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掛け替えの無い君に

作者: 春 剋冬

お読みいただき有り難うございます。

 君が息を引き取った時、僕は仕事中でした。

 母が電話を入れていたのに気付いたのは、仕事が一段落して一安心した五時間後のことでした。


 ゴメンね。もっと早くに気付けたら良かったのにね。


 母は泣いていました。食事をとる気力もありませんでした。

 僕は泣きませんでした。食事をとることも出来ました。


 僕は冷たい人間なのかなって思いました。



 家に帰って来たら、君の抜け殻はまるで寝ているみたいでした。

 苦しそうにしていたあの時と違って、信じられない程に安らかな顔でした。


 お気に入りのマットの上で体にタオルを掛けられた君は、今にも寝息が聞こえてきそうで、タオルが呼吸に合わせて上下しているような幻覚さえ見えました。


 でも足や尻尾はもう硬くなっていて、綺麗に閉じられた口は触れても息をしていなくて、・・・・・・それでもやっぱり信じたく有りませんでした。


 次の日、君の抜け殻はやっぱり抜け殻のままで、現実を認めない訳にはいきませんでした。



 だから僕たち家族は、君の抜け殻を市が運営する火葬場に連れて行く事にしました。


 抱き上げた時、力が抜けきって普段より重く感じる体と鼻につく匂い、君の鼻から垂れ落ちた血は、君の先輩だった子を抱き上げて連れて行った時と同じで、胸が苦しくなりました。


 それでも僕は泣きませんでした。母が代わりに泣いてくれていたからかもしれません。


 火葬場に着いたら、ある程度数が揃わないと火葬出来ないと言われて、君の抜け殻を置いて帰る事になってしまいました。

 正直、ガクッときました。君の先輩は直ぐに火葬してもらえたのに、君の場合は家に帰ってくるまでに一週間かかるそうです。まぁ、お役所ですからね。


 君の居なくなった家に帰ると、そこは他人の家のようでした。

 君がよく寝ていた場所、君のご飯と水を置いていた場所、それが無くなっただけで家が広く、寒々しく感じました。


 なんだかジッとしていられなくて、自分の部屋の掃除を始めました。

 掃除機をかけると、君が家中に巻き散らかした君の毛がたくさんとれました。

 現金な事だとは分かっていても、我が家の悩みの種だったソレがとても愛おしく、捨てる事が辛くなりました。


 ふと時計を見ると、君を散歩に連れて行く時間でした。

 分かっていたはずでした。君と散歩に行く事はもう無いと。

 それでも体は当たり前に散歩の支度を始めようとしていました。

 ちょっと情け無くなりました。


 それからしばらくの間は、特に意味も無く本棚の本を並び替えたりした後、普段よりも早く風呂に入り、部屋に戻ってくると、


 突然、涙がこぼれました。何で今頃と声を出す事も出来ないほど泣きました。


 こんな事は初めてでした。君の先輩だった子が死んだ時も、僕の父親が死んだ時もこんなには泣きませんでした。

 僕はようやく気がつきました。僕は君に支えられていたんだと。守ってもらっていたんだと。

 一日経って、僕はやっと君を喪った事を理解出来たのです。


 それから幾日かが過ぎました。

 君の居なくなった世界は、腹が立つほど平常運転です。


 勿論、それが当然なんだとは理解しています。

 今この時にも世界の何処かで誰かが死んで、僕と同じような悲しみを抱えて日々を生きている誰かが居るはずなのです。


 それでもやっぱり悲しいのです。この世界に君がいない、という事実はとても、とても、悲しいのです。

 ふと、口をついて出た歌に君を思い出して泣きながら歌った事もありました。

 散歩をしている人達を見て、君との散歩を思い出して涙が溢れた事もありました。


 さらに幾日が過ぎて、君の遺骨が戻ってきました。骨だけになった君は、なんだか質の悪い冗談にしか見えません。おまけに、市が用意した骨壺が非道い。プラスチックの容器なんです。君の先輩はちゃんとした陶器の骨壺だったのに。

 可哀想なので骨壺を買って入れ直してあげることにしました。


 またさらに幾日が過ぎてきますと、悲しく思う気持ちは随分と薄れてきました。


 最近では君の居ない事が夢なのか、君の居た事自体が夢だったのか、分からなくなってきてしまいました。

 人間とは慣れてしまう生き物で、最近はすっかり君の居ない生活にも慣れてきてしまいました。

 それでも習慣とはなかなか変えられないモノで、家から帰ると君の顔を見るためにリビングに向かう自分が居ます。

 母も君の居ない家に一人居る寂しさは相当に辛いようです。


 ・・・だから、っていうのも酷いですが。


 ゴメンナサイ。僕達は新しい家族を、君の後輩を家に連れて来る事にしました。


 君は本当によい子でした。とても大人しくてイタズラをしない子でした。

 後輩君はちょっとイタズラっ子みたいです。家に傷を付けないで欲しいと思います。


 君は鳴かない子でした。鳴かなすぎて心配になる程でした。

 後輩君はどうなんでしょうか。最初見た時は静かでしたが、どうなるんでしょうね。


 それでも、我が家はきっと賑やかになるでしょう。君が我が家の中心で有った時のように。

 彼は僕達の寂しさを埋めてくれるはずです。君と同じように。


 だけどね。やっぱり彼は彼であって、君では無いんです。


 掛け替えの無い君はもう居ないんです。想い出の中にしか居ないんです。もう会いたくても会えないんです。

 それは、とてもとても悲しくて寂しい事なのです。


 嗚呼、掛け替えの無い想い出の君。


 僕達はこれからも生きていきます。新しい家族を迎えて歩いて行きます。君の居ないこの世界を。


 いつか君に会える日が来る事を信じています。


 だから、それまでは・・・おやすみなさい。

 今まで本当に・・・ありがとう。



 

 


 

 

 

 




















有り難うございました。

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