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第三話 クリスタライズド・ミモザ3

瑠璃子の年齢をちょっと勘違いしていたので、1と2を修正しました。最初が三歳、今は五歳です。

 ミモザの妖精さんは、それからしばらく現れなかった。

 桜が散ってしまい、チューリップを見かけなくなり、タンポポが全部綿毛になった。瑠璃子は毎日、幼稚園に行きながら、奈々ちゃんと手をぱちぱちした。

 枯れた枝は捨てなかった。ハンカチにつつんで、いつも持ち歩いた。捨てたら妖精さんが本当に、死んでしまうような気がしたのだ。

 そんな中、夜。父と祖父母が何か話しているのを聞いた。

「隆志が……」

「しかし」

「あの女。何を隠しているの。隆志はうちの孫よ」

「お母さん。江利子は良くやっています」

「またおまえは! どうしてあんな女に……」

「今はそんな話をしている時じゃないだろう、英恵。隆志がどうなったのか、尋ねるぐらいはできるだろう、太郎?」

 何の事だろう、と瑠璃子は思った。『タカシ』って誰?

 みんな、瑠璃子が寝ていると思っていた。夜遅かったからだ。実際、瑠璃子はちょっと前まで寝ていたのだが、なぜか目が覚めてしまった。お水がほしくなって起き上がったら、テレビの部屋に明かりがついていて、そこで父と祖父母が話し合っていたのだ。

 何だか、変な雰囲気だった。父は疲れた顔をして、祖母はきっとしたきつい顔をしている。祖父は何となく、心配そうな、それでいて祖母を止めようとしているような顔をしていた。

「私が乗り込んでいって、取り戻して来ます。あの子は私の孫よ。うちの跡取りよ!」

「隆志はあちらの家で育てると決まったんだ、英恵。確かに私たちの孫だがね。こちらから何か言う事はできないよ」

 祖父が言った。

「冗談じゃないわ。男の子よ。跡取りなのよ!」

「そう言っておまえは、あの子を江利子さんから取り上げようとしたじゃないか。……それが結果として、太郎と別れる理由になったとわからないのか」

「私が悪いって言うんですか!」

「やめて下さい、お母さん! お父さんも!」

 父が叫んだ。何だか泣きそうな声だった。

「江利子と別れたのは、ぼくにも原因があるんです。でもその時に話し合って、隆志は江利子が育てると決めたんです。あの子はあの子だ。うちの跡取りだとか、そういう事は関係ありません。あの子は、ぼくの息子です。でも、江利子の息子でもあるんです」

 きっぱりとそう言ってから、父は肩を落とした。

「本当は、瑠璃子も。江利子が育てるはずでした。その方が良かったんだ。でも江利子は、……ひとりの子どももいなくなる、ぼくとお母さん、お父さんの事を心配したんですよ。だから、瑠璃子をぼくに残してくれた。本当は彼女が二人とも連れていってもおかしくなかったんです。生まれたばかりの娘を渡さなければならなかった、彼女がどれだけつらかったか……、」

「何が私たちの為よ! それなら隆志を寄越したら良かったのよ! 生まれたばかりの赤ん坊の世話なんて、どれだけ大変だったと思っているの? あんたは良いよ、仕事をしてれば良かったんだから! でも私は、赤ん坊の世話に明け暮れたのよ。眠る時間を削って、やりたい事をがまんして、毎日毎日、赤ん坊の世話をしていたのよ! あの女はそういう大変な事をこっちに押しつけた。わかっていてやったのよ。そういう女なのよ、あれは! こっちの迷惑なんて考えもしない、自分勝手でろくでもない女!」

 英恵が叫んだ。瑠璃子は思わず、後退った。

 自分の事だ。

 英恵が言っているのは、自分の事だ。

 生まれたばかりの赤ちゃん。お母さんは、赤ちゃんを捨てて家を出ていった、と英恵は言っていた。その赤ちゃんの世話をしたのは、英恵だ。

 迷惑。

 迷惑な、赤ん坊。


 イラナイ子ダッタノ?


