画竜点睛
聖騎士たちは凱旋します。
デルバー先生は一人、もう一つの戦場に赴きました。
最初のハイコカトリスに魔法を放った時、その後からやってきた第二陣を警戒していた。
五体のハイコカトリス。
しかし、彼我の戦力差を考えると、手出しはせずに任せていた。
また、全く戦闘をしなければ、ルナの力が十分に認識されない。
そう言う意味では、五体のハイコカトリスは役に立っていた。
そして、その間に視界をのばして、周囲を警戒する。
アテムの方面は、これ以上の後続は無い。
俺は人知れずため息をついていた。
そして、足止めしていた部隊がどうなったかを確認するために、視界をオーブ子爵領からマルス辺境伯領の方に向けていた。
しかし、足止めしていた部隊は消えていた。
実のところ、ここについた時にはマルスの手勢は確認していた。
マルスはいなかったが、その軍勢でバジリスクを討伐するつもりだったのだろう。
予想通りの動きだった。
ただ、その数は極めて小規模。
本気でバジリスクを討伐する気があるのか疑問だったが、それだけに精鋭ということも考えられた。
だから、その部隊を足止めするために、倒木や川の増水、落石など、ところどころに時間がかかるように設置しておいた。
そして、峡谷では倒木を利用して、橋を落下させておいた。
どれも不自然だが、シルフィードとベリンダの力で、人の手は一切使っていない。
その結果マルスの部隊は、今日までオーブ子爵領に入れずにいた。
「たしかあのあたりの足止めであがいていたはず」
その近辺を注意深く観測したが、どこにも部隊は見られなかった。
そう言えば、魔術師がいたな。
彼が何かしたのかもしれない。
透明付与か何かで、こちらの視認を阻害しているのか?
周囲の動向を監視したが、特にそれらしいものはなかった。
おかしい。
もっと広範囲に視界を飛ばして探っていると、はるか後方に大地の盛り上がりを見つけた。
あんなもの、前に索敵した時にはなかった。
そこまで視界を飛ばしてみると、それは大きなトンネルを掘った時にできたもののようだった。
「巨大ミミズか……そしてうしろは……ゴーレムか」
そう考えると、魔力感知で地面を調べてみた。
ちょうど渓谷を超えたところに巨大ミミズの反応らしきものがあった。
その後ろにはゴーレムの反応がある。
その数、百体
その行列の先頭で、巨大ミミズはトンネルを掘っている。
ゴーレムは余分な土を後方にリレーして送っている。
観測していると、ミミズの進行がやや上向きになっていた。
後に続くゴーレムのことを考えると、急勾配はつけられないのだろう。
地表に出てくるのも、時間の問題だ。
地上をおとりにして、本命は地下を進む。
いや、そもそも二つのルートで侵攻していたのかもしれない。
人の目につきやすいところには人の部隊を通過させて、実際の戦闘はゴーレムにさせる。
石化が関係ないゴーレムたちを用意しているに違いない。
複数の手を同時展開とは、さすがとしか言えないな。
感心するけど、阻止のために動かなければならなかった。
しかし、これを相手にすると冒険者や、聖騎士にも被害が出るおそれがある。
マルスの陰謀を阻止するためには、そういう事を目につかせておくのも必要かもしれない。
しかし、ここでの目的はルナの聖女化だ。
今のところ、それは十分だと思える成果を上げている。
これ以上欲張るのは、かえって危険だ。
仕方がない。
向こうもこっそりやってきたのだから、こちらもこっそり片付けておきますか。
ルナに一言告げて、そこに向かった。
*
しかし、どう処理するか。
足元では、地面が陥没していく様子が見える。
まもなく、その姿を現すのだろう。
その姿を確認する前に、その処理方法を考えていた。
やはり、ミミズは焼いてしまおう。
一瞬、周囲の大地が盛り上がり、巨大ミミズがその口を地表に出した。
まずその周囲の空間を地下トンネルに沿って、大規模に閉鎖する。
これで、高温が発生しても、地表に影響はない。
そして、巨大ミミズの口の中に魔法を流し込めばいいだろう。
「空間閉鎖」
「溶岩流」
ミミズの中に流し込んだ溶岩はその身を焼いて進んでいく。
地下道はミミズが作っていたので、その通りに溶岩は流れて行った。
何ゴーレムかはしらない。
石だと思うけど、溶岩流だから、石でも溶けるだろう。
