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自縄自縛

九死に一生を得たヘリオス君でしたが、その真価を見たマルスは・・・

「仕損じたのか……」

自らの剣さきに陽炎のようにまとわり消えていく姿を見て、マルスは残念そうにつぶやいた。


「ふむ。精神魔法が効かなくても、光を効果的につかってきたか」

マルスは少し感心していた。


「この部屋ぐらいの広さでは下位精霊はその行動すら封じられる。上位精霊でもその力は大きく制限されているはずだが、どうやったのか……」

マルスは不思議と笑っている。


「マルス様……」

扉の前で、男が控えていた。


「ヴォルフか、ヘリオスの妨害で計画が狂ってきている。もはやあいつを野放しにはできんな。どうするか……。あと、ヴィーヌスの方も急がせろ、そっちはヴィルトシュヴァインにまかせていい。ヒドラの方は邪魔されたが、頭をつぶせば同じことだ。王都の方はメルクーアでいいだろう。力だけのあれでいいだろう」

マルスは剣をさやに戻し、深々と椅子に腰かけた。


「思えば、ヘリオスにはずいぶん邪魔されてきた。デルバーが後ろで操っているのだろうが、あいつも成長したな」

マルスは自分の言葉に驚いたようだった。


そして、突然笑い出した。


あまりの事態にヴォルフは体を緊張させていた。

マルスの大笑いした姿をみたことがないのだろう。


「喜んでいるだと? まさかとは思うが、あいつの感情がわしに影響を及ぼしているのか?」

マルスはいつものマルスになっていた。


「ならば、それも断ちきるまでよ」


マルスはヴォルフに命令した。

「ヴォルフよ、ヘリオスを始末しろ」

短くそう命令した。


「アイオロスが裏切った以上、おまえが責任を持て。ベルンの方は現状維持だ。フリューリンク領の魔獣をシュペヒトに命じて解き放て、計画を前倒しして進める。もはやヘリオスの邪魔を許さん」

そう言ってマルスは目をつぶった。


「御心のままに」

ヴォルフは闇の中に消えていく。


「もうすぐだ、もうすぐ」

マルスは何度もつぶやいていた。



***


「むう、ヘリオスめ、まったく無茶をしおって……」

危なっかしくて見ておれんわい。

しかし、あのタイミングでよく転移できたものよの……。

しかし、マルス。

暫らく見んまに、顔つきまですっかり変わりおって……。

いかん、いかん。

今はヘリオスじゃ。

この様子じゃと、自分の部屋かの。



「お前たちも、心配したじゃろ。もう大丈夫じゃ」

ヘリオスを囲んで見つめている精霊たちに告げる。

ここは、守りを高めておる。

マルス本人がおってこんかぎり、たとえメルクーアでもやすやすと侵入できんわ。


「こやつは精神的にもろいからの、しかし、怒りの精霊に支配されるとは……。それほど力を求めたのか……」

こうなるとは、わしもあ奴も思わなんだぞ。


あ奴と精神的に会合を果たし、ある程度成長したと思っておったのにの。


しかし、ヘリオスはヴィーヌスにあって豹変した。

ここに来る前なのだろう、依存したヘリオスがそこにおった。


「しかし、嘆いても、しょうがあるまいの。これ、シルフィードやおぬし何をした?」

最後の転移。

あれはシルフィードが鍵を握っておったはず。

最近のあ奴は時折わしの目をごまかすことがあって困る。

しかし、重要なことはちゃんと見せよるからしたたかじゃの。



「ヘリオス君の頼みを聞いただけなの」

涙目で、手に持つ護符を見せていた。


「ふむ、帰還の護符(リターンアミュレット)か。あいつらしいわい。しかも、発動をおぬしに託すとはの。ますます精霊を信用しとるということか」

もう泣きやむがよい。

今もたぶん見ておるぞ。

お主らのそんな姿を見たくないから、あ奴は頑張ったのじゃからの。


「おぬしたちのヘリオスに代わって礼を言う。よくこのヘリオスを守ってくれた。ここにおれば心配はあるまい。ゆっくりと休ませてやるがいい」

とはいっても、精霊たちも心細かろう。

おお、そう言えば、テリアがおった。


「テリアよ、そんなところにおらんで、お主もこのヘリオスを守ってくれんかの」

扉の隙間からヘリオスを見ておる。

少しは自信と言うのをつけてやりたいが、それはわしの役割ではなかろう。

ヘルツマイヤーの奴が、自分から連絡をよこしてこっちに来るほどじゃ。

ヘリオスの頼みというのもあるかもしれんが、それはお主を見込んでのことじゃよ、テリア。


「まかせてなの」

控えめながら、強い意志を感じる。

もうこの娘も、ヘリオスのことを大事に思っておるのじゃろう。

のう、ヘリオスよ。

お主を中心として、人と精霊の集う場所が出来つつある。

早う戻ってこい。

このヘリオスも頑張ってはいるのじゃが、お主の代わりはもうきつかろう。

お主たちは二人で一人前じゃ。


早う、それを見せてくれんかの……。


しかしこれで、マルスの動きも早まるじゃろう。

まさか、自分の息子にかわされるとは、思いもよらんじゃろうからの。


さて、リライノートにも知らせておくか。

ことは急を要する。


「これ、お前たち。ここは安心じゃが、油断はせぬようにの」

テリア、シルフィード、ミヤ、ベリンダ、ノルン。

いい顔じゃ。


さて、王都の周りを固めるかの。

まずは、リライノートと青二才、あとは……。

指輪の魔法を発動させて、わしは転移をくりかえす。


まったく、人使いが荒いわい。



***



「さっきデルバー先生から連絡があって、ヘリオスは自分の部屋に戻っているそうだ。みんなも、学士院アカデミーへの帰還命令がでている」

応接室に全員を集めたリライノート子爵は、そう言ってモルゲンレーテ全員に帰還指示をだしていた。


「いつのまに?」

「なにがあったんですか?」

「兄様はご無事ですか?」

「帰りは歩き?」

「何かが起おきているのですね」


それぞれが抱いた疑問を口にしていた。

しかし、メレナ……。

おまえ、そんなだから……。


「私にも詳しくはわからないよ。あと、ヘリオスは無事なようだね。ただ消耗しているみたいだよ。それと、デルバー先生から徒歩でといわれたからね」

リライノート子爵は、メレナの質問にも答えていた。

通常なら無視してもおかしくない。

なぜ、あえてそれに答える?


