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夢の世界の中で僕は  作者: あきのななぐさ
新たな戦い
66/161

英雄マルス

いよいよ英雄マルスと雌雄を決します。

「どうもあの霧は、進軍を遅らせるようだな。斥候からの報告では、いくら進んでも先に行けないような感覚だったらしい」

ジャンヌ将軍は肩を竦めて話しかけてきた。


「迷いの森のようなもの? だとすると厄介ですね」

その横で、オルレアン将軍も淡々と感想を伝えてきた。


モーント辺境伯領を守るように展開されている霧。

その前で、聖騎士団は軍を展開しながらも動けないでいた。


そうした中、俺はバーンとシエルと共に、ジャンヌとオルレアンに話をするためにやってきた。


ベルンの騒動のあと、俺の流したうわさは瞬く間に王国中に知れ渡っていた。


ここに至って国王は、聖騎士団を派遣することを決定していた。

表向きにはそうなっている。


軍団移送コアトランスポートで一気にベルン郊外に展開した聖騎士団は、そのままモーント辺境伯領近くまで進軍していた。


もはや内乱として王国の歴史に記されるようになったこの騒乱は、正式にクロノスとウラヌスによるものとなっている。

しかし、噂というのは意図しない方向に進むものだった。


英雄マルスの反乱

正確には、マルスの息子の反乱として伝えられるはずが、そうはならなかった。


そうそう思い通りにはいかないものだ……。

しかし、軍を動かすことで、潜在的な敵をあぶりだすことができる。


マルスの画策は、何も国内だけではない。

当初の思惑とは外れるにせよ、この内乱を利用する国がある。


誰が敵で、誰が味方なのか。

いや、せめて何処が敵なのかをはっきりとする。

そして、これからこの国がどうなっていくのか。

このことをすべての人が考える必要がある。


英雄マルスがいない世界を。


もっとも、ジャンヌとオルレアンが行動できるのは国王の英断があるからだ。


自分で答えを出したわけではないにせよ、マルクスたち老将軍は王都に残っている。


状況が変化したこと。

周囲の人たちがマルクス将軍を英雄視していること。

これらのことで、自分の進む道が分からなくなったようだ。


聖騎士団はこれでよかった。

軍は出す。

けれども、損害を与えてはいけない。

そして内外の敵をあぶりだす。


それを考えると、実際マルスと戦うには限られた人数で対抗する必要があった。


「まあ、両将軍のご足労には申し訳ありませんが、近日中にメルツ王国が動くかと思いますので、その時はお願いします。確率的にはアプリル王国への侵攻ですが、万が一壊滅したフリューリンク領アテムに侵攻した際には、対応をよろしくお願いします」

両将軍に基本的な流れを確認しておく。


聖騎士団の二軍団がベルンに移動したことは情報として漏らしている。

そうすることで、メルツ王国はアプリル王国に侵攻しやすくなるにちがいない。

恐らく、メルツ王国、ひいては帝国はマルスの動向を監視しているはずだ。


アプリル王国にはその脅威に対して警告したが、受け入れてもらえなかったようだ。

平和な時代が続いたことの弊害だろう。


しかし、考えてみればわかるはずだ。

メルツ王国はイングラム帝国の影響下にある。

そのイングラム帝国は近年軍備を増強していた。


そして、イングラム帝国の若き皇帝ジークフリード・クラウディウス・アウレリウス。

彼の統一思想は即位のときに宣言されていた。

その彼がこの状況を利用しないわけがない。

着々と準備していることは、精霊たちが教えてくれている。

この機会に乗じて、派兵してくることに、もはや疑う余地はない。


「任せておきたまえ。ところで、君たちはあそこに向かう手段はあるのか?」

ジャンヌ将軍はそれが聞きたい様だった。

隣のオルレアン将軍も興味深そうに俺を見ている。


「そうですね……。幸い向こうからトンネルができていまして……。それを使うために、一度オーブ領に行きます。そこから侵入です」

何を言っているのかわからない。

両将軍はそういう顔をしていた。

でも、俺の自信に満ちた顔に安心したのだろう。

深く頷くと、俺の肩をたたいていた。


「では、バーンさん。シエルさん。ここは両将軍にお任せして、僕たちはリライノート子爵邸に参ります。準備はよろしいですか?」


「ああ、任せておけ」

バーンは胸を張って宣言した。


「はい」

シエルはしとやかに返事していた。

今日はいつになくおとなしい。

一体どうしたんだろう?


「では、行きましょう」

シエルの様子にやや調子を狂わされた感じになったが、転移の呪文を発動させた。



***



リライノート子爵邸に到着した俺は、すでに来ていたデルバー先生を含めて、突入する人を告げるために、集まってもらった。


バーンとシエルだけでなく、カルツ、メレナ、カール、ユノ、ルナがそこにいた。

アイオロスは執事として、ルナのそばで控えている。

そうそうたる面々が、俺の前に集まってくれている。

本当にありがたいことだ。


「デルバー先生には万が一のために、残っていただくとして、今回我々は、ミミズのつくったトンネルを通ってマルスに決戦を挑みます」

全員を前にそう宣言する。


「突入組にはバーンさんをリーダーとして、カルツ先輩、メレナ先輩、カールとシエルさんと僕が担当します」

突入組の人選を告げる。

たぶん反対が上がるだろうけど、これは仕方がないことだ。


「ちょっと待ってください。私も行きます」

やはりルナは反対してきた。


「そうね、なぜ私が外されたのか、納得のいく説明がほしいわね」

ユノは腕を組みながら俺をにらんでいる。


予想通りの反応に、思わず笑みがこぼれた。


「まず、ユノ。聖騎士団が動いた以上、君はこの作戦に参加できないよ。あとあと内政干渉として、問題になりかねないからね。申し訳ないけど、デルバー先生と一度王都にかえり、国王に会ってほしい」


これはユノにしかできない事。


「ここからは、君にしか頼ることができないんだ。まず、国王からは親書が渡される。それをもって一度ジュアン王国に戻ってほしい。間もなく、メルツ王国とイングラム帝国はアプリル王国に侵攻してくる。ジュアン王国は可能な限りアプリル王国の人民を受け入れてほしいんだ。こちらでも、四大貴族の領地にそれぞれ分散して受け入れる体制を整えているけど、それじゃあ受けきれないんだよ。だから、これは君にしか頼めない。お願いだ」

そう、これはユノに実現してもらいたいもの。

そして、ユノにはジュアン王国そのものを見てほしかった。

今まで、気楽な立場だと思っている自分が、そうでないことも認識してほしい。



すでにアプリル王国から避難民を保護できるようにゾンマー家には警備を国境付近に配置してもらっている。

そして、冒険者組合にアプリル王国からの避難民護衛の依頼を大量に発行済みだった。


「私にしかできない。私の戦いなのね……」

同行できないことは、相変わらず悔しそうだった。

しかし、その話を聞き、真剣に考えていた。


「わかったわ。それがあなたの役に立つのなら。私は私のできることをしっかりとやって見せる。避難民のことはまかせて」

ユノの笑顔は、自分のすべきことを正確に理解した証だった。


「そして、ルナ。君にはベルンに行ってもらいたい」

若干強い調子でそう告げる。


「これは、お願いじゃないんだ。君はこうしなければいけない。いま、ベルンではたくさんの人が苦しんでいる。君の力は、そこで示してほしい」

ルナの目をまっすぐに見つめる。


「ベルンで……。それは、ヘリオス様の命令ですか? それともルナの意志ですか?」

俺の狙いを正確に理解したのだろう。

あえてそう確認していた。



「ごめん、ルナ。それは君の意志だ」

それは聖女としてのルナの行動でなければならない。

沈黙が俺とルナを結んでいく。

いつ終わるともしれないその時を、ルナはため息で終わらせていた。


「わかりました。ヘリオス様。ルナはご一緒できないことが残念ですが、あなたの役に立つことでそれを埋め合わせて見せます。だから、後ろのことは私たちにお任せください。ヘリオス様は前を見て進んでください」

