逆上
ヘリオスたちは古代遺跡の探索に向かいました。そこで彼らがみたものは・・
「ガッテン先生、彼の調子はどうですかな」
デルバー先生は、ガッテン先生を学長室に呼び、途中経過を尋ねていた。
「ええ、彼は非常にまじめに働いておりますよ。もともと執事の仕事もしていただけあって、礼儀作法まで子供たちに教えております。それに、あちらの腕は超一流ですね」
ガッテン先生はその働きぶりに満足しているようだった。
「まあ、そうじゃろうの。そして、クラウスの方はどうかの」
デルバー先生はクラウスの状態に特に興味があるようだった。
ガッテン先生はあらかじめ想定していたようで、より詳しく報告をはじめる。
「もともとの資質もありますね。でも、彼はずば抜けて技術を吸収しております。目的意識が高いと、教育に成果が伴うという見本になってますな。私も教えがいがあります。最近では、学士院よりもこちらの方が楽しくて仕方ないくらいです」
ガッテン先生は楽しそうに笑っている。
「また、よからぬものが入り込んでおる。くれぐれも注意するがよかろう。それと技術を覚えたてのものは、とかく試してみたくなるもんじゃ。そのあたりも気を付けての」
デルバー先生は、くぎを刺していた。
「わかりました。全員にそう伝えます。とくにベンには注意しておきます」
ガッテン先生は深く頷いていた。
「ところで、ご用件はそれだけではないのでしょう?」
さすがにガッテン先生は、デルバー先生のことをよく知っているようだった。
「いや、実はもう一つあっての。これを学士院の生徒を使って町中に設置してもらいたい。むろん、ここもじゃがの。特に、ヘリオスが目をかけてたところには重点的に置くようにしておいてもらおうかの。足りなんだら、またヘリオスに作らせるから心配はいらん。とにかく、設置は急いでもらいたいんじゃ。結界の強度は、相互間の距離に影響するから、あまり離れてはいかんぞ」
デルバー先生は、山のようにある設置型魔道具をガッテン先生の前に取りだしていた。
「100個入りの魔法の袋が10個ある。これを手分けして設置するんじゃ。ただし、設置場所は必ず屋根の上じゃ。貴族の家にはおかんでええ。そうじゃの、もし実家に置きたいものがあれば有料じゃ。これを作るのもただではないからの。おぬしの方の生徒も使って構わん。とにかく急いで町中にの。そうじゃ王城の付近はいらんからの。そっちは違うのがあるから、干渉するとまずいわい」
デルバー先生の目は真剣だった。
「わかりました。それで説明はどのようにしましょうか。いくらなんでも、意味の分からないものをただでする生徒ではないと思いますが?」
作業目標と方法はわかる。
でも、その意義に関して説明が必要だと考えているようだ。
たしかに、生徒とはいえ、貴族の子弟。
説明なしにできるのは限られている。
とかく貴族は、自分が動く大義名分を欲してる。
「んー。面倒なことじゃ。あ奴らの様にはいかんからの……。この際何でもいいがの。そうじゃ、このデルバーの新しい魔道具実験じゃ。この魔道具。なまえは……。そうじゃ、――まもりん――にしとこうかの。うん、良い名じゃの。この実験は特別課題にするかの。これでいいかの」
相変わらずのネーミングセンスだ。
満足そうに頷くデルバー先生とは対照的に、ガッテン先生は微妙な顔になっていた。
「まもりん……。ですか……。実験ですね。わかりました」
目を瞑り、宙を仰いでいる。
ガッテン先生は、自分が学生に説明している姿を想像しているに違いない。
間違いなく、あれは俺がやらされていた。
ガッテン先生がかわいそうになってきた。
「たのんだぞ。魔道具の件とクラウスは特にの。わしの用はこれだけじゃ」
魔道具の入った十個の袋を再び一つの魔法の袋にしまいながら、デルバー先生はそう告げていた。
その袋を手にしたガッテン先生は、礼をして学長室を出ていった。
選りすぐりの十パーティを招集するのだろう。
学生塔に向かってあるいていく。
「庶民に理解のあるパーティがいいか……」
ガッテン先生はこの魔道具が何らかの対抗魔法であることが分かっているにちがいない。
作成したのはヘリオスだから、この魔道具が何かを、俺は知っている。
屋根に設置するということは、これから王都で起こることを想定しての事だろう。
「この魔道具。屋根の上ということは、あの人があれを使うことを考えているのか……」
ガッテン先生は、さすがに理解が早かった。
「もし、私の考えが正しいのであれば、この設置に王都の未来がかかっているかもしれませんね」
もはや独り言とは言えない独り言をつぶやいている。
庭を通り、学士院の入り口を抜け、もうすぐ学生塔に入るところまで来た時に、突然ガッテン先生は足を止めていた。
そして、自分の考えに没頭しているかのように何やらつぶやき始めた。
用兵学を教えているガッテン先生は、組織的に人を動かすことにたけている。
恐らくは、どうすれば効果的にできるかを考えているのだろう。
「やはり、少し練ってからにしましょう。まずは、集中して展開するところと、多少無視してもよいところを選別ですね。ふふふ。私が選ばれた理由がわかりますよ、学長。王都の掃除も兼ねるのですね。一応選抜メンバーの屋敷は守るとして……。これは一度地図と相談しましょう。今ある千個で足りるのかどうか、ヘリオス君もすぐには作れないでしょうからね」
やりがいを感じたのかもしれない。
ガッテン先生の目は、異様な光を宿している。
そして、反転して、教員塔へと向かっていく。
「おや、あの二人は……。卒業したあと、第一線で活躍している彼女たちが、いったいどうしたのでしょう」
ガッテン先生はかつての教え子たちが教員塔に入って行くところを見ていた。
「あの二人が呼ばれた理由は、これに関係するのでしょうか……。相変わらず、学長の目は遠くまで見ているので、私ごときではわかりませんね……」