リライノート子爵は軍団移送コアトランスポートを使えたはずだ。

それをしないということは、何かが起きると言う事か。

それとも、今のヘリオスには会わせられない事情があるのか?


あの爺。

一体何考えてんだか……。

隣でぶつぶつ言っているシエルは、とりあえず無視だ。

こいつも瞬間移動テレポートを覚えたようだが、まだ自信がないのだろう。

とりあえず、杖だけ取って、話しを聞こう。


何が起きたか知る必要がある。



「わかりました」

全員を代表してカルツがそう答えていた。

そして、それぞれが出立の準備をするべく、部屋に戻っていく。


部屋の中には、リライノート子爵と俺、シエルの三人となった。


「それで、なにがおこったんですか」

何よりそれが聞きたい。

珍しく、リライノート子爵は真剣な表情を崩していない。


「私は彼の精霊たちを初めて見たよ。この目で見て、実感した。彼を失うわけにはいかない……」

リライノート子爵はそう決意していた。

ヘリオス本人を見てなくても、その周囲にいる物だけで本人のことがわかるのか。

さすがはリライノート子爵。

天才の名をほしいままにした男だ。



「ああ、何があったかだよね。ヘリオスはお姉さんのことで逆上してね。マルス辺境伯のところに直訴しにいったようだよ」

リライノート子爵はそう話していた。

何故逆上したのか、肝心の部分は伏せたままだ。

しかし、俺はそれ以上に気になることがある。


ただ、シエルの眼はごまかしきれないようで、リライノートはその視線をそらしていた。


「あいつ……いくら親子だとはいえ、大胆な……」

その行動にあきれるが、勇気はかおう。


俺は対峙もしたくない。

英雄はそう思う存在だった。


「まあ、彼にもいろいろあったんだろうが、危なかったらしい。すんでのところで、彼の中の彼が残したもので帰還したようだよ。さすがというべきか、ここまでくると恐ろしい……、よ……」

リライノート子爵は最後の方で、異様な雰囲気を感じたようだった。


見てはいけない。

そうリライノート子爵に目で忠告する。

せっかくそらしたんだ。

その視線を戻してはいけない。


しかし、探究心と言うのは魔術師にとっては原動力なのだろう。

シエルの顔を見てしまったようだった。


「あー。こいつ、いっちゃってるんで……。気にしないでください。すみません。こうなったら話も聞いていないので、先に進めます」

よし、ヘリオスのことを考えてるときのシエルだ。

隣でうっとりしている様子を見て少し安心していた。


このところ、一人でぶつぶつ話している姿しか見ていない。

妙な気分だが、安心した。



「まあ、それで、ヘリオスの方は無事として、こっちはどうですか?なんとなく、ベルンの方が気になってきたんですけど……」

ヘリオスとマルスの会合がもたらすもの。

それは、悪い物しか考えられない。


本当に余計なことをしてくれたもんだ。


これで、マルスの行動が早くなる可能性がある。


今回のヒドラの件はおそらく伝わっているはずだ。

それにヘリオスが関与したとしり、やってきたヘリオスを攻撃したのかもしれない。


いや、逆上したと言ったな。

ならば、明確な意思を持って、マルスの行動を阻止しにいったと考えられる。


俺ならどうするか……。

実の息子が自分を非難なり、止めに来たとする。

その行動結果が、攻撃、ないし生命の危険にさらしたものだ。


そこに至る感情は?


邪魔者か……。


それが逃げたとなると、邪魔される前に計画を早めるだろう。

遅くなるとどうなるか。

それはヒドラの件が物語っている。


「何かしらの動きがあるでしょうからね。マルスがベルンを狙っているのは確かでしょう」

ベルンが危ない。

俺の感がそう告げている。


「おそらくベルンは大丈夫だと思うよ。ここもまあ、大丈夫かな? 今一番厄介なのは、おそらく王都とフリューリンク領だね」

リライノート子爵の予想は、俺とは違うものだった。


「それはなぜですか?ここはわかります。あれだけのヒドラの規模だ。計画を練り直すでしょう。しかし、王都は特に攻撃するにしても、兵力がいるでしょう。それは、ベルンを通るしかない。フリューリンク領は……。まあ、わかりますが……」

納得できない。

王都を攻めるにしても、ベルンを通って行く。

だとすると、ベルンの危機には違いない。


フリューリンク領の方は間違いなく何かが起こる。

ここで、ヒドラが用いられているのだから、向こうはもっと大規模に魔獣などが展開されるのだろう。

砂漠に近いんだ。

何がいても不思議じゃない。


それに、マルスの最終的な目的が分からないにしても、王都を攻めるのは確実だ。

そんな時、背後に大きな勢力が残っていると問題だろう。


しかし、今すぐに王都を攻撃するのが得策とは思えない。

しかも、ベルンを超えていくには時間がかかる。

リライノート子爵の考えは、現実味がなかった。


「彼の場合、単独で一軍に匹敵する魔導師を身内に持っているからね。王都はその人が攻撃すると思う。しかも、その攻撃で、王都はその機能をマヒするだろうね。そうなると、各地の連携がとれなくて、英雄に従うものを止めることもできない」