一度頭を下げたあと、ゆっくりと顔を上げて俺を見つめる。


「どうかご無事でお戻りください。ルナは待っております」

その眼には強い意志が感じられた。


「ありがとう。僕たちは誰一人かけることなく帰ってくるよ」

そう、それはこの場にいる全員に対しての約束。


俺はもう一度、一人一人の顔をみていた。

各々がそれぞれの反応を見せてくれる。

カールのぶれない姿に、思わず笑みがこぼれた。


頼もしい顔ぶれだ。

突入組の全員に、一人ずつ指輪を贈る。

シエルだけが、それを指にはめるように手を出してきたが、ミヤとシルフィードが強引に受け取らせていた。

無言で睨むシエルとそれを受ける二人を放置して、俺は説明を始めた。


「では、突入組のみなさん。この指輪をはめておいてください。中は霧でおおわれています。その指輪はお互いの位置を頭の中に示してくれるものです。そしてそれには回復魔法の救命治療フェイタルキュアを封じています。たぶん力になってくれると思います」

その魔法は、バーンとシエル以外は必要ないかもしれないが、魔法が使えないかもしれない場合で役立つだろう。


「前衛にバーンさんとカルツ先輩。中央が僕とメレナ先輩。そして後衛にカールとシエルさんの隊列で進みます。僕が魔法で索敵していますので、メレナ先輩は僕の補助をお願いします」

霧の中で、どれだけ索敵できるかわからないが、たぶん大丈夫だろう。

そのために、師匠から手ほどきも受けている。


以前出口を見たときに、おおよその位置はわかっている。

しかし、霧の範囲が分からない以上、トンネルの出口は霧の内部にあると思って行動した方がいい。

そして、その霧がどこまで続いているのかわからない以上、でたらめに歩くわけにもいかない。


「霧が途絶えれば、おそらく母メルクーアが出迎えてくれると思います。ごちそうは召喚された魔獣や妖魔と思いますので、残さずに召し上がってください。すでに洗脳状態だと思われますので、申し訳ございませんが、シエルさんに抑えていただきたいのです」

出迎えるであろう人はもう限られている。

洗脳状態というのは憶測にすぎないが、たぶん相手をしなければならない。

実力的に、それができるのはシエルしかいない。


「嫁、姑の争い。避けて通れない」

シエルのつぶやきに、ルナとユノが素早く反応している。

「ふふん」

周囲の視線を一身に受けて、シエルは勝ち誇っているようだった。


そのとき、いままで黙っていたデルバー先生が口を挟んできた。


「ヘリオスは知らんかもしれんが、おぬしを刺した人間と、もう一人厄介なのがおる。その者達は共に暗殺者アサシンじゃの。アイオロスにも引けを取らんの」

デルバー先生の示す人物。

それはマルスの手足となって暗躍しているとのことだった。


ヴォルフとヴィルトシュヴァイン


アイオロスの方を見ると、静かに目を閉じて頭を下げていた。


「デルバー学長の申されるとおりですが、若干修正したく思います」

頭をあげたアイオロスは、静かにそう告げていた。


「両名共にすぐれた暗殺者アサシンとしての技能がございますが、それぞれ異なるものです。おそらく技そのものでは私の方が上ですが、彼らには特技がございます。ヴォルフはその視覚と聴覚が異常に発達しております。そしてヴィルトシュヴァインは精霊魔法を使います。私たち三名はそれぞれに役割がございました。わたしは潜入。ヴォルフは監視、ヴィルトシュヴァインは裏工作といったところです」

もう一度頭を下げたアイオロス。

これ以上の情報はないことを、その態度で示している。


「なるほど、特にヴィルトシュヴァインには注意が必要というわけですね」

精霊魔法を使う暗殺者アサシン

それは非常に危険な存在だ。


アイオロスは無言で頭を下げていた。


「精霊魔法となると、そのものは影ひそみ(シャッテン)を使用するだろうから、こちらもミヤに注意してもらうとするよ。それと、ヴォルフから監視されていると思っていた方がいいということだね」