一応魔力感知でさぐり、全滅していることを確認しておく。
念のために、周りの生態系への影響もないことを確認したのち、溶岩の熱を奪って、空間閉鎖を解除した。
しかし、このトンネルはどうしようか……。
ミミズは跡形もない。
ゴーレムの残骸や大まかな溶岩の塊を除去したトンネルは、ミミズの分泌液でしっかり固められた堅固な通路だった。
所々に残る溶岩の塊がなければ、ここは立派な通路だ。
たぶんこれは利用できる。
マルスの領地に行くときに、すんなり出入りできるようになっているとは思えない。
一つの手に複数の事案を乗せるマルスだ。
たぶん、その時用の通路を確保する意味もあるのだろう。
しかし悪いが、この通路は俺がもらう。
入り口と出口、中間にロックをかけて、封印していた。
この封印は合い言葉で解除できるように設定しておく。
万が一のために。
これで、マルスのとこまで行く道は確保した。
当然ここを通ってくることがわかるだろうけど、その時には、こちらもいろいろ用意しておくさ。
今までさんざん後手に回った分、取り戻させてもらうよ。
***
「申し訳ございません、時間がなくて」
ルナは避難民の代表として選んだ人々を前で、そう説明しておった。
しかし、誰の眼にもあきらかじゃろう。
避難民の顔は、感嘆と感謝であふれておる。
それもそのはず、そこには信じられない風景が広がっていた。
突如ひらけた森の中に、真新しい大規模な集落が用意されておった。
まさしく、街が一つ出来上がっておった。
全く見事なもんじゃわい。
*
聖騎士団長との会談の後のあ奴は、色々と慌ただしかったが、ルナにだけは、そのすべてを告げておった。
今回のことで、何か考えることがあるのかもしれん。
余計な気をまわしすぎるのも、あ奴のよさかもしれんがの……。
救援に駆けつける前にも、あ奴は色々とやることがあると、ルナに話しておる。
ただ、ルナの準備もあったので、あ奴は先にその場所にとんでおった。
約千名の居住区の用意。
それは、避難民を保護するうえで重要なことじゃ。
それには、ヒドラがいた場所に手を加えて作るのが効率的と考えた奴は、木々を移植して場所を作っておった。
若干トラブルはあったようじゃが、それでも奴は円満解決させておる。
ヘリオスの失敗を――ヘリオスは知らないのだから仕方がないのかもしれんが――見事に解決しておった。
整地自体は、以前ヘリオスが木を大量に切り刻んでおったので、比較的スムーズじゃった。
また、神殿などはきれいに解体されて、住居用資材として再利用されておる。
これらのことを王都から連れてきた職人たちとともに突貫工事ですすめておった。
あ奴は意欲的にその魔法を行使して、住居建築をしていく。
「住居建築」
普通の魔術師では考えられない数を、どんどん作っていきおった。
奴の膨大な魔力があってこそできる荒業じゃ。
どんどん家を建てていき、そのあと職人は内装を仕上げていく。
そうして切り開かれた土地に街並みができておった。
しかし、そもそも平均的な住民構成である四名で二百五十戸の家が必要だったのじゃが、中には家族と離れたものが多くいるようじゃった。
計画的に避難させたわけではないのじゃから、当然じゃ。
しかし、その事は当然問題を発生させておる。
住居はそれでは足りない可能性があるという事じゃった。
さらに、避難民の中には、子供や老人、けが人だけの者もいて、まとめて暮らせる施設を必要としておった。
神殿跡には、子供たちがまとまって暮らせる設備をつくっておったが、けが人を収容する施設なども作らねばならず、また区画を整理し始めておった。
色々考えてやり直しておった。
しかし、そういったものを作ると、居住用スペースがなくなる。
その場所にも限界がある。
迷った挙句、あ奴はとんでもないものを作り出しおった。
まだまだ足りない現実を前に、ますますやる気になっておった。
家を立てる場所がなくなって、奴の目は自然とそこに向いておった。
テーバイドラゴンがいた巨大な池。
「王都のミニチュアだね」
そうして出来上がったものを眺めて、あ奴は満足そうに頷いておった。
*
避難民たちは、神殿跡を再開拓して作られた共用施設、店舗用施設をぬけて、沼地のあった広場にも多くの住居が立ち並んでいるのをみて、感動を隠しきれないようじゃった。
そして最後に案内されたところで、言葉をなくしておった。
