09話
意識を取り戻したのは、赤ゴブリンとの戦闘から3日経った日の昼間だった。
全身が鉛でも付いてるんじゃないかと思うほどに重く、起き上がるのにも一苦労だ。
「あ゛ぁ……ぁ゛……ぁぁ…………!!」
カラカラに乾いた喉から皺枯れた声を上げながら上半身を起こす。
寝てたとはいえ3日間何も飲み食いしていなかったので、異常なほどの空腹と渇きを感じた。
すぐさま空間収納からパンとお茶を取り出すと、勢いよく食べ始める。行儀など意識する余裕もなかったので、非常にきたない食べ方だ。
3分と経たず食事が終わる。
すると体に少し力が戻ったのか、全身にかかっていた体の重さが幾分かましになった。
「あー、腹いてぇ」
急に食べ物を食べたからかお腹が痛くなる。
(あれ……!?)
はっ、と自分が普通に声を出したことに気づく。
赤ゴブリンとの戦闘で頬の筋肉が削げ落ちて喋れなくなっていたのだ。
もう一度声に出してみる。
「あ、あ、あ、あー。あいうえお」
(おぉ、ちゃんと喋れるように戻ってる……!)
思えば食事も普通にできていたので、頬の肉は元に戻っているはずだったが、それでもきちんと声が出ると安心する。
今まで自己修復で治った傷は骨折や切創など、欠損の生じないものだった。しかし今回は肉とはいえ体から完全に切り離されたので、元通りに治るかどうか心配だったのだ。
(相変わらず自己修復はすげえなあ………)
自己修復の有能さに感謝する。
きっとこの能力がなければ、俺はとうに死んでいたはずだ。
(これからもお世話になります、っと)
そう心の中で呟くと地面から立ち上がり、少し遠くに落ちているバットを拾いに行く。
だが一歩目を踏み出した時、足元にあった何かを蹴飛ばしてしまう。
だいぶ小さいもののようで、石畳の上を転がっていったそれを目を細めてよく見る。
(んん……? ……あぁ、あれか……?)
蹴飛ばしたものの正体が分かった俺はそれへ近づいていく。
拾ったのは黒いガラス玉。濁った赤色の輪が1つ絡まっているが、おそらくは宝箱から出てきたものと同じなのだろう。
軽く指先でいじっていると、やはり光の粒子となって体の中に入ってきた。しかし、今回は絡まっていた赤い輪も一緒に体に入ってくる。
恒例のめまいが俺を襲い、頭の中に情報が流れてきた。
入ってきた情報に意識を傾けると、今までのものとは少し趣の違うものだとわかる。
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格闘術の心得
武器を用いない戦闘の知識を得る。
少しの訓練と実戦を経験することで、ある程度のレベルの格闘術を会得できるだろう。
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「なるほどな……。拳だから武器の代わりにってことね……」
手に入ったのは能力ではなく知識だった。
おそらくは、赤ゴブリンが使っていたと思われる格闘術と同じものの。
知識を確認すると、きっとそれはゴブリン用の格闘術なのだろうことがわかる。
体格が違うので少しの調整は必要そうだが、これから役に立ってくれるのは間違いないだろう。
ひとまず、格闘術は帰り道のゴブリンで試そうと心に決め、バットを回収しにいく。
そしてバットを空間収納に入れると、帰るか、と何もなくなった部屋を扉に向けて歩いていく。
一瞬、反対側の扉の奥に見えた第3層へ続く階段に興味を引かれたが、このボス部屋に入った時のことで、好奇心は猫を殺すということわざを思い出し、今日はおとなしく帰ることにした。
帰り道、ゴブリン相手に格闘術を試していると、不調のわりに体がよく動くので違和感を覚える。
(なんだ、この気持ち悪い感覚……調子悪いのに調子いいみたいな……、いや意味わかんねえけど……)
一向に解消されない違和感に耐えながら進み、ようやくその可能性を思いついたのは、家に続く扉のすぐ前だった。
「もしかして位階か……? ……ステータス」
最後に位階が上がってから一度も開いておらず、完全にその存在を忘れていたのだ。
久しぶりに見たステータスに表示されていたのは、予想通りだったがいろいろと予想通りではないことだった。
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名前:内田千秋
位階:10
技能:空間収納E
特性:自己修復C、不眠D、高速処理F
称号:階層ボス単独撃破者
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まず予想通り、位階は上がっていた。しかし、一気に2つも上がっているとは思っていなかった。
おそらく、一気に2つ位階が上がったことによる身体能力の上昇が、体の不調と相まって俺に違和感をもたらしていたのだろう。
そして次、称号なんていう欄が増えている。
赤ゴブリンを単独で撃破したことで入手した称号のようだが、何か効果があるのだろうか?
