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夢の世界の中で僕は  作者: あきのななぐさ
夢の世界へ
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波乱の幕開け

少し物語が進行しました。よろしくお願いします。

「あれ……?」

意識を取り戻したヘリオスは、自分の体がそれほど痛みを感じていないことに戸惑いを感じているようだった。

ゆっくりと体を起こして、いろいろと体を確認している。


「たしか、ウラヌス兄さんに打ち倒された……」

あの時の状況を思い出そうとしていたのだろう。

その時、扉が開き、誰かが入ってきた。


「ヘリオス、おきた?」

部屋に入ってくるヴィーヌスを見て、ヘリオスの顔に理解の色が浮かんでいた。


「ありがとうございます。ヴィーヌス姉さま。姉さまが治療してくださったおかげで、大丈夫です」

深々と、感謝をこめて頭を下げていた。


「今回はなにもしていないの……。ヘリオスも丈夫になったからかしらね」

ヴィーヌスは、あいまいな表情を浮かべながら、そう告げていた。


「わたしが?ご冗談でしょ、ヴィーヌス姉さま。お気遣いはありがたいのですが、自分のことはよくわかっております」

一瞬、ヘリオスの顔に陰りが見えた。

しかし、次の瞬間にはヴィーヌスに笑顔を向けていた。


お互いに微妙な笑みで見つめあう。

かけるべき言葉を探すかのように、互いに視線をそらせていた。


沈黙が二人を包み込む。


「ヘリオス……」

ヴィーヌスが何かを言いかけたとき、まるでそれを阻止するかのように、ドアが来訪者を告げていた。

下を向くヴィーヌス。


「はい、どうぞ……」

その姿を見ながら、緊張した面持ちで、ヘリオスはそれに答えていた。





誰が来たのか、何のために来たのか。

俺ですらそれが分かっている。

当然この二人も、それが分かっている。

意識が回復したタイミングでやってくる来訪者は、ヘリオスにとって、あまり好ましくないことが多かった。

魔法的にみられている以上、それは避けて通れない。

ヘリオスにはどうしようもないことだった。



***



「ヘリオス坊ちゃま、メルクーア様がお呼びです。急いで儀式場にいらしてください」

ドアを開けて入ってきたメイドは、静かにそう告げた。


丁寧な言葉だが、有無を言わさぬ迫力があった。


「ヘリオスは今回復したばかりです。もう少し休養が必要です」

メイドの方には目もくれず、ヴィーヌスはあたりを見回しながら、そう告げていた。


「ヴィーヌス様、私はメルクーア様からのお言葉をヘリオス坊ちゃまに伝えているだけですので……」

ヴィーヌスにとってそれは予想通りの言葉だったのだろう。

ため息をつきながら、視線を下に向けていた。


「ヴィーヌス姉さま、私は大丈夫です。お姉さまのおかげで、このように」

ヘリオスはゆっくりと起き上がり、笑顔でそう答えた。


しっかりとした足取りをみせる。


「それでは、用意してきます」

もう一度、ヴィーヌスに頭を下げてから、ヘリオスは隣の部屋に駆け込んだ。


ヴィーヌスは、ただ何も言わずに、その場で項垂れていた。



急いで用意を整え、部屋に戻ろうとしたヘリオスは、その姿を見て立ち止まっていた。


部屋にのこったヴィーヌスが、ヘリオスが先ほどまで寝ていたベッドに向かってつぶやいていた。

「ヘリオス……。わたしは無力です……」

長い金色の髪が、流れるようにその美しい横顔を隠す。

しかし、隠しきれない感情は、涙となってシーツを濡らしていた。


「お姉さま。そのお気持ちだけで、十分です」

その姿に頭を下げて、もう一つの扉から儀式場へと歩き出していた。




***



「ヘリオス、時間は待ってくれませんよ!」

部屋に入るなりいわれたその言葉で、ヘリオスは体を硬直させていた。


「申し訳ございません、お母さま。ウラヌス兄様に稽古をつけていただいた時に気を失いましたので……」

母親だが、他人行儀な挨拶をしていた。


言葉が感情を物語る。

態度が関係を物語っていた。


ヘリオスと母親との間には、深い溝が横たわっていた。

ヘリオスの顔からは、表情が無くなっていた。



「いいですか。あなたは人一倍、努力しないといけないのです。モーント家は武門の家柄。しかし、あなたには、その素養がまったくありません。けれども、あなたには古代語魔法という手段があります。ひと時も休んではいけません。時間は有限なのです」