そこには巨大な池にうかぶ集落群が出来上がっておる。
「ようこそ、みなさん。これは、デルバー学長が作った町。ボートハウスです」
ルナは、呆けている避難民を前にして、自慢げにその説明をしておった。
池の中央には巨大な筏がくまれておる。
正確には、家一軒分の筏が、多数連結しておった。
その筏すべてに住居が建てられておる。
そして、筏は互いをしっかりと結びつかしていることで、強固な安定感をもってそこに浮かんでおった。
しかも、魔法的にも保護されており、外壁を思わせる筏までつなげておった。
「絆を深めることで、こうした強いまとまりを作ることができる。それがデルバー学長の教えです」
そうルナは避難民たちに説明しておった。
まあ、それにはわしも納得するが、わしの教えではないぞ。
絆の町:ボートハウス
そう名付けられたその町の人は、自分たちを受け入れてくれた聖女ルナに深い感謝と尊敬の念を抱いておるようじゃった。
***
「へ……デルバー先生、およびですか」
ルナは、リライノート子爵の執務室に入るなり、そう言いなおしていた。
執務室の椅子に座り、伝記を読んでいた俺は、この部屋でもまだデルバー先生の姿だったことに気が付いた。
「いや、ルナ。この部屋なら大丈夫だからいいよ」
ここはのぞかれる心配がない。
今はデルバー先生になっているので、攻勢防壁は切っている。
その代り誰がのぞいたのか感知するようにしていた。
しかし、リライノート子爵のこの部屋は、そもそものぞけないように部屋自体が細工されている。
だから、この部屋だけは、本来の姿に戻ることができていた。
そして、この部屋の内装だけは変えておいた。
ルナがこの部屋でヴィーヌスのことを思い出さないように。
本来の姿に戻り、読みかけの伝記をしまう。
しっくりくる感覚。
俺はもうヘリオスとして生きているのだと実感した。
立ったままのルナを、あらためて執務室のソファーにさそい、紅茶を用意した。
*
「ヘリオス様、なんでも『……の』をつけるのはいかがかと思いますが……」
紅茶を一口飲み、落ち着いたのか、ルナはそう切り出していた。
その口癖を聞くと笑いそうになるのをこらえるのが大変だと言いたいのだろう。
「そうかな……それっぽいと思ってるんだけどね」
結構気に入ってるんだけどな……。
「それで、いつそのお姿に戻られるのですか?」
ルナの目は、真剣だった。
冗談で言っているのではないのだろう。
上気した顔がそれを物語っている。
「まだまだ先だね。まずはマルスが信じてくれないとしかたないもの」
残念そうにするルナには申し訳ないが、こればかりは仕方がない。
俺は死んだことになっている。
その方が、俺自身の行動を隠すうえで便利だった。
後手に回っているこの状況を、ひっくり返す必要がある。
それには、マルスが想定していないことを、しなくてはならない。
伏兵の存在。
それが鍵となる。
俺がその役目を負う以上、俺は死んだままがいい。
伏兵は伏せたままだから伏兵なんだ。
それに、俺自身はともかくとしても、周囲の人に危害が加えられるのを阻止しなければならない。
まだ残念そうにしているルナ。
もうしばらく演技に付き合ってもらおう。
「それで、呼んだのはほかでもないよ。教会が、ルナを聖女と認める通達があったよ」
ルナの気分を変えるために、話しを本来の用件に持っていく。
俺は、ルナを教会が認定する聖女にするべく、いろいろと画策しておいた。
まず、デルバー先生にモンタークを呼び出してもらい、教会への根回しを頼んだ。
モンタークと教会のつながりは、大司教選で明らかになっている。
そのモンタークが口をきけば、教会も動くに違いない。
最初、しぶったモンタークだったが、フリューリンク公爵領の復興につながるかもしれないという話で協力を約束したようだった。
そして、帰還した聖騎士たちにルナのことを広めてもらっていた。
ルナの全体祝福を受けたものは、口々にその効果を話し合っていたので、特に必要がなかったかもしれなかった。
それほどあの効果は絶大に感じられているようだった。
実際には俺も身体強化の魔法をかけていたから、やや反則かもしれなかったけど、気づいた人はいない。
ひょっとするとアプリル先生はわかってたかもしれないけど、あの人は余計ないことは言わない人だ。
