第三話 クリスタライズド・ミモザ1
瑠璃子の初恋は、ミモザの妖精の男の子だった。
* * *
物心つく頃には、母親はいなかった。そのころ、瑠璃子の名前は山中瑠璃子だった。山中の家はいわゆる旧家で、跡取りである父、太郎は母、江利子と結婚したが、祖父母はこの嫁と折り合いが悪かったらしい。結婚して八年目に二人は離婚。母は兄を引き取り、父は自分を引き取った。その時自分は産まれて間もなかったらしい。
山中家の祖父母はことあるごとに、母、江利子を「夫と子どもを捨てたひどい母親」と言ってののしった。父はどこか気弱な顔をして、母について言葉を濁した。子ども心に瑠璃子は、母について口にしてはならないのだと思って育った。
兄がいるのは知っていた。けれど名前だけの存在だった。祖母、英恵は兄について話す時、残念そうな、どこか苦々しげな口調で話した。
「あの女が意地を張らなければ、うちで育てたのに。そうしたら、良い跡取りができて、うちも安泰だったのにね」
女の子である自分は、この家では価値はないのだと、その時瑠璃子は思った。
祖父母がつらく当たったわけではない。どちらかと言うと、甘やかしてくれたと思う。けれど瑠璃子は、いつもどこかで孤独だった。何かが足りない。何かが欠けている。そんな思いがいつもどこかにあって、心を少し、重くした。
彼と初めて会ったのは、幼稚園に上がるか、上がらないかという年齢の時だった。山中の家は古くて、ぎしぎしという暗い廊下や、大きな倉がある。祖父母はいつも忙しくしており、父も仕事で出かけている。瑠璃子は昼間、大抵、一人で遊んでいた。その時も、少し荒れた庭で、砂をつかんだり、こぼしたりして遊んでいた。
誰かがいる事に気づいたのは、それに少し飽きた頃。ふと目を上げると、男の子が立っていた。
「だあれ?」
顔を上げた瑠璃子の前で、男の子は微笑んだ。
「こんにちは」
柔らかそうな栗色の髪に、白い肌。淡い色の瞳は、光の加減で茶色にも、緑がかった灰色にも見える。大きなお兄さんだな、と瑠璃子は思ったが、彼が大人より、自分に近い年齢である事はわかった。ごく普通のTシャツに、ジーンズ。スニーカーを履いている。それなのに彼が着ていると、特別なものに見えた。
「おうじさま?」
父親が買ってきてくれた絵本の、王子さまを思い出した。こんな色の髪をしていた。
「違うよ。瑠璃子」
どうして自分の名前を知っているのだろうと思ったが、なぜか不思議に思わなかった。にっこりすると、相手も少しうれしそうだった。
「ちがうの? でも、えほんと、おなじいろ。かみのけ」
「そうなの?」
彼は柔らかく笑うと、瑠璃子の側に来た。手に、小さくて黄色い花がついた枝を持っていた。瑠璃子の前でしゃがみ込み、目線を合わせてくれる。
「頭、なでても良い?」
「いいよ」
そう言うと、幸せそうに微笑んで、瑠璃子の頭をなでてくれた。そうっと触れる手の感触に、瑠璃子はくすくす笑った。
「おうじさま、るりに、あいにきたの?」
「そうだよ。もうじき幼稚園だね」
「うん」
「友だちがたくさん、できると良いね」
「うん。たくさん。ともだちとあそぶの」
男の子は瑠璃子を見つめ、もう一度頭をなでてくれた。
「絵本は、良く読むの?」
「ぱぱが、よんでくれる。でも、あんまりたくさんじゃないの」
ちょっと顔をしかめて言うと、彼はまばたいた。
「たくさんじゃない?」
「ぱぱ、いそがしいの。おばあちゃんが、よんでくれるけど、やっぱりいそがしいの」
「……そう」
「おばあちゃん、ようせいさんの、でてくるはなし、きらいなの」
瑠璃子はうつむいた。絵本を読んでとせがむと、祖父母は読んでくれる。けれどそれが、妖精や魔法の出てくる話だと、途端に祖母の機嫌は悪くなる。こんな馬鹿なものを聞きたがるなんて、と何度か言われ、瑠璃子は祖父母に読んでほしいと頼む事ができなくなっていた。
