一触触発
師匠の態度に危機感を覚えたヘリオスは、情報を求めてデルバー先生に会いに行きます。
「ただ今戻りました」
俺はデルバー先生に深々と礼をする。
俺の不在中の出来事に関して、デルバー先生は最大限にこたえてくれていた。
「まったく、年寄りの扱いがなっとらんぞ」
苦情を言うデルバー先生は、それでも機嫌がよかった。
「まあ、そうも言うとれんのだがの、ヘリオス。フリューリンクが落ちたわい」
デルバー先生の説明は、かなりまとめられていた。
落ちた時期からそれほど時間はたっていない。
それでも、見てきたかのように、色々な出来事を関連付けていた。
そもそも、フリューリンク家はもっとも古くからある家系で、王国建国時には今の王都フリューリンクに領地を構える貴族だった。
だから、地名にまでそれが残っている。
しかし、王国建国時に自ら遠征軍を指揮し、王国版図を広げた剛毅な家柄だ。
いまではその軍事力を背景に最も危険なメルツ王国、イングラム帝国ににらみを利かす存在だった。
だから、当然その兵力は王国内でも最強を誇る。
日々、魔獣と対立している三辺境伯よりも、純粋な兵士、騎士の数ではフリューリンク家が最大のはず、しかも砂漠の魔獣対策として魔術師兵団も抱えている。
そういったことが、モンタークの自信につながっているわけだが、実際にはやはり過去の栄光なのだろうか。
平和な時代が、人々の意識を変えていたのかもしれない。
騎士団は確かに多く、精強だったのかもしれない。
しかし、機能するかどうかは、日々の訓練と意識による。
フリューリンク家の領地では、ほとんど魔獣被害が起きていない。
デルバー先生は、そんなことまで知っていた。
そのフリューリンク領で大規模な魔獣災害が起きた。
騎士団、魔術師兵団は機能したのだろうか?
「バジリスクじゃよ」
砂漠地帯からのバジリスク侵攻でフリューリンク軍は壊滅状態になったらしい。
「バジリスクとは、厄介ですね」
石化能力を持つバジリスクは、通常の騎士団では対応しにくい相手だった。
それでも魔術師を多く抱えていたフリューリンク家。
普通考えると、騎士団、魔術師団という独自の兵力を持つフリューリンク家なら、その撃退は可能なはず。
少なくとも、そう簡単にはやられないはずだ。
それが敗れた。
何が起きた?
情報が足りない。
「簡単な話じゃ、数と統制の問題じゃ」
俺の顔に書いてあったのだろう、先生は簡単に説明してくれた。
今回目撃されたバジリスクの数は五十体にも及んでいた。
しかも、やはりハイコカトリスに統率されていたようだった。
魔獣が有機的に連携する。
これは想像以上の恐怖だったようだ。
「しかし、同じような形で出てきますね。他は大丈夫なのですか?」
情報が欲しい。
オーブ領ではヒドラをテーバイドラゴンが指揮している。
では、マルス以外の辺境伯の領地はどうなのだろうか。
「エーデルシュタイン辺境伯とシュミット辺境伯のところにはいずれも森からの妖魔が侵攻したようじゃ。今のオーブ領は特に何もないが、当主不在ではどうしようもあるまい。そしてベルンはカルツたちも合流し、バーンを中心とした防衛体制を整えておる。その他の小さな貴族領では特に目立ったことはないの」
さすが、デルバー先生。
各地の状況をまとめていた。
「王都から派遣した部隊はどうなりました?」
当然王都からはフリューリンク領に派遣されているだろう。
その規模や、人員で気になることがある。
集団瞬間移動ではなく、軍団移送を使えば、その派遣は容易なはずだ。
問題は、誰が送り出されたのか、または誰が行ったのか。
「出発が遅かったようでの、いまは避難民を保護して、ベルンに向かっておる。しかし、避難民の足が遅いのでの、遅々として進んでおらんようじゃ」
やはり、そうか……。
問題は結構深刻だ。
これまでのマルスの活動を考えると、そう考えなくてはいけない。
これは、思ったよりも厄介なことになりそうだ。
