アポロンの進撃
塔に潜入するアポロンです。
そこはうっそうとした森だった。
旧道といっても、もはや道ではない。
下草が絡み付いて、足を取ってくるようなところだ。
木々は空気の流れを止めているかのように、風はほとんど吹いてこない。
ただ日の光をさえぎっているだけましだった。
「くそ!」
思わず悪態をついてしまう。
周囲への警戒はしているが、この森からは何も感じない。
ただあるだけ。
取り残されたような、そんな感じだ。
「ええい、この!」
油断すると、足元をとられる。
外衣が引っ掛かる。
石だったり、枝だったり。
足元を確かめないと、バランスを崩す何かが転がっている。
歩くことに集中しないと、歩けないとは思わなかった。
「まったく、アイツら早々と楽しやがって」
文句を言う矛先が違うことなど百も承知だ。
森に入った途端、ノルンとベリンダは何かさけんで、俺の中に消えていった。
俺はオヤジと一緒で、精霊をその身に入れることができる。
それを勝手に利用された。
それはいい。
でも、何かあったのか尋ねてみても、返事すらしない。
まあいい。
そのおかげで、あの目と態度を見なくて済んでいるのだから。
しかし、俺一人大変な目に合っているのも釈然としない。
「また引っかかった……」
外衣を丁寧に枝からとる。
歩きにくい原因でもあるけど、この温度調整の外衣がなければ、もっと不快な思いをしたに違いない。
そう思うと、この外衣を贈ってくれたオヤジには感謝しかないな。
「でも、この気持ちも今は伝わらないな」
感謝の気持ちを持ったとしても、俺の気持ちは伝わらない。
伝えようと意識すればできるだろうが、今の俺はすべての情報を遮断している。
もう別にオヤジに報告する必要がないわけで、ここからは俺の判断で十分だ。
それは独断だったが、オヤジからの連絡はない。
おそらく黙認しているのだろう。
それすらもオヤジの掌の上のような気がしていた。
まあ、どうせ俺のためとか思ってるんだろうな。
オヤジが言うには、オヤジの知識は与えられただけの物らしい。
言わば、本がそのままの形で本棚に入っているだけだと。
本がある。
何が書いてあるかも知っている。
そう言う状態らしい。
そこに俺の体験が加わることにより、その知識を使えるようになるのだという。
「知っていることと、使えることは違うんだよ」
オヤジのその言葉を思い出す。
わかっているさ。
その瞬間、反射的にそう思った。
例えばこの森にしてもそうだ。
森には下草が生えている。それを踏みしめながら歩くのは大変だ。
そういう知識はある。
しかし、それがどの程度大変なのかということまでは知らなかった。
オヤジは体術を学んでいた。
俺はそれがない。
この違いは、今苦労している俺が一番よくわかっている。
知っているのに体が動かない。
それは痛いほどわかっていた。
しかし、それも俺は乗り越えつつある。
もうずいぶん慣れた感じで進んでいる。
オヤジの知識を俺の体に覚えこまして、ようやく身についた俺流の歩き方だ。
ずいぶん時間を食ってしまったが、この分だと夜にはつくだろう。
「ちょうどいい」
思わず口にしてしまったが、誰かに聞かれた気配はなかった。
というよりも、この森には気配がない。
おかげで、歩くことに集中できている。
でも、歩きながら考える余裕もできてきた。
塔にはおそらく魔術結界がはってあるだろう。
種類が分からない以上、それを確実に破るには、扉から行くしかない。
陽動で何か注意を引き付けておいて、その隙に侵入する手口が最も効果的だろう。
そうなると、闇に紛れるのは都合がいい。
*
苦労してようやく、俺は塔が見える位置までやってきた。
塔の周囲はかなり切り開かれており、森からの奇襲に備えたもののようだった。
「さて、木を隠すなら森というらしいが、ここで自然なものといえば、獣か……。ならば」
召喚魔法をとなえて、ウルフの群れを呼ぶ。
そして、俺自身をウサギに変えて、ウルフに俺を追ってこさせた。
はたから見たら、追いかけているように見えるだろう。
このまま感知結界を突破して、塔の内部に侵入する。
ウルフどもはそのまま暴れさせれば一石二鳥というやつだ。
どうだ、オヤジ。
ちゃんと使いこなせているだろう!