そして、うわさというものをいかに広げるかを俺は知っている。
「皆も考えておるように、ルナの力は特別じゃ、あまり大げさにはせんでの。ただし、またこうゆう時もあるかもしれんので、まあ絶対ではないが、親しいものには言うのは構わん」
デルバー学長の姿で頼んだその依頼は、速やかに効果を上げていた。
百五十名の聖騎士がここだけの話として切り出すその話題は、瞬く間に尾ひれがついて広まっていた。
そう考えていると、ルナが複雑な表情で俺を見ていることに気が付いた。
「どうした、ルナ。なにかあった?」
何とも言えないその表情。
何かあったのだろうか。
「聖女の件はいいです。妹ですけど、昔もそう呼ばれたこともありますので。特にそれをどうのという感覚はありません」
小さく息を吐き出して、頭を小さく振っていた。
おもむろに近づいたルナは、俺のすぐ目の前で、両手を組んで切実に訴えてきた。
「でも、あの噂はなんなんですか……」
目を潤ませて懇願するように俺を見てくる。
こまった……。
そんな目をされたら、何も言うことができない。
俺もルナを見つめるしかできなかった。
暫らく見つめあったあと、急にルナはソファーの端に座り直し、恥ずかしそうにうつむいた。
確かに、俺はルナの噂を広めるのに、秘密の話だとか、ここだけの話だというように仕向けていた。
人はそういう話に弱い。
秘密を知った人間は、それを自分の中だけでは処理できない。
それが重大なものと思えば、その重圧に身をつぶされる思いで耐えるかもしれないが、デルバー学長の姿で、親しいものには話してもよいとのお墨付きを与えていた。
人の親しさに、尺度はない。
良心の呵責にさいなまれない秘密の話は、その神秘性をもって広まるのに時間はかからなかった。
「聖女の祝福」
最初その効果が話題になっていた。
しかし、噂は噂を呼ぶ。
それは天にも昇る感覚だとか、この世のものとは思えない極上の感覚だとか、果てにはエロスの極みだとかいうものもあった。
ルナはそのことを言っているのだろう。
「ルナ、うわさに戸はたてられないよ、正直ルナの祝福には僕も驚いたしね」
効果範囲にいたので、俺もその影響は受けていた。
「安らぎと、心地よさ。そう言った感覚で心を穏やかにしてくれてたよ」
普段の実力以上を出すためには様々な要素が必要になる。
祝福をかける人間によって左右されるのは、そういう点にあった。
ルナの場合はまさにそういう感覚だった。
そういう感覚の生み出す効果は、平常心だけでなく、それを守るという心理に働きかけていた。
まだ幼さの残るルナ。
ルナを間近で見ることで、その可憐な姿は聖騎士の保護欲を大きく掻き立てていた。
「ルナ様を守る」
そう深層に意識させた効果は、彼らが騎士である証でもあった。
それが大げさになっていくのは、いわば仕方がないのかもしれない。
「それに、感じ方はその人によるからね、ルナがそれを思う必要はないよ。とらえ方はあくまでその人に依存するんだ」
気にしても仕方がない。
それがその人が描くルナなのだから。
でも、それを気にしているのなら、申し訳なかった。
恥ずかしいのだろう。
俺がそれに対して、何かできるわけではない。
そう思うと、ソファーの端に座るルナの横に移動して、その頭をなでていた。
「……わかりました。この件はもういいません」
どこか承服しかねる気持ちがあるのだろうが、自分への用件がそれだけではないことが分かっているのだろう。
ルナはまっすぐ俺を見上げていた。
その瞳には、強い意志が感じられる。
「ヘリオス様のお役にたてるのでしたら、ルナはどんなことでもします」
そう告げてくるルナに、俺は返す言葉を失っていた。
マルスに対抗するために、俺はルナを世間の表舞台に立たせている。
ルナを利用している。
それは、ルナの幸せにつながるのだろうか……。
「今回のことで、ルナには本当に感謝をしているよ」
今は、そうとしか言えない。
「ルナのことを思えば、あまりこういうことはしたくなかったけど……。ルナ。ごめんね」
本当に申し訳ない。
結局、俺もマルスと同じで、ルナを利用しているんだ。
「いいえ、ヘリオス様。ヘリオス様のお役にたてるのでしたら、私はどのようなことにでも耐えられます」
そういうルナの表情を見て、俺はさらに申し訳なく思ってしまった。
耐えられます……か。
