第三話 クリスタライズド・ミモザ4
間が空いてしまいました……今回短いです。
隆志お兄ちゃんには、水疱瘡が治った後、手紙と絵を送った。祖母も、一緒に何か贈ったらしい。しばらくしてからお礼の手紙がきた。瑠璃子にも読めるように、ひらがなで書かれたカードも入っていた。
カードには、ミモザの花の絵が描いてあった。びっくりした。
「るりこへ。えと てがみを ありがとう。たくさんの しあわせが るりこに あるように。 たかし」
綺麗で読みやすい、力強い字だった。
くり返して内容を覚えた後、瑠璃子はカードを、妖精さんの枝と一緒に大事にしまった。
夏がきて、秋がきた。瑠璃子は一つ歳を取った。誕生日に隆志から瑠璃子に、チョコレートやキャンディーの詰め合わせが届いた。他にピンクのマフラーと、毛糸の帽子が入っていた。
可愛いな、と思った。でも祖母は眉をしかめ、それを取り上げるとどこかにやってしまった。あの帽子、かぶりたいと瑠璃子がねだると、祖母は瑠璃子をデパートに連れていった。そうして新しい、真っ白な帽子とマフラーを買ってくれた。
あのピンクのが欲しかったのに。
そう思ったが、祖母が怖い顔をしていたので、何も言えなくなってしまった。
あのマフラーと帽子、どうなったんだろう。瑠璃子はある夜、いつもより早く帰って来た父に尋ねてみた。父は少し顔をしかめてから、確かめてみると約束した。
「捨てたに決まっているでしょう。瑠璃子には新しいマフラーを買ってあげたんだから。あんなもの、必要ありません」
何となく気になって、父の後をそっとつけると、のぞいた部屋で祖母と父が話をしていた。祖母は険しい顔でそう言っていた。
「捨てたって……」
「瑠璃子だって、私の買ったマフラーの方を気に入ってます!」
父はだまってため息をついた。
捨てちゃったのか。と瑠璃子は思った。
一度ぐらい、かぶってみたかったな……。
その夜。真っ黒な怖いものが来た。それはうろうろとうろついて、瑠璃子を探しているようだった。怖くて瑠璃子は、布団の中で泣いた。
怖い。
怖いよ、妖精さんのお兄ちゃん。
泣きながらそう思っていると、いつか眠っていたらしい。朝が来ていた。頭が痛いと思いながら、はれぼったい目をこする。
黒いものがうろうろしていた辺りを見ると、咲いていたはずの花がみんな枯れていた。
冬になり、春になった。瑠璃子は小学生になった。
小学校って、何をする所なんだろう。
よくわからなかったが、何となく、わくわくした。入学式には祖母がついて来てくれた。瑠璃子は、奈々ちゃんと同じクラスになった。
新しいランドセル。新しい服。新しい靴。
教科書をもらって、これを読むのだと言われた。国語の本は何だかうれしくて、もらってきた日に全部読んでしまった。ひらがなもカタカナも、幼稚園にいたころから瑠璃子は読めた。
桜が咲いている下を、奈々ちゃんと一緒に歩く。幼稚園の頃から仲の良い二人は、小学校に上がっても仲良しだった。
そんなある日。彼とまた会った。
「入学おめでとう、瑠璃」
家に帰る途中に、大きな桜の木があった。そこに彼は立っていた。
奈々ちゃんに、ここにいて、と言ってから慌てて駆け寄ると、にこり、として彼は瑠璃子に言った。
「ありがとう。るり、一年生だよ!」
「たくさん、いろんなことを知って。心の深い人になってね」
「ふかい……?」
「色々なものを見て、色々考えて、感じて、心を大きくする。そうしたらそれは瑠璃にとって、一生の宝物になるから」
彼は微笑むと、ミモザの花の枝を取り出した。
「これを持ってきた。瑠璃はこの花が好きなようだから」
「きれい。ありがとう……あ、でも、ななちゃんの分が」
彼は少し離れた所に立つ奈々ちゃんを見て、微笑んだ。
「あの子が奈々ちゃん?」
「うん」
「呼んで来てくれるかな?」
「いいの?」
うん、と彼がうなずいたので、瑠璃子は奈々ちゃんを呼びに行った。奈々ちゃんは、瑠璃子が持っているミモザの枝を見て、びっくりした顔をした。
「るりちゃん。それ、どこから……」
「あのね、来て! ようせいさんが、ななちゃん呼んでる」
「えっ?」
奈々ちゃんはびっくりして、それから大慌てになって、瑠璃子と一緒に桜の木の下まで来てくれた。
「ななちゃん、ここにようせいさんがいるよ?」
「どこ?」