ガッテン先生の顔は、言葉とは裏腹に、さわやかなものだった。
「私ごときではわかりませんが、私ができることをするのみですね。用兵学の基本は、それぞれの持ち味を生かすことです。私は私のやり方で、私自身に与えられたこの素晴らしい仕事を完璧にこなして見せますよ」
胸の前で、拳を打ち鳴らしたガッテン先生は、いつにないやる気を見せいていた。
***
モルゲンレーテの六人はオーブ子爵領に入った翌日に、最近発見された古代遺跡に出発していた。
昨日は夜にささやかなパーティが催されていたが、そこにヘリオスの姿はなかった。
主賓の一人がいないままのパーティは、とりとめのない話をそれぞれがして、自然に早くに解散となっていた。
「ヘリオス、具合はどうだい?」
カルツは心配そうにヘリオスの様子を尋ねている。
「ヘリオス、最近なまったんじゃないかい?また鍛えようか?」
メレナが挑戦的にこぶしをぶつけてきた。
「いえ、大丈夫です。昨日はすみませんでした」
ヘリオスは自分の不在を謝罪していた。
足取りは普通にして、顔色も悪くはなかった。
カルツは心配はいらないとみて、一行に出発を宣言する。
見送りに来たヴィーヌスに対して、ヘリオスは乾いた笑みを浮かべていた。
***
お兄様……。
全く、みていられないですね……。
本当にあきれてしまう。
以前なら、そう思わなかったのかもしれないけど、知ってしまったらそういう所が目についてしまう……。
ヘリオス兄様は、ヴィーヌス姉さまと会ってから、小さな不安定な子供に戻ってしまったみたい……。
してはいけないと思いながらもヘリオス様との違いをまざまざと感じてしまう……。
シエルさんのことは言えないわ……。
私はあれほど露骨ではないと考えている。
でも、考えたことには大差がないのだわ。
とにかく、この腑抜けた状態を何とかしなければ……。
後を託された私がヘリオス様に合わす顔がない。
たとえ厳しくても、私が何とかするしかないわ。
「お兄様、しっかりなさってくださいね。ルナを助けてくださった、あの時のお兄様は素敵でした」
間違っていない。
私を部屋から救い出したのは、間違いなくこのヘリオス兄様だ。
「うん、ルナ。頑張るよ」
力ない笑顔を私に見せて、うつむいて歩いている。
これは重症だわ……。
これから先のことを考えると、嫌でも憂鬱にしかならない。
ああ、ヘリオス様。
私を見守っていてくださいね。
両手を胸の前で組んでそう願う。
願い終わった後に前を見ると、ヘリオス兄様の隣で浮かんでいるシルフィードが、つかれた頷きを返していた。
よし、頑張ろう。
私ひとりじゃないんだった。
自分の為にも、私と同じ気持ちでヘリオス様の帰りを待っている精霊たちのためにも、ヘリオス兄様を守り抜こう。
でも、それには仲間が必要ね……。
価値観が同じ人なら、わかってくれるはずだわ。
隣で前を呆然と見ているユノ様を見て思う。
この方も、ヘリオス兄様、いえ、ヘリオス様を見ている。
でも、この方はその秘密を知らない。
だから、ヘリオス兄様を守る味方にはなってくれるはず。
多少だますようで申し訳ないけど、今の腑抜けた兄様は、いざという時に役に立たないかもしれない。
「ユノさま。ヘリオス兄様のことで……」
ヘリオス兄様という言葉を聞いたユノは、顔を真っ赤にして、どうでもいい言い訳をしてきた。
「べべ、別に考えていたわけじゃないの。ただ、心配になってみていただけだから……」
大慌てで両手のひらを私に向け、誤解だと言いはっている。
「こっちはもっとだめだった……」
頭が痛い……。
ふと前を見て、お兄さまの隣を歩くカール様が、他人事のように私に対して親指を立てて笑っていた。
あれが、ヘリオス様の言うカールスマイルですね……。
確かに見ていて、力が抜けてしまいました。
以前ヘリオス様におしえてもらった時は、笑ってみていられたわ。
その時に話された、ヘリオス様の言葉は本当だった。
「でもね、ルナ。今は笑っていられるけど、実際この場面でそれするの?っていうのを見るとほんと、全身の力が抜ける思いがするよ」
ああ、ヘリオス様。
早くお戻りください。
再び両手を胸の前で組み、祈りをささげる。
早くお戻りください。
ルナは、お待ちしております。
***
「ねえ、カルツ。引き返した方がよくない?」
つい癖で、後ろの状態を確認していた。
だから、その様子を見てカルツに忠告しておこうと思った。
「ん?どうしてだい?もうすぐ着くと思うんだけど……」
カルツはけげんな表情を浮かべている。
本当にこいつは何にもわかっていない。
任務の事と自分の信念に生きている。
「後ろでお花畑が2名。腑抜けが1名。そしてへんなのが1名ついてきているから」
そう表現しするしかない状態だった。
「ひどいな。まあ、何かあれば何とかなると思うよ?」
カルツは心配はいらないだろうと判断しているようだ。
そうかな……。
まあ、変なのは変だからいいとしても、お花畑はどうなんだろう。
一人はどこか遠くの世界に行っちゃってるし。
帰ってくるの?あれ……。
一人は目の前の腑抜けを意識しすぎている。
視界が極端に狭いんじゃない?あれ……。
「まあ、あんたがそう言うならね。でも、ボクは忠告したからね!」
もう知らないや。
たぶん、こんな辺ぴな遺跡だ。
カルツとボクがいれば大丈夫だろう。
もう気にいしないでおこう。
ヘリオスめ。
あんな腑抜けになるとは思わなかった。
姉さんがいるから遠慮してるけど、帰ったら組手百回だからね。
***
やはり、君も気になってるんだね……。
さっきから、メレナが落ち着いていない。
なんだかんだ言っても付き合いは長い。
君のそんな様子ぐらいすぐわかるよ。
カールは前からあんなだから気にしなくてもいい。
確かに、君の言うように、最後尾の二人は重傷だ。
でも、それでもヘリオスの危機にはたぶん機能するとみている。
問題は、ヘリオスだ。
ここにきて彼は、ここ二年で培った精神的な成長が一気に無くなってしまった。