その言葉が持つ意味を正確に理解していた。
理解したうえで、今はルナの好意に甘えるしかなかった。
本当にごめん。
あらためて思う。
いろいろな人の好意で、俺は行動できている。
その思いを無駄にしないためにも、俺はやらなければいけない。
自分だけの力ではないよ、マルス。
伝記を読んでマルスの想いをある程度理解した俺は、自然とそう思っていた。
だからこそ、負けるわけにはいかない。
そのことを伝えなくてはいけない。
目の前で微笑んでいるルナを見て、そう思う。
悲しんでいる顔よりも、笑っている顔がそばにいる方がいいに決まっている。
そう思うと、自然とルナの横に座っていた。
とりあえず、この地でやれることはやれたはずだ。
マルスの目論見をそのまま利用してルナを聖女化することができた。
そして、避難民も自活できるように整えてきた。
あの巨大な池は、ヒドラがいなくなったことにより、豊富な漁場に変化している。
そして、その他の食料はベルンから取り寄せていた。
ベルンからトラバキへの住民移動も相まって、食料確保は容易だった。
その事は、ベルンからの食糧流出にも役立っている。
避難民の恒久的な受け入れ確保とルナの聖女化。
これがこの地での任務だった。
あとはほかの地域との調整だ。
いったん整理する必要がある。
そのためには、色々な人とも会う必要があった。
「ルナ、僕はこれから、いろんな場所に行ってくる。だからしばらく留守を頼むよ。それと、僕が不在の間、ここを守ってくれる人を呼んだので後で紹介するね」
顔だけルナの方に向けて、その事を伝える。
ルナの身を守る最強の助っ人。
俺の留守を託すには、あの人が一番いいと思った。
魔法的にはデルバー先生が見守っていてくれている。
しかし、現実危険を感知して、排除する人が必要だ。
一応この屋敷にはゴーレムも配置した。
でも、積極的に行動し、生活を支えてくれる人が必要だ。
ルナは、いろいろ思うかもしれない。
でも、ルナならば、わかってくれると信じている。
「それと、君は以前のルナではないことを忘れないでね」
不思議そうにするルナに、ただそれだけを告げておく。
これだけは、ルナの中で消化してもらうしかない。
「ところで、その後、領地の方は順調にいってるかな?」
領内経営についてはルナに一任している。
俺はデルバー先生としてあくまで後見人だ。
それと、ルナは学士院の授業にはそれほど通っていなかったが、その関係の知識も豊富だった。
「はい。といっても、リライノート子爵様の組織が動いてますので、私は特に何もしていません。あの方は自分が何もしなくてもいい仕組みを作られたのだと思います。何のためかはあえて申しませんが、組織としてこれほど機能するものはほかにありません」
若干控えめに言っているのかもしれないが、正直な感想だろう。
あの人はそういう組織をつくって、自分のしたいことをしていたと思う。
実際に、ルナは報告書を見せてくれた。
重要な案件は承認が必要だが、そうでないものは責任者が決まっているので、そこで決定されているようだった。
月に二度、全体の会議があるようで、その時に各部の調整がされているらしい。
明日が丁度その開催日のようだった。
「それには僕も出席させてもらうよ。その時には帰ってくるから」
自分自身の為にも、ここの組織作りには興味がある。
そして、ここの人が、どの程度組織として自主性をもって動いているのかを確かめたかった。
「では、デルバー学長の傍聴を申請しておきます」
ルナはそう言って笑っていた。
「あはは、そうだったね」
ヘリオスは楽しそうに笑っていた。
この瞬間、世界は平和そのものだった。
親しい人と、冗談を言ったり、語り合ったり、笑いというのは世界の平和そのものだと感じている。
俺は考える。
世界に平和があるのではなく、平和を望む意思がそれを作るのだと。
世界が何かを作るのではなく、意思が世界に影響して何かを作るのだと。
だから、マルスがいかなる意志でそれを成し遂げようとしても、それを飲み込む意思を示していけばいい。
俺の意思ではなく、人々の意思が必要だった。
孤高の英雄は、人々の意思の力を知るべきだ。
だから、俺はいったんこの地を離れることを決意していた。
表舞台に立ったルナは、おそらくマルスの恰好の的になっている。
通常なら、ここの守りを固めることが必要になる。