厳しい視線がヘリオスを射抜いていた。






古代語魔法、はるか古代に繁栄した魔法文明。

その遺物たる魔導書。

その解読を、早くもヘリオスはできるようになっていた。

いまだその深奥は覗けていないが、必要な知識は頭に入っていた。

魔力マナという、この世界に普遍に存在するものを、適切な呪文と行為で具象化する。

それが古代語魔法というものだ。

そして、この母親はその使い手であり、その実力をもって父親の副官を務めていた人だった。





「はい、お母さま。一刻も早く魔法を使えるように努力します」

真剣に答えるヘリオスに、満足したように頷くメルクーア。

それに呼応したかのように、部屋に魔法が展開されていた。


力強い波動が感じられ、同時に優しい雰囲気を醸し出す。

ほのかに光る壁や天井が、この場所は通常の空間ではないことを物語っていた。



「さあ、これでこの場は魔力マナで満たされています。いかに貴方の力が弱くても、呪文の行使は可能なはず」

これだけの力場を形成しても、メルクーアには特に疲れた感じはなかった。

最後に魔法陣を展開させて、準備が終わったことをヘリオスに告げていた。



「ありがとうございます。お母さま」

ヘリオスはゆっくりと魔法陣の中に入ると、自分の魔術書を開いていた。

目的のページを開けたあと、堂々とした態度で、詠唱していた。




実際に、ヘリオスは、すでに上級魔法の習得に努めている。

この年齢で、これだけの魔法を習得することは通常不可能だが、メルクーアのおかげでそれができているようだった。

もちろんヘリオスの努力は並大抵のものではない。




魔術の効果をイメージし、必要な儀式を行使する。

魔法陣の中で、呪文を発動させ、効果を検証していた。

対象として用意されていたものが、その効果を証明していた。


ヘリオスが新しい魔法を習得した瞬間だった。


その一連の流れをじっと見守る母親は、満足そうに頷いていた。


しかし、再度検証のために行った呪文発動の段階になると、途端に表情が険しくなった。

ため息をついたヘリオスは、再度魔法陣内で同じことを繰り返していた。

しかし、今度は先ほどよりも多くの対象をその魔法の効果に包んでいた。


「お母さま、おわりました。麻痺の空気パラライズエアは習得しました。領域拡大も可能になりました」

そう報告するヘリオスは、とてもうれしそうだった。


新しい呪文の習得という達成感が、そうさせていたに違いない。


しかし、メルクーアは厳しかった。


「……ヘリオス。それは習得したとは言わないのです」

有無を言わさぬ迫力だった。

もはやヘリオスからは、先ほどの表情は消えていた。


「……はい。お母さま……。申し訳ありません」

項垂れるヘリオスは、かろうじてそう返事をしていた。





俺でも見ていたらわかることだった。

メルクーアの表情が、雄弁に物語っていた。


魔法の発動。

それはヘリオスの課題であった。

自分の力だけでは、発動できない。それがヘリオスの抱えている問題だった。


通常魔法を行使するためには魔力マナのコントロール、魔力マナを具象化するためのイメージ。そして具象化したものの固定化をして初めて発動する。

それができれば、威力調節と範囲拡大の順に発展させるようだった。


魔法陣の中では、なんの問題ない。

それどころか、威力調節と範囲拡大までも行うことができていた。


しかし、魔法陣を離れた途端、状況が変わっていた。


自分の魔力マナコントロールにより具象化した途端、魔法は形を成さず、はじけていた。

魔力マナの暴走は、術者にとって危険な行為だ。

この力場のおかげで、ヘリオスは無傷で済んでいる。


これは具象化と固定化に必要な魔力マナがコントロールできていないことを意味している。

または、単純にコントロールする魔力マナが不足しているかだ……。

魔力マナを扱うにも魔力マナが必要となる。

魔法陣の中では、魔法を発動できるヘリオス。

そのヘリオスに、魔力マナコントロールができないということはありえなかった。





「ヘリオス。おそらくあなたはこの力場とその魔法陣のなかでは、あらゆる魔法を習得するでしょう。しかし、それは魔法陣の中だけのことです。あなた自身が自分の力で使えないものを習得したとは言えません」

