苦悩のアイオロス
苦労人アイオロスの物語です。
「なんてこった……」
わしは焦りを感じていた。
主であるマルス様から、なにがあっても気取られてはいけないといわれている。
そして、かならず精霊女王の結界石を破壊すること。
それが主命だった。
しかし、いま目の前に子供とゴブリンが対峙している。
子供は自分の主人の息子、ヘリオス坊ちゃんだ。
「なんでまた……。隠れていりゃいいのに……」
マルス様の子供とはいえ、ヘリオス坊ちゃんは剣の才能がない。
ウラヌス様から日々しごかれているが、あれはいわば憂さ晴らしに近いものだ。
それは屋敷の全員が知っていることだ。
しかし、だれもヘリオス坊ちゃんをかばわない。
自分に類が及ぶのを避けている。それはわしもそうだった。
マルス様には恩義と恐怖を感じていた。
マルス様が領地をもつ前は、一緒に冒険もした。
スラムで出会ったあの時から、わしはマルス様の執事として働いている。
しがない暗殺者のわしに対して、役割と居場所を与えてくれた恩人だった。
マルス様の周りにいるだけで、心が安心感でみたされる。
そんな人だった。
しかし10年前から様子がおかしい。
何がというわけではないが、人が変わったようだった。
そして仕事にへまして粛清された人間は数えきれない。
わしもそうならないとも限らない。
今は、そんな恐怖があった。
そう、今は恐怖が心を締め付けていた。
「しかし、風の精霊は守護してないのか?先ほどの竜巻で、はなれたのか?このままじゃ……」
そうしている間に状況はかわっていた。
油断しきっていたゴブリンは、毒の塗ってある短剣を落としていた。
「ほう……」
思わず感心してしまう。
動きはまだまだ拙いが、あれができるのは、さすがに血筋か?
それとも憂さ晴らしも、意外に役に立っているのかもしれない。
とはいえ、体勢を崩しているから、それ以上の反撃もできないようだった。
「しかし、決め手に欠ける。非力だと地力で負けるからな……」
相手は最下級の妖魔とはいえ、5歳の子供が、一人で相手できるものではない。
ウラヌス様ならともかく、ヘリオス坊ちゃんではかなうまい……。
「あまり親しくは接していないのが救いか……。せめてその目で焼き付けておこう」
暗殺者とはいえ、対象としてみていないものが殺されるのはあまりいい気がしない。
しかも、それが主人の息子であれば、なおさらだった。
気配を消し続け、わしはその様子を観察し続けた。
「なんだ?あれ、どうなった?」
わしは目の前で起こったことが信じられなかった。
結果として、ヘリオス坊ちゃんがゴブリンを倒していた。
ゴブリンの攻撃が入る瞬間に、ヘリオス坊ちゃんの右手がゴブリンの体に触れていた。
そのあとゴブリンは倒れている。
「わからん……どう報告すればいい……」
わからないことは、そのまま報告するしかないか。
そう思っていた時に、泉に異変がおこっていた。
「いよいよか……」
直感で対象が動き出したとわかる。それは長年暗殺者として過ごしてきた感だった。
そのまま体勢を低くして、獲物を待ち構えた。
「あれが泉の精。精霊女王か。そうすると……」
視線を動かし、周囲を探る。
「あれか……同じようなものだったな」
精霊石を何度も破壊しているだけに、同じようなものを察知することができた。
「あれが精霊女王の結界石だな……あれをこわせば……」
静かに気配を消して、それに忍び寄っていた。
視線は女王からそらさずに、気取られず機会をうかがう。
ヘリオス坊ちゃんと何やら話しているようだ。
いまならさらに近づける。
不意に女王が力を使っていた。
気取られたか?
そう思って身構えるが、そうではないようだった。
目の前で、ヘリオス坊ちゃんと精霊女王は黒い球体の中に入っていた。
「ここしかない!」
覚悟を決めて、結界石までの距離を詰めた。
そして破壊用の魔道具で破壊することに成功した。
「よし!やった!」
おもわず声を出してしまった。
自分も年を取ったと反省し、周囲を警戒する。
視界にとらえた精霊女王が、苦悶の声を上げて消滅していた。
「!?」
あまりの出来事のため、理解することをあきらめた。
自分はただ報告すること。
主命は破壊。
その両方を達成はできていた。
そう、屋敷に無事に帰ることができれば……。
油断なく周囲を観察する。
幸い他の精霊からの攻撃はなさそうだった。
「ふう、それにしても無茶をする」
ヘリオス坊ちゃんのそばまで来て、その痛々しい姿に同情した。
せめて連れて帰って手当をすることくらいは許されるだろう。
「まさか、いくらなんでも、それすら許さないことはないだろう……」
一抹の不安はよぎるが、この小さな勇者をそのままにしておくのは不憫に思えた。
「もってくれよ……」
わしはヘリオス坊ちゃんを抱えると、急ぎ屋敷への道を走っていた。