『お母さん。子どもなんだから、そういう話が好きなのは当たり前でしょう』
『何を言っているの、太郎。魔法だの妖精だの、馬鹿げた事ばかり。あんな話を読んで育ったら、ろくな大人になりませんよ。もっと現実的で、しっかりした話を読ませるべきです。あの女だって、ろくでもない、馬鹿な事ばかり言っていたじゃありませんか!』
父と祖母が言い争うのを聞いてからは、余計に。
「ようせいさんは、だめなんだって」
「どうして」
「わかんない……」
何だか悲しくなって口ごもると、男の子は、「だめじゃないよ」と言った。
「だめじゃないよ。妖精も、魔法も。そこにあるものだから」
「そこに?」
「そうだよ。そんなものはないって、どれだけ人間が言ったとしても。そこにあるんだ。決して消えはしない」
良くわからなかったが、微笑まれると何となく、うれしかった。
「おうじさま」
「ぼくは、王子じゃないよ」
「じゃあ、おなまえ、なに?」
「……ごめん。教えられないんだ」
困ったように言ってから、男の子は、手にしていた枝を渡してくれた。
「代わりにこれ、あげるよ」
「おはな?」
小さな、ポンポンのような黄色い花が群れている。顔を近づけると、ほんのりと甘い香りがした。
「ミモザ」
男の子が言った。
「春を喜ぶ花。見ていると、元気が出るだろう?」
「うん」
「お祝いだよ。幼稚園に上がる」
言われてうれしくなった。
「ありがとう。みもざ……」
「それは、花の名前」
「みもざ、のおにいちゃん」
彼は少し、くすぐったそうな顔をしてから笑った。
「それで良いよ。瑠璃。君に幸運がたくさんあるように」
そこで、瑠璃子の名を呼ぶ声がした。祖母が呼んでいる。
「瑠璃! お昼ごはんよ。どこにいるの?」
「はーい、おばあちゃん!」
返事をして立ち上がり、もう一度振り向くと、彼はいなかった。あれっと思って見回したが、どこにもいない。
首をかしげる。手に持った花に目を落とす。
「おにいちゃん、みもざ……?」
それが、初めての出会いだった。
幼稚園は、なかなか大変だった。年少さんの、チューリップ組に入った瑠璃子は、『チューリップ組さん』、というのは気に入ったが、それでも最初の内は、行くのが嫌だと大泣きした。知らない人や子どもたちの中にいるのは、何となく心細かった。瑠璃子以外にも、「ママ」とか「パパ」とか言いながら泣いている子がいたから、みんなそうだったのだろう。ただ瑠璃子には、「ママ」も「パパ」も言えない単語だった。それまでずっと側にいたのは祖母だったから、「おばあちゃん」と言って泣いた。
泣いている子を一人ひとり、抱っこしてあやしてくれたのは、まりこ先生だった。長い髪の優しい先生が、みんなすぐに大好きになった。最初は行くのが嫌だ、おばあちゃんがずっといてくれなきゃ嫌だと泣きわめいていた瑠璃子だったが、その内泣かなくなって、まりこ先生にべったりになった。 ただ、幼稚園はそれなりに大変だった。それまで一人っ子状態で甘やかされ、気ままに過ごしてきた瑠璃子にとって、同じ歳の子どもと集団で動く事は大変な作業だったのだ。
おゆうぎもお昼寝も、何だか妙な感じがした。それでもそれなりに友だちもできたし、楽しいと感じる時もあった。
特に好きだったのは、先生が本を呼んでくれる時。
家では禁止されている、魔法や妖精の出てくる絵本を、まりこ先生は良く読んでくれた。
「まりこせんせい、ようせいっているの?」
ふと思いついて、ある時尋ねてみた。
「いるかもしれないよ」
まりこ先生は笑って言った。
「せんせい、みたことあるの?」
「ううん、先生は見た事ない。でもね、きっとどこかにいるよ」
「ほんと?」