見下すような視線と共に、冷淡な口調でそう告げていた。


自分の意識化に魔法のイメージはできている。補助があればその行使も可能だった。

しかし、自分の力だけでできない以上、それは自分の魔法とは言えない。


メルクーアの言うことは正しかった。

魔力マナを扱うのにも魔力マナを使う。

ヘリオスは圧倒的にマナが不足しているということだ。


「……やはり荒療治でも、魔力マナを上げることをしないといけませんね……。ヘリオス、覚悟はいいですが?」

覚悟を問う。

それはメルクーアの中でためらいがある証拠だった。



「……はい、お母さま……」

もう何度となく繰り返された、魔力マナを上げる方法。


それは魔力マナ使い続けることだ。

限界以上に魔力マナを使い切ることで、限界を超えようとする昔ながらの修行方法。

しかし、その後には意識を失うという欠点と、すさまじい疲労感がのこるというものだ。



「では、ヘリオス。しっかりと抵抗しない」

メルクーアは何かを唱えると、苦痛の叫びと共に、ヘリオスは膝をつく。


ほんの少しの間ではあったが、確かにヘリオスは抵抗していた。

必死に耐えるヘリオスだったが、それも時間の問題だった。


その場でゆっくりと倒れるヘリオスを見て、メルクーアは悲しげに頭を振っていた。


「無理をさせてごめんなさい……。こうしなければ、あなたが……」


倒れた息子をその手に抱きしめていた。

そこには先ほどまでのメルクーアはいなかった。


誰にも聞かれないその言葉は、彼女にとって贖罪とはならない。

しかし、それでもそう言わずにはいられないようだった。


「この部屋の中ならこうしていられる。抱きしめてあげられる。しかし、この子には強くなってもらわねばならない。それには自分は悪魔になるしかない」

決意するその顔には涙があふれ、小さなヘリオスの体を、より一層強く抱きしめていた。



目の前で、小さなヘリオスを抱えるメルクーア。

その瞳からは、涙があふれていた。

一体この母子に何が起こっているのだろう。

なぜ、メルクーアはこれほどまでにヘリオスの成長に躍起になっているのだろうか?

