第14話 Development - A
「え…抜ける?」
何度となく再生された間抜けな声。
ああ、またか。
困惑するのとは別にどこか冷静な部分はやっぱりかと感じていたが、それでも俺は尋ね返していた。
「おいおい、冗談だろ…ルーク」
「冗談でこんなことを言うもんかよ!」
そう怒声を返すルークは、今の全身雅やかな装備尽くしの格好ではない、小汚い使い古しの愛用品に身を包んでいる。その、手にしていた長年の愛用武器を地面に叩き付けた。
キィーーンンン…
古い、丹念に手入れされてきたはずの剣は、石畳とぶつかったときに澄んだ音を立てて欠けてしまった。
「もううんざりなんだよ! こんな、貧乏ったらしい格好で何が最大手ギルドだ! 元、じゃあねえか! いつまでも過去の栄光にしがみつきやがってみっともないったらありゃしねえ! 宝珠を積極的に使わないとこなんざ、今更他にないんだよ!」
彼の背後には他のギルドメンバーも数人事の成り行きを見守っていたが、その言葉にはいずれも深くうなずいている。
「挙句の果てに俺たちのことを、裏で周りの奴らなんて言ってるか知ってるか? 乞食が頭領の乞食ギルドだとよ! 笑っちまうよなぁ!!」
「乞食だぁ?」
馴染みあるその言葉に俺は思わず顔をしかめた。自分の名前とはいえ、好き好んで聞きたい呼び名ではない。
「何だよそれ。俺に面と向かって言うならまだしも、ギルドには関係ないだろうが」
俺がやらないのはもちろんだが、ギルドでは他人に装備などを恵んでもらうような乞食行為をはじめとした、他人に不快感を与える行為については硬く禁止している。
いや、百歩譲って屍肉漁りのことを指すなら、まだ分からんでもない。
俺たちの主な収入源はダンジョンに出向き、そこでモンスターたちを倒してはその素材やら財宝やらを掻っ攫うことにある。だが、そんなことは冒険屋ならどこの誰でもやっていることであり、一々揶揄される筋合いではない。
筋違いだ。
しかし、そんな俺の考えは的外れだった。
「…あんたや俺たち上層部は確かにやってないがな。末端でそういうことをしている奴が出てきているのさ」
「なんだと?! だが、確かに前にはいたが、そいつらはもうとっくに辞めさせたはずだろ」
そう、過去俺たちのギルドに身を置き、権威を笠に着たチンピラの一団が好き放題したことがあった。
高級アイテムを騙し取ったり、ボディガードと名乗っては付いて回って絡んだり、美人局をしたり或いは女僧侶となって貢がせたり…(尚、その一人が後で男盗賊となっているときに貢物を仲間に見せびらかしていたことで把握した被害者連中が怒鳴り込んできたことが切欠となり、一連の問題の露見に繋がった)。
発覚し次第、問題視した俺をはじめとした上位陣が力づくでそいつらを叩き出したのだ。
自分の、人を見る目の無さを痛感した一件だった。
俺の言葉に、ルークはうんざりといった体で首を横に振る。
「辞めさせたからと言って一時在籍したことに変わりは無い。だろう?」
一度定着してしまった印象は、そうそう変えられないと言っているのだ。
「何より問題は…他に真似をする奴が増えたことにある。良い前例を知っちまったからな」
その言葉に俺は仰天した。
「なっ…それは本当か?!」
「ああ。お前も知ってるだろ、がるぞ~の奴」
「…確か、数ヶ月前に入った奴だったか。中途半端にステータスを伸ばした騎士で、あまりぱっとしない印象があった」
「あいつ、女僧侶になって貢がせようと新人に声を掛け捲ってた。以前使ってた装備をしてたから判ったんだ」
「そうか…」
俺は、全身から力が抜けるのが判った。その場にへたり込みそうになる。
「言っておくが、そいつだけじゃない。がるぞ~は氷山の一角だ。俺が処分してきたのが他にもごろごろいやがる。これでも乞食ギルドじゃありません、って言ったってそりゃ信じられるわけないだろうが!」
「ぐ…」
確かに、他人事なら俺もそう感じるだろう。しかし、ギルドを預かる身としてはそんなこと到底許せるものではない。
「そうか…そうだな。仕方ない、もっと規則をしっかりしないと…」
「そこがダメなんだよ」
そう言ったルークの声は、冷え切っていた。
「あんたはそこが分かってない。だから俺たちはもうあんたにはついていけない、そう判断した」
「分かってないって…何がだよ!」
「何でがるぞ~がそんな真似したか、分かるか?」
ルークの問いに、俺は首を横に振る。
「力だ。力が欲しいからだよ」
その言葉に俺は…ただただ、呆れた。
「はぁ? それなら普通に狩りをして、買い換えていけばいいじゃねぇか。何でまた、そんな品位を自ら落とすような真似をしてまで欲しがるんだよ。それじゃ本当に乞食じゃねえか。訳わかんねぇ…」
俺たちのギルドメンバーは確かに、新天地が開拓された直後に向かったり、新しい神の武器が発見されたとあってもすぐに手に入れたりすることはできない。
当時、青臭かった俺は理想はいつか叶うものだと信じていた。
ちょうど神の武器が出回りはじめた頃、俺は神を信じられなくなっていた。
安易に、だが環境によって明確な差がつく神の武器を、俺は至高神からの贈り物ではなく邪神からの不和の種にしか見えなかったのだ。
本当に神がいるなら、何故力を等しく与えない?