「妖精さんはね。信じる心があると産まれてくるんだって」
良くわからなかった。
「しん、じる、こころ?」
「ええっとね。妖精がいるって、子どもが信じているとね。新しい妖精さんが産まれるんだって。でもね。妖精なんていないって、誰かが言うとね? そのたびに、一人の妖精さんが死んでしまうんだよ」
「ほんとお?」
びっくりした。それから少し、怖くなった。
おばあちゃんは、いつも。妖精はいないって言ってる。
じゃあ。おばあちゃんがそう言うたびに。妖精さんが一人、死んでいるのだろうか。
「本当。この本に書いてある」
まりこ先生が取り出したのは、『ピーターパン』だった。絵本ではなく、字の多いものだ。瑠璃子には読めない。
「怪我をした妖精さんが死にそうになった時、世界中の子どもにピーターが尋ねるの。妖精を信じていますかって。そうしたら、子どもたちが、信じているよって拍手をするの。それで妖精さんは、怪我がなおって、元気になるのよ」
「ふうん……」
瑠璃子は、ぱちぱちと手をたたいてみた。
「こうしたら、いいの?」
そうしたら、助かるのだろうか。妖精たちが。
「そうね。瑠璃ちゃんは、妖精さんが好きなの?」
「わかんない」
祖母の事を思い出して、瑠璃子はうつむいた。
「わかんないか。でも、いたら素敵よね」
「……うん」
本当に、いたら素敵だ。瑠璃子はぱちぱちと手をたたいた。
次に出会ったのは、熱を出して家で寝ている時だった。
「瑠璃」
祖母が買い物に出かけ、一人でうとうとしていると、そんな声がした。目を開けると、彼がいた。
「みもざ、のおにいちゃん」
「大丈夫?」
「あつい」
少し心配そうにのぞきこむと、彼は手を額に置いた。
「本当だ。熱いね……何か、冷やすもの」
そう言って少し考え込み、「ちょっと待っててね」と言うと、どこかへ行ってしまった。ぼんやりしていると、やがて戻ってきた。
ガラスのコップに、黄色いジュース。
「なあに?」
「りんごを分けてもらった。すり下ろしたんだよ。飲める?」
起こしてもらって、一口飲んだ。普通のりんごジュースとは違った。酸っぱくて、少し苦い。あまり甘くない。それなのに、何だかすごく美味しいと感じた。気がつくと、ごくごく飲んでいた。
「へんなあじ」
「原種に近いから。いや、これが原種かな。もう人間の世界には、残っていない」
つぶやくように言うと、彼は瑠璃子の頭を撫でた。
「でもその分、力が強い。これで熱が下がるよ。りんごは、熱を下げる薬草でもあるからね」
「やくそう?」
「薬になるんだよ。気分はどう?」
「だいじょぶ」
何となく元気になった気がした。まだ体は熱かったが。
「何か欲しいものとか、ある?」
「みもざ……」
あの花を思い出して言うと、彼は微笑んだ。
「あの花、気に入ったんだ?」
「いいにおい、した」
「少しすみれに似ているよね。春を喜ぶ花だから、あの花にも力はあるよ……そうだね。今度、砂糖漬けを持ってこようか」
「さとうづけ?」
「甘いよ。花に砂糖をまぶして、乾かしたもの。すみれやミモザは、食べられるんだ」
「そう?」
良くわからなかったが、何となく美味しそうだと思った。そこでふと、思い出した。慌てて手をぱちぱちとたたく。
「なに?」
「ええっと、」
うまく説明できずに首をかしげると、彼も首をかしげた。
「まりこせんせいが、手をたたくと、うれしいって」
かろうじてそう言うと、彼は笑った。
「まりこ先生?」
「やさしいよ。いっぱい本読んでくれるの」
「そう。瑠璃は本が好き?」
「すき」
「何か読んであげようか?」
うれしくて、「うん」とうなずいた。
彼はそれから瑠璃子の枕元で、お気に入りの「シンデレラ」を読んでくれた。魔法が出てくる話だが、それだけは祖母も容認してくれていたのだ。一度終わると「もういちど」とねだり、何度も何度も読んでもらった。彼はいやな顔もせず、何度も最初から読んでくれた。