 ふと、そんな思いが沸いた。


 るりハ、イラナイ子ダッタノ、オバアチャン……?


 ぼんやりしていると、まだ口論が続いていた。

「やめなさい、英恵!」

「なによ、あなただってそう思っているでしょう? 赤ん坊の世話なんてできるかって、そう言っていたじゃない! だから私は一人で……手のかかる赤ん坊を、私は一人で!」

 叫んでわっと泣き出した祖母を、父と祖父は困った顔で見ていた。瑠璃子は泣いている祖母に驚いた。

 泣いてる。

 おばあちゃんが、泣いてる。

 大人なのに。

 びっくりして、どうしようと思った。祖母はぺたんと床に座り込んでしまった。父と祖父は、困った顔で立っているだけだ。

 泣いている祖母の声が、かわいそうだった。何だか、瑠璃子も泣きたくなった。どうしてパパも、おじいちゃんも、なんにもしないんだろうと思った。

 だから、引き戸を引いた。

 部屋に入って祖母の方に歩く。パジャマに裸足の瑠璃子は、体が小さい事もあって、足音がまるでしなかった。畳の床は、小さい瑠璃子の足音を吸収してしまう。父と祖父は全然気がついていない。

 瑠璃子が二人を追い越して、英恵の前に立ってようやく、二人は気がついた。ぎくりとした顔になる。

「瑠璃子? どうして」

 父が呆然とした風に言った。瑠璃子は泣いている祖母に、手を伸ばした。いつも祖母が瑠璃子にしてくれるように、頭をなでる。

「おばあちゃん、……ないちゃ、だめだよ。おめめ、とけちゃうよ」

 瑠璃子が泣くと、英恵はいつもそう言った。そうして頭をなでてくれた。だから、瑠璃子もそうした。いつもされているように。

「うさぎさんのおめめに、なっちゃうよ。なきやもうね」

「瑠璃子?」

 慌てた顔で、祖母が言う。瑠璃子は祖母の頭を、いい子いい子してなでた。びっくりしたのか、英恵の涙が止まった。

 瑠璃子はしばらくなでていたが、手を下ろした。

 しばらく沈黙があった。

「瑠璃子。いつから……どこから聞いてたんだ」

 やがて、父がおずおずとした風に言った。瑠璃子は父を見上げた。

 何を言えば良いのかわからなかった。

 黙っていると、父は小さく息をついた。それから瑠璃子に近づいて来て、抱き上げた。

「もう寝なさい。明日も幼稚園だろう。お母さん。ぼくが連れて行きますから……」

 英恵は何だか呆然としている顔で、座り込んでいた。瑠璃子は父に抱きかかえられ、布団を敷いてある部屋に向かった。最後にちらりと見ると、祖父が祖母の側に膝をついて、何かささやていた。