本当に神がいるなら、何故停滞した人々を助けてくれない?
だからこそ、それでも地道に昇り詰め、鍛え上げ、最先端ではなくとも着実に踏破してきたのだ。
その着実な歩みこそが、俺たちのギルドの強みであり、誇りでもあった――はず。
「…それじゃダメなんだよ。手っ取り早く、上にのし上がるための力が欲しいのさ。俺もな」
手っ取り早く、という言葉で俺はルークが言いたいことをようやく理解した。
「神の武器、か…」
「ああそうさ」
「お前…まさか」
お互い、しばし無言でにらみ合う。
俺は、このギルドの長に就くよう頼まれたとき、一つの約束を設けた。
俺たちは、仲間を恃みとして集った冒険屋だ。
なればこそ、守護者から与えられる宝珠、神から与えられる武器に甘えることなく、己を律し、己を鍛えて生きよう。
神の武器は、誰かに与えられるのではなく、自らの血と汗を流した手で掴もう。
そうするに相応しい自分、そしてギルドでありつづけよう。
――それが、ギルドを作る契機でもあったから、
仲間たちは喜んで賛同してくれた――
そして、仲間たちが消えた後には――
――約束は呪いとなった。
「神の武器を手に入れて何が悪いんだ! 金を溜めて買うのが構わないなら、さっさと強くなって溜めたって変わんねぇじゃねぇか! いつまでもあんたの懐古主義に、他の連中を巻き込むんじゃねぇ!」
そう言い捨てるルークは、確かに古参だが厳密には創設時のメンバーではない。周りの賛同者たち全員もだ。
懐古主義…確かに、彼らからすればそうなのだろう。
創設時のメンバーは俺以外は皆、停滞者になってしまった。
彼らがいつか、きっと、帰ってくる日のために、俺は頑ななまでにその約束を守ってきたのだ。
だが…
仲間が帰ってくる居場所を守り続けるのが、何が悪い?
元々ここは、お前らのための場所じゃない。
俺が、俺たちの居場所として作り上げ、守ってきたものだ!!