それにつられて、他のメンバーも影響を受けている。
大なり小なりヘリオス、君は人に影響を与えていることを実感しないとね……。
今のヘリオスにいくら言葉で語っても無駄だろう。
しかし、戦闘になり、己の役割を思い出せばあるいは……。
いままで、苦労してきた時間は、間違いなくヘリオスの中で生きているはずだ。
私はそれを信じたい。
だから、あえて危険を冒しても、この探索を完了させないと。
デルバー学長からの指示。
このオーブ領の2つの危機。
オーブ領そのものに潜む危険と、リライノート子爵個人に対する危険。
私達は、オーブ領の担当だ。
リライノート子爵は、バーンさんとシエルさんがいるから大丈夫だろう。
シエルさんの変化には驚いたけど、精霊使いになったと聞いて、納得できた
二系統の偉大な魔術師。
今まで、怖いイメージしかなかったけど、なんだか優しくなった気がする。
いや、今でも怖いんだけど……。
精霊使いとして、精霊と共にあるからだろう。
とにかく、今は一刻も早く私たちに与えられた任務を完遂させて、全力でリライノート子爵を守るんだ。
だから、ヘリオス。
君には立ち直ってもらうよ。
***
「ふふふ、さすがわが友。その影響はすでにパーティ全員に及ぶ」
隣を歩くヘリオスを見て、カールはそうつぶやいていた。
相変わらず、物憂げなヘリオス。
対照的にカールは楽しそうに周囲を見守っていた。
目のあった人にカールスマイルを送るカールは、あくまでもマイペースな人だった。
たぶん彼のような存在が、大切なんだと思う日がやってくる。
確信とも思えるその感じを、俺は常に抱いている。
そんな俺の意識を、カルツの声が引き寄せていた。
どうやら目的の場所についたようだ。
ここにマルスの暗躍の証拠がある。
俺はそれを確かめるべく、周囲に意識を展開していた。
***
「よし、ヘリオス。探索を頼む」
カルツは古代遺跡と思われる建物群が、突如森の中に現れたことに意表を突かれていたようだ。
周りはある程度踏み固められた感じはしていた。
それは何かが通った証拠だった。
それが何かわからない。ここはヘリオスの出番だった。
「ユノ、君は使えるかな?範囲探索」
カルツはユノに確認していた。
「ええ、できます。でもそれほど長時間はできません」
ユノの魔法は、活動持続範囲が狭いことを意味している。
「じゃあ、ある程度ヘリオスにやってもらおう。できるよな、ヘリオス」
カルツは強く指示していた。
それは、ヘリオスに自らの役割を思い出させるような感じだった。
ヘリオスは黙って頷くと、自分の魔法を発動させる。
「目視観測」
今まで腑抜けたような感じは一切感じさせない、自信のある声だった。
「直進していくと、参道らしきものに出くわしますね。柱が8本左右4本ずつあります。その後ろには建物が左右で3件ずつあります。中を順番に見ていきます」
ヘリオスはまず、参道らしきところを探って危険がないことを確認していた。
「建物には特に何もないですね。中央の参道をすすむと神殿が見えてきました。規模は小。外壁は崩れています。内部も横からは見えますね。そこには何もいません。裏に回ってみます」
ヘリオスはそこで神殿周囲を探索していた。
「裏側にも何もありませんね。この区画は特に何もない……」
そこまで言って、ヘリオスは自分の見落としがあるのか、言葉を切っていた。
ずいぶん長い時間、沈黙が続いていた。
誰も何も言わない。
皆、ヘリオスの報告を待っているようだった。
カルツとメレナからは確かな信頼を感じる。
ユノからは驚きを感じる。
カールとルナはただ成り行きを見守っているようだった。
「ヒドラです」
ヘリオスはそう告げていた。
「神殿の奥の小さな沼地にヒドラがいます。正確には、その後ろの森から出てきました。その数二体。首は……それぞれ9本ありますね。成体です。ひょっとして幼体もいるかもしれませんが、今は見えません」
そう言ってヘリオスはもう一度周りを見ることを告げていた。
「やはり、このヒドラだけのようです。戦闘予想区域はある程度ひらけてますので、沼から完全に引き離しても6人で十分に動けるでしょう。どうしますか?」
観測を終了してカルツに方針を尋ねている。
その顔には迷いはなかった。
「印象としては、ここから出てくる恐れはあるのかな?」
カルツはヘリオスに判断させているようだ。
「それはわからないですが、住処が小さいので、エサがなくなれば出てくるのではないかと思われます」
ヘリオスは一応警戒対象だと判断したようだ。
「よし、まあ何もないところみたいだけど、ほっておくのも心配だから退治しておこう。我々がいなくなってから暴れだしたのでは、二度手間になる。それに、オーブの危険に関係していないという確証もない」
カルツは方針を固めていた。
「では、フォーメーションだけど、私とカールでそれぞれ1体引き受けるから、ユノとヘリオスで焼き払って。再生する首は焼いたら出てこないからね。あと、ルナと今回メレナは私とカールの状態異常になった場合に備えて、待機ね」
カルツは全員の行動方針を決めていた。
「質問はある?」
カルツは一応聞いていたが、全員首を横に振っていた。
「無いようだね。じゃあいこうか」
カルツはまるで散歩に行くかのように、気軽に出発を告げていた。
*
「おーほんとに聞いたとおりだ」
カールはヘリオスの観測に感嘆の声を上げていた。
確かにそう、観測の魔法は術者の視界を飛ばすんだから当たり前だわ。
でも、アイツのあれは、限度を超えている。
たぶん私が使った場合、今いる場所にたどり着くくらいで効果が切れる。
あそこから、ここまでかなりの距離があったわ。
驚きのまま、参道をすすみ、問題の神殿裏手につこうとしていた。
「じゃあ、ボクが先行してここまでつれてくるよ」
そう言ってメレナ先輩は駆け出していた。
待機なんじゃなかったの?