自分自身がヘリオスに憎まれるかもしれないのに……。

母親というものがよくわからない俺は、理解されない母親の愛情と母親に甘えられない子供の不幸を何とかしたいと思い始めていた。

ヘリオスが魔法を使うことができたのならば……。

いろんな感情が渦巻いて、俺はただ二人を眺めることしかできなかった。





***




「アイオロスか……」

男は今しがた書き終えた書類に封をして、引き出しにしまおうとしていた。


そして、部屋に違和感を覚えたのだろう。

そうつぶやきながら、書類を引き出しにしまっていた。


「マルス様、くだんの件、判明しました。それと、お耳に入れておきたいことがございます」

執事にふさわしい振る舞いで、お辞儀をするアイオロス。

その油断のない瞳は、これから報告する内容の重大さを物語っていた。


その時、マルスの雰囲気が変わっていた。


「精霊石は即刻破壊しろ。そうすれば生まれたばかりの精霊は何の自我も持てなくなる。上位精霊も誕生するまい」

マルスはためらいなくそう命令していた。





この世界に普遍的に存在する精霊は、その憑代となる精霊石によって自我を持つ精霊になるようだった。そしてその中から存在感を増したものが上位精霊となる。

この上位精霊は、世界に多大な影響力を持つとされていた。

したがって精霊石は精霊にとって重要なものであり、自然の恵みをうけるためには、この世界にとって、必要なもののはずだった。





「マルス様、ここ10年で発見、破壊した精霊石は4個になります。なかでも火の精霊石を破壊後、領内ではたびたび異変がおこっていますが、大丈夫しょうか?」

アイオロスはマルスに従順だが、疑問は口にする。


「心配ない。想定内だ。それよりも他の精霊石だ。そして、あの精霊女王の結界石も早く見つけるのだ。あのものを封印してこそ我の願いは一つ進むのだからな」

ただならぬ気配を感じ、アイオロスは恭順を示す。


「御意」

アイオロスの態度は、これ以上この話題に踏み込んではいけないと感じているようだった。




「それはそうと、話はそれだけではないのだろう?」

話が変わることにより、先ほどまでの威圧感はきえていた。


そっと息を吐き出し、アイオロスは慎重に話をしていた。


「ヘリオス坊ちゃんに何かついてきているようです」

アイオロスの報告は、見てきたままのものだった。


「はっきりしない言い方だな、半端もののあれに何がつこうが問題あるまい?」

マルスは自分の子ではあるが、剣の才能が全くないどころか、魔法もろくに使えないヘリオスを気にかけていなかった。


「私には判断できませんので、ただ……」


アイオロスは言葉を濁していた。


「ただ、なんだ?はっきりしないな!」

いらだちからか威圧感が徐々にもどってきていた。

アイオロスは額の汗をふきながら、推測を交えず、事実のみを告げていた。


「先ほども申しましたが、私には判断できかねるものですので、見たままを申します。ヘリオス坊ちゃんとウラヌス様とのお遊戯がいつものように行われておりました。ウラヌス様の一撃を察知して、ヘリオス様がかわしたということです。しかしそれは、ヘリオス坊ちゃんがしたというよりも、何者かが介在した可能性がある動きにみえました」


「ほう……」

先ほどの毛ほども気にもかけなかったヘリオスのことに、かなり興味を持ったようだった。


マルスは腕を組み、何かを考えていた。

その双眸は獲物を吟味するようであった。



「その時に空気の流れはどうだった?」

マルスはその目に力を込めてアイオロスを見ていた。


「そういわれますと、若干変わった感じがございました。特にヘリオス坊ちゃんの周囲は……」

アイオロスの顔に理解の色が浮かんでいた。

それと同時に、これまで以上に汗をかいているようだった。

自然と姿勢を正していた。


「ヘリオス坊ちゃんには風の精霊がついていると……?」

アイオロスは、額の汗を拭きながら、自らの考えを言葉に出していた。


「信じがたいことではあるがな……。あれは何のとりえもないと思っていたが、まさか精霊がつくとは……」

マルスの口調は、本当に驚いているようだった。



精霊に関しては、ヘリオスの座学にもでていた。

古代語魔法は一種の学問として位置づけられており、系統の異なる魔法に関しても、知識として習得することが必要だ。

それがメルクーアの教えだった。


たしか、精霊魔術は精霊との契約をもとに行使できる魔術形態だ。

それは後天的にはほぼ不可能で、先天的に能力がないとできないとされている。

しかも、精霊のほうから正常な状態で来ることは本来ありえないことだった。

仮にそういった場合は何らかの影響が出るものだという。

怒りの精霊に憑依されたものが狂戦士バーサーカーになるように、その変化は明らかだった。


しかし、状況的にヘリオスには風の精霊がついていると思われる。

そういう結論だった。




「それでヘリオスには精霊が見えていると思うか?」

マルスは確認のため、アイオロスの意見を求めていた。


アイオロスは驚きながらも、見たままを報告していた。


「それがしには判断つきかねますが……。魔法を行使した形跡はございません。実は先ほどのときもかわす前にヘリオス坊ちゃんは意識をうしなっていましたので……」


マルスの眉が少し動いたが、やがて自身の思考に没頭していった。

そして、ある程度納得の解答を見つけたように、アイオロスに告げていた。


「なるほど……。それは気まぐれがついているだけということか……?」

マルスはあきれているようだった。




まれにいたずらで一時的に精霊がその周囲にいることもある。

しかしそんな時は、周囲にも影響は出てくる。



「その可能性はございますが、ただ、ヴィーヌス様が来られた時には、影響は消えていましたので、かなり周囲を警戒しているものと思われます」

アイオロスは見たままを言う。

そうすることが正しいことだと信じているようだった。




「ヘリオスには風の精霊の関与があるな。しかし、なんら修行をつんでいない精霊魔術師に精霊が契約したとは思えない。なんらかの協力があれば別だろうが、子どもにそれは期待できまい。となると、ヘリオスをわしへのけん制にしたというわけか……。やつめ、むだなことを……。あの出来損ないをわしの子供と思う方が間違っている」