目の前にいるのに、きょろきょろしている。どうしたのだろう。
「奈々ちゃんには、見えないみたいだね」
妖精さんが言って、瑠璃子はちょっと悲しくなった。
「見えないの?」
「仕方ないよ。ぼくがこっちに来ているのは、内緒だし」
「ないしょなの?」
「るりちゃん、ようせいさん、なんて言ってるの?」
「あのね、こっちに来ているの、ないしょなんだって」
「そうなの?」
妖精のお兄ちゃんは、可愛い手提げ袋を取り出した。ミモザの花の刺繍があった。
「これ。頼んで作ってもらったんだ。瑠璃にあげる」
「わあ。かわいい」
「守りの魔法をかけてもらった。なくさないでね。これを持っていたら、悪いものが近づかなくなるから。……もう、温かくなったから、マフラーと帽子はかぶれないしね」
「え?」
「ピンクの。身につけていてくれた?」
どうして妖精さんのお兄ちゃんが、あのマフラーと帽子の事を知っているのだろう。そう思って見上げた。
「あの、……あれ」
「気に入らなかった?」
「そうじゃ……なくて。あの」
お祖母ちゃんが捨ててしまった。そう言えなくて、瑠璃子は下を向いた。そうして、小さく、ないの、と言った。
「ない?」
「ないの。マフラー」
「帽子も?」
「うん」
何だか顔を上げられない。そう思っていると、ぽふ、と頭に何か触れる感じがした。
あ。頭。なでてくれた。
そう思って顔を上げると、妖精さんのお兄ちゃんは、笑っていた。
「そっか。じゃあ、これを持ってきて良かった。さっきも言ったけど、守りの魔法がかかっている。瑠璃が大きくなるまで、この模様が君を守るよ」
「……ありがとう」
何だか泣きそうな気分になった。妖精さんのお兄ちゃんは、言った。
「なくしても、大丈夫だよ。もしこれがなくなったら、それはその時、ここに込めた魔法が使われたって事だから」
「……えと?」
「瑠璃に何か悪い事が起きたら、その時、これが代わりになってくれる。だからなくしても大丈夫」
良くわからなかったが、これが大事なものらしいということはわかった。妖精さんは次に、ハンカチを取り出した。そっちにもミモザの花の刺繍があった。
「このハンカチには、幸運が……良い事がたくさん来るように、おまじないがかかっている。こっちは奈々ちゃんにあげてね。瑠璃の大事な友だちだから」
瑠璃子が手を出すと、彼は袋とハンカチをその手に乗せてくれた。奈々ちゃんの目がまんまるになった。
「どっちもきれい」
瑠璃子が言うと、悪戯っぽい感じで彼が言った。
「両方欲しかった?」
「うん。あ。ええっと」
自分が欲張りみたいで何となく恥ずかしくなって、口ごもると、彼は笑った。
「正直でよろしい。でも、大事なお友だちには、自分の大事なものをあげないとね?」
「うん」
それはそうだ。そう思って笑うと、彼は瑠璃子の頭をなでてくれた。
「奈々ちゃんに言って? 瑠璃と仲良くしてくれてありがとうって。君も心の深い、大きい人になってねって」
瑠璃子が通訳すると、奈々ちゃんは一所懸命、妖精さんを見ようとした。でも見えなくて、ちょっと泣きそうになった。
「どうして、ななには、見えないの?」
「ごめんね。ぼくがこっちに来てるの、たくさんの人に見られたら困るんだよ」
「たくさんの人に見られたら、困るんだって」
「るりちゃん、ずるい。ななも、ぱちぱちしてるのに……」
「ごめんね」
妖精さんはちょっと困った顔になった。
「瑠璃。奈々ちゃんに言ってくれるかな。妖精を信じてくれて、ありがとうって」
「奈々ちゃん、ようせいさんが、ありがとうって言ってる」
「ほんと?」
「うん。信じてくれてありがとうって」
「ようせいさん、どんなふうなの? 王子さまみたい?」
「うん。王子さまみたい。茶色の髪。茶色の目だけど、ときどき、うすーくなって、緑みたいな色になるよ」
瑠璃子が言うと、妖精さんは何だか恥ずかしそうな顔をした。奈々ちゃんはわあ、と言った。
「目の色がかわるんだー」
「えっとね。服はふつうだよ。シャツと黒いズボン」
妖精さんのお兄ちゃんは、白いシャツと黒いズボン姿だった。シャツの袖は長い。近所のお兄ちゃんの服を見ていたからわかった。中学校や高校の制服だ。黒い上着を着ていないのは、前に瑠璃子が怖がったからだろうか。
「どうして? ようせいは、花びらの服じゃないの?」
