第3話 Introduction - C
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首都を出てしばらく歩いたところで、俺は足を止めてあたりを見渡した。
人気はまったく無く、野生のマンジュルヌが何匹かぽいんぽいんと気の抜ける音を立てながら跳ね飛んでいるのが見える。
のどかだ。
ここは昔っから変わらんね。おかげで気兼ねなくて良い。
他人と無駄に関わるのは億劫だ。
特に人気のある狩り場でたまに現われる、昔のことに気安く触れてくるような奴と関わるのは心底うんざりする。
…さて、まず筋肉をほぐさねーとな。
俺は右腕をさっと横に伸ばす。その動きに併せるようにして、真っ白い帯が空中に軌跡を残した。
大きく右へ伸ばした腕を今度は垂直に振り下ろすと、それに呼応するようにして白い帯が枠と化して下へと広がり、半透明の四角い画面が表示された。
そこに書かれている文字のうち、最上段に書かれている一文を軽く指先でつつく。
<<編成切り替え…重剣士>>
鈴の音のような女性の声が響いた途端、体を包むように空間がひずんだかと思うと、俺は重厚な全身鎧、剣と盾を身にまとっていた。
豪華な装飾が付いていて一見豪奢に見えるが、あちこち目を凝らして見れば細かな傷やら修繕の痕やらに気づくだろう。
中古の、『歴戦プレートメイル+6』『歴戦大盾+4』『斬奸刀+9』。
これが、今の俺の一番強力な武器防具にしてもっとも付き合い長い相棒だ。
いずれも一時期一斉風靡したことのある品なものの、神の武器が次から次へと出回るようになった現在ではロートル扱いである。それを買い漁り、可能な限り強化した奴だ。
強化値がまちまちなのは、数値が高くなれば高くなるほど失敗する確率が上がり、そうなれば消えてしまうので、
替えを潰しながら強化した限界がこの数値だからである。斬奸刀だけは、よくここまで育てられたものだと我ながら鼻が高い。
反面、数が出回らなかった盾は結構不満の残る数値だが…。
ともあれ、鎧を着た俺は軽く屈伸したりして身体をほぐしていく。
鎧は着込めばそれで終わりじゃない。
着込んだ上での立ち回りこそが重要なのだから、イザというときへばってしまっては意味が無いのだ。
こうして鎧を着込んだまま俺はあちこち走ったり飛んだり跳ねたり周囲の小山を数往復した後、更に小一時間剣を素振りした。
「よし、“重剣士”は終わりっと。次は…そうだな、“賢者”にするか」
ノルマを達成した俺は剣を鞘に納めると、さっと手を振り再びウィンドウ画面を呼び出した。一旦鎧だけ収納して汗を拭こうかと思ったが、どうせまた汗を掻くのだからと考え直す。
今度は先ほど選んだものより三段下にある文字を軽くタッチすると、今度は鎧と剣、盾が豪勢なローブと杖へと変化する。
『風詠みの杖+3』、『風纏の衣+4』。
これもそこそこに値の張った一品だが、生憎俺は魔法を使う立ち回りが余り好みではないため重戦士装備よりも出番が少ない。そのためまだ幾分かは小綺麗に見える。
「あらよっ」
すばやく縦横無尽に炎の壁を周囲に張り巡らし、つづけて殲滅用爆炎魔法の威力を変えて放つ訓練を数セット。
魔法の訓練では重剣士のそれと違い、もっぱら二人用の立ち回りをイメージしている。
威力を変えているのは、高威力の魔法は強力なものの、加速度的に比例して詠唱が長くなるためだ。
炎の壁で俺自身の安全を確保するようにしているが、永遠に燃えてくれる訳ではないし万能という訳でも無い。平然とぶち破ってくるような強力なモンスター相手にちんたら詠唱しているのは殺してくださいというようなもんである。
そのため、威力を捨てて速攻で相手の動きを阻害する魔法をまずは放つ。ひるんだところに時間を掛けて練り上げた高威力の魔法をお見舞いする――そうすることで極力相手の攻撃を食らわないようにするのが賢者の基本的な立ち回りとなる。
こうすれば、囲まれたときにも比較的冷静に対処できるというわけだ。
ま、どんな相手にでも全力しかぶっ放せないのは唯の阿呆ってこったな。
そうこうしている間にも俺は炎の壁を途切れないよう上手く調節したまま、立ち位置をほとんど変えず大魔法を立てつづけに撃つ練習を繰り返す。
ひとしきり練習し、腕(というか口?)が鈍っていないことを確認した俺は、更に“商人”の練習に取り掛かることにした。
「…誰もいねぇな? よし」
今度はウィンドウを開く前に、周囲を確認する。
ちゃんと誰もいないことを確かめ、俺は改めて商人にチェンジした。ローブと杖が消え、代わりにウォーアクスと軽鎧、そして荷車が現れる。
これらは特筆することも無い、安いが装備可能な中でもっとも重い武防具だ。戦闘が主目的のジョブでも無いし、身体を慣らすならこれで十分。
「…んっ」
視線が低くなった俺は、軽くウォーアクスを振って頷く。その声は、明らかに先ほどより高かった。
「この格好が一番力があるから、ウォーアクスを軽々振れるのは爽快だが…しっかし、やっぱこの姿にゃ慣れねぇわ」
俺はひらひらのフリルが付いたロングスカートを摘みながら苦々しげに吐き捨てた。
…そう、商人のときの俺は小柄な少女の姿になっている。ついでに言うと、自分でも結構可愛いと思える造詣だ――覇気の無い目だけを除けば。