気がつくと、眠っていたらしい。ふ、と目を開けると、祖母が帰って来ていた。
「ああ、良かった。熱が下がったのね」
額に手を置いて言うと、英恵はほっとした顔になって言った。
「おばあちゃん」
「良い子にして寝ていたら、すぐ元気になるわよ」
「……みもざ、のおにいちゃんは」
「何のこと?」
英恵は妙な顔になった。
「おはなししてくれたの。るりに、ジュースくれた」
「ああ。そうなの?」
英恵は首をかしげてから、瑠璃子が夢を見たのだと思ったらしい。「それはよかったわね」と熱のこもらない声で言った。
周りには誰もいなかった。ミモザのおにいちゃんは、どこへ行ったのだろう、と瑠璃子は思った。
幼稚園で仲良くなった奈々ちゃんは、魔法や妖精の話が大好きで、そんな話ばかりしていた。
「それはきっと、ようせいさんよ!」
奈々ちゃんは、自信満々というふうに言った。
「いいなあ、るりちゃん。ようせいさんに、あったんだ!」
「そうなの?」
瑠璃子は首をかしげた。
「ようせいなのかな? みもざのおにいちゃんって、るりはよんでるけど」
「もみざ?」
「みもざ。きいろいお花だよ。ええっとね。ちいさい、ぽんぽんってした花が、いっぱいついてるの。いいにおいする」
「じゃあ、そのようせいさん、きっと、お花のようせいだよ! いいなあ!」
奈々ちゃんはしきりに、いいなあ、いいなあと繰り返していた。瑠璃子はちょっと、得意な気持ちになった。
「るりが、おねつを出したときにね。ジュースくれたんだよ」
「えっ、なんのジュース?」
「りんごの」
「ええっ、ようせいさんって、りんごジュースすきなんだ」
その日から奈々ちゃんは、りんごジュースが大好きになった。妖精さんに会いたかったのだそうだ。二人はないしょの話をいっぱいして、妖精さんのために、毎日ぱちぱち手をたたく事にした。まりこ先生に言われた事を瑠璃子が話したら、奈々ちゃんが、どこかで怪我をしているかもしれない妖精さんのために、毎日たたこうと言ったのだ。
二人でないしょ話をしながら、ぱちぱち手をたたいた。
楽しかった。
次にミモザのお兄ちゃんに会った時は、秋。瑠璃子の誕生日だった。
おじいちゃんとおばあちゃんが、お祝いをしようと言っていた。きっとケーキがあるだろう。そう思って、みんなと一緒に歩いて幼稚園から帰る途中、ちらりと何かが見えた。萩の花が群れて咲いている辺り。
何だろうと思って、列からはずれた。
「るりちゃーん、どうしたの」
呼ぶ声が聞こえたが、「お花、つんでから行く!」と言ったら、「早くね〜」と言われた。ゆっくり歩いているから、走ればすぐに追いつく。
萩の花の近くまで来ると、花の影に彼が座っていた。
「やあ。良く気がついたね」
「みもざの……ようせいさん」
「妖精になったんだ、ぼく?」
くすっと笑うと、彼は言った。
「お誕生日、おめでとう。いくつになったの?」
「よっつ」
「おめでとう。これからも、幸運が君と共にあるように」
そう言うと、彼は立ち上がって。小さな包みをくれた。白いハンカチに包まれた、何か。
「約束していたから、これ」
「なあに?」
「ミモザの砂糖漬け。本当はもっと早く持ってきたかったけど、……君に会いに来るのには、色々と制約があって」
布ごしに触ってみると、小さなかりかりしたものがたくさんあるようだった。開けてみると、黄色い花に砂糖をまぶしたものが入っていた。青や白、ピンクの花もあって、色とりどりな感じだった。
「このままでも二ヶ月ぐらいはもつけどね。早めに全部食べてしまうんだよ」
「ぜんぶ……たべるの?」
「砂糖を使っているから、置いておくとアリさんが来るからね」