ふつう自分の子供である以上、人質としては有効なはずだが、マルスの言葉はそうではないことを表していた。



「向こうの出方を待つとするか……、精霊石破壊後、ヘリオスの監視を怠るな。あ奴は何か知っているかもしれんが、とりあえずはあれの出方待ちでよいだろう」

マルスはそう決めると、アイオロスに下がるように指示して、引き出しをあけていた。


「まて、アイオロス。これを燃やしておけ」

アイオロスは投げ捨てられた書類を拾いに、マルスのそばに近づいた。


「油断ならないな……まだあがいてくるとは……」

小さくそうつぶやくその声を、アイオロスは聞こえないふりをしていた。

命令以外のことに、興味を持っては命がいくつあっても足りない。

その態度はそういうものだった。


その書類を拾うときに、アイオロスは偶然その文字を目にしたようだった。

(王立アカデミー入学願書)それにはそう書かれていた。







***





「お母さま、また子供たちが……」

そういって少女は、悲しげにうつむいていた。その姿は水色に光るものだった。

それが人ならざるものであることを物語る。


「そう、ベリンダ……悲しいことです」

お母さまとよばれた存在はひときわ大きな光に満ちていた。その姿ははっきりとはとらえられないが、優しい雰囲気と力強さを兼ね備えていた。


「このままではやがて……」

ベリンダと呼ばれた少女は消え入りそうな声でそうつぶやく。


「たしかに、これは私の存在までも脅威になりつつあります。マルスは私の力をわがものにするつもりなのでしょう」


「ですが、お母さま……、精霊女王の力を人間ごときが制することが可能なのでしょうか?」

少女の様子は不可能だとは考えていない様子だった。



「何か秘策があるのでしょう。人は時折不可思議な力で上位精霊をも封印してきました。その力を侮ってはいけません。人間の業は果てしないので……」

そうして精霊女王は思案し、やがて決断したようにベリンダに話しかけていた。


「やはりこの方法しかないでしょう。ベリンダ、私は一度滅びます」

精霊女王は重大なことをいともたやすく口にした。


「お母さま!?突然なにを?」

ベリンダは精霊女王が口にした言葉の意味を理解できないでいた。


「お母さまがいなくなれば、精霊は生まれることも、存在することもできません。1000年の時を超えて不滅の存在を、たかが人間ごときのために、その身を消滅させるおつもりですか?それでは世界が崩壊してしまいます」

自らの疑問をぶつけていた。


「安心なさい。一度滅びるとはいっても、今のこの姿だけです。わたしの結界石の核をもとに、私の分身体を作ります。その子に私の力を注げば、私は存在していることになるでしょう。しかし、私の存在がマルスにとって脅威であるならば、一度身を隠すことも必要と思います」