そうか……。


メルクーア。

彼女の召喚魔法。

妖魔の大群に降り注いだ、あの隕石と呼ばれる炎の塊。

あの空の光景と、大地の揺れ。

確かにあれが王都に落ちれば……。


恐怖だ。

俺の全身に寒気が走った。


「軍事行動において、情報攪乱と統制混乱はきわめて有効な手段なんだよ」


なるほど、何も占領する必要なんてないんだ。

指示系統を壊してしまえば、あとは各自で判断するしかない。

もともと貴族なんてものは、自分たちの権利を守ることで頭がいっぱいの連中だ。

誰が上にいても、それは構わないのだろう。



「向こうはやる気で待機しているんだ。こっちはその準備しかない。この差に混乱というものと、不安というものに、英雄の名声がついてくると世の中どうなるかわからないよ」

リライノート子爵はため息をついていた。

自分の実力、自分の評価。

そう言ったものを最大限に利用する。


人間の脆弱な部分を見事に突いていく。

恐怖に駆られた人間は、何をしでかすかわからない。


俺はそのことをよく知っている。

ふと気になって、お花畑にいるだろうシエルを見る。

やはりというか、話をしっかり聞いていた。


こいつも変わった。

以前のこいつは、自分の世界に入ったら、とことん戻ってこない。

というか、やはりその方が気楽なのかもしれない。


しかし、ヘリオスと出会って、ヘルツマイヤーさんにしごかれ、世の中のことを意識するようになっている。

それは、ヘリオスの為なのだろうが、それでも一度は隔絶した世界に、こいつはしっかりと戻ってきた。


なあ、ヘリオス。

俺はあの時からお前を認めている。

たぶんあの人だって認めるだろう。


だから、こいつの前に出てきてやってくれ。

頼むから……。


独り言のようなリライノート子爵の言葉は、やけに俺の中で繰り返された。


「彼は英雄であると同時に覇王でもあるかもしれない……」


そうか。もう英雄はいないんだ。

心の中に、なんだか大きな穴が開いた気分だ。


でも、そうは言ってられない。

俺は誓ったんだ。



「わかりました。で、あの坊主たちはそんな中で、なぜゆっくりとした帰還なんですかね」

もう一つわいた疑問。


二つの仮説。

リライノート子爵はどう考えている?


「そこまではわからないよ。でも、おそらくだけど、今のヘリオスが相当まずい状態になっているんじゃないかな?会わせたくないのかもしれないね」

リライノート子爵の声に、シエルはいきなり立ち上がり、俺を殴って杖を回収していた。


「無理。場所が分からない……」

今にも泣きそうな顔のシエル。

ヘリオスに会いに行くつもりなのだろう。


しかし、一瞬で決意の顔に変わっていた。


「バーン、先に行く」

それだけ言って、シエルは消えていた。


お前ね……。

一応ここは心配ないとはいえ、それはないだろう。


「あー。あいつたぶん今ベルンから王都にむかってますね」

頭をかきながら、そう言うしかない。

あまりの出来事に、リライノート子爵は驚いていた。

「そうか、いいよ。君もベルンに戻るがいい。ここは君たちの手はたぶんいらないと思う」

一瞬さびしそうな顔をしたリライノート子爵は、次の瞬間には笑顔で手を振っていた。

なんだろう、なんだか嫌な予感しかしない。

でも、ベルンもそうなんだ。


リライノート子爵には悪いが、本人がそう言っている以上、たぶん俺たちが対応できない事なのだろう。

それとも、させたくないのか?

ヒドラの件で、ここの脅威は確実に減ったはずだ。

あの爺さんがカルツに徒歩で帰還命令を出しているのは、ベルンに対する備えかもしれないしな。

そう考えると、アイツたちと行動を共にした方がいいかもしれないな。


「さて、じゃあおれも行きます。お世話になりました。また、落ち着いたらよらせてもらいます。その時はまたあのワインをいただけるとありがたいですね」

リライノート子爵の約束を取り付ける。


また、ここに帰ってくる。

その時が楽しみだ。



***



「それでは、お養父様(おとうさま)お養母様(おかあさま)、行ってまいります」

出発の前に、私はリライノート子爵の書斎に呼ばれていた。

中にはお姉さまもいてくださった。

礼儀正しく、二人に対して出発の挨拶をする。

お姉さまに、このように接しなくてはいけないことが悲しい。


でも、そうしなければいけない。

今の私は、以前の私ではないのだから。


「ルナ、ここは私たちしかいません。いいですよ」

ヴィーヌス姉さまは微笑みながら、両手を広げてくれていた。


「お姉さま……」

駆け寄って、お姉さまのぬくもりを感じる。


「お姉さま。ルナは……ルナは……」

言葉にできない……。

ただ、お姉さまに抱きつくしかなかった。


「いいのです。ルナ。つらかったでしょう。もういいのです。あなたのヘリオスはちゃんとあなたを受け入れていたはずです。それは今のヘリオスも分かっているでしょう」

ヴィーヌス姉さまは私の背をさすっていた。


やはりご存じなのですね……。


「だから、ルナ。この先どんなことがあっても、今度はあなたがヘリオスを支えてあげて。あの子はとても弱い子です。それはもう一人のヘリオスもですよ。もう一人のヘリオスはそうならないためにいろいろ手段を知っているだけなのです。だから、本当にヘリオスが苦しい時には、そばで支えてあげるのです。もう、わたしにはそれはできません。私の願いを、あなたに託します」

涙を流しながら、ヴィーヌス姉さまは再び抱きしめてくれた。


そうだ、私がしっかりしなくちゃ。

ヴィーヌス姉さまはリライノート子爵を支えている。


ヘリオス様を支えるのは、この私だわ。

生まれ変わった私を見てください、お姉さま。


「わかりました。お姉さま。ルナはお姉さまの思いも込めて、お兄様とヘリオス様を支えます」

受け継ぎ、守ることを約束します。

泣くのはもうおしまい。


笑顔のルナを見てください。


「ありがとう。わたしは幸せです」

お姉さまは、リライノート子爵を見つめている。


愛し合うというのは、こういう事なのでしょうか? ヘリオス様。


「さあ、旅立ちの前に湿っぽいのもここまでにしよう。ルナ、これをヘリオスに渡してほしい。あと、これは君のだ」

リライノート子爵は二つの魔法の袋を私に下さった。


「その袋には守りの呪法が施してある。デルバー先生には言ってあるので、時期が来たら開けてもらいなさい」

その二つを、お姉さまが違う魔法の袋に入れてくださった。

とてもかわいい魔法の袋。

シエルさんが喜びそうだわ。


「私の娘として、これから先もこの子に幸せが訪れることを」

私のブローチを指さし、その言葉を私にくれる。

そして、お姉さまが私を抱きしめ、私たちをリライノート子爵が抱きしめていた。


なんだろう?

こんな感覚は久しぶりだった。


ヘリオス様とは違うぬくもり。

大切なもう一つの、ぬくもり。


私の大切なぬくもりを、いつまでも感じていたかった。





「お世話になりました」

カルツ先輩がリライノート子爵に、別れの挨拶をしている。

ヴィーヌス姉さまは体調が悪くなったとのことで、部屋で休んでいるようだった。


大丈夫かしら……。

気になるけど、もう挨拶は済ませた後だし……。


気分がすぐれないというのは、もしかして……?