情報を整理しよう。
デルバー先生が教えてくれたことは、かなりの情報量になる。
しかし、デルバー先生自体はあくまで情報を整理してくれているだけだ。
俺の行動は、俺自身で決めなくてはいけない。
フリューリンク領の都市アテムはアトレア山地のふもとにある東部では人口の多い街だったはず。
街道はオーブ領ブレーメと砂漠越えでメルツ王国につながる二つのみ。
人のすまない不毛の砂漠が、フリューリンク領の天然の城壁にしていたこともあり、アテムは比較的簡素な城壁しか持たないはずだ。
この事実は俺にとっては意外と言うしかない。
魔獣被害を考えるなら、城壁はより強固にすべきだろう。
まさに、今回それが災いしている。
しかし、その答えも同時に知っている。
アテムは、大規模な哨戒網の城壁をもっているのだ。
砂漠に幾重にも張り巡らされた、哨戒網。
アテムから蜘蛛の巣状に展開しているそれは、有事の際に足止めのように展開する罠と連動しているらしい。
まさに、砂漠と言う地形をつかった城壁なのだろう。
しかし、その哨戒網をすり抜けて、バジリスクの群れは突如襲ってきたようだった。
緊急出動さいた討伐部隊を壊滅に追いやったそれは、大地をおおう大波となって、街に押し寄せてきた。
バジリスクの出す異様な音と、人々の悲鳴でアテムの街は埋め尽くされ、逃げ惑う人々は、我先に街を抜けようとしていた。
結果的に助かった人は、奇跡的にオーブ領方面に逃げていた人だった。
その方面だけはバジリスクがいなかった。
三方向からやってきたそれは、それ以外の街の出口に逃げた人を容赦しなかった。
結局人口数万を誇る都市から逃げ延びたのは千人にもみたないようだ。
増援部隊はこの約千人を警護しながら、オーブ領ブルーメを経由して、ベルンへと向かっている。
それが、デルバー先生の持っている情報だった。
「増援部隊はどの程度だったんですか?」
まずは、その数だ。
「聖騎士百名と聞いておる」
微妙な数だ。
遅れた派兵といい、何かできるものではない。
「百名か……」
もし、オーブ領のヒドラが暴れていたら、いくら聖騎士とはいえ、この部隊はおそらく太刀打ちできない。
後ろから来るバジリスクと前からくるヒドラを前に、千名の避難民を守りながら戦うことなどできない。
計画自体はヒドラがいない段階で発動している。
恐らく、計画自体が修正されているに違いない……。
どのようにかはわからないが、増援が必要なのは間違いない。
マルスの思考。
計画の推移。
修正。
順を追って考えるか……。
王都での隕石おとしは成功、不成功をメルクーア自身は確認していないが、俺を刺した人物から失敗は告げられているはずだ。
無傷の騎士団が王都にある。
その存在はマルスも厄介なはずだ。
派兵がたったの百名だった理由。
それは協力者の存在を明らかにしている。
英雄であるマルスの一番の強みだ。
確実に聖騎士団団長の中にいる。
そして、その兵力をとどめておく理由。
マルス自体がまだ動いていない理由。
オーブ領にヒドラがいないこと。
故意にアテムから人を逃がした理由。
リライノートが邪魔だった理由。
そう言うことか……。
どんな修正がされたのかはわからないが、マルスはまだ英雄でいないといけないようだ。
「デルバー先生、再増援を送る計画はあるのですか?」
事は一刻を争う。
至急確認しなければならない。
「いや、ないがの……。そう聞いておる。ところで、何を気にしておる?」
デルバー先生は興味を持って俺に聞いていた。
「マルスはこれまで大義名分をしっかり守ってきました。これは何かを意識していると思います。それがなんなのかはわかりませんが、今もそれが働いていると考えると、この避難民をどうするかです」
マルスの思考はこの世界を意識している。
「一つは、この避難民を受け入れる方法。もう一つは見せしめとして殺す方法」
あくまでも冷静に考える。