みんな分かっているだろうけど、認識を共有しておいた方がいい。

アイオロスはやはりそれ以上何もいう事がないという態度を現していた。


もう一度、全員の顔を見回す。

どの顔もやる気に満ちていた。


ありがたいことだ。

それぞれ考え方、立場は全く異なっている。

しかし、俺のことを理解し、俺のことを助けてくれる。


バーン。

あなたにはこれかも新しい英雄として歩んでもらいます。


カルツとメレナ。

あなたがたには解放者としてこれからの辺境伯領をお願いします。


シエル。

もう少しミヤ達とは仲良くやってください。

今も俺の横に並ぼうとするシエルを、ミヤが羽交い締めしていた。


カール。

そのブレない精神にはいつも助けられているよ。

いまもカールスマイルでいる君は本当にすごいと思う。


ユノ。

これから後、君の助けが必要になる。

だから、これ以上そんな顔はしないでほしい。

さっきわかったといったじゃないか……。


ルナ。

そんなに心配しなくても大丈夫だよ。

君には、また苦労を掛けると思う。

だから、ちゃんと無事に帰ってくるから、その時に改めてお礼を言うよ。


誰も何も言わない。

ただ、静かに待っているようだった。


「バーンさん。お願いします」

ここからだ。

ここからすべてが動き出す。


「よし!出発だ。全員生きて帰るぞ」

緊張感のこもった声で、バーンは高らかに宣言していた。


その頼もしい声に、自然と俺の気持ちも高ぶっていた。



***



屋敷から集団瞬間移動マステレポートで入り口に移動した直後、メレナは急いで周囲を確認していた。

せっかく決めた隊列は、メレナの好奇心には勝てなかったようだった。


「ヘリオス。入り口がないんだけど……」

メレナが俺をどうしようもない子を見る目で見ている。

その眼は、張り切っていた気分を返せと言わんばかりだ。


「いえいえ、これは扉を閉じただけです」

目の前の大岩を触って解放を告げる。


突如、大岩がうごき、人が通れる幅ができていた。

さっそくメレナはそこを観察している。

「すごいね! これがミミズの通った後なんだね!」

その巨大さに目を見張っている。

あの時はそう感じなかったけど、あらためて見るとこのトンネルの大きさは感嘆に値する。


「確かにここはミミズが掘ったトンネルです。ちゃんと焼きましたが、中にはゴーレムが解けているかもしれませんので、足元には注意してください」

中は真っ暗で全く見えない。

精霊使いの俺とシエルは感覚でわかるが、他の人には厳しいだろう。

トンネルに明かりをつける必要がある。


「ノルン。お願いするよ」

つい、普通に頼んでしまった。


「いやや。まだ働きなくない」

ノルンは相変わらずだった。

仕方がないというのがノルンは好きなんだった……。


頼み方を間違ったけど、もう一度頼んでもだめだろうな……。


本当に、仕方ない。

明かりの魔法を、先頭を歩くバーンの剣につけることにしよう。


「バーンさん。剣を抜いてください。明かりをともします」

バーンに剣に明かりをともした俺は、自分の杖にも明かりをつける。


シエルにもお願いしようとしたら、すでに灯していた。

伏し目がちに俺を見ている。

何と言っていいか分からないので、笑顔で応えることにした。


「ヘリオス、僕にも頼めるかな?」

なぜかカールも剣を抜いている。

シエルが灯しているから問題ないけど――なぜか真剣な表情なので――、一応カールにも魔法をかけておいた。


「では、準備完了です」

あらためて、バーンにそう告げる。

心なしか、バーンの眼が優しかった。



***



何度か休憩をはさみながら、何の妨害もなく、進んでいた。


かなりの時間歩いているが、感覚として得られるものに変化はない。

単調な刺激は油断を生む。

封印が解かれるとは思っていないが、油断は禁物。

そう思う事を何度も、何度も、何度も繰り返す。


しかし、本当に何もなかった。


「しっかし長いな、このトンネルは」

バーンは休憩のときに、意外に長いトンネルにうんざりした気分を吐き出していた。


「そうですね、太陽がないというのは時間の感覚が狂います。今一体いつなのか……」

カルツは時間の感覚が狂うのが嫌なようだった。


「ちょうど2日」

シエルが簡単に答えを告げる。


俺の両脇はミヤとシルフィードに固められていたので、指をくわえて真正面に座っている。


「相変わらずその体内時計はすごいよな。それもエルフの血なのか?」

バーンは素直に感心していた。


「そうかも。ヘルツマイヤー師匠もそうだし。その正確さには本当に驚かされます」

俺もその意見に同意する。

あの正確さには本当に脱帽したものだ。


「そう言えば、ここ最近姿を見かけないけど、どこかにいったのか?」

バーンはシエルにそう尋ねていた。


「ヘリオス様の用事みたい」

シエルは面白くなさそうに答えている。

そう言えば、あの時も自分がやると言ってたっけ……。


気が付くと、全員が俺の顔を見ていた。


「……。まあ、隠すわけではありませんが、少し帝国の方まで行ってもらってます。師匠はあの森を抜けれますので……」

師匠にお願いしていること。

それは帝国の内情の偵察。


何となく、それをしないといけない気がして相談した時に、師匠は自分からそれを申し出てくれていた。

表立っては支援できない。

それが師匠の言葉だった。


なぜか、内助の功という言葉を使っていたが、その意味をシエルの教えていると、シエルが激しく立候補したことは言うまでもなかった。

しかし、師匠はその言葉をどこで知ったのだろうか……。

相変わらず不思議な人だと思う。


「お前も師匠使いが荒いな……」

バーンのため息は少し心外だけど、結果的にはそうなるか……。

いや、そう言われても仕方がないかな。


乾いた笑みをバーンに返す。

反論すると、デルバー先生に――きっと今も見ているに違いない――、文句を言われるだろう。


「さあ、そろそろ出かけないかい?」

終始黙っていたカールがそう告げていた。

どうもこのトンネルに入ってから、カールはおとなしかった。

というか、挙動がおかしい。



「カール。君、ひょっとして……?」

メレナは意地悪そうな笑みを浮かべて、カールに尋ねている。


「なな、なんのことですかな?」

カールはとぼけようとしていたが、その努力は無駄に終わっていた。


「あはっ」

メレナはそう笑うと、カールの手を取って暗闇の中に消えて行った。


「なーあーぁー!」

言葉にならない絶叫が、トンネルの中を駆け抜けていく。



「メレナ先輩の男嫌いもなおってよかったよ。カール。君の尊い犠牲はわすれない」

カールにとっては笑い事ではないだろうけど、必死に笑うのをこらえるのも大変だった。


「まあ、こんなところで奇襲はないだろうけど、君たち油断しすぎだよ。あと、ヘリオス。それは秘密だと思うけどね」

カルツはあきれていた。


「一応出口にも封印してますので、大丈夫とは思います。さっき通った中間点も、また封じたので、たぶん大丈夫かと」

そう言えばそうだった。

最近のメレナを見ると、そう感じないからつい忘れていた。


「そうか……じゃあカールには頑張ってもらうか。あとヘリオス。私の件を含めて、君のおかげだということは先に言っておくよ」

カルツは肩をすくめながらも、俺に感謝してきた。


それは、カルツの女性恐怖症もましになったという事か。

そんな意識はなかったが、ヘリオスの姿が二人にとって役に立ってうれしかった。


「あと半分です」

あらためて、そう告げていた。

バーンがげんなりした顔をしていたのを、俺は見なかったことにしていた。





トンネルを抜けると、そこは霧の森だった。


方向はトンネルの出口で確認していたが、今もその感覚はすぐに狂わされそうになっていた。


霧の迷宮(ラビリントネーベル)……」

シエルがそうつぶやいた。

通称、迷いの霧といわれるこの魔法は、広大な範囲を迷宮化する魔法として知られている。

人間の五感をことごとく迷わせるこの霧は、使用者ですらその影響を受けるという代物のはず。


そして、この魔法は通常魔道具に封じて設置し、その核となる魔道具自体を壊さない限り、発動をやめないものだ。


まったく厄介なものを設置してくれたものだ。


「予想通りです。そこでこれの出番です」

しかし、それは想定の範囲内。

このために用意した魔道具を披露する時が来た。


それをトンネルの出口に設置し、魔法で固定する。

そのあと魔道具を発動させると、そこから光の道ができていた。


「この光の中を歩きましょう。そうすれば英雄の屋敷につきます。けれど、警戒を怠らないでください」

五感を狂わされても、直進する光は狂わすことはできない。

絶えず感じる光は、俺たちのいく道を指し示してくれている。


その時が近いことで、全員に緊張がはしっていた。


「ミヤ。影に注意しておいてね。何かあれば対応よろしく」

ミヤにそう告げて警戒をする。

ミヤは俺にしがみつき、うれしそうに歩いていた。


「シルフィード、皆に風の守りを」

シルフィードは俺の手を握り、ともに歩いていく。


「ミミル。頼むから静かにして」

頭の上にいるハイテンションのミミルに懇願する。


「だってだって、久しぶりに地上だよ? ミミルもうあんなとこ、通らないからね!」

頬を膨らませて文句言っている姿が目に浮かんだ。

ずっとおとなしかったのは、そのせいか……。

ふとカールを見ると、同志を見るような目でミミルを見ていた。


今度こそ隊列を整えて、光の道を歩いていく。


「ねえ。ボク思うんだけどさ、これっていい的じゃない?」

メレナはこの霧の中でやたら目立つこの光の筋を心配そうに見ていた。


「そうですね。でも、この中では向こうもここまでたどり着くのに迷いますから。遠距離からの魔法攻撃か飛び道具なら別ですけどね」

そう言いながら、俺はメレナのはるか後ろに電撃を飛ばしてみる。

一直線に進んでいくそれは、霧の彼方に消えていった。


「もっとも、僕よりも先に見つけることができたらという話ですけどね」

何か見つけたわけじゃないけど、メレナにそう告げておく。

実際、トンネルになかった以上、この場所にはもはや待ち伏せなどないと思っている。


ただ、言うこと聞かない奴がいるかもしれない。

そいつらはトンネルには入れないだろうから、いるとすればここだろう。


盲目的な信者のような人が、自分の判断で行動している可能性は捨てきれない。


「なるほどねー。ボクはその攻撃をかいくぐってくるやつを仕留めればいいわけだ」

メレナは自分のやることが見えてきて、うれしそうだった。


「よろしくお願いします」

笑顔でそう答えていた。



さらに半日ほど歩いたのち、突如霧が晴れていた。

どうやらドーナツ状に霧が展開されているようで、屋敷近郊はまったく以前の風景そのものだった。


予想していた待ち伏せもなく、皆はやや拍子抜けした感じがみられた。

丘の向こうに目指す場所がある。

多少の懐かしさを伴って、皆にそう告げていた。


その時、目の前の丘から一人の男が現れていた。


「さあ、皆さま主がお待ちです」

その声。

実際に耳にしたのは初めてだが、脳裏には刻み込まれている。


「あなたはもしや?」

少なくとも顔は見ていない。

自らの疑問を男に投げかけてみた。


「ええ、ご想像の通りですよ。私もまんまとだまされました。今はあなたにも、ほかの方にも危害を加えないようにとの命令がありますので、ご安心ください。屋敷までは無事に案内いたします」

