訪問者
無事に外出許可をもらったヘリオスは、イエール共和国の表向きはデルバー先生の店にやってきました。
店主ラモスは語ります。
「いらっしゃい。何ぞ、お探しですか?」
この言葉は、一番初めの挨拶。
これなしで、何もしゃべられへん。
わしはそうやってこの店を任されとる。
それがどんな相手であっても、これだけは譲れへん。
「ふふ、ラモスさん。相変わらずですね。僕です。ヘリオスですよ」
そうやとは思ったけど、見違えたわ。
思えば、この美少女のような少年に会って、一年と少ししかたってない。
それが、こんな変わるもんなんやろか。
見た目や無い。
何って言ったらええんかわからんけど、とにかく別人みたいや。
「いや、わかっとります。そないにぼけてません。まあ、挨拶みたいなもんですわ。でも、髪を伸ばしはったんですか? 以前よりも何というか、えらいきれいになったというか……」
わしは自分の気持ちに素直に言えるようになっとった。
お世辞ととらえられるかもしれんけど、まあ、そんときは、そんときで、ええ。
話のネタになるはずや。
会話のキャッチボールやったかいな。
ヘリオスさんに教えてもろたことや。
しかし、この人からわしはいろんなことを教わったわな。
わしの中で、言葉としてしっかりと言えなかったことを、この人は教えてくれはった。
「ふふ、ありがとです。僕がどうつなげるか予想してましたか?」
楽しそうに笑うヘリオスさんは、本当にかわいらしい感じだった。
しかし、こないに早く降りられたら、わしとしてもまけられん。
「いや、今日は何ぞ急ぎの用があるんかと思ってましたから。わしと遊んでくれんのじゃないかいと思ってましたわ」
精一杯、悲しそうなふりをしてみた。
「うまいですね。そんな顔されたら、気になりますね。いやいや。さすが生粋の商売人にはかないませんな」
きた。世辞攻撃がきた。
降りたと見せかけて、攻めてきはった。
商売は、まず相手にうれしい思いを持ってもらう。
楽しいと思ってもらう。
興味を持ってもらう。
これが初手やと言いはった。
世辞はこれにあたる。
相手に嫌な思いをさせん。
おもてなしが必要なんやと。
ただし、過度なもんは逆効果や。
適度な押しと引きが大事ということやった。
「まあ、ヘリオスさんにすべて教えてもらったからですわ。こうしてまたお会いできたのも何かの縁。わしはこの縁を大切にしたいと思っとります」
わしも負けれてられん。
飛び切りの笑顔で畳み掛ける。
「そうですね。僕もそう思います。ラモスさん。あなたに会えてよかった」
あかん。
その笑顔は卑怯やわ……。
「すんません、まいりました……」
素直に負けを認めます……。
そんな笑顔を向けられたら、わしなら何でも買ってしまうわ。
自分の武器を最大限に利用した攻撃をしてくる。
ホンマ、この人にはかなわんわ。
今もにこやかに笑うヘリオスさん、ホンマたいしたもんやで。
これで十五歳。
末恐ろしいやったか、まさにヘリオスさんにこそふさわしい言葉やで……。
「ほな、本題に入りましょうか。奥に用意させてもろてます」
もろた手紙の内容で、場所だけはしっかり用意させてもらいましたわ。
「大して内容のない手紙でしたが、さすがですね」
ヘリオスさんはその笑顔を崩してへんかった。
わしの行動も予想通りなんやろな。
手のひらで踊っとる感じやけど、それでも気持ちよく踊ってる感じやわ。
何ぼでも踊ったるで!
そんな気分にさせてくれはる。
「あ、そうだ。議員当選おめでとうでございます。でも、嫌な役を任せてしまってすみません」
改まって頭を下げて謝罪してはる……。
普通、議員当選はおめでたいはずやろ。
それを嫌な役やといいはる。
議員になるっちゅうのは、この国の中枢になるちゅうことや。
商人として認められた証やな。
でも、この人はわしのことをよく知ってはるんやな……。
あん時の事、覚えていてくれだるんや……。
初めておうた頃を思い出すわ……。
あん時のわしは、ホンマにあかんたれやったわな。
いつの間にか汚いことかさねて、この手はすっかり汚れてしもとった。
商売人が政治に口出ししたら終わりや。
オヤジにそう言われとったけど、わしは思いっきり政治にかかわった。
そんで失敗した。
誰も信じれんようになった。
何をしたらええのか、わからんようになった。
何を話してええのか、わからんようになった。
何を信じてええのか、わからんようになった。
ただ、悶々とした気持ちだけがわしの心に住みついとった。
そんなすさんだ気持ちで街を歩いているときに、困ってるこの人をみたんや。
あん時、普段のわしやったら、何もせんかったんやとおもう。
別に容姿に惑わされたんとちゃう。
あん時はフードもかぶっとったしな。
まあ、ちょっとその顔が見えたんは確かやけど。
でも、なんや。
こう、気持ちが動いたんやな。
「何ぞ、お探しですか?」
それが、わしがヘリオスさんにはじめて話しかけた言葉や。
あん時は、単に道を探してただけやった。
「案内しましょか?」
なんでなんやろうな、気付いたらそうゆうとった。
たぶん、ほっとけんかったんや。
あのなりでは物騒やからかもしれんけど、ようわからん。
歩いとったら、自然と会話になるわな。
ここはどういう道やとか、あそこは物騒やとか。
わしの知っとること、全部話しとった。
人に気分よく話させる。
この人ともっと話がしたい。
いつの間にか、そう思っとった。
この人はホンマにえらいわ。
「ありがとう、たすかりました」
最後にそう言って、お礼を言うこの人の言葉に、わしの心は救われたんや。
あん時のこの人の顔は、そのまんま今の笑顔や。