ああ、そうだ。

たぶんそうだわ。


また来ますね、お姉さま。

赤ちゃんのお土産って、何がいいのかしら。

帰ってから、アネットに相談しよう。


今度は、ヘリオス様にお願いしてきますね、お姉さま。



***



その様子を屋敷の陰から見守るものがいた。

そのものは陰に潜むと、その姿を消していた。



ヴィーヌスの寝室にその男は立っていた。


「ヴィーヌス様。お父上よりお言葉です」

その男はそう言って寝ているヴィーヌスの耳にその言葉を告げていた。


「…………」

そうして男は部屋から消えていた。



***



モルゲンレーテの一行を送り出したとき、探知の魔法がそれを告げていた。


ヴィーヌスの寝室の窓をみても、何も見えない。

ヘリオスの記録魔道具も何も映しだしていない。


彼が来たという事か……。


「もう来ましたか……」

ため息とともに、口にしてしまった。

英雄も、よほど私が目障りと見える。


思えば、この結婚も最初からそうだったのだろう。

ヴィーヌスの指にはめられた指輪。

最近になってそれが分かりました。


その力が私に向けられたということは、誇っていいことですね。

ちょっと失敗しましたが、それで原理はわかりました。

ヴィーヌス。

私は最後までよき夫でいたいのです。


遅かれ早かれ、マルスは私を消すでしょう。

彼の計画にとって、どうやら私は邪魔なようです。

そして、この領地も。


だから、ヴィーヌス。

せめてあなただけは生きてほしい。


私の最後の力で呪縛から解き放つ。


さて、出迎えるには、書斎ですね。

後は頼みましたよ、ヘリオス。

もう一人の君に出会えなくて、とても残念ですが、私は今の君と出会えて本当によかったと思っています。


デルバー先生、弟子の不始末。

後片付けをお願いします。



***



ずっと私は夢を見ていたのだと思っていた……。


私が私を見る夢。

子供のころ、何度か見たあの夢。


その夢で、私はヘリオスにひどい仕打ちをした。


聞くに堪えない言葉。

体を傷つけては治す行為。

体ではなく、心に傷をあたえていたわ。


そして、それを楽しんでいた……。


夢よ。


本当に嫌な夢を見る。

これが私の本性。


夢の出来事だけど、ヘリオスには申し訳なかった。

そしてそれを感じるのか、時折ヘリオスの瞳に怯えが見えた。


本当の私を知っている?

そのたびに、ヘリオスには償いをしたいと思う。

でも、それは許されないことだった。


私はヘリオスに何もしてあげれなかった。

でも、ヘリオスは私を慕ってくれていた。


なぜ?

私はこんなにもあなたにひどい仕打ちをするのに。


なぜ?

私はこんなにもあなたを大切に思うのだろう。


答えの出ないまま、私はリライノート様と結婚した。


リライノート様は、こんな私を受け入れてくれた。

こんな私を愛してくれた。

だから、私も愛したいと思っていた。

でも、何かがそれを押しとどめていたわ。


それが何かはわからない。

だから今まで、愛しきれずにいた……。

でも、今は違う。


そう感じた時に、リライノート様はお出かけになることが多くなっていた。

何かの調べものや、遺跡の調査。

学士院アカデミーにもいかれていた。


何かを調べている。

それが何かは教えてはくださらなかったけど、なんだか大切なことだというのはわかっていました。


そして、あの日。

ついに私はリライノート様までこの手で傷つける夢を見てしまった……。

ヘリオスだけでなく、リライノート様までも……。


そう、夢だと思っていました。

そう、もう一人のヘリオスのことを聞くまでは……。



ヘリオスのことを聞いて、私は自分の身に起きていることを理解した。


夢じゃない。

もう一人の私がいる。


たぶん、私はそのことを知っていた。

知っていたけど認めなかった。


認めたくなかった。


でも、私はリライノート様をも傷つけるようになっている。

決してお腹を見せてくださらないリライノート様。

それが何よりの証だわ。


このままでは、私はヘリオスだけでなく、リライノート様までも不幸にしてしまう。


でも、最後にヘリオスに会えたのはよかった。

もう一人のヘリオスにも直接お願いしたかったけど、映像魔道具に願いは込めることができたから大丈夫でしょう。


もう一人のあの子は、たぶん私のことも知っている。

知っていて、知らないふりをしてくれていたんだわ。


だから、お願いします。


そして、ルナにも願いを託すことはできた。

そして、あの子ならもう一人のヘリオスに、あの映像魔道具を届けてくれるでしょう。


「リライノート様。私は幸せでした。どうか、お心を痛めないでください。私は、あなたの良き妻のままでいたいのです。どうか、おゆるしください。あなたと共に最後まで……」


痛いのは嫌なので、許してください。


それを飲みほし、私は闇の中に落ちて行った…………。




はずだった。



あら……?

見覚えのある景色……。

どこかしら……。


ふと、視線を下に下げると、足元に横たわっている人がいる。

その体からは大量の血があふれ出していた。


なに……?

死んでるの?

私も死んでいるから、ここは死んだ人がいる世界かしら……。


でも、ここは……。


もう一度よく見るために、視線を横にずらしてみた。

そこには短剣を持った私が、血まみれで立っていた。


え?


もう一度足元の人物を見る。


信じられないという気持ちが信じたくないに変わる。

しかし、目の前の状況は変わらなかった。


あの髪。あの服……。

自分の体でないような自分の体を何とか動かし、その人の顔をみた。


うそ……。

うそよ……。

そんなこと……。


その顔は笑顔だった。

何かを信じているような、そんな笑顔だった。


私の大好きな笑顔!