そして俺は、マルスが避難民を受け入れる方法を取ると考えていた。
「オーブ領でのヒドラ災害が起こっていたら話は別ですが、この避難民は英雄マルスにとっては格好の獲物です。これを保護すれば、人々は英雄復活にわくことになります。そして、それを見捨てた王家は非難されます」
民意というあいまいな感情。
それは、自分たちの都合のいいように解釈される恐れがあった。
助けてくれた英雄と助けなかった貴族というわかりやすい構図を生む。
そして、いつの世の中も人々は、自分たちを助けてくれる存在を待ち望んでいた。
「つまり、救世主ですよ」
最悪、英雄から救世主にその存在を変化させてしまう可能性がある。
なぜ、アテムの街を三方向からの同時攻撃を四方向にしなかったのか。
なぜ、千人の護衛百名を追撃させて壊滅させないのか。
それは生き残る人が必要だったからだ。
そう考えるとわかりやすかった。
仮にオーブ領でのヒドラが成功していたら、その役割はオーブ領の民だったのだろう。
しかし、その手は使えない。
となると、当初は壊滅させる予定だったところを使うしかなかったのだろう。
王都の隕石落としは不成功になっているので、部隊が贈られる可能性は十分に考えられる。
だから協力者が必要だということだ。
オーブ領まで護送させてから魔獣の追撃で護衛を打ち取り、マルスがその魔獣を退治する。
避難民はその後オーブ領に移住させて、そこを守る名目で駐留させれば、すべて併呑可能になる。
さすがにデルバー先生は理解が早かった。
そして逆に俺に疑問を投げかけてきた。
「じゃが、なぜ極端に数を減らした。もっと多い方が効率的じゃろ」
救世主を望む声は、その助けを乞う人々が多い方が大きく、そして育つ速度も速くなる。デルバー先生の疑問は、もっともだ。
「口減らしですよ」
自分でも驚くほど、冷徹にそう告げていた。
いくら、用意していたとはいえ、自領の倍近い人間を養うことは難しい。
そして維持できなくなったシステムはやがて崩壊する。
そうすれば臨んだ効果ではなく、望まぬ結果に結びつくのは明らかだった。
だから、冷静にある期間維持できる人数をあらかじめ想定して、そこになるように調整したのだ。
「何ということじゃ。恐ろしいことじゃの」
誰に対して言っているのだろうか。
ふと、俺はそんな疑問を抱いていた。
「で、お主はどうすればいいと思うかの?」
考えすぎだろうか?
デルバー先生はわかって聞いている気がしてきた。
「ルナに頑張ってもらいましょう」
ルナには申し訳ないけど、ここは英雄に対抗するしかない。
そして、英雄と共に民に愛される存在。
それは、聖女。
特にルナは見た目も実力も申し分ない。
何よりも、最大の贈り物まである。
「幸い、ここにリライノート子爵からの手紙があります」
俺は手紙を1通取り出し、その封を開けていた。
封の近くには、ルナに対する謝罪の文字が書いてある。
俺の予想が正しければ、それは今の状況を考えたリライノートが残してくれたルナへの悲しい贈り物。
それが必要なことを理解し、それを用意する気持ちは想像しがたいものだ。
でも、ありがたく使わせてもらう。
「これにはルナにオーブ軍の指揮をゆだねることが書かれているはずです」
そして、俺の予想通りの内容が書かれていることに感謝した。
「ルナには、聖女になってもらいます」
俺の宣言に、デルバー先生は満足そうに頷いていた。
「ほっほっほ。では王の承認をもらわねばの。一応約束は入れておる。王にとっては、後からでは効果が薄いのでな」
どこまでも準備のいい先生に、頭が下がる思いだ。
そして、どこまで見通しているのか、その目に興味が湧いていた。
*
王との謁見は俺の希望を聞いて、以前の庭園で行われることになった。
「おぬしはなぜ、そうまでして表に出んのかの」
死んでますのでという答えは、怒られるだろうな……。
でも、これって一種の踏み絵じゃないか?