もはや決定したと言わんばかりに、精霊女王は宣言していた。

ベリンダは、ただ、黙ってうつむいていた。


精霊女王はひとしきり何かを行ったあと、その力をそれに注ぎ込んでいた。


それは最初、小さな光だった。

しかし、みるみる力強くなり、そして最後に形を整えていった。


6枚の光り輝く、半透明な羽をもつその姿は、それ以外は人間と似たものだった。


体長15cmほどのその姿は光を宿した妖精だった。

生まれたばかりのその姿を楽しむように、それは周囲を飛び回る。


「あなたのことは、ミミルと名付けます」

ひとしきり遊んだと思った頃、精霊女王は妖精にそう告げた。


ミミルと呼ばれた妖精は笑顔でその名を受け入れていた。

その時、ミミルの中にある何かが、ミミルにそれを伝えてきた。


「ミミル、自分のなすべきことは理解しましたか?」

精霊女王はやさしいが、厳しいまなざしでミミルを見つめていた。


「はい、お母さま。わたしは私の義務を果たして見せます。かならずや……お母さまの願いを……」

ミミルは自分の使命の重要さに押しつぶされそうになりつつも、それを必ず成し遂げる決意をその顔に宿していた。


精霊女王はにっこりとほほ笑んでいた。

「ベリンダ、あなたもよろしくね」


ベリンダは何も言わずに頭を下げた。


「さて、あとはあの子ね。あの子の存在が私に希望を与えてくれた。あの子にはこれからますます試練が訪れるでしょう。あなたたちがしっかりと守ってあげて」


「「はい、お母さま」」

二人はしっかりとそう答えた。


にっこりとほほ笑むと、最後の仕上げのために、力を使う。

その傍らでベリンダは涙ぐんでいた。


「それとベリンダ、あの子についているシルフィードにしっかりと伝えておいてね。あの子のことはマルスには知られているのでしょう。風の精霊石が破壊されたから」

精霊女王は表情をくもらせていた。


「風の精霊石が破壊されたということは、この泉の守りがなくなったといえます。魔物やマルスの眼にもつくでしょう。それにしても風の精霊石が壊されてもシルフィードが暴れなかったのは、えらいですね。あの子もちゃんと私の言いつけを守ってくれていますね」

満足そうに頷きながら、精霊女王はベリンダに話しかけていた。


「あなたの遠見の力でヘリオスの周りを警戒しておいてちょうだい。きっとマルスはヘリオスに監視をつけているわ。そのものには重要な役割を演じてもらいましょう」

そういうと再び女王は仕上げのための準備に取り掛かったようだった。


ベリンダは言われたとおりに遠見の魔法を展開する。

その魔法には、ヘリオスの姿が映し出されていた。



***


「なにかちがう……」

ヘリオスの表情は、不安に曇っていた。


ここは昨日までの泉ではなかった。

少なくとも、ヘリオスもそう感じたようだった。


「なんだろうこの感じ……。なにもないというか……」

ヘリオスがこの場所に求めていたもの。

安心感。

それが今では失われていたようだった。


そして、ここに来るまでのことも不思議だった。


いままでは、ヘリオスも望まなければつい見逃してしまう。

そういう場所がいくつもあった。

そのたびに立ち止まるヘリオスは、それを探し当てて、ここに来ていた。


しかし今日に限っては、不思議とすんなりと来ることができていた。


こんなことはこれまで一度もなかった。


「それにしても、ひどい……」

泉の場所は、荒れ果てた姿をしていた。

ここがそうですと言われても、誰も信じない感じだった。


泉は変わらず美しいが、その周りの風景が違いすぎた。


「なんだ!?」

強い風がヘリオスを追い越し、泉に向けて吹き付けた。

水面は風でひどく荒れ、周囲に波となって押し寄せていた。


「いったいなにが?」

不思議な状況に、ヘリオスは警戒を強めていた。


それはあたかも風が水に襲い掛かっているかのようだった。


ひとしきり吹き荒れた後、水をまきあげた竜巻が木々の向こうに飛び去って行った。

ヘリオスは自失呆然となりながら、その方向を見続けていた。


とその時、泉の向こう側で、草が何者かの接近を告げていた。

そのことに気が付いたヘリオスは、反射的に身を隠していた。


「!!ゴブリン!?なぜこの場所に?」

小さく悲鳴を上げていた。


「なんで?いままではいなかったのに……」

小さくつぶやくヘリオスは、今の状況を信じられないようだった。


「何とかしないと……。アイツらにこの場所を荒らされてしまう……」

ヘリオスの中で、いろいろな感情が渦巻いているようだった。


「ここをこんなに荒らしたのは、アイツらの仕業なのか?」

ヘリオスの目に怒りの色が浮かんできた。

隠れながらも、握り続けるそのこぶしは、ヘリオスの怒りの強さを物語っていた。

しかし、まだ5歳の子供に、どんな手段があるというのだろうか?