でも、相手はマルス。
その裏で、動いている可能性が大きい。
逆に、ここは安全とみていい。
聖女化したルナを害しても、マルスに益はない。
マルスとつながりがある以前のルナであるなら話は別だが、ヴィーヌスを殺した今、マルスとの接点はなくなっている。
陽動で仕掛けてくるかもしれないが、本気ではない。
本気でなければ、対応は可能だ。
その分どこかが動いている。
その見極めが必要だ。
再三の王都召喚にやっと応じたことからもそれは明らかだ。
準備を整えてから動く。それはマルスの行動パターンだ。
だから、発動だけは読むことができる。
とはいっても、ここの守りをおろそかにはできない。
なりふり構わずと言うことも考えなくてはいけない。
そのために、この屋敷には望むだけの人を集めていた。
もともとの冒険者たちは、この地に半年間いることを約束させていた。
それも報酬前払いという依頼形式にしていた。
その内容はオーブ領内の探索だった。
一週間ごとのクエストとして細分化したそれは、五パーティでオーブ領内をくまなく網羅していた。
しかも、伝令役としてつれてきた子供を必ず同行するように依頼していた。
偵察兵として訓練されたその子供たちは、その技量は確かなものだった。
そして、戻ったことは報告書として提出し、次の日にまた出発するというものにした。
過酷に見えるその扱いも、一週間ごとにクエスト報酬を得られるとわかって冒険者たちは納得していた。
それは、前払いとして用意した魔道具の価値を冒険者たちが正確に理解していた証だった。
俺は依頼前に、各パーティメンバーと面談を行っていた。
パーティの総合力の評価だけではなく、個々の装備、性格などを知るために必要だった。
そして、ここにいる冒険者たちが、この国の冒険者の水準をはるかに超えた実力者の集まりだとも知った。
リライノート子爵の先見性に驚きを禁じ得なかった。
そして、彼らは、一様に魔道具が好きだった。
そうして、各パーティの装備を確認していき、それに見合ったものを前払いとして渡す。
その大半はすでに作成したもの。
ヘリオスの趣味が役に立った。
まだ、大量にあるのでこの際だから処分の意味でも一石二鳥に思えていた。
そして、まもなく学士院に帰還するモルゲンレーテのメンバーもデルバー先生によってこちらに送られるはずだった。
そしてあと一人。
「じゃあルナ、そろそろモルゲンレーテのみんなも到着するから、そろそろ行こうか」
俺はデルバー先生の姿になり立ち上がる。
「あっ」
小さく声をあげたルナは恥ずかしそうにうつむいた。
「ルナよ、それではいくかの。ほっほっほ」
この姿はこの姿で、なんだか楽しいものだと思う。
デルバー先生には悪いけど、これが終わっても、この姿になることがあるかもね。
ルナの手を取り、立ち上がらせる。
部屋を出て、魔法の鍵をかけておく。
部屋自体に細工をされては困る。
全てを終えた俺は、デルバー先生の姿で、歩き出す。
先に、あの人に会わせないといけない。
はたして、ルナは受け止めてくれるか。
ルナ。
背中に感じるルナの視線。
君にとってつらい過去を呼び起こすかもしれないけど、君を守ったのもあの人だということも分かって欲しい。
そう思いながら、あの人が待つ場所に歩いていく。
***
デルバー先生の半歩後ろを歩きながら、その姿にヘリオス様を重ねてみてしまう。
実際のデルバー先生を見た時に、そう思ってしまったらどうしようかしら。
そんなことを思う自分がバカらしく思う。
そんなことあるはずがない。
今の私が、ヘリオス様を見間違えるはずがない。
今ならシエルさんの態度も気持ちもよくわかる。
理屈なんてない。
わかるから、わかるんだわ。
それにしても、早くこの生活が終わって欲しい。
そして、そのためには私も頑張る必要があるのよね。
私はもう、守られるだけの女じゃない。
そう決意して、その背中を見つめている。
お姉さまとも約束した。
あの部屋に入るたびに、その事を思い出す。
色んなことを考えていると、ヘリオス様は応接室の前に立っていた。
ずいぶん遅れてしまっている。
小走りにヘリオス様のところに駆け寄った。
一瞬見えたヘリオス様の心配そうな顔。
また、私は心配をかけてしまっていた。
こんな事じゃいけない。
そう思った時には、ヘリオス様は扉を開けてくださっていた。