***
「おい、あれはウルフじゃないか、こっちに向かってくるぞ」
「ああ、獲物を追ってるんだな。このままだとこっちも獲物になりかねんな。一応警告出して、俺たちも備えよう」
感覚増幅した俺の耳に、見張りたちが引っかかったことを告げる会話が聞こえてきた。
このまま直進して、奴らの間に滑り込む。そして塔の基部に潜り込む。
なんて簡単なんだ。
思わず笑みがこぼれてしまう。
この状況でウサギが取る顔ではないが、そもそもウサギの笑みなどわからないだろう。
見張りの間を走り抜け、ウルフたちに戦闘を指示した。
見張りと増援が、ウルフの群れに戦闘を仕掛けている。
作戦は成功。
自分の思ったように物事が進んでいる。
なんだかとっても気分がいい
さて、あとはゆっくりと、侵入口をさがすか……。
ウルフたちはある程度持ちこたえてくれるだろう。
そう思って、このままの姿で、まずは外周を回ってみた。
*
やっぱりウサギにはむずかしいが……。
塔の根元の部分で立ち尽くし、呆然と上を見上げる。
塔には外部からの入り口はなく、基部の内側からしか侵入できそうになかった。
内部の見張りは外に出ておらず、扉を開けた時点で見つかるだろう。
別に蹂躙してもいいんだが、ここまで侵入しておいて、結局力任せなのも格好がつかない。
せっかく黙って静かにしているアイツらに、あとでうるさく言われるのも癪だった。
このまま外壁をのぼって、塔の上に見えた天窓から侵入するしかない。
ウサギの姿から本来の姿になり、塔の外壁を登り始める。
石積みの塔で幸いだった。
注意さえすればよく、比較的楽に登れていった。
塔の天井部分にたどり着き、その天窓を静かに開ける。
思った以上に簡単。
素早くその部屋へと降り立った。
*
「こんばんは。お姫さま」
精一杯の演技をして挨拶をする。
囚われのお姫様を救出するには、それ相応の態度が必要だろう。
窓の前には、まさしくお姫様がいた。
物憂げな顔で外の景色を眺めている。
いや、実際にはどこを見ているのかもわからない。
窓からさしこむ月明かりが、その表情を一層幻想的に魅せていた。
「ヘリオスなの?」
口元に手を当て、ユノはその名を告げていた。
その声は透き通ったように美しく、喜びに驚きが混じっているようだった。
ほんの少し、痛みのような感覚が、俺の中で沸き起こっていた。
「そうだけど、そうじゃない。俺はアポロン。ヘリオスが生み出したヘリオスの魂を持つ存在だ。まあ、息子みたいなものと思ってくれ」
つい、反射的に名乗ってしまった。
いや、名前を告げたかった。
「そうなの……」
明らかに気落ちした声に、俺の気分は急降下した。
「そうだよ。あんたを助けに来たのはヘリオスじゃない。この俺。アポロンだ。いいか、ユノ。俺があんたを助けて見せる。オヤジじゃない。この俺が」
自分でも何故そう言いたいのかわからないが、声を荒げてそう宣言していた。
「なんだ、じゃあお前は本物ではないということか。どおりでこんな手にやすやすと引っかかるわけだ」
俺の背後から、いきなり男の声がした。
いつからいた?