あたりに絶叫がこだました。

マンドレイクの叫びを彷彿させるその叫びは、発したものの狂気を表していた。

狂気はやがて、絶望へとかわり、ヴィーヌスは手にした短剣で、自らののどをついていた。


折り重なるようにして倒れたヴィーヌス。

リライノートの顔には笑みがあり、ヴィーヌスの顔は狂気で歪んでいた。


一部始終を確認した男は、短剣を回収すると、部屋を後にしていた。


「さすが、魔剣リヒテンリーベン」

男は感心したようにつぶやいていた。



***



メルクーアの足元には美しい王都があった。

あちらこちらに光がみえ、そこに人々の営みがあった。

通りには人がまばらにあるいている。


誰の顔にも不安はない。

誰の顔にも恐怖はない。


誰もの顔に日常があった。

しかし、恐怖はその頭上に訪れていた。


「マルス様の御心のままに」

表情のないメルクーアはそうつぶやくと、呪文を詠唱していた。


「我、漆黒の闇をゆく汝を求む。あまたの空、あまたの地、あまたの海を渡るものよ。汝が理は我にあり。我、汝が理を知るものなり。我、汝の道を示すものなり。我、汝に道を作るものなり。わが意を持って汝を天空の意志とせん。汝は天空のつるぎなり。我に購うもの、汝が敵とみなす。我、汝の力を持って天空の裁きとせん」

メルクーアは目標点を複数設定するかのように、その状態で王都を眺めている。


「天空の裁きを持って、その身をうがて!隕石召喚(メテオライト)