さっきのあれは何だったのかしら。
「いっちゃいましたね」
思わずカルツ先輩に話しかけていた。
「まあ、メレナはヘリオスの目視観測を信用しているからね。彼はこれまで、これを使って私たちを危険にさらしたことがないしね」
カルツ先輩もアイツの魔法に絶対の信頼を置いているのね。
伊達に一年以上パーティを組んでいないと言いたいのかしら。
「本当は、それは私たちの方だったんですけどね!」
ちょっとカルツ先輩に抗議していた。
その時、アイツが走り出していた。
「ちょっといきます」
それだけを言い残して、メレナ先輩が向かった先に走っていく。
それにしても、早い。
魔術師のくせに、あんなに走れるんだ……。
***
何かおかしい……。
魔法で見ている時からあった違和感は、ここにきて警告に代わっていた。
成体が2体。
つがいとして考えるのが妥当だろう。
そうすると、幼体がいるはずだ。
いったい、どこにいる?
ずっとその答えを探していた。
あの沼はヒドラの大きさに対して小さすぎた。
あれでは餌場にはならない。
しかも、最初はいなかった。
後ろの森から出てきたということは、あの沼地はヒドラの巣ではないのか……。
とすると……。
「ちょっといきます」
聞こえたかどうかわからないが、カルツ先輩なら大丈夫だろう。
もし、聞こえなかったとしても、この速度だ。
後から追いついてくる分には問題ない。
目の前に、メレナ先輩が後ろ手を組み歩く姿が見えてきた。
その姿に、一瞬緊張感が途切れてしまった。
「メレナ先輩。急いで私の後方に!」
自らにも言い聞かせるように、メレナ先輩に叫ぶ。
その意味を理解した先輩は、急旋回して私の後ろに飛びのいていた。
「巨大暴風の刃」
目の前に生じた小さな竜巻は、自ら意志を持つように前に進んでいく。
次第にその姿を巨大な暴風の刃に変えて、速度と威力を増して前に進んでいく。
目の前にいた二体の成体ヒドラを飲み込み、さらに沼地の奥に広がる木々を伐採していく。
沼の中にいたヒドラは、体中を真空の刃で切り刻まれていた。
吹き荒れる暴風は、小さな沼の水を根こそぎ空にまき散らしていく。
その中に、ヒドラの切り刻まれた体も含まれていた。
もはやそれが何であったのかもわからない。
細かく刻まれた肉片や木片が、沼の水と合わさって雨のように降っていた。
障壁をドーム状に拡大し、それらを防ぐ。
暴風はやがてなくなり、目の前には視界の開けた森があった。
そして、隣には肉片と木片と血まみれになったメレナ先輩がいた。
腕を組み、お怒りの様子が手に取るようだった。
「もっとちゃんと説明する」
私の腹に、重い一撃入れてきた。
ドーム型に展開した障壁の内側からの一撃は、確実に私の体に突き刺さる。
稽古ではない、本気に近い一撃だった。
「あーもう、どこかで血を流さないと……」
メレナ先輩の表情は暗かった。
そう言えば、汚いものを素手で殴るのを避けてたっけ……。
「清浄化」
透き通った声が響く。
その魔法は、その声のようにメレナ先輩の体についたヒドラの血肉をきれいに洗い落としていた。
「さっすが、ユノ。女心が分かってるね」
メレナ先輩は、うって変わって上機嫌になった。
「どうしたんだい、急に。珍しいね、こんな無茶な魔法を使うなんて……」
カルツ先輩が心配そうにその理由を尋ねてきた。
確かに、広範囲攻撃はなぜかしない。
でも今回は、そう言ってられない気がしていた。
幼体のいない成体ヒドラが二体。
不似合いに小さな沼地。
森の奥から出てきたヒドラ。
通常ありえない光景は、一つの仮説でしかなかった。
しかし視界の開けた今、その仮説が正しいことが証明された。
無言で指さすその先には、ヒドラの群れがいた。
「なにこれ。こんな大群みたことないよ」
上機嫌のメレナ先輩が、再び私の横に来ていた。
大半は私の魔法で切り刻まれていたが、あと十体のヒドラがこちらに向かっていた。
その中に1体、異なるものが混じっている。
「あれは……。テーバイドラゴン!!」
ユノがその知識で危険を告げている。
その姿は金色と黒い鱗を持ち、口からは三叉の舌が時折見え、その口には三列に並ぶ鋭い牙があった。
「あれも毒を吐きます。しかも腐食性、神経毒といろんなものですが区別つきません」
ユノは杖を構え、警告を発していた。
食らってみないとその効果が分からないようだった。
「ヘリオス。もうあれはダメだからね」
メレナ先輩は私を小突いて警告してきた。
その目には、血まみれはもうごめんだと書いてあるようだった。
「わかりました。さっきは後ろの木がどのくらいあるかわからなかったので、仕方なくです」
考えてなかったのも事実だけど、不可抗力の部分だと思う。
「君たち余裕だね。来るよ」
カルツ先輩が緊張感のある声で、警戒を高めていた。
「今度は私が行きます」
凛とした声で、ユノが高らかに宣言した。
「高電圧気体」
無詠唱で紡がれた魔法が迫りくるヒドラの群れにさく裂した。
あまりの高電圧のため、高温を発し再生も追いつかいない熱量の渦を受けて、十体のヒドラは全滅した。
その高電圧は水に接していたテーバイドラゴンを一時麻痺させることにも成功していた。
「全体浮遊」
全員に浮遊効果のある呪文を唱える。
これで今も帯電している水に接することなく、移動が可能だろう。
「じゃあ、あとはボクらに任せてよ」
メレナ先輩はそう言い残して、楽しそうに突っ込んでいった。
カルツ先輩もカールもそれぞれの剣を、テーバイドラゴンの体に突き立てて行った。
時に毒のブレスを吐くも、ルナが即座に癒している。
ルナにはその種類が分かるのだろうか?