男はそれが真実だと言わんばかりに、背中を見せていた。


「さすがは英雄だね」

感心したようにカールは先に歩いていく。

その態度は微塵も疑っていないのだろう。


対照的に、カルツは油断をしないように万全の態勢で歩いていく。

その姿を見ながら、二人の違いとその良さを考えていた。


「カルツは固く考えすぎなんだ。カールは自分の感覚を信じすぎだ」

隣に来たバーンが、俺の考えをよんだのか、そう評価して歩き去った。


「まったくですね」

どちらが正しいというわけではない。

ただ、この丘の向こうで待っている人物を考えると、カールの判断が正しいといえる。

それでも、カルツは全員の安全を考えている。

たぶん、本当はカールと同じ考えに違いない。

でも、だからこそ、自分だけはその反対のことを想定して動く。

そう言う信念を持っているのだ。



***



男は馬にまたがり、余裕の笑みを浮かべていた。

その男の後ろから、長い銀色の髪の女性が現れ、男の右横に立っていた。

そして、その二人の両脇に2人の男が跪いていた。


「久しいな、ヘリオス。よもや今一度会えるとはな」

英雄の堂々たるいでたちとその声に、一瞬全員の体がこわばった。


そうなることは想定済みだ。

しかし、たぶん何もしないという確信があった。


「お久しぶりです、マルス。それと英雄マルス。お元気そうで何よりです」

俺はやんわりと挨拶を返す。

その声を聞き、呪縛が解かれたように、皆が息を吐いていた。


「お前は本当に楽しませてくれたよ。お前のおかげで、俺は今最高に楽しいと言える。この男も本望だろう。この男の言葉を借りると、ロマンというらしいな」

すでに隠す気もないという事か。

その顔は本当に楽しそうだった。


「僕は父上と話させてもらいます。聞いていますか? 父上。英雄マルス。あなたを解放しに参りました」

俺はあくまで英雄マルスに語りかける。


「ふっこの男の意識はすでにない。もうこの体は俺が支配している」

マルスは俺をにらんでいる。


その態度で確信した。

そう言わずにはいられないのだろう。

英雄マルスはまだそこにいる。


「僕は英雄マルスと話しているのです。関係ない人は黙っててもらえますか? 父上、あなたの大切な家族から、あなたを解放してくれと頼まれました。あなたの息子のヘリオスです。あなたの娘のヴィーヌス姉さま、プラネート姉さまもあなたが出てくるのを待っています。僕はあなたを解放しに来ました。聞いてますか、父上、英雄マルス。あなたの息子がこんなに必死に話しかけてるんですよ。あなたの見ているそれは、夢ではありませんよ」

声の限り叫ぶ。

必死の思いは、きっと魂を揺さぶるに違いない。


「無駄だと言っておろう!」

いきなり剣を抜き、俺にその真空の刃を向けて放つマルス。

そうしなくてはならない焦りを感じているに違いない。


「あっぶねぇ、いきなり飯綱イヅナかよ」

バーンは驚いていたが、その顔には余裕があった。

きっと太刀筋が見えていたのだろう。

心の焦りは、技に切れを無くすという。

たぶんそういう状態に違いない。


「ちぃ、またそれか」

いらだちを隠せないように吐き捨てたマルスは、消えゆく俺と、すぐそばの俺を見比べていた。


「焦ってますね。あなたの態度が父上の状態をよく物語ってますよ。さて、確証も得られたわけですし、そろそろはじめましょうか」

まずは魔剣の支配を解かなければならない。

言葉の様に余裕があるわけではない。


最初から全力の魔法を出さなければならないだろう。

手の内を隠す必要もない。

ここからが真剣勝負だ。


詠唱も、魔法名を唱えることなく、俺の魔法は一瞬で完成していた。


上位保護結界アドバンスドプロテクションバリア

上位魔術防御結界アドバンスドマジックプロテクションバリア

魔法付与エンチャントメント

全体祝福マス・ブレッシング

加速アクセル

麻痺の空気(パラライズエア)