理由を一番知っている先生に答えるのは気が引ける。
でも、知りたいのだろう。
俺も、先生と同じことを考えていますよ。
「それは先生もご存じでしょう。魔術師は表立って出てはいけない存在です。人は英雄を求めますが、それは人が容認できる力でないとだめなんです。もしくは、神のちからとか。魔術は人々にとって畏怖の対象なんですよ。それは精霊魔術でも変わりはないです」
古代魔法文明がなぜ滅びたのか。
古代魔法文明は古代魔法を使うことができる人の社会だった。
そして、それを支えていたのは、魔法を使えない人たちだった。
魔法を使える一部の人が、使えない多数の人を奴隷として扱っていた社会。
そう言った歴史は人々の記憶ではなく、本能として魔術を畏怖するものとしてとらえ続けていいた。
だから、そういう人が表に出てはいけないと俺は考える。
すでに、王都での実績があるデルバー先生は、ある程度のところまでは許される。
しかし、俺は何の実績もないただの子供だ。
そういう人間が発言した内容は、まず受け入れられない。
「人は、頭で判断するよりも先に、好きか嫌いかで判断しますからね」
こればかりは仕方がない。
人に感情というのがある。
理性というのがある。
どちらが大きいか。
ヘリオスを見れば、結果は明らかだ。
庭園でしばらく待っていると、コメット師をつれたハイス王が現れていた。
「おお、賢者ヘリオス。久しいな」
王は俺に親しみを込めて声をかけていた。
「お初にお目にかかります。ハイス国王陛下」
俺はひざまずき、そう返答していた。
ヘリオスは会っている。
だが、俺自身は初めてだ。
しかも、大事な交渉をしに来ている。
相手のペースではない。
自分のペースに持ち込まなければ、交渉は成功しない。
「デルバーよ……」
ハイス王は、俺の態度が理解できなかったようだ。
デルバー先生に何か話している。
先生も何かを告げている。
まず、導入としてはこちらのペースだ。
興味を持つ。
それは人にとって理解の幅が広がることを意味している。
「なるほど、そちは初めてなのじゃな。あいわかった。面を上げよ」
気さくな王に違いない。
近くによって俺の顔をまじまじと見ている。
「ふむ、確かに似ておるが、別人のような雰囲気だな。それに、その目。底知れぬ力があるのは余でもわかる」
ハイス王は深く頷いていた。
「その方からの進言があると聞いておる。思うところを申してみよ。ここは謁見の間ではないからな。コメットよ、よもや固いことは申すまいな」
ハイス王はコメット師を抑えていた。
「単刀直入に申し上げます。フリューリンク領の難民をオーブ領で、マルス辺境伯よりも先に保護すべきです。そして、その陣頭にはリライノート子爵の養女であるルナ=フォン=オーブを当てていただきたく存じます」
本来ならば許されないことだが、俺は王に直言していた。
ちらりとコメット師をみても、特に何も言いそうになかった。
たぶん、コメット師も理解しているのだが、役割というのがある。
この場合、王が先に言ってくれたので、何も言わずにいると言った感じか……。
「ふむ、その話は先ほども出ていてな、援軍は送らない方がよいと結論が出ておる。コメットも相当粘ったが、将軍の意見も無視はできん。しかし何故に、賢者ヘリオスは援軍を送るように進言する」
ハイス王は俺をじっと見ていた。
俺は先ほどデルバー先生に説明した内容を繰り返し説明する。
ただ、ルナが救援に向かう意義を新たに付け加えておく。
「幸い、リライノート子爵の軍権限をルナに移譲する文書がございます。そして何より、人は亡き父の意思という言葉に弱いものです。ルナが陣頭に立つことで、オーブ軍の士気は高まります。また、そうした方が、マルス辺境伯へのけん制になります」
リライノート子爵の手紙をコメット師に渡しながら奏上していた。
「今はマルス辺境伯も表立って、人間相手に攻撃できません。すべての事件に魔物を使っているので、それは明らかです。しかも、モーント領には一切被害はないようになっています。でも、人間相手にできる口実ができれば、違うでしょう」