「体が冷えているよ。まだ今の時期は、夜は冷えるからね。さあ。布団に入って」

 父が言った。瑠璃子は素直に布団に入った。太郎は瑠璃子の体に布団をかけてくれた。

「おやすみ」

「パパ」

 小さい声で言うと、太郎は瑠璃子を見た。少し不安そうな目をしていた。

「タカシって、だれ」

 そう言うと、しばらく沈黙してから、「瑠璃子のお兄ちゃんだよ」と答えた。

「おにいちゃん……?」

「そう」

 父は小さく息をついた。

「隆志は……、ちょっと問題があってね。あの子はぼくでは育てきれない。江利子でないと。でも、お母さんにはそれがわからないんだ」

「わかんないよ」

「そうだね。瑠璃子にはわからないな」

「おにいちゃん、……なにかあったの?」

「何もない」

 言い切ってから父は、たぶん、と付け加えた。

「江利子は心配ないと言った。だから……何もない」

 瑠璃子の頭を、父の手がなでた。

「運の強い子だから。危険はない。いつも何もない顔をして帰って来た……だから今度も、大丈夫だ」

 でもそう言いながら、父の手は震えていた。お兄ちゃんは、どこかに行ってしまったのだろうか。そう思って父の顔を見上げる。

「会いたいか?」

 静かに父が尋ねる。瑠璃子は少し考えてから、うなずいた。

「うん。ななちゃんにも、おにいちゃん、いるんだよ。たくとくん」

「そうなのか」

「いつもケンカばっかりなんだって。おとこのこって、どうしようもないの。そういってた」

「そうか」

 奈々ちゃんの言った事をくりかえすと、父は小さく笑った。

「そうかもな。男は本当に、どうしようもない」

「パパ?」

「うん。大丈夫」

 そう言いながら、父は泣きそうな顔をしていた。

「パパも、いい子いい子する?」

 手を伸ばすと、父はまばたいた。

「してくれるのかい」

「うん」

 頭を下げてくれたので、瑠璃子は父の頭をなでた。

「どこで覚えるんだろう、こんな事」

「おばあちゃんが、してくれるの。るりが泣いたら」

 そう言うと、「そうか」と言った。

「うさぎさんのおめめになっちゃうよ。とけちゃうよって。パパも、泣いちゃ、だめですよ」

「泣かないよ」

 そう言って、父は笑った。でも泣きそうだった。顔がくしゃっとなっていた。

「ごめんよ、瑠璃子」

「ごめんなさいなの? どうして?」

「色々」

「そうなの」

 瑠璃子は真面目な顔をして、うなずいた。

「だいじょぶだよ。るりは、げんきだもん」

「そうか」

「でも、おばあちゃんには、ごめんなさい、だね」

「……どうして」

 父が瑠璃子を見つめた。瑠璃子はうつむいた。

「るり、ちいさいときのこと、おぼえてないからわかんないけど。あかちゃん、たいへんだったの。おばあちゃん、るりにごはんくれて、おふろもいれてくれて、泣いたら、いい子いい子してくれた。るり、しらなかった。おばあちゃん、たいへんだったって、しらなかった。ごめんなさいって。いわないと」

 父は喉の奥で、妙な音を立てた。何かを飲み込んだような。

 それから瑠璃子を抱きしめた。

「ごめんよ。瑠璃子」

「パパ?」

「ごめん。ごめんよ。本当にごめん」

 どうして父が謝るのかわからなかった。良くわからなかったが、父が何度も謝るので、何となく、瑠璃子は悲しくなった。父の声が、泣いているように聞こえたからかもしれない。

 妖精さんのお兄ちゃん。

 ふと、思った。

 妖精さんのお兄ちゃんがいたら、パパも泣かないかもしれないのに。

 瑠璃子が悲しい時や、大変な時。いつも妖精さんのおにいちゃんが側にいてくれた。不思議な事を見せてくれた。ミモザの花の砂糖漬けは、甘くて、瑠璃子に『大丈夫だよ』と力をくれていた。