くすっと彼は笑った。
「瑠璃は、卵にアレルギーとかなかったね?」
「たまご?」
「食べるとかゆくなるとか、ない?」
「だいじょぶ」
「それなら平気だね。砂糖以外にも、卵を使っているから……この黄色いのはミモザ」
「うん」
妖精さんの花だ。と瑠璃子は思った。
「太陽みたいな力を体の中に呼び込んでくれる。青いのは、すみれ。優しさと、優雅さをくれる。白とピンクは薔薇の花びら。薔薇も、心を優しくしてくれる花だよ」
「これ、まほうなの?」
「おまじないや、願い事に近いけれどね。瑠璃に幸運が来るように」
そう言ってから、彼は少し首をかしげた。
「でもたぶん、そんなに美味しいものでもないよ。味は砂糖だけだし。花びらも、紙みたいな感触だしね」
「そうなの?」
「アイスクリームにかけて食べたら良いよ。きれいだから」
それから彼は、「ぼくのことは、おじいちゃんや、おばあちゃんたちには内緒だよ」と言った。祖母の妖精嫌いは知っていたので、瑠璃子はうなずいた。
「あのね。るり、まいにち、ぱちぱちしてるよ」
そう言うと、目を丸くする。
「どうして?」
「まりこせんせいが、いってたの。ようせいさんを、しんじてるって、ぱちぱちしたら、けががなおるんだって。おにいちゃん、けがしたら、るりがぱちぱちするからね?」
彼は少し、驚いたような顔をして。それから「ありがとう」と言った。
「瑠璃がそうしてくれているんなら、ぼくはきっと、何があっても大丈夫だ」
「ほんと? ななちゃんも、してるよ」
「ともだち?」
「うん。ようせいさんが、だいすきなの」
「ななちゃんにも、ありがとうって言っておいて」
「うん」
良かった。そう思いながらうなずくと、彼は瑠璃子の頭をなでた。
「もう行かないと。みんな待ってるよ」
「あ、そうだった……ありがとう、みもざのようせいさん!」
そう言って、遠くに見える列に向かって慌てて走る。途中振り返ると、彼は萩の花の下でこちらを見ていた。その姿がふっ、と消えてしまうのを見て、瑠璃子は立ち止まった。
やっぱり妖精だったんだ。
揺れる萩を眺めながら、瑠璃子はそう思った。
花の砂糖漬けは、彼が言った通り、あんまりおいしいものではなかった。見た目は綺麗だけれど、ちょっとじゃりじゃりしていて、砂糖の味ばかり。口の中に入れると、砂糖が溶けた後に、もそもそした感触が残った。いつも良く食べている、キャンデーやドロップとは大違いだった。
でもきっと魔法があるんだ、と瑠璃子は思った。
祖父母には内緒にして、奈々ちゃんの所に遊びに行く時に持って行った。
奈々ちゃんは話を聞いて、ものすごくうらやましがり、でも瑠璃子が「あのね、みもざのようせいさん、ななちゃんにも、ありがとうって言ってたよ?」と言うと、すぐに機嫌を直した。
「やっぱり、良かったんだ。ぱちぱちするの」
「うん。ずっとやろうね」
二人でそう言って笑って、奈々ちゃんは、花の砂糖漬けをアイスクリームにかけようと言った。奈々ちゃんのお母さんに頼むと、真っ白なアイスクリームを持ってきてくれた。
「あら、何これ? お花の砂糖漬け? まあ。ステキ」
奈々ちゃんのお母さんは、びっくりして花を見た。
「全部使って良いの?」
「おいておくと、アリさんがくるって」
「ああ、そうね。砂糖だものね。わかったわ。綺麗なガラスのお皿に入れてあげる」
元々、そんなにたくさんはなかったので、全部を使い切った。奈々ちゃんのお母さんは、綺麗なガラスのお皿にアイスクリームを乗せて、花の砂糖漬けを上にかけてくれた。黄色や青やピンクの花が、アイスクリームの上で花畑みたいだった。三人できゃーきゃー言った。
「すごーい。まほうみたい」
「ほんと。ステキ。食べるのもったいない」
「すごいねー」