おどろくべきことに、全く毒の効果が見られなかった。
もはや一方的な殺戮の末に、テーバイドラゴンはその活動を終えていた。
「よし」
カルツ先輩が小さく勝利を宣言する。
その隣で暴れたりないのか、メレナ先輩がテーバイドラゴンを蹴とばしていた。
そう言えば、カールはどこに行ったのだろう。
最初、全体浮遊を利用して、水面を滑るようにテーバイドラゴンの腹部を切り裂いていたカールは、それだけでかなりのダメージを与えていた。
しかもその後は、バランスを崩しやすいように、後ろ足を集中的に狙っていた。
ドラゴンの尾はかなりの破壊力を持つため、後ろ足への攻撃はかなりの危険を伴う。
頭部を集中的に狙うメレナ先輩と全般的な攻撃と防御を繰り返していたカルツ先輩の陰で、カールは実にいい攻撃をしていた。
いるとすれば、後ろ足の方だろう。
私が向かうと、しゃがみこんで何かを見ているカールを見つけた。
「なんだろう、これ」
私が来たことに気付いたカールは、自分の疑問を晴らそうと私に尋ねてきた。
「友よ、これ、どうしようか」
テーバイドラゴンの後ろ脚に刺さっている剣を指さしていた。
「さあ。ためしにぬいてみる?呪われたら、ルナに頼むよ」
無責任に言ってみた。
たぶんだが、価値のある剣だと思う。
カールの剣もかなりいいものだが、この剣は見た目にも上等だ。
だからカールも気になって見ていたのだろう。
念のために、ルナの方を見ると、何もせず耳をふさいでいた。
まあ、大丈夫か。
今すぐに呼ぶ必要はない。
いざとなったら連れてきたらいい。
「よし、抜こう!」
カールはその柄を握り、一気に引き抜いてみた。
意外に簡単に抜けたその剣は、まばゆい光を放っている。
見たところ、呪われた様子もない。
一応鑑定してみることにした。
「魔法道具鑑定」
手に取り、鑑定を始めると、意識の中にこの剣のことが浮かんできた。
「おお、これはすごいね。カール今の剣から持ち替えたら?」
やはり、名前もちの剣だった。
剣はアルファルドという名前を持っていた。
毒に対して完全抵抗を与えるその剣は、切り口に再生不能の効果を与えるものだ。
何者かが過去にこのドラゴンに挑むも、帰らぬ人になったのかもしれない。
「ふむ、今の剣は大事なものだが……、これももらっておこうか」
カールはカルツ先輩に相談するために歩いて行く。
剣なので、二人しか必要のないものだ。
でも、カルツ先輩なら、快くカールの所有を認めてくれるに違いない。
これだけの規模の魔獣。
他にいるとも思えないけど、一応周囲を確認しておこう。
「目視観測」
再度魔法を唱えて、今度は念入りに周囲の情報を集めて行った。
「やはり、ここには何もない。巣もない。どうしてこんなヒドラが……」
これだけの数がいて、ヒドラの幼体がいないということがおかしいことだった。
それは自然にできたものではないということを示している。
いや、大前提からしておかしいんだ。
そもそもヒドラは群れない。
テーバイドラゴンがヒドラを統括していたとしても、それはおかしなことだ。
そして、これだけのヒドラが街に移動した場合、被害は恐ろしいものになる。
機能の話……。
やっぱり信じられないけど、それしかないんだろうか……。
お父様、あなたはいったい……。
考えても、答えは出ない。
でも、やるべきことはできたと考える方がいいだろう。
また、話を聞いてみよう。
今度こそは冷静に……。
***
「おかえり、どうだったかな」
リライノート子爵様は探索を終えて帰ってきた私たちを出迎えてくれた。
子爵の横には、バーンさん、その後ろにはシエルさんがしっかりガードしているように立っている。
何かあるのかしら……。
なんだかとっても物々しい。
少し嫌な予感もする。
ヘリオス兄様が立ち直ったようなのは喜ばしかったけど……。
何だろう、この屋敷に悪意が取りついているような気がするのよね。
悪霊の類ではない。
何と表現したらいいのか……。
そっとシエルさんを見ると、私の視線に気づいたシエルさんは、ただ黙って頷いている。
何だろう……。
不安に思う私の気持ちをよそに、リライノート子爵は私達を応接室に集めて、成果を確認していた。
「どうだった?私は残念ながらその場所に入ったことがなくてね。場所はデルバー先生から教えてもらっただけだからね」
リライノート子爵は、かなり興味がわいているようだった。
「これだけの面子でいったのだから、さぞかし大物がつれたんじゃないかな?」
デルバー先生の性格をよく知る反応ね。
「あくまで推定ですが、ヒドラが三十体はいました。そして、テーバイドラゴンがいました」
カルツ先輩はヘリオス兄様が切り刻んだ数は大体二十体と考えているようね。
尻尾らしきものを数えたのは、そういう事なのね。
威力が落ちていたのか、最初みたいに細切れにはなっていなかったのがよかったのかも。
しかし、ここに来る前のヘリオス兄様に戻ったのはいいけど、もう少し考えて行動してほしいわ。
あの辺の森一帯がひどいことになって、ドライアドたちが怒っていたのを知らないでしょうね。
精霊たちのことが見えるのはいいけど、私に文句言われても困るわ……。
「それはすごいな。これはこちらとしても報酬を用意しないといけないね」
リライノート子爵は、魔道具を使いメイドを呼んでいた。
扉が開き、手に箱を持ったメイドたちが、次々と入ってくる。
あらかじめ用意されてたのね。
一人に一つ、箱を持ったメイドが私たちにそれを届けてくれていた。
「さあ、中を開けて確認してもらおう。ちなみに、全部私が作ったものだから性能は保障するよ」
さわやかにリライノート子爵は、そう告げていた。
リライノート子爵の作成したものは超一級品よ。
私達は、お互いの物を見せ合っていた。
カルツ先輩には強化魔法障壁の首飾り。
