凱旋
その後、ベルンの隠れ家にてこれからのことが話されました。
モーント辺境伯邸から火の手が上がった。
大きく燃えるその炎だが、霧によって誰にも知られることはなかった。
そして、モーント辺境伯領の街マルス。
その街は霧の中に閉じ込められていた。
突然湧いた、霧と暗雲により、街の人々は恐怖して逃げようと試みていた。
しかし、霧のために街から出ることはできなかった。
そして今度も――何の前触れもなく――、霧と暗雲が晴れたことにより、マルスの街に住む人は知ることとなる。
英雄の屋敷が燃え堕ちたこと。
そして、これらの出来事が関係しているのだという事を。
*
一方、ベルンの街では暗雲がなくなったことがよくわかった。
噂を知っている人々は、何らかの事件が終わったのだと理解していた。
人々に不安を与え続けていた暗雲が晴れ、その方角から太陽が立ち上る。
ただそれだけで、不安は和らいでいた。
そして、事情を知る人たちは、解決したことを理解し、喜んでいた。
今なお混乱のさなかにあるベルンの人たちは、自らの状況を差し置いて、その人たちの安否を気遣っていた。
***
「それで、デルバー先生。ヘリオス様はご無事なのですか?」
ルナよ……。
そう心配せんでもよかろう。
しかし、わざわざ知らせに来たかいがあるというものじゃの。
「無事じゃよ。少なくとも体の方はの。しかし、かなり心に負担を抱えとるようじゃの」
残念ながら、あの世界までは見渡せんが、おおよそ何があったのかはわかるわい。
マルスを知ったのならばなおさらじゃの。
失った者は帰ってこん。
しかし、ヘリオス。
残されたもの、託されたものはその義務と責任を背負っておる。
悲しんでばかりではいられんのじゃぞ……。
もっとも、報告してきたときの顔は、何かを見つけたようじゃったが……。
しかし、心に傷を負ったのは事実じゃろう。
あ奴はなんでも背負い込む癖があるからの。
注意せんといかん。
「ベルンの街からでも見えたじゃろ、東の空の暗雲もなくなっておる。そう心配せんでも大丈夫じゃ。ヘリオスたちは霧に包まれていたマルスの街を確認した後、ベルンに戻ると言っておった。もうすぐ帰ってくるじゃろ」
心配するなといっても、心配は消えんのじゃろう。
幾分ましになっておるが、自分の目で見るまでは、その気持ちは晴れんのじゃろうな……。
「それとルナよ、おぬしの方はそろそろ学士院に戻ってくるんじゃ。ヘリオスと共にの」
聖女の役割も終わりでよいじゃろ。
ルナは十分によくやった。
「はい」
ようやく笑顔が戻ったかの。
「どれ、ではかえるとするかの。ルナよ、さらばじゃ」
転移をしながら改めて今後のことを考える。
いずれにせよ、オーブの守備が必要じゃの。
空白となったモーント辺境伯領もそうじゃ。
ヘリオスの言うとおり、あ奴たちにはもう少し働いてもらわんといかんの……。
それにしても、どこまでもわしを使いおる。
まあ、バーンのいう事を否定せんかっただけ自覚はあるんじゃろ。
すっかりわしを王との連絡係にしおったわ……。
どれ、またあの青二才の尻をたたいてやろうかの。
***
「ここに座るだけで、帰ってきたって気になるな。まったく、今までの苦労が報われる気分だぜ」
バーンは自分の椅子に座ってくつろいでいた。
大きく伸びをして、ずっしりと座ったその椅子は、バーンをしっかりと受け止めていた。
「ここが隠れ家だったんですか……」
よくこんなところに潜んでいたもんだ……。
俺一人ではまず間違いなく迷う。
ここまで来る道のりを考えながら、そう思っていた。
ベルンの地下下水道は迷宮だった。
そのもっとも奥に隠し部屋があり、その部屋から下に伸びる階段を下りきったところに隠れ家はあった。
「まあな、この地下下水道はベルンのどの場所にも通じている。秘密裏に移動するにはうってつけなんだ。それに、ここは第二層だから、基本的には誰も来ない。そもそも……」
バーンはこの場所の秘匿性を自慢していた。
これは長くなる話だと、俺の直観は告げている。
この手の顔はいやっていうほど、よく知っている。