「だって、ようせいのお兄ちゃん、大きいよ? るりより、せが高いもん」
「そうなんだ?」
びっくりしている奈々ちゃんに、くすっと妖精さんは笑った。
「内緒で来ているから、他の人には言わないでね」
妖精さんがそう言ったので、瑠璃子はうなずいた。奈々ちゃんに言うと、奈々ちゃんもうなずいた。
「じゃあ、ぼくはもう行くから」
「えっ、もう?」
「るりちゃん?」
「帰るって」
「ええ?」
「ここの桜に力を貸してもらったんだ。あまりこっちに来ていると、この桜が来年、花を咲かせられなくなる。疲れてしまって」
「ええっと……? 桜? が手伝ってくれてるから、あんまり、こっちにいると、桜がつかれちゃうんだって」
「そうなの?」
「うん、お花が咲かなくなるって。だからもう帰るって」
「そうなんだー」
妖精さんは、二人とも仲良くね、と言ってから、ふっ、と消えてしまった。
「ああー、……消えた」
「消えたんだ」
「二人とも仲良くねって」
「そうなんだー」
奈々ちゃんは瑠璃子の手にしたミモザの花と、手提げ袋と、ハンカチを見た。
「るりちゃん、良いな。そんなにいっぱい」
「ハンカチは、ななちゃんにだよ」
「えっ、そうなのっ? ありがとうって言えなかったよ」
びっくりした奈々ちゃんに、ハンカチを差し出す。奈々ちゃんは、恐る恐るという風に受け取ると、じいっとハンカチを見た。
「黄色い花だー」
「ミモザだよ。この花」
「あ、ほんとだ。同じ花だ。ミモザかあ」
「おまじないが、かかってるんだって」
「そうなの?」
「うん。良い事がたくさん来るようにって」
「うわあ。ようせいさんの魔法なら、すごーく良いことありそう」
奈々ちゃんは笑った。
「るりちゃんの袋も、同じ?」
「うーんと。こっちは、悪いものが近づかないように、だって」
「あ。おばけが来ないようにだ」
「あ、そうか」
黒い影を思い出して、瑠璃子はまばたいた。心配してくれたのだろう。あの影が来た事は、奈々ちゃんにも言っていた。
「ようせいさん、ななちゃんには、見えなかったんだ?」
「ぜんぜん。だからびっくりした。何もないところから、るりちゃんの手の上に、ハンカチとふくろ、出てきたんだもん」
そう見えたらしい。
「この桜、ようせいさんと仲良しなんだね」
「そうだね」
二人で並んで桜を見上げた。ぱちぱちしようか、と奈々ちゃんが言ったので、二人で桜にぱちぱちした。うれしくて、笑った。妖精さんの魔法のかかった手提げ袋とハンカチは、二人の秘密の宝物になった。
小学校は、毎日が大変だった。忘れ物がないように、祖母は毎晩、点検してくれた。ランドセルに教科書が入っているか。宿題は、やっているか。連絡帳に書いてある事を読んで、準備する。
それでも時々、忘れ物をした。そうすると祖母に叱られる。連絡帳は毎日、祖母に見せた。日々は目まぐるしく、瑠璃子は瑠璃子なりに必死だった。
「なな、バレエ習うんだよ」
そんなある日、奈々ちゃんが言った。
「るりちゃんも、習ったら?」
「まりちゃんは、ピアノ習ってるね」
「さやかちゃんは、そろばんだよ」
みんな、何か習い事をしている。けれど瑠璃子は、そんなものは必要ないという祖父の言葉から、何も習ってはいなかった。
「まりちゃんは、音楽の先生になりたいんだって」
「そっかー。上手だもんね、大谷先生」
音楽の大谷先生は、ピアノがとても上手だ。まりちゃんは大谷先生を見て、ピアノを習う事にしたらしい。先生みたいに上手になるんだ、と言っていた。
「バレエって、どんなの?」
「踊るの。ひらひらのついた服、着るんだよ。ちょっとね、ようせいさんみたいなの」
奈々ちゃんは笑った。妖精さんみたいな服、がポイントだったらしい。
「あのハンカチ持ってる?」
「だいじにしてるよー」
えへへ、と笑って奈々ちゃんは言った。
奈々ちゃんの発表会は、祖父母に頼んで瑠璃子も見に行った。ついて来てくれたのは、祖母だった。かわいい衣装を着て踊っているのがステキで、帰り道、瑠璃子もやってみたいと頼んでみた。
「おじいちゃんが、なんて言うかねえ」
英恵は少し、困った顔をした。
「でもまあ、女の子だしね。おばあちゃんが頼んでみるよ」
瑠璃子はバレエを習う事になった。奈々ちゃんと一緒の教室だった。