メレナ先輩には強化速度上昇の耳飾り。
カール様には消音の外衣と強化魔法障壁の首飾り。
ユノ様には精神攻撃耐性の首飾り。
私には魔力節約の護符だった。しかも自然回復増加効果がついている。
そして、ヘリオス兄様には封印の箱。
それぞれの物を、作成者であるリライノート子爵の解説してくれていた。
「まあ、ヘリオスのは楽しみにとっておいてくれ。それはデルバー先生の封印がしてあるからね。時が来たらあけるといい」
なんだか謎かけのような話だわ。
でも、ヘリオス兄様の箱だけがみすぼらしい理由がわかりました。
それにしても、それ以外はどれも極上品よね。
何よりも、芸術性にあふれている。
リライノート子爵の魔道具で、装飾品にかなりの値がつくのは、性能もそうだけど、その外観がすぐれているのが決め手かもしれないのよね。
特にユノ様のその首飾りは、ほかの物と一線を画している。
うれしそうな顔。
私もあんなのが欲しいわ……。
ユノ様もとても気に入っているようね。
何となく、目の前のシエルさんの顔をのぞき見た。
シエルさん……。
よだれが……。
予想通りの顔をしているシエルさんを、なんだがとってもかわいらしいと思ってしまった。
あの人は自分に正直なんだ……。
そう考えると納得できるわね。
要するに、今のお兄様では役不足というわけですね。
そうでしょ?シエルさん。
最初、ヘリオス兄様への態度が、どうしても納得できなかったのよね。
ベルンで見せたあの雰囲気。
もう少し親密な態度で接してもおかしくはない。
でも、そうはしなかった。
最初から、全く相手にしていない感じよね……。
事情は知らないはず。
ヘルツマイヤー様が言うとは思えない。
だとすると、自分でその答えを見つけたというのかしら……。
もし、そうだとすると、なかなかの手ごわい相手よね。
私は話を聞いても、にわかには信じられなかった。
幼いころ一緒に暮らしていても、その違いすら分からなかった。
それを、ほんの一瞬で見分けるなんて……。
でも、それはそれで危険だわ……。
ため込んだ分、ヘリオス様の帰還時にどのように影響するか不安しかない。
バーン様から漏れ聞く話。
あれは相当なものだと推測できる。
シエルさんはすでに二十歳は超えているけど、見た目は私よりも幼く見える。
決して愛想よくしているわけではないのに、なんだかとってもかわいらしいのよね。
そんなことを考えていると、よだれを拭いたシエルさんと目があった。
じっと私を見ているシエルさん。
やっぱり見続けたのは失礼だったかしら……。
でも、その心配は杞憂に終わっていた。
しきりにユノ様の首飾りを見ては、わたしに頷いている。
ああ、あれは好みだと私に告げてるんだわ……。
何故でしょう。
なんだか、とっても親近感がわいてきました……。
かわいいもの愛好家としては同志でも、ヘリオス様はそう簡単には渡しませんよ。
私のその意志に気が付いたのか、シエルさんも私にその視線をおくってきた。
負けません。
挑戦的な目でお互いを見ていた私達は、お互いに笑顔になっていた。
まずは、ヘリオス様の帰還を待ちましょう。
全てはそれからのことです。
それまでは、いいお友達でいましょう、シエルさん。
***
各々の部屋で休息をするようにリライノート子爵は勧めていた。
それぞれが部屋に戻って行く中、私はそこに居続けていた。
部屋には、リライノート子爵と私だけがいる。
バーンさんとシエルさんはたぶん扉の向こうで待機しているのだろう。
二人の気遣いがありがたかった。
「リライノート子爵様。これもお父様の仕業ですか……」
ゆっくりと話し始める。
心を平静に保つことを意識しながら話を切り出していた。
「どう考えても、自然にヒドラがあれだけの数、あそこにいてるだけというのは説明がつきません。いくら、テーバイドラゴンが統率していたとしても」
疑問点を率直にぶつける。
それ以外、情報を持っていないのだから仕方がない。
でも、私が見たものは、明らかに自然に発生したとはいいがたい。
低級な妖魔なら、あるいは偶然住処を追われて群れ始めたというのはわかる。
でも、相手はヒドラ。
そんなことありえなかった。
「そうだね。いくらなんでも自然にとはいかないだろうね。そうすると、人為的にとなるけど、誰がという話になるね。その上で考えると、やはりマルス辺境伯しかいないだろうね」
リライノート子爵は、物的証拠はなく状況証拠でしかないが、その可能性が高いと判断していた。
確かにそうだろう。
ヒドラほどの魔獣。
並みの魔導師では相手にならない。
しかもこの国の冒険者は、学士院の存在で、実力が低いと噂されている。
貴族の中で、ヒドラを操れるものがいるとも考えにくい。
自然と選択肢は狭められていた。
そうすると、これだけなのだろうか。
昨日聞いた話では、少なくとも、ベルンには複数の手がまわっていた。
「リライノート子爵様、やはりそのお腹の傷は……」
私はある推測をしている。
自分の経験と、油断しそうにないリライノート子爵が、手傷を負わされたことを考えて導いた答えだ。
しかし、その言葉を言うことはためらわれた。
私達は、お互いにしばらく沈黙を貫いた。
「まったく……。これは口外しないでほしいな」
口外しないでほしい。
それは、そういう事だ。
「君が考えた通りだよ。これはヴィーヌスに刺されたものだ」
いつになく、真剣な表情でリライノート子爵は語り始めた。
「無茶をしたというのもあるけど、ほっとけなかったんだよ。まあ、私に何かあっても、君がいるから安心だからね。そのことで、少し無茶をしてもいいかなと思ったのは事実だよ」
リライノート子爵は私の目を見て真剣に話している。
でも、最後には笑っていた。
「やはり……」
私がいるから無茶をしても安心だと思った?