そう思った瞬間、危険を感じて回避する。
「誰だ!」
体を回転させてそれをよけながら、声の正体を探る。
「ほう。まあ実力はあるようだな。だが、しょせん偽物。どうあがいても、この俺には勝てんよ」
そういって男の手から放たれた閃光と共に、なにかがおれの腹に突き刺さった。
「アポロン!?」
ユノの叫び声が部屋に響き渡る。
なんだろう、体が言うことを聞かない。
ちらりと腹をみても、何かが突き刺さっている様子もない。
「アポロンか。ヘリオスの分身といったところか。お前を見れば、案外ヘリオスも大したことないとわかるな。あのお方が気にする理由がわからん」
男はそういって、また閃光を繰り出した。
魔力充填のスピードが桁違いだった。
詠唱を省略しているどころではなく、一動作完了だ。
こいつは危険だ。
そう理解した瞬間、さっきから俺の中の感覚を現す表現を見つける。
危機感。
それがさっきからとめどなく、あふれるように湧いていた。
「ああ、言っておくが、これは魔法じゃない。これは魔銃という兵器だよ。まあ、一応教えておこう。あの世でせいぜい自慢するがいいさ」
男がそれを発動する前に、俺の魔法を発動させる。
「瞬間移動」
転移の刹那に見た男の顔、態度。
嘲りの表情を浮かべた男は、魔銃を構えてすらいなかった。
***
「くそ!くそ!くそ!くそ!」
怒りが俺を支配していた。
逃がされた。
こんな屈辱を受けるとは思ってもみなかった。
塔からそう離れてはいない。
これだけ騒げば、ひょっとしたら気づかれるかもしれない。
でも、追手を差し向けることなどしないだろう。
あの男は、俺が侵入していることを知っていた。
あの男は、俺の侵入を待っていた。
あの男は、俺を倒せるのに倒さなかった。
あの男は、俺をわざと逃がした。
しかもこの俺が、いいように利用されようとしている。
あの男は帝国の人間だろう。
おそらく、アプリル王国の状況が悪く撤退するのにユノを人質に使うつもりだ。
しかし、ユノが帰ったことはジュアン王国には伝わっていない。
俺は、その役目を押し付けられた。
俺がユノを見ている。
ヘリオスの姿をした俺がユノを追いかけることで、俺がユノを本物だと証明してしまう。
そして俺の失敗は、そのままオヤジを道化にしてしまう。
あの程度の傷など、たいしたことはなかったが、あの武器には魔力攪乱効果が働いていた。
撃たれた直後は、うまく魔力が集められない。
しかも、精霊の力を借りることもできなかった。
ノルンたちは俺の中で身動き取れないようだった。
冷静になってみれば、よくわかる。
見ようとしなかったから、見えなかった。
聞こうとしなかったから、聞こえなかった。
この森は、精霊の存在が抑え込まれている。
撃たれれば、魔力を集めるのに苦労する。
精霊の力は行使できない。
言わば、俺の大半の力が抑えられた状態。
しかし、そんなことはどうでもいい。
とにかく、どうにかしなければならない。
「今度は失敗しない」
油断していた。
慢心していた。
怒りの矛先を、しっかり自分に向ける。
そうすることで、俺自身の極めて冷静な部分が、この状況を分析し始めていた。
精霊の力は当てにできない。
それはこの森全体に広がっている。
ベリンダの言う違和感は、おそらくこれのことだ。
この現象を引き起こしている何かがあるはずだが、それを探し出している時間はない。
秘密裏に行うためには、この森を出られるとダメなんだ。
アイツらはさっさと森を出て、この俺とユノを世間にさらす必要がある。
お互いに時間との戦い。
俺にとっては森から出た方が精霊の力を使える分有利だが、森から出した時点で俺にとっては意味がなくなる。
魔銃よりも早く魔法を行使するには、オヤジのようにしなければならない。
意識下ではなく、無意識下で魔法を発動させることが必要なんだ。
しかし、それは今の俺にはできないことだ。
けれども嘆いている暇はない。
今はできないことではなく、できることを工夫する。
それが、今やるべき事だ。
ユノを助け出すには、ユノを保護する必要もある。
状況的にユノは魔法を封じられている。
最悪の場合、ユノの盾になりながら、魔法戦をしなくてはならない。
できるのか?
弱気な自分が、俺に問うてくる。
いや、違う。
できるのかではなく、やるんだ。
俺はそう強く言い聞かせる。
とにかく、上位保護結界を最大重ね掛けした状態で、やつよりも早く動く。
一瞬でもあいつの気をそらすことができれば、その隙をつけるはずだ。
はやく、そして確実に取り戻す。
そう、単純なことだった。
同時に、俺は大事なことを思い出していた。
俺はオヤジの知識を持っている。
あの魔銃。
根本原理は弾の射出。
その弾に、魔力拡散効果がつけられているに違いない。
それに対応すればいい。
やるんだ。
「俺がユノを救う」
もう一度、強く宣言する。
もう俺に迷いはなかった。
目的を取り戻したアポロンは行動を開始します。