 パパにも、妖精さんの魔法をあげたいな。

 だから、言った。

「パパ。るりね。ようせいさん、見たことあるんだよ」

 父の動きが止まった。

「あのね。大きい人だったよ。きれいでね。ミモザのお花、くれたんだよ」

「妖精……が?」

 父が瑠璃子から腕を離した。真面目な顔で見下ろしてくる。

「おばけがきたとき、るりをたすけてくれたの」

「お化け?」

「くろい、おばけ。るりのとこにきたの。ようせいさん、たすけてくれた。でも、」

 枯れた枝と散った花を思い出して、瑠璃子は泣きそうになった。

「あのね。パパ。ぱちぱちして?」

「ぱちぱち?」

「ようせいさん、けがしたの。ずっと、るりのとこ、こないの。花がかれちゃったの。だから」

 瑠璃子は手を、ぱちぱちした。

「ななちゃんと、ずっとやってるの。こうしたら、ようせいさん、けががなおるんだって」

 パパもやって? と頼んだら、父は不思議そうな顔をしていたが、手を叩いてくれた。

「こうかい?」

「うん」

「これで、怪我がなおるのかい?」

「そうなの。ようせいさん、だいじょぶになるの。ぱちぱちしたら」

 二人で手を叩いた。

「まいにち、やってるの」

「おばあちゃんも?」

「おばあちゃんは、……」

 瑠璃子は顔を伏せた。

「ないしょなの。おばあちゃん、ようせいさんのおはなし、きらいだから」

「そう」

「ようせいは、いないって、だれかが言ったら、ようせいさんは、死ぬんだって。おばあちゃん……いっぱい言うから……」

「ああ」

 英恵が魔法や妖精の話を毛嫌いしている事を思い出したのか、父は小さく息をついた。

「それで言えないのか。……瑠璃子は、おばあちゃんが嫌かな。嫌い?」

 瑠璃子は首を振った。

「るり、おばあちゃん好きだよ」

「そうか」

「でも、おばあちゃんは、るりがいやなの」

「……そんなことはない」

「めんどう、だった? るり。おばあちゃん、るりより、おにいちゃんのほうが、良かったの」

「瑠璃子」

 英恵の言葉を何気なくくりかえすと、父は本気で泣きそうになっていた。

「本気で言ったんじゃない。本気じゃなかったんだ、瑠璃子」

「パパ?」

「おばあちゃんは、瑠璃子が好きだよ。大好きだよ。本当だよ」

「うん」

 それは知ってる、と瑠璃子は思った。

 おばあちゃんは、瑠璃子の好きなものを作って食べさせくれる。嫌いなものを残そうとすると怒るけど。

 熱が出た時も、ついていてくれた。

 おやつもちゃんと、用意してくれる。

 瑠璃子が面倒だと思っていても、瑠璃子が好きな気持ちもちゃんとある。

 ……そう思う。

「るりは、パパもすきだよ」

「そうか」

「おじいちゃんも、すき」

「うん」

「おばあちゃんも、ようせいさん、すきになったら、良いのにね。そしたらるり、おばあちゃんともぱちぱちするのに」

「……うん」

 父は少し目を閉じた。

「むずかしいね。人間は」

「むずかしい?」

「お母さんも……色々あるんだよ。瑠璃子にはまだわからないだろうけど。でも……瑠璃子が気を使う事じゃないな。それは大人のぼくらが悪いよ」

 ため息をついた。

「でも今は、もう寝なさい。目がくっつきそうだ」

「ん」

 瑠璃子は布団に潜り込んだ。何となく安心した。

 今日は、パパもぱちぱちをしたから。きっと、妖精さんの所に届いている。そう思って。

 後から知ったが、この時、兄の隆志は二ヶ月近く行方不明になっていた。父が憔悴していたのも無理はなかったのだ。


*  *  *


 緑の色が濃く、鮮やかになってきた。

 幼稚園では、遠足に行く事になっていた。でも瑠璃子は行けなかった。水疱瘡にかかったのだ。

「かゆい……」

 ぶつぶつが体中にできて、かゆくてたまらない。

「かいちゃ駄目よ。痕が残ったら大変。薬を塗ってあげるから」

 英恵が言った。

 あれから、日々はごく普通に過ぎている。翌朝、英恵が少し変だったが、すぐに元通りになった。祖母は瑠璃子が幼稚園に行くのに起こしてくれ、洋服を着るのを手伝ってくれ、お弁当を作ってくれる。お風呂に入る時には、一緒についてくれて、髪を洗ってくれる。

 祖父もそうだ。たまに遊んでくれたり、何か買ってくれたりするが、それ以外はちょっと遠い感じで、こっちを見ている。いつもと同じだ。

 瑠璃子が水疱瘡にかかると、祖父は困った、困ったとつぶやいた。祖母は『かいちゃだめ』と強く言った。言いつけを守って、かゆくてもがまんしているが、つらい。つい、爪でかきたくなってしまう。

 奈々ちゃんも水疱瘡になったらしい。瑠璃子のが感染うつったのだ。でも奈々ちゃんのママからはお礼を言われた。病気をうつしてどうしてありがとうなのか、良くわからなかったけど、水疱瘡は、誰かがかかると、他の子ももらいにいくのだそうだ。大きくなってからかかったら、大変なのだと祖母は言っていた。