応接室の扉を開けた正面に、そこに執事が立っていた。
お辞儀をしたままの恰好で、その執事は立っていた。
髪の毛の色から、初老の執事のようだけど、その姿からはまだまだ英気がみなぎっている。
ヘリオス様はなぜか私の背中を押して、応接室へと入っていた。
そしてゆっくりと、その執事は頭を上げた。
「ア……」
うまく言葉にできない。
いろいろな思いが、私の心をかき乱している。
そっとまた、ヘリオス様は私の背中に手を添えてくれていた。
そしてその執事は、再び頭を下げて挨拶をしていた。
「はじめまして、ルナお嬢様。私はこの度デルバー学長の推薦により、ここでお世話になりますアイオロスと申します。デルバー学長にはいろいろなことをご理解いただきましたので、このアイオロス、誠心誠意ルナ様にお仕えいたします」
そう言って深々と頭を下げていた。
「このアイオロスはの、以前マルス辺境伯のご息女ルナ殿の執事として王都におったのじゃよ。いろんな事情があっての。今は、そこをやめておる。わしはの、そのあたりの事情も知っておるが、今は聞かんでおいてくれまいかの。そして今は受け入れてもらえないかの」
デルバー学長の姿で、ヘリオス様は私に優しく告げていた。
「あと、今は学士院の下部組織の先生もしておる。そこの生徒の実施訓練として、その生徒たちもここに連れてきとるので、よろしくの」
背中に感じるヘリオス様の手が、温かく感じる。
でも、私は何を言っていいのかわからなくなっていた。
そんな私の前に、ヘリオス様の背中が見えた。
背中の手のぬくもりは、まだ感じられる。
でも、その手はそこにはない。
横にいた私は、またヘリオス様の背中に守られていた。
自分でも情けないほどに、その背中に守られている心地よさを感じていた。
「時にアイオロスや、クラウスは元気にしておるかの。ガッテン先生から話は聞いておろう」
ヘリオス様は知っている生徒のことを聞いている風に話している。
アイオロスと話すために前に出たのだというのを装っている。
「ヘリオス様のことを聞き、悲しみでふさぎ込んでおりましたが、今は立ち直っております。学長の手紙がきいたのでしょうな。今は元気にやっております。ヘリオス様に託された思いを胸に頑張っております。ただ、その手紙が燃えたときは、相当驚いていたみたいでした」
アイオロスはその時の様子を伝えていた。
そう、その子は悲しみの中から立ち直ったのね。
ヘリオス様から託された思い……。
一体何を託されたのかしら。
私もしっかりしなくちゃいけない。
そう思ってみても、未だにいろいろと感情が渦巻いている。
くっきりと鮮明に、自分が馬車で運ばれている姿を思い出してしまう。
「そうか、クラウスも以前のクラウスではないと言う事かの、今度会うのが楽しみじゃ」
楽しそうに笑うヘリオス様。
そう、私はヘリオス様と共にいる。
だから、一緒に笑うことだってできる。
過去の傷に追いやられていた私の意志は、ヘリオス様の言葉と共に、より確かなものになっていた。
君は以前のルナではないことを忘れないでね。
そう、私は、もう守られているだけの私じゃない。
そうして私はヘリオス様の横に並んでいた。
「初めまして、アイオロス。ルナ=フォン=オーブです。よろしくお願いします」
気丈に言ってみたものの、その姿を見たらやっぱりそのことが思い出される。
私は続く言葉を失っていた。
「ふむ、まあこうして出会ったわけじゃ。よろしく頼むぞ。アイオロスや、名前は同じでも、このルナはマルス辺境伯のルナではないぞ。そのことを忘れないようにの。そしてルナもアイオロスがそういう態度に出たときは、きつく叱ってやることじゃ」
ヘリオス様の手が、再び私の背中を押していた。
「お互いに過去は変えれん。しかし、この先どうやって行くかは、自分たち次第じゃぞ。過去の自分にとらわれないようにすることが必要じゃ。そういう意味で、アイオロスや。このルナは以前のルナではないということが、おぬしにとって助けとなろうの」
意味ありげな言葉に、アイオロスは頭を下げている。
あのアイオロスが、声を押し殺して、肩で泣いていた。
このルナは以前のルナではない。
君は以前のルナではないことを忘れないでね。
その言葉と共に、泣くアイオロスを見て、私は急速に理解した。
あの映像を撮ったのはアイオロス。