俺はそこまでいって、目を閉じた。
「そのためには陛下にルナの出撃を命じていただかねばなりません。そうすれば、ルナの名声がそのまま王家の名声となります。これをしなければ、難民を救ったのは英雄マルス辺境伯で、王家は見殺しにしたということになります」
この声だけは起こしてはいけない。
王にそのことを理解してもらいたい。
俺は、誠意をもって話した。
会議で決まったことを覆す意味を持つ命令。
でも、決断してもらわなければならない。
目を閉じて考える王を、必死に見つめていた。
「して、そなたは何とする?」
考えがまとまったのか、王は短くそう尋ねてきた。
「私はもちろんルナとまいります。私にとってルナはかけがえのない家族ですので」
ルナ一人を危ない目にあわすことはできない。
ルナは俺にとって大切な妹だ。
「よかろう、ノイモーント伯爵の言を聞き入れよう。コメット。これは別働隊として、秘密裏に行動するのではなく、王宮魔術師で軍団移送せよ。そして、ルナに聖騎士五十騎をつけ、ノイモーント伯爵を後見人とせよ。人選は任す」
ハイス王は決断すると行動が早かった。
「賢者ヘリオス、他に申しておくことはないか」
王は確実に、俺に興味を持ったようだ。
「恐れながら申し上げます」
このチャンスは生かさなければならない。
大きな力の王権は、出遅れた部分を挽回できるチャンスになる。
俺は六つのことを進言した。
1つは、ノイモーント伯爵位をデルバー先生に戻すこと。
1つは、ルナにつける五十騎は援軍に賛成の者だけにすること。
1つは、アプリル王国に対して、メルツ王国の侵攻を警戒する親書を送ること。
1つは、イエール共和国からトラバキへ食料輸入を開始すること。
1つは、ベルンからトラバキへ住民移動を行うこと。
1つは、マルス辺境伯へ王都への召喚命令をだすこと。
コメット師は四つ目までは頷いていたが、五つ目と六つ目でけげんな表情になっていた。
「それがしには、わかりかねます。五つ目と六つ目の真意やいかに」
コメット師はあくまで実直な人だった。
こうゆう人は信頼できる。
「おぬしはそれだから尻が青いんじゃ」
デルバー先生はそう言って、コメット師の尻を巨大扇でたたいていた。
「師よ、わからないことをわかるふりをしても仕方ありますまい」
コメット師は尻をさすりながら、あくまで真面目に答えている。
コメット師、それは正しいのだけど、デルバー先生はそれも分かったうえであえてやっているんです……。
意味なんてないんです……。
ボケと突っ込み。
漫才を見ているように思えてきた。
「六つ目は、実行されなくてもいいのですが、あくまで命令に従う気があるのかどうかを試しているのです。そして、マルス辺境伯に軍を出す口実を与えることにもなりますので、たぶん乗ってくるでしょう」
二人のやり取りを見て、苦笑しながら説明した。
「そして、五つ目はベルンのあぶり出しです。おそらく、マルス辺境伯の息がかかっているものは、移住に反対して残ることを言い出すでしょう。ベルンはあれでも、城壁は堅固です。しかし、内部から手引きした場合は、通商を主にしているので、進軍は容易になっています。道が整備されているというのは、侵攻するものにとってはありがたいですから」
ベルンは文字通り、商業都市だ。その通りは広めに、そして、街全体が通行しやすい作りになっている。
これはマルスが用意周到に準備してきたものの集大成だ。
マルスがベルンを狙っているのは明らかだ。
戦略上もベルンの存在は大きい。
「工作員が多数いるはずです。それらを丸裸にします」
トラバキへの食糧輸入は共和国に利益をもたらすので、まず間違いなく行われる。
難しいなら、デルバー先生の商店を利用する。
必ずベルンに騒乱が起こる以上、トラバキに食料を集めておく必要があった。
食料の存在は、生きていくうえで非常に重要な意味を持つ。