三人でわいわい言って食べた。アイスクリームと一緒に食べると、もそもそした感触もそれほど気にならなかった。奈々ちゃんのお母さんは何だかとっても喜んでいて、「瑠璃ちゃんのおばあちゃん、器用ねえ」と言った。この花の砂糖漬けを、英恵が作ったと思ったらしい。本当の事は言えないので、瑠璃子は黙っていた。奈々ちゃんも黙っていて、二人で「ないしょ」の顔をした。
そうやって食べたお花のアイスクリームは、魔法みたいな味がした。
その後で、瑠璃子は英恵から叱られる事になった。奈々ちゃんのお母さんが、花の砂糖漬けの事を、祖母に話したのだ。英恵はびっくりして、それは自分が作ったのではないと言い、奈々ちゃんのお母さんから詳しい事を聞き出すと、瑠璃子を呼んで、誰からそんなものをもらったのか、と尋ねた。
どうしたら良いのかわからなくて、瑠璃子は黙ってうつむいていた。
英恵は答えない瑠璃子にじれて、色々と言ったが、妖精さんのお兄ちゃんを困らせたくなくて、瑠璃子は黙っていた。とうとう英恵は怒りだし、瑠璃子を叱りつけた。
「なんて強情な子なの! やっぱりあの女の子どもだ、可愛げのない!」
怒鳴ってから、英恵は瑠璃子をたたいた。たぶん、強くたたくつもりはなかったのだろう。けれど意外に勢いがついてしまい、瑠璃子はひっくり返った。瑠璃子もびっくりしたが、たたいた祖母の方もびっくりしていた。目を丸くして、体を強張らせていたから。
ひっくり返ったまま、瑠璃子は祖母を見上げた。頬が熱くて、じんじんした。
「そんな目で……あんたは……、あんたのせいで、うちの家は!」
そうわめくと、祖母は瑠璃子から顔を背けた。床を踏みならすようにして立ち去る。
瑠璃子は、ひっくり返ったまま、頬にそっと触れた。痛い、と思った。
その後の英恵は、いつも通りだった。夕食の席では瑠璃子は萎縮してしまい、下を向いてばかりだったが、英恵はいつも通りにふるまい、うまく箸が使えない瑠璃子に、練習しなさいよと言った。祖父である肇は何も気づかず、黙々と食べていた。父である太郎は、いつもと同じで帰りが遅かった。だから何かあったとしても、わからなかっただろう。
二、三日、瑠璃子は英恵の目を避けて、下ばかり向いていた。けれど英恵があまりにも普通に振る舞うので、大丈夫なのかなと思うようになった。それでも花の砂糖漬けを誰からもらったかは、決して言わなかった。全て食べてしまったが、あれは瑠璃子にとって、魔法のお菓子だった。魔法が本当にあるのだと、妖精は本当にいるのだと、そう思える証拠の品だった。けれど魔法や妖精は、祖母には言ったらいけないものだ。だから言わなかった。言えなかった。
そうして、ミモザの妖精さんからもらったハンカチは、瑠璃子の宝物になった。
次に出会った時は、幼稚園の中ぐみさんになって、しばらくしてからだった。
春の遠足にみんながはしゃいで、動物園の中を歩いていた。外で食べるお弁当に大満足だった瑠璃子は、奈々ちゃんとキリンを見ていた。
「おおきいね」
「くび、ながいねー」
黄色いキリンは、絵本で見るよりずっと大きくて、びっくりだった。
「そろそろ帰るよ〜。みんな集まって!」
ようこ先生が大きな声で言って、みんな急いで集まった。
「牡丹組さん、ちゃんといますか。名前を呼ぶから返事してねー。うだ しんやくん。えのもと こうじくん。かわたに みつるくん」
名前を呼ばれるたび、「はい」「はい」と声がした。
「あいたに ななちゃん。かがわ みちこちゃん」
「はい」
「はーい」
瑠璃子の名前は終わりの方だ。ちょっと退屈して、でも瑠璃子は呼ばれるのを待っていた。
「しまたに あやちゃん。すどう れいこちゃん」
ふと、視線を感じて。振り向くと。木の影に彼がいた。
「やまなか るりこちゃん」