永続回復パーマネントヒール


会話中、意識下で形成していた七つの魔法を一瞬で紡ぎだす。

敵味方にそれぞれの効果が現れていた。

その場にいた全員が、七つの同時魔法発動に驚いたようだった。


麻痺の空気(パラライズエア)は完全には決まらなかったが、初動の遅れは致命的だった。


カールとカルツが両脇にとびヴォルフとヴィルトシュヴァインをとらえていた。

シエルはメルクーアに魔法を放ち、飛びのいたメルクーアを追って上空へ飛んでいた。


「シエルさん。下を見ないようにね」

余分な忠告だが、シエルに声をかけておく。


俺の声を声援と思ったのだろう。

シエルの態度が一瞬砕けていた。


思った以上に余裕がある。

自分で言うのもなんだが、シエルにしても、俺にしても、そういう余裕が生まれていた。


「よし!」

バーンがマルスの前に進み出た時に、それらはいきなりあらわれていた。


「さあ、ここまでこれるかな?」

マルスは十体のストーンゴーレムを盾にして、余裕の笑みを浮かべていた。


「せい!」

メレナのこぶしで一体が瞬時に破壊された。

「ふん!」

バーンの一閃でゴーレムは両断されていた。


「ほう、なかなか楽しませてくれる。」

マルスはさらにゴーレムを起動させていた。



大飯綱オオイヅナ

一瞬にして、バーンは残りのゴーレムを切り捨てていた。


「ほう、お前もその技が使えるとはな。どれ、相手をしてやろう。久しぶりに楽しませてくれ」

マルスはバーンに興味を持ったようだった。


「ボクもいるんだけどね」

そう言ってメレナもバーンの右に並び立つ。


「ふははは。いいぞ。久しぶりに楽しめそうだ。さあ。かかってこい。少しくらい稽古をつけてやろう」

マルスはそう言って手のひらを上に向けて手招きしていた。


メレナはその時自身をさらに加速させていた。

そして、バーンが飯綱イヅナを放った瞬間に、マルスの側面から正拳を叩き込んでいた。


それは飯綱イヅナに追いつくほどの速さだった。


メレナの正拳が腹部に直撃する瞬間に、バーンの飯綱イヅナを右に回転することで避けたマルスは、そのままメレナの拳も避けていた。


正面とマルスの左側面からの攻撃を右回転だけで避けたマルスは、そのままの勢いでその剣をメレナの後頭部に叩き込んでいく。


金属音があたりに響きわたる。

瞬時に移動したバーンの大剣がマルスの剣をはじいていた。


そのままバーンは体を回転させ、その回転を乗せた大剣でマルスを上段から叩き割ろうとした。


しかし、そこにはマルスがいなかった。


バーンに剣をはじかれた後、体勢を少し崩したマルスはそのまま回転しバーンの後ろを迫っていた。


互いに背後を討とうとした二人。

後ろを取ったのはマルスだった。


そしてその一撃をバーンに入れようとしたとき、メレナの足払いがマルスを襲う。

瞬時それをかわし、バーンの大剣を大地に打ち込ませて、そのままの勢いで二人と距離を取っていた。


「さすが、剣聖」

バーンは舌を巻いていた。

しかし、その表情にはまだ余裕があった。


「だが、これはどうだ!」

バーンはその大剣ににあわない連撃をマルスに叩き込んでいた。


上段からの振り下ろした後、その勢いをそのまま自分の回転に合わせて真横からの一撃に変え、それをそのまま斜め下方向に変えていく。

そしてその動きを途中で止め、今度はその軌道から斜め上の軌道に変えていた。


信じられない剣戟だった。

通常の剣でしているのではない、バーンが手にしているのは、巨大な大剣だ。


「そんな大振りはあたらんよ」

全てをバックステップでかわしたマルスは、涼しげにそう告げていた。


「まあ、俺一人じゃないんで」

バーンがそう言った時、マルスは自身の腹部に強烈な痛みを感じて、後ろに飛んでいた。

そこには、正拳を叩き込んだメレナの姿があった。


「なっ」

マルスは短くそう叫んでいた。

その顔はなぜそこにいるという驚きの顔だった。



***



「どう、ノルン。何かわかった?」

ノルンにそう尋ねる。

目の前ではバーンとメレナが戦っている。

二人相手にしていても、マルスは全く余裕だった。


「うーん。うちの方ではあんまりかな……。ヘリオスの方はどうなん?」

ノルンはお手上げというしぐさで返事をしていた。


「僕の方もあんまりかな。ただ、予想以上に魔力マナ遮断は体に近いね。あれじゃあ本当に体に当てながらじゃないと魔法は効かないよ。ただ、やはりその境界はあるね」

俺もお手上げというしぐさを返す。


「うちの方は、人間の感覚に対するものには影響を遮断できないということかな? ウチの幻術は効かないけど、屈折した光はそのまま受け取っている」

ノルンはさっきからそれを多用して、マルスに二人の位置をごまかしていた。


「だんだん慣れてきたみたいだけど……」

マルスの順応性の速さに、あきれた声を出している。


「例えば、マルスの顔の周りの空気を遮断する魔法は効かないけど、空気を遮断した状態なら呼吸しづらくなるということか」

魔剣クランフェアファルの能力は、魔力マナを断ち切るものと推測している。


その有効範囲はほぼ体に沿っていると確証が得られた。

しかし、魔力マナによって引き起こされた現象は魔力マナを断ち切ることでなかったことにできるが、魔力マナによっておこった状態は解除できないと考えられた。


「試してみるか」

そうと決まれば話は早い。

シルフィードにお願いする。


「シルフィード、バーンさんとメレナ先輩に空気の泡をお願い。呼吸を助けてあげて。それから、あの場所を隔離するように空気の流れを変えてね」

シルフィードの力により、大気の壁が戦っている場所を丸ごと隔離した。


局部破壊放電コロナディスチャージ

その場所にむけて魔法を放つ。

無数の小さな放電が、隔離した戦いの場に広がった。



マルスは戦いのさなか、いつもよりも息が乱れるのを感じているようだった。

さっきまでとは明らかに表情が違う。

苦しさと混乱が、マルスの表情に浮かんでいた。


さっきから何かをしている俺も気になっているのだろう。

たまにこちらに視線を向けている。

しかし、バーンとメレナの連携攻撃は油断すると急所に叩き込まれるので、見た目以上に神経を使っていると考えられる。


息を整えようにも息がすえない。

その状態をあの場所には作っている。


そのとき、マルスの近くで、火花が散るのを見られていた。

その途端、理解の色が顔に浮かぶ。


英雄マルスの知識がその答えを告げていたのだろう。

やはり、そういう事なのか。


「ちぃ。オゾンか。貴様、やはりその知識。こちらの世界のものではないな」

マルスは周囲を一閃し、大気の壁を破壊する。

新鮮な空気を吸うかのように、ゆっくりと数回息を吸うだけで、マルスは余裕の笑みを浮かべていた。


「どうなんだ?」

しかし、マルスの眼は野獣のように俺を見ている。

魔力マナ耐性の低い普通の人間なら、これで本当に心臓が止まっているかもしれない。

いや、高度な耐性を持ってなければ耐えられないかもしれない。

そんな迫力をもった視線だった。


「それは、こちらも聞きたいですね。オゾンを知っているということは、あなたは父上の記憶も引き出せるのですか?」


一応、警戒しておく。

あちらの世界の物理常識をしっていると、もはやこういう対策は不可能だった。


「いいだろう、答えてやろう。その通りだ。俺はマルスの知識を持っている」

尊大な態度をとりつつも、俺の答えをしっかり待っているようだった。


「そうですね」

そろそろいいのかもしれない。

バーンとメレナのおかげで、ある程度動きは把握できた。

そして、英雄マルスの状態も理解できた。

後は、俺が引き受けよう。


「お二人ともご苦労様でした。あとは僕が引き受けます。お二人はほかの人の支援に回ってください」

肩で息をしている二人に向かって、そう告げる。

戦いのさなか――ベリンダの魔法で――、他の人の状態も把握していた。


正直、これ以上は厳しいだろう。

シエルはたぶん大丈夫だが、カールとカルツには援護が必要だ。

俺の考えを理解している二人は、素直に俺の言うことに従ってくれていた。


「ああ。まかせた。想像以上だった」

バーンは俺の肩を、しっかりたたいて下がっていく。


「負けたら組手千回だよ」

メレナは俺の肩を、陽気にたたいて下がっていった。



「はい!」

二人の背中に返事すると、二人とも天高く拳を振り上げている。

その信頼にこたえよう。

もう一度小さく感謝を告げて、俺はマルスの方に近づいていた。


「あなたの想像の通りです」