メルクーアの魔法の完成と共に、上空から火の玉が押し寄せてきた。


自らの魔法に絶対の自信をもつかのように、メルクーアはその場から立ち去っていた。



「なんだ、あれは……。おお、星か……」

通りで座り込んでいた酔っ払いの男が、空を見上げていた。

焦点の合わない目で、必死にその光のもとを探っていた。


自分の見ているものが信じられないようで、そのまま男は見続けている。


夜の空に、一つ、また一つと赤い光がともっていく。

最初は小さな光の点が、どんどん大きくなっていく。

暗い空が、だんだん明るくなっていく。


「ベルン……」

男は恐怖し、何とか逃げようと試みた。


だが、うまく動けない。

早くしなければと思う心が、男に立ち方と歩き方を忘れさせていた。

一瞬でも目をそらせない、男の視線がそれを物語る。

そして何とか逃げようとあがいていた。



腰が抜けてうまく動けない様子を、通りの人々は笑いながら見ていた。

しかし、あまりの形相に、人々はその視線を追って空を見上げる。


空は暗いはずだった。


店じまいしている人たちも、家でくつろいでいた人々も、急に空が輝き、周囲が明るくなっていることに驚いていた。


誰もが自然と空を見上げていた。


その時、王都に住む人々は同じ空をみていた。

そして同じように口を開けて、空を見上げていた。


黒々と広がる闇の中、燃え盛る光がどんどんと迫って来ていた。

それは、最初は小さな点にすぎなかったが、瞬く間に、空を覆い尽くすほどの大きさになっていた。


人々はそれが自分たちに迫っていることに最初受け入れられなかった。

しかし、その現実を前にして恐怖から逃れる本能が、人々に逃げることを教えていた。


どこに逃げればいいのかわからない。

とにかく遠くへ。

遠くへ。

人々は逃げまどう。


はぐれた子供が泣いていた。

こけた老人がうずくまっていた。

お腹の大きな女性が壁際でうずくまっていた。


とにかく遠くへ。


恐怖が恐怖を呼び、他人を押しのけて、我先に逃げようとしていた。


燃え盛る火の玉はすぐそこに迫っている。


人々が逃げ惑うその時に、デルバー先生とコメット師はそれぞれ結界を展開していた。

王城をまもるコメット師の結界は十層からなる多重結界。


学士院アカデミーを守るデルバー先生は、街と学士院アカデミーを含めた広範囲の七層結界を展開していた。

すでに暗い空はなく、大気の振動が大地を震わせていた。


その時、ひときわ大きな音が人々の心を抉り出す。

大地と大気を震わせたその音に、人々は逃げることも忘れ、立ち尽くしていた。


誰かが空を指さした。

誰もが空を見上げていた。


空を見上げたその時に、魔術結界で消滅する火の玉を人々は見た。


ぽつぽつと歓声が上がり、やがてそれは大きな声となっていた。


助かる。


人々の心に希望の光がともしだされていた。

次々を消滅する火の玉を見て、人々は湧き立っていた。


「むう、さすがじゃの、メルクーア。こりゃちとあぶなかったわい。よし、ヘリオスの方も出すかの」

デルバー先生はそうつぶやいていた。


人々が生きる望みをその結界に託したその時、貴族の屋敷に火の玉が落ちていた。

地響きと粉じんが、周囲に恐怖をまき散らす。


その場所から離れていた人も、火の玉が落ちたことは理解できた。


「だめだ……」

希望の灯は一気にかき消され、人々は逃げる意欲を放棄した。


あるものはその場で祈っていた。

あるものは座り込んで祈っていた。

あるものはひれ伏し、拝んでいた。


しかし、火の玉は容赦なく人々の頭上に降り注ぐ。


さらに轟音があちこちで響いていた。

もはや世界には、その音だけが許されるものになっていた。


自らの運命を放棄していた人々は、そこに新たな光が広がるのを見ていた。


人々の家々を起点として、ハチの巣構造の結界がすべての火の玉をはじいていく。

時折その結界がない場所には、容赦なく火の玉が襲っていた。


人々は思い出していた。

ここ数日、学士院アカデミーの学生たちが、自分たちの家に魔道具を設置している様子を。


人々は理解した。

自分たちを救ってくれた存在を。


「デルバー学長!」


誰かがその人の名を叫んでいた。


やがてそれは大きな歓声となり、歓喜の波となっていた。


「救世主デルバー!」

人々はそう呼んでいた。


それでも王都の被害は甚大だった。

デルバー先生の魔道具は千か所あったが、王都はとても広かった。

特に貴族街は壊滅状態だった。

デルバー先生の魔道具を購入していた貴族だけが、その被害を免れていたが、それもごくわずかだった。


そして王城はもっと被害が大きかった。


十層の多重結界は当初完璧に隕石を防いでいたが、最大の隕石には役に立たなかった。

その隕石は正門を破壊し、その熱で周囲に火災をおこしていた。


それよりも少し小さい隕石が学士院アカデミーにも来ていたが、学士院アカデミーは無事だった。


街は隕石による被害、隕石が落ちたところから燃え広がった火災による被害の二つの被害が重なっていた。


しかし、実際の被害に比べて甚大なのは死傷者だった。


死因の多くは圧死だった。

街は多くの悲しみであふれていた。


***



「むう、これはいかんの……」

翌日、被害状況報告を聞きおもわずうなってしもうた。


思った以上の被害。

もう少し、魔道具設置を増やしておけばよかったのかの……。


むしろ、警告しておくべきじゃったか……。

しかし、いつ来るかもしれんことに対応などできんわい。

そんなことをすれば、パニックになる。

その被害は今よりもひどかろう。


強すぎる感情は人を狂わす。

恐怖に駆られた人間が、何をしたか……。

のう、マルス。

わしは忘れることができんよ。


しかし、王都への攻撃が意外なほど早かった。

ヘリオスのことが引き金とはいえ、ちと早すぎる。

もう一度リライノートと話さねばなるまい。


「むう、何故でない……」

リライノートに魔導通信をいれたが応答がない。



まさかとは思うがの……。

瞬間移動テレポート

わしはリライノートの書斎前に転移した。

いつもなら鍵がかかっておるが……。


扉は半分開いてある。

何に足を踏み入れ、わしは自分の考えが甘かったことを後悔した。


「なんということじゃ……」

それしか言いようがなかった。

何が起きたかは一目でわかる。

しかし、どうしてなのかは、さすがのわしもわからなかった。


「ここはみれんからの……」

ヘリオスと同じような攻勢防壁。

ここにはそれが置いてある。


でも、なんじゃ?

その幸せそうな顔は……。

リライノートの顔は満足した顔じゃ。


しかし、これは本当にヴィーヌスなのかの……。

近づいてよく見ても、それがヴィーヌスとは信じられんかった。


何が起こった?


もう一度、あたりを見渡すと、巧妙に隠された記録用魔道具があった。

リライノートが極秘でよく使うものか……。

相変わらず、精巧に偽装されておる。


あやつめ、遺言のつもりかの……。


それ以外は特になかった。

凶器すら見当たらない。

しかし、これを見ればわかるじゃろう。


一度部屋を出てから、わしは自分の部屋に転移した。



「なるほどの、ヴィルトシュヴァインまで出てきおって……。それに魔剣リヒテンリーベンまでも……。あいつめ自分の……」


しかし、どうするべきか……。


このことをヘリオスに話すべきか?

新しい報告によると、フリューリンクの方でも魔獣の大量発生で鎮圧部隊が出動したと言う事じゃが、明らかにマルスの行動が活発化しておる。


今頃、王都からは軍団移送コアトランスポート聖騎士パラディンを派遣しているころじゃろう。


ベルンは今のところ何もないようじゃの。


今回はオーブ領と王都、そしてフリューリンク領だけのようじゃった。


「いずれわかることじゃ、あ奴にかけてみるか……」

あ奴の事じゃ、何か対策は立てておろう。


ヘリオスのことはヘリオスに任せよう。

もう一度、お互い話し合うがよい。



***



目覚めた私は、周囲をいろいろな精霊に守られていることを知った。

すべて人化しているので、私にもそれが分かっていた。


「みなさん……。また私が迷惑をかけたみたいですね……。すみません」

また、怒りの精霊に支配された……。


「まったくだよ、ヘリオス君。君、危なかったんだからね」

腰に手を当てたシルフィードが、口をとがらせて文句を言っていた。


「世話が焼ける」

ミヤが背中をむけて文句を言っていた。

ミヤを見るのは久しぶりだ。


「もっと自分をしっかり持たないと、精神の精霊は自分の中から生まれるのですよ」

ベリンダに説教された。


「まあ、ウチの働きには感謝してもいいよ。なにせその首つながってるの、ウチのおかげやし。でも、まあ、つかれたわ」

ノルンは恩着せがましかった。


「そう言えば、ミミルは大丈夫なの?」

最近また低活動状態のミミルは、今も眠っているようだった。


「ああ、あの子は今大変な時期やから、まあ、死んだりしないから大丈夫」

ノルンはあやふやな言い方だったけど、無事であることは確かなようだった。


その時、扉が開き、テリアが入ってきた。

私が目を覚ましたことを喜んでくれている。


この子にまで心配をかけてしまった……。


「ヘリオスさん。デルバー学長が呼んでるの」

真剣な表情でテリアが、そう告げてきた。


「学長が……」

とんでもないことをした……。

きっと叱られる。


どんなことが待っているか、頭が痛い。

でも、全部自分でやったことだ。

誰のせいにもできない。


決心して、指輪の力で転移した。



「デルバー学長?」

一瞬、それがデルバー学長だとは気が付かなかった。

そこにただの老人がいる感じだった。


「ヘリオスです。お呼びでしょうか」

お辞儀をしながら様子を窺う。

本当に、その辺にいる老人のようだった。



「おお、ヘリオス。よくきたの。まず、すわれ」

怒ってない?

デルバー学長の雰囲気は、そんな感じじゃない。

黙って座ると、デルバー学長は重い口を開きだした。


最初は王都での出来事だった。

隕石召喚を唱えたのは、お母さまらしい。

望遠映像でデルバー先生は記録しており、それは紛れもなく、母様だった。

しかし、遠くてよくわからないが、どことなく何かが違っている気がする。


そして、被害映像をみて、絶句した。


「アネットたちは大丈夫なんでしょうか……」

自然とそう口にしていた。

デルバー先生は、あとで自分の目で確かめるように言ってきた。


いつもの先生らしくない。

淡々と、起こったことを伝えてきている。


何か変だ。

デルバー学長の声には力がない。

調子に乗った言い方もしない。


まるで、記録用魔道具が話しているようだった。



そして形の異なる魔道具をみせられたときに、自らの耳を疑っていた。


「昨日のよる、王都襲撃と同時にリライノートとヴィーヌスが死んだ。映像を確認したければ、それをみるがいい」

デルバー学長はそう言い残すと、私を置いて学長室を去っていった。



***


何を言っているのかわからなかった。


一人残された私は、ようやくその言葉を理解したが、信じたくなかった。


「リライノート子爵が死んだ……?」

嘘だ。


「ヴィーヌス姉さまが……死んだ?」

そんなことあるはずない。


ありえない。

そんなことあるはずがない。


しかし、デルバー学長の言葉は、私の頭に響いている。


「リライノートとヴィーヌスが死んだ」

そんなことあってたまるか。


繰り返し否定しても、デルバー学長の声は消えない。


「それをみるがいい」


悲しげな声が、私の心を揺さぶる。

消えないデルバー学長の声は、私にそれを見ることを強要してくる。


いやだ。

見たくない。


もう何も信じない。

もう何も見ない。


ヴィーヌス姉さま……。


気が付くと、私は記録映像をつけていた。


なぜ……?