それをばっさり切って捨てられ、俺も頭に血が上った。
「懐古主義と言われたら確かにそうだがよ。神の武器を得てさっさと強くなる? 笑わせんな! そんなもん、道具に使われてるだけじゃねぇか。数打ちさえ満足に使いこなせねぇひよっ子が寝ぼけたこと抜かすんじゃねぇよ!」
俺の煽りに、ルークも青筋をこめかみに浮かべ言い返してくる。
「はぁ? 意味わかんねぇ。経験? 立ち回り? そんなもん、良い武器を手に入れたら自然と覚えるわ! くっだらねぇ…」
「覚えるわけねぇだろうが! お前は騎士志望だったな? 使ったら最後、なんでもかんでも木っ端のようにぶっ飛ばす武器を使って微妙な間合いの感覚が身につくとでも本気で思ってんのか? そんな奴と組んだら、相手が気の毒になるぜ。いつ一緒に巻き込まれるかも知れないんだからよ!」
そう返すとルークはぐ、と言葉に詰まった。が、すぐに何かに気付いたのか、口元をゆがめて俺を嘲笑った。
「ああそうか、分かったぜ」
「あぁ? 何がだよ」
つづけるルークは、
「あんた、俺たちに嫉妬してるんだ。自分の守護者は何もしてくれないからって、神の武器をくれる俺たちの守護者様によ…」
醜く歪んだ顔。
笑みを作ろうとして、どうにも上手くいかないように見えた。
「…けっ、馬鹿馬鹿しい」
的外れな言葉に呆れた俺に対し、更に笑みを引きつらせ、ルークは勝ち誇ったように言う。
「図星を突かれたってかぁ? 与えられた力だろうが何だろうが俺は喜んでもらうぜ」
「そんなに強さが欲しいのかよ? お前もがるぞ~と同じだな。力だけを見て、大切なことを忘れている」
目的は手段を正当化しないのだ。
だが、俺の言葉を侮蔑と受け取ったルークが激昂する。
「がるぞ~と一緒にするな! 俺は品位を捨てた覚えは無い!」
「変わらねぇよ。品位を投げ捨てた相手が、同輩か守護者かの違いだけだ」
「抜かせ。その大切な物とやらを後生抱えたまま、あんたはそうやって、一人でずっと屍肉漁りでもなんでもやって地べたを這いずり回ってるがいいぜ。俺たちは力を手に入れて、もっと高みを目指す。…そう、神へも挑むんだ!」
俺の言葉はもう、ルークには届かない。
そう、目的は手段を正当化しないことを忘れたのは俺も同じだから。
「…一人、だと?」
その言葉に、俺はようやく気付いた。
いつの間にか、周囲にはギルメン幹部全員が揃っていた。
そして、彼らは何れも、ルークと同じ視線を俺に向けている。
「お、おい、まさか…お前たちもなのか?」
俺の問いに、視線が合った奴は誰もが気まずそうに背ける。けど、それだけ。
答えは…明らかだった。
「…神へということはエデンか。いつかみんなで行こう、そう言ったじゃないか! なのに、どうして…」
俺の叫びに答えたのは…意外にも、ルークだった。
「…ああ、いつかは行けただろうさ…だが、いつだ? それまでに、俺らやあんたが停滞者になっていないとどうして言える?」
はじめての、怒り以外の篭った声。
「それは…」
その問いには――俺も答えることができなかった。
停滞者が少し前から増えているという情報は町中で溢れており、人々に恐怖を植えつけていた。
それは…俺も、俺たちも、例外じゃなかった。
「…俺は、今のように、後から出てきて名を上げていく奴らの後塵を拝したまま、停滞者になって忘れ去られるのだけは嫌だ」
ルークの声が震えたように感じた。そうと気付いた俺は何か声を掛けようとしたが、生憎気の利いた言葉が見つからない。
停滞者となった創立メンバーに未練を抱く俺が、何を言えたというのだろう。
何より、俺にも…その恐怖は、痛いくらいに理解できた。
肉体の死は、許容できる。
俺たちにとって終わりではないのだから。
だが…停滞だけは、違う。
すべてが終わり、世界から、人の記憶から、取り残され、やがて…忘れ去られる。
そのとき、停滞者は何を思うのだろう。
意識は消えるのだろうか?
それとも残ったままで、自分が忘れ去られていくのをただ見つめるしかないのだろうか?
その解を知る者は今も尚いない。
未知は恐怖へといともたやすく転じる。
そして俺もまた、友を忘れるという恐怖から逃れられないでいた。
停滞症の恐怖に耐えられる者は、俺たちの中には誰もいなかった――それだけの話だったのだ。
「あんたとなら、そんな奴らにも負けずに戦い抜ける。上を目指せる――そう思っていた時期もあった。だが、あんたは過去に拘り、先を見ることをとっくに止めていた…俺たちを見ないでな。だったら、こっちとしてももうあんたと一緒にいる義理は無い。そうだろ?」
「…………」
ルークは俺の反応を諦めたと思ったのか、仲間たちに合図をする。
元仲間たちはもはや俺を一顧だにすることなく立ち去っていく。
そして、最後に残ったルークは背を向けたまま、一言吐き捨てる。
「あんたと一緒に神と戦いたい…俺だってそう夢見てたさ。だが――夢は、いつか醒めるもんだ」
その言葉で俺は夢から覚めた。