新しい友だちもできた。でも妖精さんの話は奈々ちゃんとだけの秘密だった。
奈々ちゃんはあのハンカチを、どこへでも持って行っていた。
瑠璃も、手さげを持ち歩いていた。ミモザの花の刺繍はとてもきれいで、どうかすると、きらりと光って見えた。きっと、妖精さんが刺繍したんだね、と瑠璃子は奈々ちゃんと話し合った。
あの黒い影は、見なくなった。
そうして一年が過ぎて……、ある時。何が原因だったのかわからない。バレエ教室で、ケンカになった。いつもは仲良しだった、ハルナちゃんとミカちゃんと、瑠璃子は大ゲンカした。奈々ちゃんが飛んできて、瑠璃子に加勢した。その時、何のはずみか、奈々ちゃんはこう言ってしまったのだった。
「るりちゃんは、あんたたちよりずっとすごいのよ! ようせいさんが見えるんだからっ!」
たぶん、奈々ちゃんに悪気はなかった。瑠璃子の味方をしようとして、焦っていたのかもしれない。
ハルナちゃんとミカちゃんは、これを聞いて馬鹿にした。奈々ちゃんは怒って、全部しゃべってしまったのだった。妖精さんと出会って、ハンカチや花の砂糖づけをもらった事を。
その妖精さんが、瑠璃子を守っている事を。
先生が飛んできて、その場は何とか収まった。けれど。
祖父母は、そうは行かなかった。
家に帰った瑠璃子は、英恵から厳しい叱責を受けた。妖精や魔法なんて馬鹿げた事を言いふらすなんて、悪い子だと。
瑠璃子は黙ってうつむいていた。
肇は厳しい顔をして、嘘はいけないと言った。英恵は、そんな事を言っていると、おまえの母親みたいに悪い人間になる、と言った。
「うそじゃないもん」
とうとう、瑠璃子はそう言った。
「るり、何度も会ってるもん! 妖精さんのお兄ちゃんは、るりに会いに来てくれてたもんっ!」
「まだそんな事を言うのっ!」
英恵は激昂して、瑠璃子の頬を張り飛ばした。瑠璃子はひっくり返って、床に頭をぶつけた。
「そんな事を言うからっ! あの女みたいにっ! 馬鹿馬鹿しい事ばかりを言って、ろくな人間にならないんだっ!」
真っ赤になってぶるぶる震える祖母は、怖かった。
「うちの太郎をたぶらかして、あんな女っ! あんたはあの女にそっくりよっ!」
何だか良くわからなかった。いつもは優しいおばあちゃんが、どうしてそんな顔をしているのか。祖父は、英恵の叫びに驚いたようだったが、厳しい顔をすると、「嘘つきは、舌を抜かれるんだ」と言った。
「瑠璃子。嘘ばかりついていると、おまえはみんなから嫌われるんだぞ。妖精だのなんだの、馬鹿げた事はもう言うんじゃない」
嘘じゃないのに。
謝りなさい、と言われたけれど、何を謝れば良いのかわからなかった。だから黙っていると、英恵はさらに怒り、瑠璃子をたたいた。さすがにこれは肇が止めたが、その夜、瑠璃子は夕食抜きになった。
帰って来た父、太郎はこれを聞いて、慌てて瑠璃子の所に来てくれた。おにぎりを持って。
「瑠璃子?」
お腹がすいて、でももう眠りかけていたが、太郎に声をかけられて、瑠璃子は目を覚ました。
「食べなさい。持ってきたから」
「おにぎり?」
形の悪いそれは、しょっぱかったが、お腹がすいていた瑠璃子は素直に食べた。
「おばあちゃんに、ごめんなさいを言わなかったって?」
「るり、嘘ついてないもん」
「お母さんも、頑固だから……」
太郎はため息をついた。
「何でも良いから謝っておきなさい。そうしたら落ち着くから」
「いや」
「瑠璃子!」
「るり、嘘ついてない!」
涙が出てきた。瑠璃子はおにぎりを手にしながら、繰り返した。
「嘘、ついてない。ついてないもん! るり、嘘つきじゃないもんっ!」
父は、困った顔をして見ていた。
次の日、家の中は変な雰囲気だった。瑠璃子は黙ってランドセルを背負い、妖精さんにもらった手さげを持つと、学校に行った。
その夜。また黒い影が来た。
うろうろして何かを探している。あれは、自分を探しているのだ。そう思った。
怖かったが、ミモザの手さげを思い出して、それを取りに行った。花の刺繍は、きらきらと光って見えた。その光を見ていると、安心した。袋をぎゅっ、と抱きしめて、瑠璃子は布団の中に入った。
大丈夫だ。そう思えた。
黒い影はあちこちをうろついていたが、やがて消えた。
翌朝、瑠璃子は影のうろついていた辺りを調べた。前と同じように、花が枯れていた。