真祖
ついに伯爵と対面します。
一瞬、あれは夢だったのかと思った。
目覚めた私は、また馬車に揺られている。
しかし、すっかり乾いた血が夢ではないと言っている。
ゆっくりと、周囲に意識を向けた。
隣ではアネットがすでに起きており、他の娘もみんな起きていた。
皆、暗い顔をしている。
馬車の中にはあの女もいる。
あの時と同じように、目を瞑っている。
何度見ても、本当に寝ているみたいね……。
しかし、いったいなぜ?
その疑問は、私が目を覚ましたことに気付いたアネットの喜びで、お預けとなった。
なぜかわからないが、私は生きている。
ここに、あの下劣な男たちはいない。
状況は囚われの身のままだけど、少なくとも変化した。
あの女がいるから、状況が好転しているとは思えない。
でも、アネットが無事でいることだけは喜ぶべきことよね。
お互いの無事を確認して、私たちはひと時の喜びを分かち合った。
しかし、私たちの置かれている状況を考えると、喜んでばかりもいられない。
「ルナ様、これからどうなるのでしょう……」
不安そうな表情。
いつものアネットからは考えられない。
しかし、私にその答えを求めているわけではなさそうね。
アネットが何も言わなくなったので、もう一度疑問を考えることにした。
どうして生きているのだろう。
どうしても、わからない。
あの時、舌を噛み切ったはずなのに、その傷もない。
私は生きている。
血の跡はあるけど、体中についた傷もなくなっている。
一体どうなって、ここにいるのだろう。
たぶん、アネットに聞いても分からないだろう。
余計に不安にさせるだけよね……。
順を追って思い出してみよう。
思い出すうちに、大切なことを思い出した。
ない……。
胸元を見ると、ブローチがなくなっていた。
あの小屋で取れてしまったままだわ……。
言いようのない寂しさが押し寄せてくる。
ふとアネットをみると、不安からか、小刻みに震えている。
私が黙ったままだから、その不安が大きくなっているのかもしれない。
そうか……。
アネットは事態が分からない分、私より不安に違いないわね。
服はさかれ、私は血まみれで気絶していたんですものね。
どのくらい、そうなってたのかわからない。
ただ、あれからかなりの時間がたっている事だけは確かだわ。
服の血はすっかり乾いて、しかもかなりしみこんでいる。
こんな時でも、喉の渇きを覚えている。
少なくとも、何日もたっているのは明らかだわ。
そんな私をずっと見ていたアネットの気持ちを考えると、ここで弱音を吐くわけにはいかない。
「これからどうなるかわかりませんが、精一杯あがいてみましょう」
周りの少女たちもアネットと同じだろう。
たぶん私よりも年下見える少女たちは、私を知らない分、アネットとは違った不安もあるに違いないわ。
まず、お互いを知ることからでしょうね。
「みなさん、こんな時ですが……、こんな時だからこそ自己紹介しましょう。私はルナ=フォン=モーントです。こちらは私の友人のアネットです」
出来るだけ明るく振舞おう。
不安は冷静な判断を狂わせることがある。
今という状況が分からない分、わかることを増やすしかない。
これから何が起こるかもわからない。
その時になってから慌てても駄目なのよね。
店で、アネットとヘリオス兄様が話していることを思い出した。
何かが起きる前に対策を立てるんですよね、お兄さま。
そのためにも、まずお互いを知ることから始めなくてはいけない。
「わたしはアリス=ツー=ドライと申しますの」
「わたしはナタリア=ツー=ゼクスです」
「……。テリア……。テリア=ツー……、フィーア」
不安そうにしながらも、少女たちは、それぞれ名前を告げていた。
テリア以外は自分の家に誇りを持っているようだった。
ただ、テリアだけは、自分を紹介することも、家名をだすことも、ためらっているようだった。
「まあ、みなさん十武候の……」
そう考えると、彼女たちが不安ながらも、一定の冷静さを保っていることも頷けるわね。
十武候は武門の家柄。
代々騎士団長を輩出する名家だったはず。
家格は子爵位で、女性の騎士団長もたしかいるはずだわ。