なぜつけた!

誰がつけた!


「私は見ないと言っただろう!」


笑顔で刺されたリライノート子爵は、そのまま何かを言ってその人を光に包んでいた。

その様子に満足そうにほほ笑んで、床に崩れ落ちていた。


その人は光に包まれていたが、手にした短剣を一振りしてその光を消し去っていた。

そして呆然とたたずんでいた。


しばらくして、その人は横の鏡を確認し、震える体でリライノート子爵を起こしていた。

その顔を確認したその人は何事かを叫んでいるようだった。

映像に音はない。

でも、魂を凍りつかせるような悲鳴を上げているに違いない。


そして、その人の顔が映像に映し出された。

見たことがない表情、私の知っている人はこんな表情はしない。

でも、私はわかってしまった。


「姉さま…………」

もうこれ以上見たくなかった。


震える手で記録魔道具に手を伸ばす。


その手を誰かがつかんでいた。


ノルンだろう。

ノルンが大人の姿になって、私の手をつかみ、頭を振った。

その顔は、最後まで見るように言っているようだった。


「みたくない!」

大声で叫んでいた。


「これはうそだ。これはうそだ。まやかしだ。幻術だ。誰かが私をはめようとしている。これはお姉さまじゃない。こんな人しらない!」

ノルンの手をほどこうとしても、その手はしっかりと私をつかんでいる。


離せ!

離せ!


必死にその手を振りほどこうとしたときに、見たくないものを見てしまった。



見なければ、嘘で済んだんだ。

見なければ、みんながウソをついていると思えたんだ。

見なければ、私の中でヴィーヌス姉さまは生きていたんだ。


私の目をそこからそらさないように、ヴィーヌス姉さまは自らの短剣で、のどを貫いていた。


「うそだー!」

こんなことあってたまるか!

嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。嘘だ。


人化を解いたノルンは光となって、首飾りの中に入って行く。


お前のせいだ。

精霊め!


「お前たちが、私をだますんだ」

ののしっても、私には精霊が見えない。


「くそ!こんなものがあるから!」

首飾りを引きちぎり、思いっきり床にたたきつけた。

首飾りは、淡い光の明滅を繰り返して、その光を消していた。


「ちくしょう!」


こんなのがあるから、いけないんだ。

こんなのがあるから、ダメなんだ。


「ちくしょう、精霊!」

その首飾りを踏みつける。


「ちくしょう! ちくしょう!」

何度も何度も、首飾りを足で踏みつけていた。


バカにしやがって……。

私は見たくなかった……。

見なければ、嘘で済んだんだ……。


「ヴィーヌス姉さま!」

床にしゃがみこみ、嗚咽と共に自らのこぶしを、何度も何度も床にたたきつけていた。


「もういいや……」

しばらくして、ゆっくりと立ち上がり、転移の呪文を口にする。

そして、私はその場から立ち去った。



「…………」

転移先をイメージする前に飛んでいたため、ここがどこかわからなかった。


「どうでもいいや……」

むしろ、どこか水中や、土の中、異空間にでもいけばよかった。


「ヘリオス様」

コネリーが私の姿を見つけ、駆け寄ってきた。

知らず知らずに、ハンナの店がある通りに飛んだらしい。

店先で、ハンナもアネットも手を振っている。


「ヘリオス様の魔道具ってすごいね」

コネリーは私を尊敬のまなざしで見つめていた。


何がすごいんだ……。

ヴィーヌス姉さまを守れない私が、何がすごいっていうんだ……。

もういいから、かまわないでくれ。

私は、もう何もかもどうでもいいんだ……。


コネリーの言葉を無視し、私は歩き続けた。


「ヘリオス様ですよね……?」

そんな目で見るのはやめてくれ。

私はそんな目で見られる価値もない。


そうだ。

価値なんて最初からなかったんだ。

守りたい人を守れない私なんて、まったく無価値じゃないか。

お父様の言うとおりだ……。


「ヘリオス様……」

立ち止まったコネリーの声を背中で聞きながら、私は当てもなく歩きつづける。


何故歩いているのかもわからない。

ただ、歩き続けた。


しばらくして、私はまた自分の居場所に意識が向いていた。


一体ここはどこだろう?


どこをどう歩いたのすらわからない。

でも、すぐにどうでもよくなっていた。


折しも雨が降りはじめる。


昨日からの火災が続いているところに降りはじめたので、人々は雨を喜んでいた。


喜ぶ声が雨に交じり、私をイラつかせた。


でも、それもどうでもよくなった。


この人たちに怒ったところで、ヴィーヌス姉さまが生き返るはずがない。

そんなことする意味がない。

お姉さまがいない世界で、価値のない私が、何かをする意味がない。


怒る意味も、価値もない。

喜ぶ意味も、価値もない。

楽しむ意味も、価値もない。

悲しむ意味……。


私は意味なく、そのまま歩き続けていた。

雨に打たれ、ただ何もなく歩いていた。


時々人にぶつかっては転び、また歩き出していたので、その姿は泥にまみれていた。

こんな姿をヴィーヌス姉さまに見られたら、怒られるな……。


お姉さま……。

ほら、こんなにも汚れていますよ……。


立ち止まり、空を見上げたその時に、私はおなかのあたりに熱いものを感じていた。


自然にその場所に目をやっていた私は、そこから突き出す刃先を眺めていた。


急に液体が口いっぱいに広がり、私はそれを飲み込むことができなかった。

そして、体からは急激に力が抜けていった。


「すべてはお前の行いが招いたものだ。姉の死も。王都の破壊も。お前がマルス様にはむかわなければ、こんなことにはならなかったんだ」

耳元でささやく男の声は、私の心に突き刺さっていた。


そして、その男は剣を抜くと、私のもとから立ち去っていた。


「私のせい……」

抜けていく力の中で、その言葉の意味することを理解しようとしていた。


私のせいで姉さまが死んだ?