時に理想を掲げるよりも、食料を掲げる方が意味を持つ場合すらある。
「そして、重要なことはいったんベルンを放棄することです」
ベルンに入ったマルス辺境伯は必ず何らかの宣言をするはず。
その宣言が何かわからない。
でも、ベルンの住民被害を最小限にするには、いったん開城するよりほかない。
「その際、食料などは必ず持ち出すようにしてください」
残酷なようだが仕方がない。
被害を最小限に抑えるには、早期解決が望ましい。
人は生きるために食事を必要としている。
しかし、ベルンは商業都市なので、周囲に穀倉地帯はない。
すべて、流通が賄っていたから必要がない。
近くにあるのは、岩塩だけだ。
「そうしておけば、ベルンに残った人をマルス辺境伯は養わなければなりません。かりに、ベルンから何の宣言もなく、動こうとしない場合は、召還命令を無視したことで、反逆罪を当てはめて、ベルンを包囲することです」
俺自身は死んでいると思われている。
それを最大限に生かすためにも一つ目が必要。
それで、それが公になるはずだ。
その上で、秘密裏に行動して、エーデルシュタイン辺境伯とシュミット辺境伯の援護に向かい、オーブ領でベルンを包囲する形を整える。
食糧不足に陥ったベルンはモーント辺境伯領から食糧輸送をするはずなので、これをオーブ軍が強奪する。
だから、それまでにバジリスクを何とかする必要もある。
そうしてベルンを干からびさせることで、英雄の名声を地に落とす計略。
住民移動はいわば間引きになるが、自ら望んで選択したのだから、そこはその選択に責任を持ってもらおう。
当然、餓死者が出る前に、行動が起きるはずだ。
起きなければ、起こすのみ。
英雄という強い光が天高く輝いているベルンは、一度のその光を曇らせなければならない。
「ほっほっほ。包囲しやすいところに誘い込んで、干からびさせるか。おぬしの発想は本に面白い。王よ。こやつは賢者。その言取り入れて損はないと考えますぞ」
デルバー先生はひげを揺らして笑っていた。
「うむ。それでは具体的な人選はコメット、その方に任せる故、良いものを選べ。そして余は親書をしたためるので、もう帰るぞ。あと、賢者ヘリオスの申し出はすべて余の名前で実行せよ」
ハイス王は判断力、決断力に定評のある人だ。
俺の言葉に何らかの思いを重ねたのかもしれない。
「ところで、おぬしは姿を変えれるのか?」
帰ろうとしていたハイス王は、振り返ってそう確認してきた。
それは俺の意図を読んでいるという意思表示に違いない。
俺が誰になるかを確かめたかったのだろう。
「よく知っている人だけですがの」
デルバー先生の姿になって答える。
それが答えになるはずだ。
聖女だけでは動かない者がいるかもしれない。
そのためには、デルバー先生の名声が必要だ。
「70点じゃな、ヘリオスよ。わしはもっと品があるのでの」
デルバー先生は複雑そうな顔をしている。
これで先生はますます有名人ですよ。
嫌がる言葉をそっと胸にしまいこんだ。
「よかろう」
ハイス王は満足そうに頷くと、庭園から出て行った。
あとにのこったデルバー先生とコメット師は何やら話をしていたが、俺はあえてその話には参加せず、自らの仮説と、足らない情報について検討を始める。
全てが足りないが、まずは聖騎士団だな。
コメット師がいる今が一番いいだろう。
幸いデルバー先生との話もひと段落ついたようだし、声かけても嫌がらないだろう。
一応丁寧に話しかけた。
「お話し中申し訳ございませんが、王家の方で把握している情報を教えていただけませんか」
コメット師へのお願い。
実直なこの人は、たぶんその線引きは確かにするはずだ。
「そう簡単には話せないこともある」
予想通りの解答に、俺は楽しくなっていた。
「はい、その時はそれで結構です。ですが、ことはこの国の存亡にかかわることとご理解いただければと思います」
情報が重視。
知らなかったでは済まされないことが、今は起きている。
その気持ちだけは伝わるだろう。
