ。
「次は何を買うんだ?」
「ソレは…」
言いさしてぴたりと止まってしまう。だが、今回は幸い俺がどうこうする前にゲフィはすぐに再び動き出し、周囲をゆっくりと見渡した。
「…また?」
黙ってうなずいてやる。
「そっか。モウ、時間無いみたいダネ」
ゲフィも、淡々と呟いた。
そこには哀惜も慟哭も無い。
お互いに慣れたものだな…俺は脳の片隅でそんな他人事のように考えていた。
「んなわけあるか。どうせきっと、また元のようになれるさ」
気休めの言葉を掛けると、ゲフィは曖昧に笑うだけにとどめた。
最初は元気付けようと色々気休めを言ったものだが、今はそれが無駄なことだとお互いに知っている。
だから、いつしかお互いそう遠くない未来から目を背けるように軽口を叩き合っていた。
しかし…
いつまで、こうしていられるだろう?
いずれはゲフィと別れて、かつてのように一人で生きる日常に戻る――そう考えたとき、はじめて心の底からぞっとした。
以前のように、無為にただ一人で生きていく…その恐ろしさに、俺は気づいてしまった。
誰とも関わらず、関わられることのない生…そんなの、停滞しているのと同じじゃないか!
いやだ!
もう、一人で生きていくのはいやだ!
生まれて初めて体感する焦りが俺の心を焦がしていく。
…一方で、そんな俺の心を知らないゲフィは嬉しそうに続けていた。
「ゲフィ、感謝してるネ。ベガー、いつもゲフィのコト気遣ってクレテル。ゲフィ、ベガーと組めて幸せダタヨ。ゲフィ、そんなベガーのコト…」
動揺を振り払うことに精一杯だったせいで、俺はつづく言葉を聞き逃した。
「好きダヨ」
その余りのさりげなさに、俺も思わず素で軽く返してしまった。
「ああ、俺もだ」
ぴたり、ゲフィの足が止まる。
「エ……」
と、あんぐりと口を開けたまま。
いきなり視界から消えたために何事かと振り返った俺のことを、まるで信じがたいものでも見たかのように目を丸くして見つめている。そのせいで、自分がうっかりえらい事を口走ったことに遅まきながら俺も気がついた。
「それ……ホント?」
そして俺を見つめる大きな瞳へ見る見るうちに大粒の涙が溜まっていく。
「ちょ、おまっ…」
往来のど真ん中で立ち止まりぼろぼろと泣き始めたゲフィと、戸惑う俺。
「あらなあに奥さん、あれ」
「いやあねぇ、女の子を泣かすだなんて…」
「いまどきの男って奴はこれだから…」
たちまち野次馬たちが集まってきて、好き勝手言い始めた。その内容は概ね俺が悪人である前提だ。
「お、おい、いきなりこんなとこで泣くんじゃねぇよ! 俺が泣かしたみたいじゃねーか!」
「ダッテ…、ダッテぇ…」
「だってって、泣きてぇのはこっちだっての! ああもう!!」
すんすんしゃくりあげるゲフィの腕をとっつかみ、野次馬の波を掻き分け俺はその場から逃げ出した。