「るりちゃん! よばれてるよ」
思わずそちらを見ていて、名前を呼ばれたのに気がつかなかった。奈々ちゃんにつつかれて、あわてて「はいっ」と言うと、ようこ先生がちょっと笑った。
「どうしたのかな? 瑠璃ちゃんは」
「えーと、えと」
どうしよう、ともじもじしていると、ようこ先生は、「おトイレかな?」と言った。
「がまんしないで、行ってきた方が良いね。他に、おトイレ行きたい人いませんかー?」
「はーい」
「ぼくも行きたいー」
他の子たちが手を上げた。ようこ先生は、「じゃあ、みんなはここでちょっと待ってようねー。りりか先生、連れて行ってもらえますか?」と言った。
「はい、じゃあ、おトイレ行きたい人はあたしと一緒に行こうねっ」
りりか先生が笑って言った。何人かの子が走り寄り、瑠璃子はもう一度木の影を見た。
ミモザの妖精のお兄ちゃんは、いなかった。
(さっき、いたのに……)
どうして消えてしまったのだろう。
家に帰ってからぼんやりしていると、祖母が「おやつあるよ」と声をかけてきた。牛乳かんだった。甘くて美味しい。
ぼーっとしながら食べていると、何だか眠くなってきた。
「瑠璃子。食べるか眠るかどっちかにしたら……ああ。今日はたくさん歩いたみたいだし、疲れたんだねえ」
そうなのかな?
呆れたように言う英恵に、瑠璃子はがんばって、もう一口食べた。その後の記憶がない。寝てしまったのだ。
ふと目が覚めた。こち、こち、と時計の音がした。
暗い。
静かだった。夜だ。
ふと、何かがいると思った。横を見ると、黒くてもっさりしたものがうずくまっている。
何だろう。
疑問に思うと同時に、それが動いた。瑠璃子の方にのしかかってくる。
重い。
ぎゅうぎゅうとのしかかられ、瑠璃子は慌てた。重くて動けない。苦しい。
逃げようと思ったが、体が動かなかった。黒い何かはぎゅうぎゅうと瑠璃子を押さえつけ、首に手を回してきた。
重い。
苦しい。
いやだ……!
そう思っていたら、不意に。体が軽くなった。
ひゅん。
何か、風を切る音がして。それはあっさりと消えた。代わりにそこには、ミモザの妖精のお兄ちゃんがいて、ちょっと怖い顔をしていた。
「この子に手を出そうなんて、良い度胸だ」
むっとした顔で、妖精のお兄ちゃんは言った。手に、何か剣のようなものを持っていた。
瑠璃子がぼんやりそっちを見ていると、妖精さんは剣をしまって、かがみ込んできた。
「妙な気配があったから、見に来た。怖い思いした?」
「だいじょぶ。ようせいさん……どうぶつえんにも、いた?」
見上げて尋ねると、ミモザの妖精さんは少し笑った。
「見えてたんだ。あそこ、力のある木がなくて。うまく実体化できなかったんだけど」
良くわからなかった。
「瑠璃の所に、変なものがやって来るって、教えてくれた人がいてね。だから気をつけて見ていた。ああいうもの、良く来るの?」
その言葉も良くわからなかった。ただ、あんなものを見たのは初めてだったので、首を振ると、「そう」と言われた。
「曲がりなりにも、ばあちゃんの孫だもんな……何か守りをつけておいた方が良いかな」
少し心配そうに言われ、瑠璃子はちょっとまばたいた。
「おばあちゃん?」
「何でもないよ。朝までお眠り」
そう言って、頭をなでてくれた。なんだか安心してしまって、すうっと眠った。朝になると、妖精さんはいなくなっていた。
でも頭をなでられた感触は、ずっと残った。
クリスタライズド(砂糖漬け)。砂糖菓子、とも和訳されます。卵白を塗って、砂糖をまぶしたもの。砂糖がキラキラして綺麗に見えます。
ミモザは香料にもされている、春の花。砂糖漬けの花は、ネットで検索してみたら、クリスタル・フラワーという名前で売っていました。ケーキやアイスクリームの飾りにします。