「こんな時に力があったら……。自分の大切にしているものを守れるだけの力があったら……」

ヘリオスの目に涙があふれていた。

何もできない自分を呪っているような感じだった。

それでも、ヘリオスは必死に何かを考えていた。


「何もできないかもしれないけど、この場所が好きだったんだ。だから、私はここを守る!」

その手に棒を握りしめ、決意を込めて叫んでいた。

それは、自らの恐怖にうちかったヘリオスの、最初の勝利の瞬間だった。



ゴブリンは最初、ヘリオスの放つ覇気に気圧されていた。

しかし、相手が小さな人間だとわかると、醜悪な表情でヘリオスを見下した。


「おまえ よわい おで つよい」

そういうとゴブリンはヘリオスにむかってはしってきた。


その手にはみすぼらしい短剣が握られている。

しかし、その刃先には緑の液体が付着していた。


「毒か……」

意外に冷静に見ているようだった。

かすかに震えるその体は、だんだん迫る死の恐怖に、必死に耐えているようだった。


「よく見るんだ、ヘリオス。ウラヌス兄様にあれだけしごかれたのは伊達じゃないはずだ」

自らにそう言い聞かせて、ゴブリンの姿を見続ける。


「こんな棒ではゴブリンには勝てない。あの短剣がかすっても駄目だ」

ヘリオスはどうすれば勝てるのかを必死に探していた。


「思い出せ。あのことは無駄じゃないはずだ。体は覚えている!」

ヘリオスはウラヌス兄さんのことを思い出しているようだった。

暗示にかけるかのように、何度も言葉に出していた。


勝利を確信したゴブリンの顔が、醜悪に笑っていた。

しかし、その顔で短剣を突き出した瞬間、ヘリオスは横に飛びのいていた。

そして、すかさず伸びきった手首に一撃をいれていた。


勢いと不意に襲った痛みを受けて、ゴブリンは思わず短剣を落としていた。

痛みに耐えながらも、落ちた短剣を探していた。

しかし、なぜか短剣は見つからないようで、あきらめたように、手ごろな棒をひろっていた。


油断したのが分かったのだろう。

今度は慎重に間合いを詰めてきた。


「……」

ヘリオスの顔からは、疲労の色が濃く見えていた。

恐らくもう手はないのだろう。


先ほどの一撃もまぐれに近いものだった。

攻撃を受けないように、そして一撃を入れられる距離。

その微妙な距離を、ろくな訓練もしていないヘリオスがつかめたのは、その攻撃を何度も何度も受けているからだった。


それを何度も行ことは、その小さな体では無理な話だった。

ヘリオスはヘリオスで大きく体制を崩していた。


そして、極度の緊張から、ヘリオスの息はすでに上がっていた。


その時、ふいに風がふき、ヘリオスは思わず目をつぶった。

その隙にゴブリンはヘリオスに襲い掛かる。

今度は間違いなくヘリオスの左腕に打ち込んできた。


「うああ!」

強い痛みがヘリオスの腕を襲った。


どうやら骨が折れたようだ。

だらりと垂れた左腕はもう動かせなかった。


短く息を整えて、痛みをコントロールする。

唯一それは、ヘリオスが得意とすることだった。


じりじりと後ずさり、距離を取っていた。

その距離の分だけ、ヘリオスは考えていた。


「勝てなくてもいい。ただ、ゴブリンを無力化することさえできれば……」

ただそれのみを真剣に考えているようだった。


そしてヘリオスは、何かを思いついたようだった。

「できるのか……?」

戸惑うヘリオスは、自ら頭を振って決心を促していた。


「やるしかない……。やらなければ、こっちが殺される。これは、命のやり取りなんだ」

覚悟を決めたヘリオスは、自分の中の魔力マナを活性化させていた。


そして、そのままゴブリンに向かって突っ込んでいった。






完全に虚を突かれた形のゴブリンに向けて、ヘリオスは自分の棒を投げつけた。

ゴブリンがそれを回避している間に、一気にヘリオスはゴブリンの目の前に迫った。


走りながら、呪文を唱える。

「眠りをもたらす安らかな空気よ……」



ゴブリンは棒を簡単に回避すると、ただ単純に獲物に向けて棒を振り下ろしていた。

その笑みは自らの勝利を信じて疑わないものだった。


眠りの魔法(スリープ)