「隆志もこれぐらいの時に、かかっていたわね……」

 薬を塗ってくれていた英恵が、そこでふと、つぶやいた。そうして、あっ、という顔をして黙った。

「おにいちゃん、だよね。るりの」

 そう言うと、気まずげな顔をした。

「そうだけど」

「おにいちゃん、いくつなの? るりはいつつでしょ。ななちゃんもいつつで、たくとくんは、やっつだよ。しょうがくせい、なの」

 自分のお兄ちゃんも、卓人くんぐらいなのかと思って尋ねると、祖母は小さく息をついた。

「隆志は、今十二歳よ。六年生」

「おおきいんだ」

「そうね。瑠璃子には大きく思えるかもね」

 英恵は小さく息をついた。瑠璃子は、お兄ちゃんと言うのなら、卓人くんに似ているんだろうと思った。十二歳の卓人くんを想像しようとしたが、できなかった。

「じゃ、もっとおおきくなったら、くろいふく、きるんだ」

 妖精さんのお兄ちゃんが着ていた学生服、を思い出して言うと、英恵はまばたいた。

「黒い……? ああ。学生服ね。そうね。着るんでしょうね」

 それぐらいは、援助したいんだけれどねえ。小さくつぶやいて、英恵は肩を落とした。

「えん? なに?」

「プレゼント。したいんだけどね。向こうは、私らを良く思っていないだろうから。贈ってもね……」

「プレゼントは、るり、うれしいよ?」

 不思議に思って言うと、英恵は苦笑した。

「そう」

「おにいちゃんも、うれしいよ。プレゼント、もらったら。おばあちゃん、あげたら良いのに」

「まあ……そうなんだろうけど」

「おにいちゃん、たんじょうび、いつなの?」

「三月よ。早生まれだからかしらね。体が小さくて……小さかった事しかもう、覚えていないんだけど」

 ふう、と英恵は息をついた。

「いま、ごがつ……」

 随分、過ぎてしまっている。

「おばあちゃん。るり、おにいちゃんに、おたんじょうびのプレゼント、あげたらだめ?」

 そう言うと、英恵は目を丸くした。

「あのね。ようちえんで、おえかきしたの。るり、ほめてもらったのがあるの。それ、おにいちゃんにあげたいの。だめ?」

「だめじゃないけど……」

 英恵は瑠璃子を見てから、頭に手をやってなでてくれた。

「瑠璃子は良い子ね」

「そお?」

「良い子よ」

「えっと、でも、いい? かな?」

「誕生日のプレゼントは、いつ贈っても遅いなんて事はないの。大丈夫」

「うん」

 何だかうれしくなった。

「おにいちゃん、さんがつなんだ……るりは、くがつ」

「そうね」

「いっしょじゃ、ないんだね」

「奈々ちゃんと、卓人くんも、一緒じゃないでしょう。兄弟でも、誕生日は違うものよ。双子なら別だけど」

 ふうん、と瑠璃子は言った。ちょっと不思議な気がした。

「病気が良くなったら、手紙を書くと良いよ。あんたの名前で送ってあげる。それなら向こうの家の人も無下にはしないでしょ」

 祖母の言葉が何だかうれしかった。



 ふと、目が覚めた。

 英恵はいない。買い物に行ったのだろう。

 どうしたんだっけ、と思って、薬を塗ってもらった後、パジャマを着直して、布団で横になるように言われたんだ、と思い出した。動き回らずに、寝ていろと言われた。

 退屈だと思っているうちに、うとうとしたのだ。

 ふと横を見ると。誰かがいた。

「あれ」

 黒い服の。妖精のお兄ちゃん。

「ようせいさん! だいじょぶだったの?」

 慌てて起き上がる。ミモザの妖精さんは、ちょっと笑った。

「水疱瘡?」

「あ、うん。えと。カイカイいっぱいできた」

「かゆいよね」

 くすっと笑って言うと、ちょっと首をかしげる。

「大丈夫って、どうして?」

「え? えーと。ようせいさん、ずっと来なかったから。それに、もらったお花、かれちゃったの。けがしたのかとおもった……」

 妖精さんのお兄ちゃんは、ちょっと困った顔をした。

「ばあちゃんの孫だからかなあ。手順すっ飛ばして答を見つけてくれる」