正直、今は早く話をまとめていきたい。
まだまだ状況を確認して、対応しておかなければならないことが山ほどある。
「そんなことはどうでもいい。大事なのは今後のこと」
シエルがバーンをさえぎっていた。
残念そうなバーンの顔。
それを無視するシエル。
本当に仲のいい兄妹みたいだ。
「そうでしたね、ありがとうございますシエルさん」
シエルのおかげで話がすすむ。
バーンには悪いが、今はシエルに感謝しよう。
「妻の務めです」
物静かにそう告げたシエルは、いつのまにかあらわれていたミヤと言い争いを始めていた。
いや、それじゃあ話が進まないんだけど……。
でも、まあいいか……。
シエルには後で伝えよう。
「まあ、はじめましょう……」
この場にいる仲間に告げておくことがある。
バーン、カルツ、メレナ、カールそして今なお口論中のシエルの顔を順にみる。
「もうすぐルナが来ると思うので、それまでは状況をお伝えします」
デルバー先生から聞いた内容を告げなくてはならない。
予想通り、メルツ王国はアプリル王国に侵攻していた。
宣戦布告もなく、完全な奇襲。
予期しない侵攻――警告はしていたのだが――により、国境は簡単に突破されたようだった。
これをうけて、学士院の学生たちには、すぐに帰還命令が発令されていた。
有事の際、学士院の学生たちは優秀な戦闘部隊となる。
そのための訓練だとデルバー先生は告げていた。
実際、学生たちは一部を除き、実に速やかな対応を見せていた。
また、懸念されていたアテムには侵攻はなかったが、廃墟と化した街にはいつの間にか盗賊団がすみついたようだった。
旧フリューリンク領の治安はかなり悪化して、周囲の村からはオーブへ避難する人が絶えないとのことだった。
それらのことを報告し終わったその時、入室の許可を求めるかのように、小気味良いリズムのノック音が扉から聞こえてきた。
バーンはそれに反応し、扉を開ける。
あいた扉の隙間から、ひょっこりルナは顔をのぞかしていた。
そして思い出したかのように、あわてて案内してくれた人にお礼を告げている。
改めて、部屋の中に入り、全員の顔を確認したルナは安どのため息をはいていた。
そして俺と目があった瞬間、その瞳からは大粒の涙がこぼれていた。
「ヘリオス様、良くご無事で」
両手で口を覆い、小さくそう言ったあと、勢いよく飛びついてきた。
「おかえりなさい」
大粒の涙をその瞳に浮かべたルナは、そのまま顔をうずめて、周りを気にせずに泣き出した。
「ただいま。ルナ。心配かけたね。約束通り、誰一人かけることなく戻ってきたよ。だから、もう泣かないで」
ルナの前髪をかきあげ、その額に口づけをする。
それで落ち着いたのか、ルナはそのまま泣き止んでいた。
視界の端で、シエルとミヤが固まっていたが、まあ、それはこの際見なかったことにしよう。
幸せそうなルナを座らせて、今後のことを説明していく。
それはあらかじめデルバー先生と協議していた内容であり、これからこの国の行く末を左右するかもしれないことだ。
急速に事態は進行している。
その事を、実感してもらわなければならない。
「まず僕たちは学士院に帰ります。帰還命令が出ていますので。そして、カルツ先輩とメレナ先輩には叙勲の話が来ています」
今回の件で、学士院卒業とは別の叙勲話がきていることを説明した。
カルツとメレナは目を丸くして驚いていた。
そして俺はカールにもすでに正式な任官が決まっていることを伝えていた。
ただ、卒業までは出向扱いになるようだった。
「かまわないさ」
カールは相変わらずマイペースにこたえていた。
「バーンさん。あなたには貴族と領地の話が出ていますが、どうされますか?」
答えが分かっていながら、一応確認しておく。
「堅苦しいのはごめんだ。おれはここがいい」
バーンは自分の椅子をいとおしそうに揺らしている。
「そうですね、そういうと思って断っておきました。ただ、何もないというのは王家としては問題らしく、そこで結構もめたようですよ」