ゴブリンの攻撃がヘリオスの左肩に当たる刹那、ゼロ距離で紡いだ呪文は発動と同時に暴発した。


しかし、その発動によりゴブリンの精神はかき乱されていた。

発狂し、頭を抱えて、ふらふらと歩いていた。

やがて、糸が切れるように、そのまま倒れて、動かなくなっていた。



左腕と左肩を傷つけられ、体内の魔力マナを一気に使ったヘリオスは、立っていることもできずにその場に崩れ落ちた。


それでも、必死に荒い息を整えながら、ヘリオスは痛みに耐えていた。


ヘリオスが崩れ落ちたその時、突如泉が湧き立った。


痛みと脱力感に襲われつつも、ヘリオスは起き上がり警戒していた。


湧き立った水は、やがて美しい人の形をとる。

その姿を見たヘリオスは、おもわず警戒を解いていた。


「ヘリオス、よくぞ泉を守ってくれましたね」

そういって見つめるその顔はヘリオスに安心感を与えていた。


それは紛れもなく、以前の泉から感じていたものだ。


「いいえ、私はこれまでここで幾度も救われていましたので……」

状況を理解したヘリオスは、そういって頭を下げていた。


「本当にそなたはよい子ですね。そなたには褒美を与えましょう。望むことを言いなさい。そなたの望みをかなえましょう」

何を言っているのかわからない。

ヘリオスの表情はそう語っていた。



「私は、ここに来られるだけで十分でした……。でも、この場所がなくなった以上、私に安心できる場所はありません」

悲しそうにうつむくヘリオスを、じっと見つめていた。


やがて、決心したかのように、ヘリオスは自らの望みを口に出していた。


「私は、私は、生まれ変わりたい。こんな私ではなく……」

それはヘリオスがずっと持っている願望だった。


そして、先ほど強く感じたことだった。


「わかりました。わたしは泉の精。あなたにきっかけを与えましょう。しかし、生まれ変わるということは、それはそれで大変なことですよ?」

あくまでも優しく、泉の精はヘリオスに告げていた。


「かまいません、私は私がいやなんです。なんにもできない私が……それに、誰も私を見ていません。私がいなくても、だれも……」

ヘリオスは一瞬ためらいを見せていた。

恐らくヴィーヌスの顔が浮かんだに違いない。


しかし、ヘリオスは頭を振って、自らの願いを再度依頼していた。

「おねがいします」

ヘリオスは、力強く、そう宣言していた。




「わかりました」

泉の精はそう言うと、ヘリオスに向けて何かを唱えてきた。

突如黒い球体がヘリオスの目の前に現れていた。

だんだんと大きくなるそれは、ヘリオスを徐々に包み込んでいった。


「あなたにはこれから試練が待ち受けています。決してあきらめてはいけません。あなたはあなたが思っている以上に周りから大切にされていることを忘れてはいけません」

ヘリオスは驚きで目を見開いていた。


次の瞬間、ヘリオスは身がさかれる痛みに襲われた。


一瞬の出来事だったが、ヘリオスはひどく疲れていた。

そしてヘリオスの中になにかがやってきた。

それがなんなのか考えられないほど、ヘリオスは疲れていた。


「まずは、ねむりなさい……きゃあ!」

ヘリオスは自らの意識が閉じる前に、それを見ていた。

苦痛にゆがむ泉の精は、その存在を一気に消失していった。

そしてヘリオスの意識は闇の中におちていった……。





「俺は、これを知っている……?」

一部始終を見ていた俺は、妙な既視感にとらわれていた。

身のさかれる思いも、その後の脱力感も、俺はすべて知っている。

いや、覚えているという方が正しいだろう。


得体のしれない感覚に、俺は戸惑いを覚えていた。


少し手直しをしてみました。

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― 新着の感想 ―
[一言] なぜ精霊女王はマルスを殺さなかった?  ちゃんとした理由も無ければ、流石に納得いかないな。
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