それは冗談でしょ?
でも、そういう事だとすると、私のせいで無茶をしたんだ……。
私のせい……。
悲しみが私を襲っていた。
私のせいで、二人の幸せが壊れるところだった……?
ヴィーヌス姉様はリライノート子爵を心から愛している。
それは話していればわかる。
そして、とても幸せそうだ。
私のせいで、その幸せが壊れるところだったんだ……。
私はヴィーヌス姉さまに恩返しもできないばかりでなく、幸せを奪うものに……。
悲しみが私を支配していく。
悲しみが悲しみをよんで、私はその中にうずもれていった。
小さな怒りがその中で生まれた。
そして、悲しみが増すたびに、私の中でそれが鎌首をもたげるのが分かった。
なぜ、姉さまがこんな目に合う?
姉さまが不幸になるなんておかしいじゃないか!
なぜ、リライノート子爵様がこんな目に合う?
唯一私だけを認めてくれる人をこんな目に合わせるなんて!
なぜ、二人がこんなに不幸な目に合う?
私の大切な人たちに、なんてことをするんだ!!
なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?なぜ?…………。
一体誰のせいでこうなった?
そうだ……。
お父様のせいだ!!
その瞬間、私の悲しみは消え去り、怒りが私の心に居座っていた。
最初、悲しみの中で感じていたのは、何もできない自分に対する怒りだった。
でも、問いかけるうちに、その矛先は私ではなくなっていた。
やがてそれは大きくなり、私に向かって問いかけていた。
なぜ、姉さまが不幸になっているのに放置する?
だまれ!放置などしない!
なぜ、リライノート子爵様が不幸になっているのに放置する?
だまれ!だまれ!放置などしないと言ってるだろう!
なぜ、二人が不幸になっているのに放置する?
だまれ!だまれ!だまれ!
放置なんかしない!
なぜ、お前は何もしない。
だまれ!だまれ!だまれ!だまれ!
お前には、できることはないのか?
だまれ!だまれ!だまれ!だまれ!だまれ!
私は、私ができることをしている。
何もしていないことはない!
お前のできることなど、たかが知れている。
偽物のお前にはなんの力もない。
だまれ!だまれ!だまれ!だまれ!だまれ!だまれ!だまれ!
そんなに言うなら、見届けろ!
私は、私の力で解決して見せる!
だまって私についてこい!
いつしか私は立ち上がり、必死に叫んでいた。
*
やばいぞ、これは……。
俺はかなり焦っていた。
また、怒りの精霊が動き出していた。
あれほど対話したのに、怒りの精霊は自分の存在意義に忠実だった。
悲しみの精霊を押しのけ、自分の存在をまざまざとヘリオスに見せつけている。
ミヤががんはってくれてはいる。
でも、あの魔道具を使っても、本人の意思を力に変える怒りの精霊には対抗できない。
あんなミヤの顔は見せてほしくなかったよ、ヘリオス。
精霊たちが、一斉に人化し、ヘリオスを怒りの呪縛から解き放とうとしていた。
しかし、ヘリオスの中で生じた怒りの精霊は、その力を存分に揮っていた。
怒りの精霊はヘリオスを挑発していた。
「いけない、ヘリオス君。心をしっかりもって!挑発に乗ってはいけない!」
シルフィードが必死に叫んでいた。
「だまれ!お前にそんなこと言われるまでもない!私はこの手でお姉さまたちを救って見せる!」
ヘリオスの目は狂気にあふれていた。
自らの怒りに怒りをぶつけ、その存在を極限まで高めていった。
リライノートはヘリオスの変貌を目の当たりにして、緊急事態と判断していた。
「拘束の魔法」
リライノートはヘリオスを無力化するために魔法を発動していた。
しかし、それはヘリオスには効果がなかった。
「まさか、行動阻止耐性が!?」
リライノートは自分の魔法が効果なかったことに驚いていた。
ヘリオスは今も精霊たちと言い争っている。
「昏睡の魔法、眠りの魔法、呪縛、麻痺」
リライノートは立て続けに魔法を発動していた。
しかし、どれも効果がなかった。
「私はやれる。アイツと違い、お前たちの力なんて必要ない!お姉さまの幸せをこわす、お父様を許すわけにはいかない!!」
最後にそう言って魔法を発動させた。
「だめー!」
ミヤが必死に自分をヘリオスにぶつけていた。
瞬間怒りの精霊の呪縛が弱まり、転移の呪文も阻止できた。
その隙に、すべての精霊たちが、ヘリオスにしがみつき、ヘリオスを説得していた。
「だまれ!私はやって見せる。そうやって私が何もできないと思うな!」
必死の精霊たちを目にして、さらに怒りを覚えたようだった。
再び怒りの精霊が活性化していた。
もはやミヤはしがみつくので精一杯の様で、他の精神の精霊たちに助力は得られないようだった。
「瞬間移動」
ヘリオスの魔法は効果を表し、見覚えのあるドアの前に立っていた。
中から禍々しい気配が漂っている。
通常なら、そこから逃げ帰りたいと思う程だ。
しかし、怒りの精霊に支配されたヘリオスは、そのドアの前で平然と立っていた。
「あかん」
ノルンは急いで、その姿をヘリオスに重ねていた。
怒りに支配されたヘリオスは、そのドアを蹴り開けていた。
乱暴に開けたそのドアは、多数の書籍に囲まれた、荘厳な部屋の入り口だった。
ヘリオスはそこに遠慮なく入っていく。