どこの世界も形式にこだわる滑稽さにあきれるが、それも大切なことだろう。
形式というのは、共通認識になるものだ。
「それで、私からベルン名誉市民の称号と、王家の秘蔵するワインを数本いただくことを提案してみましたが、いかがですか?」
この内容はすでに了承済みであるので、あとはバーンの気持ち次第だ。
「うんうん。お前は話が早くていいね」
秘蔵のワインを想像して、バーンはその提案に乗っていた。
「シエルさんには宮廷魔術師の話が出ていますが……」
おそるおそる聞いてみる。
たぶん拒否するだろう。
それよりも、ルナのまねをされることが心配だ。
「そんな職、いらない」
珍しく、俺に強く否定の意志を告げてきた。
「ヘリオス様の奥さんに永久就職」
シエルはやっぱりシエルだった。
どこでそんな言葉を覚えたのか……。
冷え切った空気を溶かすかのように、再びミヤと熱い言い争いを始めている。
「まあ、答えはともかくとして、一応お断りしておきました。ただ、シエルさんの場合も何もなしとは言えないので、学士院講師職と王都の屋敷、ベルン名誉市民をいただいておきました。よかったですか?」
シエルの方もほぼ確定していることを告げておく。
ハーフエルフに?という声もあったようだったけど、デルバー先生がかなり頑張ったようだった。
「旦那様を立てるのがよき妻」
鼻息荒く、そう宣言するシエルに対して、今度はシルフィードも加わって、三人で言い合いをしている。
「では、そうしますね」
なるべくそっとしておこう。
「それで、おまえさんは何を得た?」
バーンが笑顔で聞いてきた。
その顔はなぜかひどく納得しているようだった。
「僕は、あくまで引き立て役だったので、何もありません。まあしいて言えば、モーント家から持ち出したものを正式に認めてもらったことでしょうか」
笑うしかない。
もはやモーントの家を出た俺に、相続の権利はない。
それでも、その屋敷にあったものは、俺にとってゆかりのあるものが含まれている。
目録は提出したが、魔獣召喚の壺など、公に出来ないものは書いていない。
これでは盗賊といわれても仕方がなかった。
しかし、王はそれも含めて俺が所持することを認めてくれていた。
しかも、デルバー先生から伝えられた王の言葉。
『マルスにはアデリシアを幸せにしてくれた礼をせねばなるまい』
表向きには処断しなくてはいけない。
でも、少なくとも王は理解してくれていた。
それは今の俺にとって十分な報酬だった。
「しかし、それでは……」
バーンは釣り合いが取れていないと言いたいのだろう。
確かに、この戦いで失ったものは大きすぎた。
しかし、同時に得たものもある。
父親である英雄マルスは、俺を認めてくれた。
俺の中でそれは、かけがえのないものになっている。
「僕は生まれて初めて、父親に認めてもらえました。それで満足です」
爵位や、領地、好きなものや金銭といったものをもらう以上に価値がある。
もっとも、価値というのは人それぞれだから、俺にとってという意味だけど……。
「よかったな」
バーンは、そんな俺の気持ちを認めてくれていた。
自分を認めてくれる存在。
それもまた、かけがえのないものだった。
「そして、皆さんという仲間も得られました。これ以上望むことはありません」
今だけは心の中を素直に表現し、感謝を告げる。
和やかな時間と雰囲気があたりを満たしていた
その時、突如として魔力の高まりを感じた。
それが極大になるころ、よく知っている声と共に、この部屋全体に魔法陣が形成されていた。
「まあ、間の悪さは勘弁してくれんかの。ヘリオス、皆の衆。状況が変化した。バーン。おぬしは引き続きベルンを任せるでの」
デルバー先生はバーンを残して強制転移を仕掛けてきた。
「お前らも大変だな。俺はここにいるからまたいつでも呼んでくれ」
椅子に背中を預けたバーンは、転移する俺たちに向けて、楽しそうに手を振っていた。
虚しさのある達成感。認められた幸福感。そういったものが、ヘリオスの中で渦巻いています。それに浸る余韻もなく、状況は変化をしていました。