さっきまで悶々としたもんなくなって、すっきりした気分になっとった。
わしは商売の原点を、あの笑顔で思い出したんや。
「ありがとう」
この言葉聞くために、わしは商売はじめたんやった。
一から出直しや。
そう思った出会いやった。
しばらくして、わしの店にヘリオスさんが訪ねてくれはった。
いつぞやの話を、覚えてくれてはったみたいやった。
わしみたいな平凡なオヤジはどこでもおるけど、ヘリオスさんは一回見たら忘れられん。
そんな人がわしを訪ねてくれたのには、正直おどろいたわ。
「商売の話をしましょう」
この人はそう切り出してきた。
わしが興味を持ったことを、一目で見抜いたんやろな。
あとはこの人に乗せられて、今に至るわけやけど……。
今回もそうなるんやろうな……。
それから後になって、いきなり議員になってくれませんかという言葉には、驚いたけどな。
そこまで、このわしをかってくれはるんなら、とことん行きましょう。
正直、この人のためやったら何でもやる。
今も、その気持ちは変わらんつもりや。
世間ではわしのことを成功者やとかいうけど、それは半分しかあってない。
わしは、この人との出会いが幸運であり、成功やと思う。
この人とわしを結んだのは、たった一つ。
「何ぞ、お探しですか?」
という、わしの心やと思っとる。
そしてこの人から教わった言葉は、わしの店でも大きく掲げさせてもろうた。
売り手よし
買い手よし
世間よし
だから、世間をよくするために議員も引き受けた。
前に失敗した時のような考えとちゃう。
だから、気持ちよくやらせてもらっとるんや。
「まあ、議員は世間に奉仕する一環ですわ。ヘリオスさんは気にせんといてください」
精一杯の笑顔を作る。
まあ、世間というよりも、本当は全部ヘリオスさんのためやけどな……。
決して言えん。
それは、こっそり思っとくことや。
「ありがとう」
ヘリオスさんの笑顔は、そんなわしの心にしみわたるわ。
きっと今のわしは、しまらん顔しとるんやろな……。
そんな顔見られとうない。
わしは先頭に立って、廊下を歩いていくことにした。
*
「ほんまですか?」
ヘリオスさんの話を聞いて、わしは思わずそう聞いてしもた。
大まかな事情は分かるし、この人のいう事やから間違いはないんやろうけど、わしみたいなもんは、にわかに信じがたいことやで……。
「ええ、たぶん近いうちに僕に会いに来る人がいます。その人はこの世界を裏から操作して、世間に戦乱を巻き起こすことで、利益を得ようとするでしょう。だから、その人と僕は会おうと思ってます。その仲介をお願いしておこうと思いました」
普通に怖いことを言うお人や。
世界を裏から操作?
戦乱を巻き起こす?
一介の商人にそんなことが可能なんやろうか?
そんなわしの疑問は、思いっきり顔に出てたんやろな……。
ヘリオスさんはにっこりとほほ笑んできた。
「可能ですよ。たとえばある国が戦争をしたいと思うように仕向けるには、一つはその国を経済的に追い込むことです。例えば、アウグスト王国に塩の供給を止めて、岩塩採掘場を破壊すれば、どうなります?」
ヘリオスさん自身がそうならないためにしてきたこと、その逆を言ってきはった。
たしかに、そうなるとアウグスト王国は周囲に塩を求めることになるわな。
一番簡単なのは、イエール共和国に侵攻することやろう。
けど、そんなん他の国が黙ってないわ。
それが戦乱っちゅうことか……。
国家にしても、個人にしても、結局争いというものの原点は同じなんやな……。
「なるほどです。それで、その人物は目星がついているのですか?」
この人は何でもお見通しやから、たぶんここに来た時点でわかってるやろ。
「ええ、たぶん。僕のことを調べていた人たちをたどっていくと、そこに行きつきましたので」
怖いことをさらりと言うお人や。
でも、この人のことや、何の不思議もあらへん。
「で、具体的にわしはどうすればよろしいんで?」
何となくやけど、顔つなぎだけやないんとちゃうやろか。
「知らんふりしてください」
一瞬あっけにとられた。
あいた口がふさがらんとは、このことやろう。
さっきは顔つなげって言いはったのに、今度は知らんふりやなんて……。
一体何を考えとるんや?
さっぱりわからん。
わしの顔がよっぽどおかしかったんかして、ヘリオスさんは声を出して笑っとった。
「すみません、言葉が足りなかったですね。二回目まで知らんふりです。のらりくらりとお願いします。それでその人の正体がわかります。僕がこの国に入っていることも、今ここにいることも、知ってるはずです。僕の予想が当たっていれば、僕の行動にも意味があることが分かります。物知りな人ほど何かあると思ってしまい、自然と自分の素性をばらしてしまうもんです」
ホンマ何考えとるんかわからんけど、この人はホンマに楽しそうやな……。
「そして、三回目はお昼寝中ですと言ってください。そうすれば待ちますと答えるはずです」
この人がとんでもなくすごい人やとわかってる。
でも、わしみたいな人間と、こんなに気さくに話してくれる人やとも知っとる。
だから、この人のためやったら、わしは何でもできた。
今回もこの人のためになんでもやったるで。
このラモス・ナーニワ。
ひと肌脱がせてもらいます。
*
それからしばらくして、その人物がやって来よった。
ナルセス・ベリサリウス議長
どえらい大物がかかりよったわ。
各地で不穏なうわさを耳にするようになりました。
この時期にヘリオスがここを尋ねた理由が会談の後明らかとなります。その前に、時間は少しさかのぼる予定です。