そう言いながら、空間を閉鎖していく。

俺とマルスの周りには、隔離した空間が広がっていた。


「あなたには魔法が効きませんが、発現した事象は、あなたにも影響しますね」

幾重にも空間を重ねて隔離していく。

多重結界の要領で、この場に特別な空間が出現していた。

マルスは、余裕の笑みを浮かべて、俺の行動を見守っている。

自分に絶対の自信があるからだろう。


「舞台を整えますので、もう少しお待ちください」

俺は自分の準備をしながら、外の戦いの様子を見ることにした。




***



カールとカルツはそれぞれ苦戦していた。


俺の加速の魔法があっても、動きの速い二人についていけてなかった。

カルツはヴォルフをカールはヴィルトシュヴァインを、それぞれ相手にしている。


ヴィルトシュヴァインは毒を塗った暗殺剣を使っていたが、アルファルドを持つカールには効果がなかった。


ヴォルフも最初剣に毒を塗っていたが、炎の属性剣にしたカルツにより、その毒は燃やされていた。

そしてふたりとも全身鎧を着用しているため、その攻撃効果は不十分だった。


それぞれが、お互いに攻め手にかける状態だったが、その均衡はやがて崩れていった。


「またせたな」

そう短くいうと、バーンはヴィルトシュヴァインにその大剣を上段から振り下ろしていた。


大剣に似合わない速度で振り下ろされた剣をさけたその先に、カールの剣がまっていた。


「マルス様……」

ヴィルトシュヴァインは血を吐きながら、影に潜ろうとしていた。


「させんよ」

素早いバーンの大剣が、その首をはねていた。

体半分はすでに影に潜った状態で、首と胴は切り離されていた。

断末魔の叫びもなく、驚愕の表情をうかべたヴィルトシュヴァインの首だけが、大地に転がる。

遅れて姿を現した体は、その首を求めるかのように転がっていた。



「これはやばいですね」

ヴォルフはメレナの攻撃に防戦一方になっていた。


今までカルツに対してはそのスピードで主導権を握っていた。

しかし、それを上回るメレナが加勢に入り状況は一変していた。


「これは本当にまず……」

そう言い終わらないうちに、メレナの蹴りを受けたヴォルフは、予想した感覚と実感との相違に戸惑っているようだった。

ヴォルフには、ほんの少し当たっただけに感じたはずだ。

しかし、今ヴォルフが感じている痛みは、そんなものであるはずがない。

表情が実に物語っている。


不審に感じたヴォルフは、その痛みの場所を見ないわけにもいかなかったのだろう。

メレナとカルツから視線をはずし、自らの体をその目で確かめていた。


ヴォルフの顔が恐怖に歪む。


「な。崩れてる?」

すでにヴォルフの脇腹は大きくえぐれるように崩れていた。

目で見た痛みは、さらなる痛みをよんでいた。


しかし、さすがは手練れだ。

すでにそれをコントロールしている。


過治療オーバートリートがのってるだと?」

それでも、体は恐怖を味わっている。

驚愕の表情を浮かべたまま、距離をとろうと飛び去った。


「申し訳ない。私もいるんだよ」

飛びのいたその先に、カルツの剣が待っていた。

剣に吸い込まれるように、ヴォルフの体は剣に向かっている。


「卑怯な……」

それだけ言うと、ヴォルフはこと切れていた。


「なんとでもいうがいいさ。実際私もそう思う。でも、後ろからヘリオスを刺したあなたには言われたくありませんね」

カルツは剣についた血をはらい、いまだに戦っている空の上を眺めていた。


「さあ、貴女だけですよ」

自信に満ちたその顔は、その勝利を疑わないように感じられる。

その横で視線をこちらに向けたメレナは、不安そうな表情をしていた。

まあ、実際マルスと戦ったからだろう。



***



「お久しぶりですお母さま。お元気そうで何よりです」

メルクーアに挨拶をするシエルは、これから戦うという姿勢を全く感じさせるものではなかった。

ただ、自分の存在をしっかりとアピールしているだけだ。

しかも、この戦いを記録するかのように、記録用魔道具を浮かべている。


「シエルさん。あなたもお元気そうで。でも、あなたにお母さまと呼ばれる覚えはありません」

その意志を感じたのだろう。

メルクーアはきっぱりと否定していた。


「いいえ、お母さま。ご挨拶が遅れましたが、シエルはこの通り、指輪もいただきました。それに、口づけもいただいております」

頬を染めて、顔をわずかにそらして恥じらいを見せるシエル。

メルクーアはため息をついていた。


「そんなことを言ってるから、あなたはお子様なのです。おおかた、頬にでも口づけしてもらったのでしょう。指輪にしても、それは回復の指輪です」

メルクーアはきっぱりと断言している。

しかし、指輪はともかく、そう言い切れるメルクーアもたいしたものだ。


「いいえ、お母さま。頬ではありません。ここです」

シエルは髪をかきあげて、自身の額を明らかにしていた。


風と共に、沈黙が二人の間をかけぬけていった。


「とにかく、あなたはお子様です。まだはやい」

あきれたようなメルクーアの表情。

咳払いをしながら、そうシエルに告げていた。


「お母さま……。私、二十五歳です……。これでも……」

自分の体を見ながら、しょんぼりと年齢を告げるシエル。


こんな表情のシエルは見たことがなかった。



「幼児体型のことを言ってません。あなたの精神的なことを言っています。あなたはヘリオスにとって年上です。しかし、あなたの態度はまるで年下です。あの子に必要なのは、あの子を支えてくれる存在です。あの子に支えられる存在ではありません」

強い口調で魔法を放つメルクーア。

光弾とともに、メルクーアの意志がシエルを襲う。


「あう……」

シエルはそれをはじきながらも、心には相当のダメージを受けているようだった。


「あなたにそれができていましたか?」

次々と、メルクーアは言葉共に魔法でシエルを攻撃している。


シエルは魔法をはじけるが、言葉をはじくことはできないようで、だんだんとメルクーアから遠ざかっていた。


「さあ、シエルさん。そんなに遠ざかっては話もできません。さあ、さあ」

まくし立てるように、無数の光弾をシエルに放つ。


「お母さま! 私はヘリオス様に甘えます!」

その言葉と共に、シエルは自分を中心として氷の爆発を放っていた。


メルクーアの光弾はすべて、その爆発に消えていた。

そして、メルクーアはこの言葉に凍り付いていた。


「シエルさん……。もう一度……」

聞き間違いかもしれないと思ったのだろう、メルクーアは震える声でそう尋ねていた。


「私はヘリオス様に、とことん甘えて生きます!!」

さっきよりも強く言い放っているシエル。

どことなく誇らしげだった。


「……ちょっとまってくださいね」

目を瞑り、片手で頭を押さえながら、メルクーアはしばし考えているようだった。


「ふん」

鼻息荒く、胸を張るシエルは、自分の言葉に絶対の自信を持っているようだ。


「いいでしょう。あなたがそれほどまでにヘリオスに依存して生きるのであれば、あの子のために重荷は取り除いておきましょう」

考えをまとめたかのように、メルクーアは宣言する。


両手を大きく広げ、巨大隕石を召還していた。


「はい。お母さま。私はヘリオス様には甘えますが、自分には甘えません。ヘリオス様はすぐに自分を軽んじます。だから私が思う存分甘えて、自覚を持ってもらいます!」

シエルもベルゲンミルを召還し、自身も呪文を発動していた。


絶対零度アブソリュートゼロ

ベルゲンミルの魔法に自身の魔法を加えたそれは、巨大隕石の構成体の運動を止めていた。


落下の衝撃に突然の凍結が加わって、隕石は氷の爆発に変わっていた。


砕け散った氷は太陽の光を反射し、あたりは一面、光と氷が彩るきらびやかな世界となっていた。


「……。わかりました」

周囲の景色にみとれていたメルクーアは、それだけ言うと満足そうにほほ笑んでいた。


「あなたなりのヘリオスへの愛情。確かめました。もはや私からは何も言いません。どのみち私はもうすぐ消えてしまいます」

満足そうなメルクーアの表情。

そこには、確かな信頼を感じ取れた。

メルクーアは魔法の袋を取り出して、シエルの方に近づいていく。

心なしか、その姿は明滅しているようだった。


「これをあの子に渡してください。私はすでにこの世界にはいません。無理やりこの世界に、この体を通して生きながらえてきました。禁呪を使って十年以上生きていたのが不思議ですが、最後にあなたのような人に出会えてよかったわ。私もそういう考え方ができれば、今とは違う結果になったのかしらね……」