でも、あの映像を届けたのもアイオロス。
あれで、私は新しい道を歩くことができていた。
そして、アイオロスは謝罪の言葉も言えずに、ただ頭を下げている。
思えばアイオロスには常に壁を挟んでいる関係だったわね。
お互いに、仮面をかぶって接していたのね……。
「アイオロス。私の世話をしていただく以上、お互いに隠し事はなしでお願いします。これからは、私の良き執事であってください」
そう言った私の頭を、ヘリオス様は優しくなでてくれていた。
その言葉を聞いたアイオロスは瞬間的に、私の顔を見ていた。
その目には涙のあとが見て取れる。
そして、片膝をつき、頭を下げて、私に宣言していた。
「このアイオロス。誠心誠意、身命を賭して、ルナ様にお仕えいたします」
その言葉をヘリオス様は満足そうに頷いていた。
そして、おもむろに私を座らせて、アイオロスにはその後ろに移動するよう指示していた。
一体何がおこるのだろう……。
私の疑問をよそに、ヘリオス様は空間に魔法陣を展開させていた。
まばゆい光があたりを覆う。
その光が終わるころ、四名の人がそこに立っていた。
「あれ、デルバー学長も来るんなら、軍団移送でなくてもいいじゃん。ボクこれ好きじゃないんだよね」
メレナ先輩はぼやいている。
「わたしは、ついて早々またここにきて、複雑な思いだわ。しかも、悲しみに浸ることもできないなんて」
ユノさんはゴールしたが、スタートに戻された気分だと言っていた。
しかし、ここに来ること自体はよかったようだ。
「で、今はルナがここの当主をしているんだね。私たちはその護衛任務と聞いている。大変だろうが、気を落とさないように」
カルツ先輩は私をみて、そう励ましていた。
「ルナ、悲しかったら僕の胸で泣いていいよ」
カールさんはそう言って両手を広げていた。
「…………」
ヘリオス様は苦笑いをしていたわ。
「……。間に合ってますので……」
やや遅れて、私はそう答えていた。
「しかし、ルナは本当に大丈夫?こっちでも大変だったんじゃない。ヘリオスのことを忘れるためとはいえ、無理はしないでね。私たちも力になるから……」
そう言ってユノさんは私の横に座って、抱きしめていた。
そして、抱きしめた方のユノさんが声を押し殺して泣いていた。
「もう、ヘリオスのばか……」
ユノさんは一層強く抱きしめている。
あれ?
私は一瞬、どうしていいかわからなくなっていた。
「ユノや、暗示が解けてしまうわい。それくらいにしておいてくれんかの」
デルバー先生の顔で、困ったようにそう告げていた。
その言葉で、この場の持つ雰囲気に納得がいったようだった。
私もどう接すればいいのかわかりました。
ありがとうございます、ヘリオス様。
ヘリオス様の死
そのことを知って、私がこんなに平静でいられるわけがないわよね。
そして、皆さんは考えていたのでしょう。
自分たちはどうすればよいのか。
メレナ先輩は自然体を。
ユノさんは共感を。
カルツ先輩はリーダーとして。カールさんは友人として。
そう対応しようと考えていたにちがいない。
しかし、私には悲壮感も何もなかった。
少し疲労感は見えるでしょうが、それはさっきのことがあるから仕方ないです。
「それほどだったんですか……」
カルツ先輩は思い悩んでいた。
すみません、そうじゃないんですけど……。
「フム、じゃがの、今はそのことを考えなくしてあるので、大丈夫じゃ。会えなくてさびしいという想いはあるじゃろうがの」
ヘリオス様はそう私の方を向きながら、説明していた。
「なんでしょう……?」
また演技をするのね……。
大丈夫です、ヘリオス様。
私は、以前のルナではありませんから。
「ルナ様……」
アイオロスの疲れたような呟きはこの際無視しておきます。
「では、わしはしばらくこの地を離れるでの。皆それぞれの与えられた使命をよろしくの」
ヘリオス様はモルゲンレーテのそれぞれの顔を見て、そう指示していた。
「はい、学長もお元気で」
カルツ先輩は勇ましく告げている。
「では、またの」
デルバー先生として、ヘリオス様は転移していく。
言いようのない寂しさが、私の心に吹き付けてきた。
オーブ領でやることをやったヘリオスはデルバー先生の姿を借りて、次の目的地に行こうとします。しかし、精霊たちから話があると言われてしまい・・・
次回、久しぶりの精霊たちです。