まあ、考えたところでわかるはずもないんだが。切に鑑定能力が欲しくなってくる。
最後は空間収納だ。ぱっと見では気づかないが、よく見るとランクがFからEに上がっていた。
原因は何なのか。位階が上がったからか、よく使っていたからか。もしくは時間経過という線もある。
これに関しては他の能力にも関係がありそうなので、きちんと考える必要がありそうだ。
とりあえずは、家に帰ってどれくらいまで入るようになったのか試してみよう。
家への扉はすぐそこなので、早速家に戻り検証を開始した。
家の中にあるものを体重計で測ってどんどん空間収納に入れていく。
結果、10倍の100kgまで収納できることが分かった。
これだけ入れば涙ながらに置いていくことになった盾のような悲劇はそうそう起こらないだろう。
風呂に入り、洗濯物を洗い、再びお腹が空いたのでご飯を食べる。
食べ終わったところで食材の残りを確認すると、もうほとんど残っていなかった。
思えば卒業式の日から一度も外に出ていない。
食料がなくなるのも仕方ないだろう。
「……行くか……」
折角なので、食材を買い込むほかにジムにも行くことにする。
家から出ていないので、洞窟の外での身体能力がどうなっているかわからないのだ。
着ていたジャージはまだ乾かしている途中だったので、中学の指定のジャージを着て外に出る。
久しぶりの外の空気は、やけに澄んでいるように感じられた。
「500円ね、……はいどうも。通っていいよ」
家を出た俺はまず、ジムに向かった。
今日は日曜日なので施設の使用料を受付のおばちゃんに払い、ジムの中に入る。
そして1時間後、測定が終わった。今回は時間が余ったので、1500メートル走も追加して測った。
結果はこうだ。
握力 43.2kg→44.3kg→54.2kg
50m走 7.20秒→7.09秒→6.32秒
立幅跳び 221cm→222cm→287cm
ソフトボール投げ 26m→25m→48m
1500m走 6分48秒→4分47秒
前回測った時とは違い、はっきりとした身体能力の上昇がわかる。
洞窟内のように世界記録を超えるようなものは出せないが、学校のクラスでならトップを狙えそうなものがいくつかあった。
ちなみに1500メートル走は中三の春に取った記録のみとの比較だ。
(すげえなぁ……俺でこれなら元から運動得意なやつが位階上げればヤバいことになりそうだな……)
世界記録更新も余裕じゃねえか、そう思ったが、位階を10に上げるまでに何回か死にかけていることを思い出し、そう簡単な話でもないかと結論づける。
また、これ以上上がった身体能力を人に見られるのもまずいと判断し、今回でここに来るのはやめることにする。
最初は楽しく感じたが、本当は洞窟の外での正確な身体能力を把握する必要などないのだ。意味もなく目立つような行動は慎んだほうがいいだろう。
余った時間で少しトレーニングした後ジムをでる。
その後はスーパーに向かい、2週間分の食材と保存のきく食べ物をたくさん買い込んでいった。
家に帰ると、空間収納に水を50L、保存食を15日分入れる。
他にも必要そうなものを手あたり次第に入れていくと、20キロ分の余りを残して空間収納に収まった。
それからは特にすることもないので、夕食を食べ終わると早くに寝る。
そして次の日の朝、ジャージの上に宝箱からでた灰色のローブを羽織り、俺は地下室の扉の前に立っていた。
「遠征だ……!!」
徒歩2時間、たいして遠くもない洞窟第3層への遠征が、始まる。