袋と共に、シエルには笑顔で感謝を告げる。

その顔は安心しきったようだった。

つかの間の温かな空気。

しかし次の瞬間、まるで糸が切れたかのように落下していくメルクーア。


「お母さま!」

魔法の袋を受け取り、シエルはあわててその体を追いかけていた。

地面との激突の間際、何とかメルクーアの体を支えたシエルは、その変わりように驚いていた。


それは、メルクーアの体に似せて作ったゴーレムのようなものだった。

その胸の中心で巨大な黄玉がわずかに明滅を繰り返し、そして消えていく。


「お母さま!」

シエルの声があたりにこだまする。

メルクーアの体に顔をうずめるようにして泣くシエル。

表情のないその顔は、何となく満足そうにしているように思えていた。



***



「ずいぶん待ったが、もう終わりか? それで、この中に俺を閉じ込めて、出れないようにするのか? 甘いな」

言い終わるよりも早く、マルスは飯綱イヅナをはなっていた。

メルクーアのことを考えている余裕はもらえないようだった。


空間が割れ、その先に元の世界が見えている。

しかし、その傷は徐々に閉じていき、今の空間に戻っていく。


「なるほど、積層型に閉じ込めているのか。時間がかかったな。まあ、出れることは証明したわけだが、小細工はもういいのか?」

油断のない目で俺を見ている。

俺の一挙一動を見逃さないようにしている。


それは、俺も同じこと。

マルスは自然体を保っているが、その隙は全く見えなかった。


「ええ、準備は終わっています。本当はあなたとはあまり話したくはないのですが、父上が寝坊していますので、仕方ないです。しばらく付き合ってください」

一瞬小さく光を放ち、マルスの懐に飛び込んでいく。


しかしその動きは、マルスもよんでいたようだった。

マルスの剣が、やすやすと俺の首をはねている。


刹那の愉悦


「ちぃ、いつの間に」

瞬時に幻想だと見破ったマルスは、俺の気配に対して一閃し、その反動で、距離を取っていた。


「本当にすごいですね。ふつうだと、やられてますね」

最初の位置から動くことなく、その様子に感心する。

そして、再び光を放ち、身を潜めていた。


積層型に構築するにあたって、俺はこの空間に少しの隙間を作っていた。


その隙間に自分の姿を隠し、別の場所に映すことで、あたかも移動しているように見せていた。

断続的な映像は、高速で動いているためという先入観もてつだって、違和感なく受け入れられていた。


先のメレナの戦闘が、いい布石になっている。

俺はただ、ミヤとノルンに俺の姿をひたすら送ってもらっているだけだった。


しかし、さすがは剣聖といえる存在。

マルスが目を閉じて、あたりの様子を探るようになってきた。


あれは危ないな……。

俺の感がそう告げている。

ほんの少し、俺は移動する気配をはなつ。


「ふん」

小さな気合の声と共に、移動しようとした空間に亀裂が入っていた。


「外したか……しかし、次は逃さん」

再びマルスは、居合の態勢に入っていた。


いずればれるとはわかっていたが、こうも早いと困ってしまう。

未だ英雄マルスの覚醒は遠い。

もっと戦闘を楽しませないといけないようだった。


一つ一つ試していこう。


次元障壁ディメンショナルバリア

姿を現すとともに、俺の前面に異なる次元を介入させた。

俺の行動を察知したマルスは、正確に居合の技を繰り出してくる。


しかしその攻撃は、次元の壁を超えることはできなかった。


「おもしろい。実に面白い」

マルスは楽しそうに笑っていた。


「ではこちらもいいものを見せてやろう。大蛇オロチ流というのはその奥義から名付けられたものだ」

そしてマルスは力をためるように、少し体をしずめていた。

呼吸を整え、静かに何かを待っている。

目だけが、俺をとらえて離さなかった。


俺の中で危機感が一気に膨らんでいた。

次元の壁を幾重にも展開する。


八大竜王閃ヤマタオロチ

ためた力を解き放つように、一気に居合を八つ繰り出してきた。

圧縮された居合の斬撃は、竜の形となり、次々と次元の壁に喰らいついていく。

まるで食い尽くすかのように、光となって次々と破壊しつくしていた。


「すごいですね」

その余波を避けながら、マルスにそう告げていた。


いくつもの次元の壁で遮断してなお、俺の体に傷を負わせている。

奥義というにふさわしい、圧倒的な力の技だった。

しかも、マルスはそれがデモンストレーションだと言いたげに、余裕の笑みを浮かべている。


戦いを楽しんでいる。

それは、マルスにしても、英雄マルスにしても同じものだということだ。


戦いの中でこそ、マルスは生き生きしていた。

デルバー先生が語った英雄マルス。

今まさに、その片鱗が見えていた。


「これは、僕一人では厳しいですね」

英雄に見せなければならない。

英雄も自分一人で戦っていたのではないことを。



「シルフィード、ベリンダ、ミヤ、ノルン、フレイ。君たちの力を借りるよ」

俺との契約により、上位精霊に匹敵する存在力を手に入れたシルフィードたちは、魔剣クランフェアファルを前にしてもその力を存分に発揮していた。


「みんなの力を僕に」

光と闇、水と大気を身に纏う。

そして炎を背負ったその姿は、まさしく太陽のように輝いていた。


「ふっ、余興もそこまでだ」

マルスは一気に距離を詰めてきた。

魔剣クランフェアファルを無造作に振り下ろす。

その間にあった衝撃は水と風の盾が防いでくれていた。


必殺の一撃。

その剣を聖剣ジークシュヴェルトが受け止める。

刹那の時、魔剣に向けた俺の魔法がさく裂した。


氷の棺(アイスコフィン)」「小爆発ミニマムエクスプロージョン

シルフィードとベリンダ、フレイの力を乗せたその威力は通常なら驚異的なものだろう。


しかし、魔剣は一瞬凍りつき爆発しただけで、すぐに何事もなかったかのように、その怪しげな輝きを放っていた。


「無駄なことを。魔法も精霊も俺には効かん」

マルスの勝ち誇った顔は、完全に俺を見下していた。


「所詮は魔術師。技など無用」

そう言って繰り出すマルスのそれは、ただの斬撃の嵐だった。


しかし、その一つ一つが必殺の威力を持って俺に襲い掛かってくる。

信じきれない速度と剣撃の重さは、攻めることを許さないものだった。

手甲と手甲剣でそのすべてを防ぐ。


時にはかわすが、それもフェイントのようで、誘導されたその位置に回避不能の斬撃がやってくる。

それらを風の盾、水の盾、光の盾、闇の盾、炎の盾を展開し、致命傷を防いでいく。

展開した直後に魔力マナを切り裂いてその盾を無効化していたが、ほんのわずかな瞬間が、生死を分けるものになっている。


そして、魔剣とぶつかる刹那に氷の棺(アイスコフィン)小爆発ミニマムエクスプロージョンを繰り出していた。


もう何度目かわからない斬撃の嵐をみまった後、明らかな疲労を見せいていた俺に、マルスは語りかけていた。


「ほら、どうした。息が上がっているぞ。お得意の魔法を繰り出してみろ。精霊をけしかけてみろ。もっと俺を楽しませてみろ」

優越感にひたるマルスには、全く疲労の色は見えなかった。


「あなたは早く父上から情報を引き出した方がいいですよ。僕が何をしていたか、英雄マルスならわかっていますから」

俺は肩で息をしながらそう告げていた。


「ふ、無駄なこと」

マルスの狙いは俺の首。

過去の戦いで、必ずと言っていいほど最後はそこに剣を振るう。


予想されたその剣を手甲剣で迎え撃つ。


魔剣クランフェアファルと聖剣ジークシュヴェルト。

幾度となくぶつかり合った二つの剣。

共にマルスが手にした二つの剣


互いに雌雄を決するように、激しくぶつかり合っていた。


ひとたび折れて、鍛えなおされた聖剣ジークシュヴェルト。

その刀身には、傷ついてなお折れぬ意志が宿っている。

その意志をマルスの元に届けるべく、魂の雄叫びをあげていた。


その瞬間、魔剣クランフェアファルは勢いよくその刀身を二つに分けていた。


「なんだとー!」

折れた剣を驚愕の眼差しで見つめるマルス。

同時に苦痛の悲鳴と叫びをあげていた。


この時しかない。

背後に瞬間移動テレポートし、マルスの頭を持って魔法を発動する。


同調チューニング

まばゆい光が俺たちを包み込み、俺の魔法が効果を現した。



***



見慣れた空間。

しかし、どことなく違う。

意識を向けると、そこに二人のマルスがいた。


一人は憎らしげに俺をにらみ、もう一人は手足を縛られながらも、頼もしそうに俺を見ていた。


「初めまして、父上。英雄マルスと呼んだ方がいいですか? それとも別の名前がいいですか?」

手足を縛られているほうのマルスに、そう語りかける。


「マルスでいい。俺の息子にして、メルクーアの子。ヘリオス。お前の声は届いていたよ」

英雄マルスは力を込めると、手足の束縛を引きちぎっていた。


「礼を言う」

自由になった感触を確かめながら、簡単に伝えてくる姿。

それは、英雄にふさわしく威厳に満ちたものだった。


「馬鹿な! その呪縛は簡単には敗れないはず!」

もう一人のマルスは信じられないものを見たように叫んでいる。


「簡単なことですよ。魔剣を破壊したからです。あとは、父上の心次第でしたが、楽しめましたか?」

マルスに説明し、英雄マルスに同意を求めた。


「ああ、楽しかった。特に次元の壁を出されたときには興奮したな。そしてあれを打ち破ったおまえの剣技にも感心したさ。こんな楽しいことに参加できないのは、正直悔しかったさ」

英雄マルスはにやりと笑う。


「やはり、あなたは想像した通りの人でした。さあ、みんな待ってます。英雄として凱旋しましょう」

自分でも、何を言っているのかわからない。

しかし、英雄マルスを目の前にして、その偉大な姿に帰って来てほしいと願っていた。

英雄マルスは俺の差し出した手をじっと見つめている。


「それはできんよ」

マルスは悲しそうに、頭を横に振っていた。


「少なくとも、俺は夢を見ているつもりだった。アデリシアのことも、ヴィーヌスのことも、夢の中だから耐えれたんだ。けど、もう無理だ。アデリシアのいないこの世界。そしてメルクーアもいなくなったこの世界に、俺だけが帰っても仕方がない」