これは別に俺は特別なアイテムを使ったり、病気にかかったからというわけではない。もっと言えば、俺自身が好き好んでしているわけでもない。
この世界では、誰でも幾つかの姿を持っている。
もちろん、持っていない人も多い。事実、賢者と重戦士は俺も見た目同じだし。
男女両方の姿を持つ理由は、人によってそれぞれであろうが、俺の場合は至極合理的なものだ。
男女によって身につけられる物に制限があることもあれば、身につく技、もっと言えば職に制限があることもある。それに応じてジョブを変えたり、或いは一つのジョブを男女でこなしている者もそこそこいるためだ。
顕著なのは“弓手”の派生職で、男性は槍を得意とする“吟遊詩人”、女性は鞭を得意とする“踊り子”がある。
ま、総計を取ったらもっとも多い理由は『普段と違う姿になりたい』だろうけど。
誰でも、今の自分じゃない自分に憧れを持つという気持はあるからな。
「…にしても、この見た目はやっぱねぇわなぁ…幾ら【守護者】様の意向つってもなー。せっかく変わるならもっと筋肉が欲しかったよホント」
これまで重戦士をメインにしてきた以上、どうしても自分でも普段のイメージがそのときの長身痩躯に囚われる。
だからなるべく、オマケしてもらえる素材売却のとき以外はこの格好はしないようにしていた。
…だって、店の奴ら俺を見るといつもくすくす嗤うんだもの。
「ベガーちゃん、パパのお使いでちゅか~? えらいでちゅね~? おまけしてあげまちゅね~」とか判ってて言われるんだぜ。いい歳した身としては辛い。本気で辛い。
お返しで「うん、ありがとうねおじちゃん、だぁい好き❤」と作り笑いで返してやったらお互い吐き気を堪えるのに必死になったりもしたっけ。
これもまた、ペットを手に入れるのにやっきになった理由の一つだ。
ちなみに守護者というのは、正体不明の謎の存在だ。
彼らと直接声を聞いたり、会うことは決して無い。
ただ、この世界の冒険屋にとっては、自身が生まれついて以来のもっとも親しい存在である。
誰も見たり会ったりしたことが無いのにも関わらず存在を確信されているのは、降臨すると幾つかの加護を恒久的に得られることを体感できるからだ。
まず誰もが受ける恩恵としては、守護者が降臨すると感覚が大きく広がることが挙げられる。
具体的には、視野や聴覚が魔法を使ったわけでもないのに普段より拡大化されるのだ。
背後からの襲撃や、壁の向こうや普段では見えない遠くにいる敵の数・種類が瞬時に把握できるようになる。他にも暗所ですら見通しが利くようになったり、初見の相手の弱点を看破できるのだから戦いに身を置くものとしてはまったくもってありがたい話だ。
また、装備や荷物をいつの間にか整頓してくれることもある。
その場合、大抵使いやすい配置になっていたり、あるいは狩場に適した部防具が装備しやすい位置に置かれている――人によってはとんでもない配置になっていることもあるらしいが…守護者にも整頓が下手な者がいるということだろうか。
俺の場合、先ほどの重剣士の装備などは守護者様の指定で馴染んでいるため、普段から同様にセッティングしてあるくらいだが、おかげで戦闘中に魔法が必要になったときのような突発的な事態にも対処しやすい。
そして、自分が買っていない装備が極まれに倉庫に置かれていることもある。
…頬紅がそうだった。
商人を作成する前の話だが、普段何もよこさないくせになんでまたこれだけ…と呆れたものである。
ちなみに、頬を赤らめて見せるだけのなんの効力もステータスアップも無い代物だ。とどめに捨てることも売ることもできないため、ある意味呪いのアイテムと変わらない。
ぶち込まれていたということは使って欲しいと言うことだろうが、流石に男の状態では似合わないのでやむなく商人のとき専用としている。
余談だが、幾ら職業や見た目を変えても、本質は守護者と同一らしい。
…まあ、この見た目でも股間には男の魂スティックがぶら下がってるという訳だ。だが、大抵重要なのは中身じゃない、見てくれだからな。世の中ってのはそういうもんだ。
最後は…
そこまで考えたところで一陣の風が吹き、俺はぶるっと身を震わせた。
そういえばまだ運動の途中だったな。
せっかく温めた体が冷えちまう、先にやることやっちまおう。
商人になった俺は荷車を自在に動かしたり、斧を振り回す訓練をはじめた。
見た目から侮る無かれ、荷物を積んで重量がたっぷり乗った荷車をぶつけるスキルは実は下手な戦士より瞬間火力が高い。
戦いにおいては何が起きるか判らない。どうしても倒せない強敵用の、一撃必殺の技としても鍛えておいて損は無いのだ。
「…うし。今日のとこはこんなもんでいいだろ」
ひとしきり斧(と荷車)を振り回し終えた俺は額の汗を拭う。
素振りしはじめた頃は倍の時間が掛かり、最初の重剣士だけでへとへとになったものだが、今では四分の一ほどの時間で終えることができるようになっていた。
おかげで少し行った先にある小さな渓流で顔を洗う余裕すらある。今の季節はそこで顔を洗った後、守護者が降臨するまでの間しばらくぼーっと佇むのが日課になっていた。