「なに?」

「なんでもない。ちょっとまずい事になってね。でもそれは解決したから」

 瑠璃子の側に来て、顔をのぞきこんでくる。

「お兄さんに、プレゼントあげたんだよね」

「え?」

 瑠璃子はぽかんとした。

「あれ? 違った? まだだっけ、この時には」

 妖精さんは、良くわからない事をつぶやいた。

「えと? ちがわ……なくない。でも、さっき、おばあちゃんに言ったばっかり」

 どうして知っているんだろう。

「あ、……そうか。もう送っているものだと……でも時間軸は正しい……」

 ぶつぶつ言っているが、意味が良くわからない。すると妖精さんは、ちょっと咳払いをした。

「喜ぶと思うよ、お兄さん」

 瑠璃子はぱっと笑った。

「おてがみ、かくの。もうちょっと、カイカイなくなったら」

「そうか。そうだね。……これ、持ってきたんだけど」

 妖精さんは、小さな瓶を取り出した。

「なに?」

「水」

「おみず?」

「うん。でも、力が入ってる」

「ちから? のはいった、おみず?」

 良くわからない。

「妖精の国で酌んできた水。早く病気が治るように」

「そうなの」

 瑠璃子は目を丸くした。

「飲む?」

 うん、とうなずくと、妖精さんは蓋を開けて、瓶を差し出した。瑠璃子は受け取った。

 透明な水。

 瓶に口をつけて、こくんと飲むと、温かい何かがぱっと体の中を走った。びっくりして瓶を口から離す。

「どうしたの?」

「なにか、さわった」

「触った?」

「のんだら、……えっと。あったかいのが、ほっぺたと、みみと」

 ああ、と妖精さんはうなずいた。

「体が弱っていたんだね。その水は、太陽の力を溜めたものなんだ。疲れている体や、弱っている体に、力をくれるんだよ」

「そうなの」

 まだ少し残っている。瑠璃子は全部飲んだ。残りを飲んだ時には、さっきみたいにならなかったが、それでも何となく、気分が明るくなった。

 瓶を返すと、妖精さんは微笑んだ。

「気になっていてね。ずっと。瑠璃に何かしてやりたかった」

「そうなの?」

「うん。……ずっと。この時の瑠璃に、何か贈りたかった」

 瑠璃子は妖精さんを見上げた。変なことを言う。瑠璃子の方こそ、妖精さんに、何かあげたかったのに。

「るり、ぱちぱちしてたよ?」

「ん?」

「ようせいさん、けがしたかなって。おもったから。ずっとぱちぱちしてた。ななちゃんも、てつだってくれたよ」

「そうか」

 妖精さんは、嬉しそうだった。

「ありがとう」

「けが、なおった?」

「うん。瑠璃子たちが、……心を届けてくれたから。ぼくは大丈夫」

「パパも、ぱちぱちしたよ」

 妖精さんは、目を丸くした。

「お父さんも?」

「るりがね。てつだってっていったら。ぱちぱちしてくれた」

 一度だけだったけれど。

 すると、妖精さんのお兄ちゃんが、顔を伏せた。えっ? と思ったら、泣いていた。睫毛の先に、滴があったから、泣いていたのだと思う。

「ようせいさん?」

「ありがとう」

 瑠璃子の前で、妖精さんの姿が薄くなる。

「きえてくよ?」

「時間切れだ。無理して来てるから……ありがとう、瑠璃。ぼくは、君がいてくれたから。こちらで生きていける」

「ようせいさん」

「あの男には今も腹が立つけれど。こうして君と話ができた」

 あの男?

「でも、……もうあまり来れない。これ以上は歪みが出るから」

 あと、三回。

 そう言って、妖精さんは消えた。

 瑠璃子は、さっきまで妖精さんのお兄ちゃんがいた場所を見つめた。最初から誰もいなかったようだ。

 でも、妖精さんはいた。

 絶対、いた。

「……」

 なぜだか泣きたくなった。理由はわからない。

 ただ妖精さんとはもう、あんまり会えなくなるのだと。それだけはわかった。


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