マルスの瞳はまっすぐに俺を見ている。


「それに、新しい英雄には、敵役が必要だ。おれの英雄としての最後の役割は、この世界の礎となることだろう。たとえそれが、英雄という存在を貶めることであったとしても、新しい英雄がそれを塗り替えてくれればいい」

そう言い終わらないうちに、英雄マルスはマルスを羽交い絞めにしていた。


「こいつも元々は俺だ。こいつが世界に振りまいた災厄は、やはりきちんと責任を取らなければなるまい」

英雄マルスはマルスに一言何かを告げると、笑うようにマルスは消えていた。


「これで、お前は俺を放置できないな」

実に晴れやか顔で、両手を広げている。


「あなたの本当の名前は何ですか?」

最後に確認しておかねばならない。

英雄マルス。

その真の名前を……。


「その名はとっくに捨てた。もし気になるのなら、俺の書斎の机に手記を読めばいい。そうすれば俺がどこから来たのかがわかるだろう。しかし、俺はマルスだ。もはやそれ以外の何者でもない」

静かに目を閉じるマルス。


その姿は、どこまでも威厳に満ちていた。

英雄マルスという存在に、微塵の迷いもないのだろう。


これが本当の英雄の姿か。

どこから来たのか、どんな名前だったのかは関係ない。

英雄マルスとして生きている。

だから、ただそれだけだという事か。


俺が沈黙を守っていると、突如としてこの場の雰囲気が変わっていた。


「最後に一つ頼んでいいか?」

目を開けたマルスの表情は、どこか見覚えのある表情だった。


無言で頷くと、マルスは俺に近づき、そして優しく抱きしめてきた。


「思えば、お前をこうしてやるのは、初めてだな。ヘリオス。立派になった」

マルスの大きく硬い手が、俺の頭を優しくなでていた。

師匠とは違う。

デルバー先生とも違う。

厳しくも、大きく包み込むような何かが、俺の心を満たしていた。


「父上……。やはりだめなのでしょうか」

月野としても、ヘリオスとしても得られなかったもの。

父親という存在を、初めて俺は味わっていた。

出来れば手放したくはない。

英雄としてではなく、父親として、俺のそばにいてほしかった。


「だめだ。男は引き際が肝心だ。英雄としてのマルスはとうに死んでいる。俺はここで敵役として死ななければならない。その上で、お前たちが次の時代を作るんだ。それに、父親というものは、息子に願いを託すものだ」

俺をその抱擁から解放すると同時に、俺の肩をしっかりとつかんでいた。


「お前に託す、ヘリオス」

その瞬間、俺の体に何かが流れ込んできた。


英雄の意志。

英雄の願い。

英雄の痛み。

英雄の愛情……。


さまざまな思いが、俺の中に流れ込んでくる。

そのすべてを受け入れたとき、マルスの精神世界は終わりを見せていた。



横たわるマルスを見ながら、隔離した空間を元に戻す。


シエルたちが一斉に駆け寄ってきたが、俺の心にぽっかりと空いた穴は、なかなか埋めることができそうになかった。


乾いた笑顔で迎える俺の表情に、全員がその意味を悟っているようだった。


「英雄はお前に後を託したからこそ、こんなに安らかな顔なんだろうが」

そんな俺に、バーンはマルスの顔を見せていた。

本当に安らかな顔をしている。


満足して、安心して、今でもすぐに起きそうなきれいな顔で眠っている。


「そうですね。僕がこんな感じでは、安心していけませんよね」

そうだ、俺は託されていた。

そして、俺は父親というものを知った。


偉大な父に、心配をかけるわけにはいかない。

もしも、この穴を埋めるとするならば、それは別の何かで埋めていけばいいことだ。

そうすることを望んでいるような気がする。


改めて、バーンに笑顔で感謝を告げる。


「よし、俺たちはやったぞ!」

俺の顔に満足したのか、バーンがそう叫んでいた。

それは、重くのしかかった暗雲を切り裂く英雄の雄叫びのように感じた。


ふと見ると、シエルが何かを抱えている。

目を真っ赤にはらしたシエルは、俺にそのことを言いにくかったに違いない。

全てを見ていた俺は、それがなんなのかを知っている。


「シエルさん、母様をこちらに」

一瞬体を硬直させたシエルは、ゆっくりとそれを持ってきた。

どこからかつんできたであろう花一輪、それをその胸に抱かせてくれていた。


「ありがとう。シエルさん」

メルクーアの遺体ともいうべきゴーレムを受け取り、英雄マルスの隣に横たえる。


「二人とも、これからの僕たちを見守ってください」

二人をフレイの炎で焼きながら、シエルの頭に手をのせる。

俺の前では我慢していたのだろう。

堰を切ったように泣き出すシエルを、そっと抱きよせる。


「二人仲良くアデリシア姫とヴィーヌス姉さまに会いに行ってください」

その瞬間、炎が勢いよく立ち上り、そしてはじけ飛んでいた。

そして何事もなかったかのように、そこには何も残されてはいなかった。


俺はその炎に、二人の姿を見ていた。


無言で頷く二人を、笑顔で見送り祈りをささげる。

その新たな旅立ちに、家族のきずなで乗り越えられるように……。



***



すべてが終わって、最初にマルスの書斎を訪れていた。

そこにある手記を手にいれ、魔獣の壺と、妖魔の壺を回収しておく。

これを使って各地に魔獣を召還していたのは、デルバー先生の読み通りだった。

その他にも、この部屋にはいろいろなものが置かれている。

必要なものは、何となくわかっていた。

恐らく俺の意識に伝えていたのだろう。

必要なものを必要なだけ魔法の袋にしまいこむ。


メルクーアの部屋や鍛錬場など、俺は思い出の場所をただ思うままに歩き、整理されていたメルクーアの遺品や思い出の品などを回収していた。


もう帰ろう。

そう思ったものの、何故かそれ以外の場所を歩いていた。


正直、この屋敷に良い思い出というものはないはずだった。

しかし、俺はあてもなく屋敷の中を歩いていた。


すでに屋敷には人の気配はなく、廃墟のような雰囲気となっている。

しかし、屋敷をめぐるだけで、たくさんの思い出が俺の中からあふれだしていた。


慌てて逃げる俺がいた。

そんな俺を笑いながらも、逃げ道を開けるメイドがいた。


お腹を空かして大急ぎで食べる俺がいた。

そんな俺に笑いながら料理を出してくれる料理長がいた。


これまで、全く良い思い出がないと思っていた屋敷にも、小さな良い思い出はたくさんあった。


「ありがとう」

その一つ一つに感謝を告げる。


屋敷から出てきた俺を、皆が心配そうに見ていた。

それぞれに、感謝を告げて、俺が得た結果を告げる。


霧の迷宮(ラビリントネーベル)を発生させていた魔道具は、やっぱりこの屋敷全体のようだった。


暗雲も、この屋敷を中心に広がっていた。


シエルからもらったメルクーアの魔法の袋。

その中にあった手紙にも、屋敷を破壊するように書かれていた。


「フレイ。また君にお願いするよ」

自分の心にけじめつけて、俺はフレイにお願いする。

無言で俺の肩から飛び立ったフレイは、今まで見たことのない巨大な姿で、屋敷をその翼に包みこんでいた。


「さようなら」

そうつぶやかずにはいられなかった。


「王よ、感謝します」

フレイがその姿を戻すとき、いつになく真面目な態度で肩にとまっていた。


巻き起こる炎と立ち上る煙。

それと共に、モーント辺境伯領からは霧がはれ、暗雲が取り除かれていく。

燃える屋敷を背にして、俺たちは静かにそれを眺めていた。

いつの間にか日の光が差し込み、領内を明るく照らし出している。


やがて屋敷は崩れ落ち、煙だけとなっていた。


それはまるで、新しい時代を告げる狼煙のように、天高くそびえるよう立ち上っていた。


マルスとの戦いに勝ったヘリオスは、空虚な感情を抱きました。しかし、周囲の情勢はヘリオスにそれに浸る余韻はあたえません。

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