「騒々しい。伯爵ともあろうものが、礼節をわきまえずなんとする」
その声は部屋の奥の窓を背にした人物から発せられていた。
その声は不快感をあらわにしていた。
そして、その人物から発せられた圧倒的な威圧感で、ヘリオスの精神はかき乱されたようだった。
「それで、いきなり何の用だ。人の用事も確認せず、来訪の先触れもなしとは、失礼もいいところだぞ」
少し声を落としてその人物はヘリオスに来訪理由を聞いていた。
「お父様はヴィーヌス姉さまをどうなさるおつもりです」
ヘリオスは勇気を振り絞って尋ねていた。
もはや、先ほどの怒りは消えていた。
今は恐怖に支配されないように精一杯に気を張っている。
「何のことかわからんな」
マルスはそうヘリオスに告げていた。
「とぼけないでください。お父様がオーブ子爵領にヒドラの群れやテーバイドラゴンを使っていたことはわかっています。そして、なによりお姉さまを使ってリライノート子爵を害したことも分かっています。何故愛し合う二人に、そのようなむごいことをなさるのか」
ヘリオスはそこで一呼吸おいて先を続けた。
「お父様は、ヴィーヌス姉さまを愛していないのですか」
ヘリオスは涙を流して訴えている。
自分はそうでなくても、ヴィーヌス姉さまは愛されていると思っているのだろう。
その想いは、小さなころからヘリオスが感じていることだった。
「愛していないだと!?」
その言葉を聞いた途端、マルスの態度が一変した。
おもむろに立ち上がり、ヘリオスをにらんだ。
思わず後ずさるヘリオス。
圧倒的な威圧感が、部屋全体を駆け抜けた。
「小僧が知った風な口をきくな!」
荒々しい感情が込められた言葉に、ヘリオスの体は硬直した。
「お前に、お前のような奴が愛の何たるかを語るか!ただ守られるだけで安穏としていたやつが、愛を語るか!」
マルスは魔剣クランフェアファルを抜き放つ。
その瞬間、ヘリオスの横を衝撃波がおそっていた。
硬直したヘリオスにはなすすべもなかった。
「ん、光を屈折してるのか……?この剣の前では精霊の力は及ばないはずだが……。いや、このわしの網膜に入る光そのものを直接干渉してきたか。おまえ、その知識をどこでえた?いや、この世界では……」
若干雰囲気がやわらいだが、ヘリオスの体は硬直したままだった。
「ふん、まあいいわ。おまえにも、いろいろ計画を邪魔されたからな」
マルスに殺気が漲ってきた。
「せめて、この手で葬ってやろう。なに、心配するな。お前の姉もすぐに逝くことになるのだから」
その目は狂気の眼ではなかった。
ただ、信念に基づいた眼だった。
ゆっくりと近づくマルスが、急に立ち止まった。
「くそ、またじゃまをするか……」
頭に手を当て、立ち止まったマルス。
その姿は、何かと話しているようだった。
何かわからないが、この時間が俺に味方してくれていた。
ミミル!
またしてもヘリオスに断ち切られたつながりを、再び俺たちは繋ぎなおした。
しかしミミルは力を使い果たしている。
少しでいい。
ほんの少しだけでいいんだ!
ほんの一瞬。
シルフィードの声が聞こえた。
ミヤの声が聞こえた。
ベリンダの声が聞こえた。
ノルンの声が聞こえた。
そのつながりに、俺はできる限りの魂を込める。
頭を振って、再びヘリオスを見たマルスは、魔剣クランフェアファルを振り上げている。
みんなありがとう。シルフィード!!
願いをシルフィードに託して、俺は暗闇の中に沈んでいた。
*
どうしたらいいの?
どうしたいいの、ヘリオス君。
この部屋に入った瞬間、私たちの力が制限され、身動き一つできなかった。
しがみつくように転移していたので、私たちはその身を盾にすることすらできない。
しかも、ヘリオス君から託された魔道具の力も使えない。
どうしよう……。
どうしたらいいの……。
そのとき、マルスが立ち上がった。
危機感が最高潮を迎える。
そしていきなり、衝撃波がヘリオス君の横を駆け抜けていた。
「あっぶないわぁ」
ノルンがほっと息を吐いていた。
ノルンだけは、力を使えるのね。
でも、十分じゃないみたい。
なんだかとっても苦しそう……。
けど、マルスが近づいてくる。
どうしよう……。
焦って何も考えられない。
ヘリオス君! お願いだよ!
私は必死に祈っていた。
「ヘリオス」
力を使い果たしたミヤは、ただすがるしかなかった。
「ヘリオス」
ベリンダは呼びかけている。
ミミルにしかできなくても、この状況はヘリオス君がいないとどうしようもないと考えているんだ。
「ヘリオス」
ノルンの目はヘリオス君を信じきっている。
自分がすべきことをすると言った力強い目だ。
再びヘリオス君を自分と重ねている。
お願いだよ、ヘリオス君!
「ミミル的には、今はこれが精いっぱいだよ。ヘリオス!」
ミミルの叫びと共に、ヘリオス君の体に小さな変化が表れていた。
「みんなありがとう。シルフィード!!」
私たちの心に、声が聞こえた。
うん、聞こえたよ、ヘリオス君。
あれを使うんだね。
しかも、その声は私の名を呼んでいる。
一瞬、私の中に力が宿る。
もらった護符を取出し、それに祈りを込めていた。
おねがいだよ!ヘリオス君!
ヘリオス君を守って!
ちょうどその時、マルスの剣はヘリオス君の首をはねていた。
ヘリオスの運命は!?