私がお父様にはむかった……。


守るべきお姉さまを、守れなかっただけじゃないんだ。


「私が姉さまを殺した……」


価値のないだけじゃなく……、私は害のあるものだった。

私は私の大切な人を、私のせいでなくしたんだ……。


「こんな事なら、何もしなければよかった」

目の前が真っ暗になる。

体が重い……。

もう立つこともできない。


「ごめんなさい……。ごめんなさい……」

もう私には、それしかいう事は出来なかった。







雨の中、自らの血だまりへ、ゆっくりと倒れるヘリオス。


降りしきる雨はヘリオスの汚れを洗い流そうとするが、しみついた汚れは、それを拒むかのようだった。



***



「もー。ヘリオス君てば、ほんと手がかかるんだから!」

そう言ってぼやいてみたものの、あの状態は心配だよね。


壊れた首飾りは、学長先生の机に置いたし、何があったかわかるよね。

記録用魔道具もその横に置いたし、ちゃんと見たことも分かるよね。


でも、首飾り壊すとは思わなかったなぁ……。

しかも、あんなに精霊を憎んで……。


でも、仕方ないよね。

みんなはあきれてたけど、この子はこういう所がかわいいというか……。


「そりゃ、ヘリオス君の方がいいけどね。でも、あの子もなんかほっとけないしね」

こういうのって情がうつるっていうんだっけ?

前に教えてもらったけど、あんまり覚えてないや。

あとでベリンダに聞いてみようかな。


あの子だったら覚えてる。

あのヘリオス君から、いろんな難しいことも教わってたし。

でも、私も覚えているよ。

じゃんけんとか、楽しいよね。


またみんなで遊ぼうね。


そのためにも、探そう。

私は風の精霊。

探し物は得意なんだよ。


「!?」

音じゃない。

何かしら叫びのような感覚……。


「ヘリオス君?」

嫌な予感しかしない。


「急がなきゃ」

何となく思う方向に急いで飛んでいった。



***



「ヘリオス……。まだ……?」

もううんざり……。


「もうだめ。器でも、我慢できない……」

でも、探さなきゃ……。


ヘリオスが帰ってくるためにも、あの器は必要。


「はやく……固定して……。でも、ノルン怒るし……」

ミヤが落胆したその時、スラムの方で嫌な意思が増大していた。


「あぶない!」

全力で急ぐ。


嫌な意思。

危険な意思。

器のヘリオスがそこにいる。



***



「雨が降って助かりました」

ヘリオスの残した魔道具を使い、遠見の魔法を展開する。

水たまりが、色々な映像を送ってくれる。


隣ではノルンが一緒になって探しているのだろう。

映像の一つ一つを確認している。


「ウチ、これでらくできるわ」

ノルンはお気楽だった。


「必要なことだったとはいえ、ノルン。ヘリオスを危険にさらしたのは、あなたにも責任があると思うけど」

首飾りがあれば、探さなくてもいいのに……。


「ウチもあれは悪いと思うとるよ。まさか引きちぎるなんか、おもわへんよ」

舌を出すノルンに、ため息しかでなかった。


ちっとも反省してないよね、それ。


「まあ、ノルンが首飾りに入ったから引きちぎったわけではないかもしれないけどね……」

あの時のヘリオスの精神状態からは、何してもおかしくない。

精神の精霊は均衡を崩し、狂気の精霊を呼びこんでいた。



「あはは、やっぱりそうだよね。ウチ、わるくないし」

完全に開き直ったノルンに、もはや何も言えなかった。


その時、一つの映像を私達は同時に見つけた。

背後からヘリオスに迫る影。

その手には剣が握りしめられている。


「あかん」

そういうとノルンは早かった。

私も急いでいるけど、さすが光の精霊だわ。



***



ミヤが来た時には、ヘリオスが倒れるところだった。

ノルン、シルフィード、ベリンダが次々とやってくる。


ミヤの目の前で、ヘリオスは雨にうたれて横たわっている。

あたりには大量の血があふれてるけど、雨がそれを流していた。


おそるおそる、その手をつかむ。

生気のほとんどを感じることができない……。


このままじゃ死んじゃう。


いや。


刻一刻と失われているそれは、ミヤにはどうしようもできない。

他のみんなを見ても、ただ茫然と立ち尽くしている。


シルフィードを見ても、ベリンダを見ても、ノルンを見ても、みんなミヤを見てくれない。


だれかたすけてよ!


ミヤのお願いを聞いてよ。


でも、誰も応えてくれない。


いや。

ミヤからヘリオスをとらないで。


シルフィードが泣きながらヘリオスの手を取る。

ベリンダも、ノルンも同じようにヘリオスに触れていた。


その時、ヘリオスの小指の指輪が淡い光をともしていることに気付いた。


「ミヤ、本当に何かをしてほしい時には、必ず声にするんだ」

思い出した。


「たすけてよ……」

小さな声。

ミヤに声に反応するかのように、指輪の輝きが強くなる。


「お願い。助けてよ!」

心の底からミヤは叫ぶ。


その叫びを受けて、ヘリオスの小指の指輪から、まばゆい光があふれだす。

やがてその光は大きくなり、ヘリオスの体を包み込んでいた。


「ウチやない」

ノルンの声、それが何かをみんなに告げていた。


「これはあの時の指輪やね……」

そう、あのヘリオスが帰る前に、ミヤと約束した時の指輪。


特別な指輪。

特別な約束。


ミヤのヘリオスは、ちゃんとミヤを見てくれる。



ドクン


その音を誰もが聞いていた。

それはここにはいないヘリオスが、ミヤに生きる意思を伝えているんだ。

ミヤのお願いを、また聞いてくれる。


「ヘリオス君」

シルフィードの声は、涙ぐんでいる。


ドクン、ドクン


それは徐々に強さを増していく。

ほんのりと、ヘリオスの体に赤みがもどってきた。

思わずその指輪に口づけをする。


ありがとう、ヘリオス。


「もどりましょう」

ベリンダは気丈にそう宣言してる。


うん。

このままじゃ、風邪ひいちゃう。

ヘリオスが帰ってきたときに、風邪ひいてると大変。


「今回はサービスね」

大人の姿で人化したノルンが、ヘリオスを担いで雨の中走って行く。


ありがとう、ヘリオス。

ミヤ、待ってる。


王都の破壊、リライノート子爵の死、そしてなによりヴィーヌス姉さまの死に対して自らの精神に閉じこもってしまったヘリオスはその責任は自分の行動によるものだったと告げられました。

はたして、ヘリオスは今後どうなってしまうのでしょう。

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