「先ほど、援軍を送らないことが決定されたとお聞きしましたが、将軍とはどなたのことで、どのようなかたですか?」
誰が協力しているのか、それが重要だ。
その意気のかかった聖騎士が来ても邪魔でしかない。
「それなら、マルクス将軍、クラウディウス将軍、マルケッルス将軍だ。王国の五将軍のうち、三人が反対していた。ジャンヌ将軍とオルレアン将軍は援軍を送るように進言していたが、彼女らは若い将軍でもあるので、三名の老将軍には遠慮した感じもある」
王国の軍編成に関して俺に説明しだした。
それって結構重大な情報だけどな……。
コメット師の線引きが分からなくなってきた。
王国軍は五大編成をしており、マルクス将軍、クラウディス将軍、マルケッルス将軍は二十年以上もその地位にいる軍の重鎮だ。
それぞれ軍においては左翼右翼中央を担当していた。
そして、援軍派遣を唱えたジャンヌ将軍とオルレアン将軍は二年ほど前にその地位に就いた若い女将軍だった。
その人事は異例の大抜擢として当時は話題になっていたらしい。
「二人とも優秀での、リライノート子爵のパーティメンバーでもあるんじゃよ」
デルバー先生はそう補足していた。
なるほど、そういう心理も考えないといけないのか……。
こればかりは会って話すしかない。
可能かどうかわからないが、状況は最大限利用しなければならない。
成果というのは待っていてもやってこない。
こちらからつかみに出る必要がある。
「その二人の将軍と会うことはできますか?できれば一人ずつ、早い方がいいのですが」
同時に、聖騎士団内部でもかなり切り崩しが行われていることに危機感を覚えていた。
それ以外の切り崩しだって可能だろう。
気が付けば、全て敵だったという事態だってあり得たんだ。
「それならば問題ない。実は彼女たちの方からも、君と話がしたいということだったので、この後予定を組ませてもらっている」
コメット師はやはり優秀な人だった。
融通の利かないところもあるが、それは宮廷魔術師としての職務に関することが多かった。個人的なことには便宜を図ってくれる。
そう俺は理解した。
「ありがとうございます。では、どちらに行けばいいですか?」
さっそく会いたい。
時間は有効に使いたい。
「君はあまり人目につかない方がいいだろう? その外見は特に目立つので、ここに彼女たちを呼んである。間もなく来るから待っているがいい」
コメット師の心遣いがありがたかった。
「ほっほっほ。コメットよ。五十点じゃ」
相変わらずコメット師に厳しいデルバー先生だった。
***
「初めまして、賢者ヘリオス。わたしはジャンヌ=ツー=ドライだ。妹が大変世話になった。一度礼を言いたかったのだが、機会がなく、申し訳ない。貴公のことは妹から聞いている。デルバー先生からも口止めされているので、もちろん賢者というのは貴公の前でしか言わないつもりだ」
ジャンヌ将軍は握手を求めてきた。
「先に名乗らず申し訳ありません。僕は今、ただのヘリオスとなっていますので、よろしくお願いします」
ヘルツマイヤー譲りの優雅なあいさつをした後、俺は、その手を握り返していた。
そしてもう一人の将軍も、俺が予想した通りの挨拶をしていた。
「先を越されてしまったが、私はオルレアン=ツー=ゼクスです。あなたのことは私もナタリアから聞いています。同じく口止めもされていますので、ご安心ください」
同じように挨拶を返す。
運命のいたずらか?
彼女たちは誘拐された少女たちの姉だった。
しかもデルバー先生から俺のことを聞いているようだった。
あいかわらず、デルバー先生の行動力に脱帽する。
「本当は、お二人には一人ずつあってお話がしたかったのですが、ここまでデルバー先生たちがお膳立てしてくださっているので、このままお話しさせていただきます」
俺はデルバー先生にお礼を言いながら、二人の将軍に話を始めていた。
マルス辺境伯の用意周到さに、対応の遅れを心配するヘリオスは、それでもあらたな出会いに期待しています。