彼女たちとの関係はわからないけど、彼女たちもそれ相応の訓練を積んでいるに違いないわね。
聞くと、来年学士院に入学する前に、王都見学のついでにパーティに参加したようだった。
最後にアネットが、自分の口で自分の名前を言っていた。
「大丈夫ですよ。わたしはアネットと申します。お嬢様方、きっとヘリオス様が助けてくださいます。私はそう信じておりますので、大丈夫です。それと、来年学士院に入学した時には、ハンナの店でお買いものしてくださいね」
アネットは、私の意志を理解したのかもしれない。
それとも自分の希望を、ただ口にしただけなのかもしれない。
でも、アネットの言葉は、私に勇気を与えてくれた。
アネットは私に期待するような目を向けている。
そうだ、何故かわからないが、私は今、こうして生きている。
もう一度あがいて、必ずお兄さまに会うんだ。
あきらめたことは後悔でしかない。
そして、願ってもいいはずだわ。
自分たちで何とかする気持ちは失わない。
でも、お兄さまが来てくださることを願ってはいけないというものじゃない。
あの時も、私を助けに来てくれた。
あの時のように待つだけのわたしじゃない。
けれど、信じることは許されると思う。
だって、ヘリオス兄様だから。
今更ながら、ヴィーヌス姉さまの言葉を思い出していた。
「そうです。お兄様が必ず」
アネットの意外そうな顔がおかしかった。
そうよね、たぶん、そんなことを言うもう一人のわたしじゃないわよね。
でも、これが素直な私。
この子たちにも、私の希望を分けてあげよう。
しかし、それまで起きなかった女が、私の気分を台無しにした。
「だれが来ようと無駄さ。あんた達はもう、伯爵さまのものだよ。それに、じきに着くからね」
それまで黙っていた女が、冷酷にそう告げていた。
しかし、いったん抱いた希望は、そう簡単に消える物じゃない。
少なくとも、私とアネットは、その理由を知っているんだから。
しばらくすると、女が言うように、馬車が止まった。
「さぁ、さっさと出るんだよ。伯爵さまをこれ以上待たせるんじゃないよ」
女は扉を開けて、あわてて馬車を下りていた。
何をそんなに慌てているんだろう。
まるで、ご褒美をもらう子供のようだった。
それに、伯爵という言葉。
それが本物ならば、ここでも下劣な男がまっているということだわ。
気を引き締めていかなくちゃね。
少なくとも、ここから逃げるには、その道を覚えなくてはいけないわ。
隣のアネットに目をやると、黙って頷いていた。
アネットは理解しているだろう。
心強い味方に感謝した。
*
伯爵と呼ばれる人物の館。
門を抜けて、しばらく歩いたところにある納屋に、地下室へと続く階段があった。
納屋の近くには、大きな焼却炉がある。
普通、貴族の屋敷の敷地内にないものだけに、目についていた。
地下室に続く階段は、納屋の中で巧妙に隠されており、非常用の脱出路になっているようだった。
そして、これはこのように非公式の客を入れるための出入り口の役目というわけね。
屋敷の大きさ、作りからすると、本当に伯爵なのかもしれない。
私たちは、そこを抜けて屋敷の地下に進んでいく。
屋敷の地下はかなり広く、想像を超えるものだった。
中はいくつもの地下牢になっており、何人もの少女がその中で身を寄せ合っている。
暗くて姿は見えないけど、そこら中から、すすり泣く声が漏れていた。
ゆるせない。
まだ見ぬ伯爵に憎悪を燃やす。
複数の牢屋が並ぶ通路を抜けて、私たちは階段を上がっていく。
上がった先は、また廊下になっていた。
廊下は一直線で、調度品など一切置かれていない。
普通、貴族ならこういうところにも何かを置くはずだけど、その必要はないと言う事ね。
相手に見せる必要のない客が通る道。
左の壁。
こちら側がやけに彩られている。
恐らく、この壁の向こう側が、表の顔ということかしらね。
完全に用途で区切られているというわけね。
なおも、廊下を歩かされて、一番奥まで連れてこられた。
そこには一つの扉があった。
たどってきた道を考えると、屋敷の一番左奥の部屋に相当するに違いない。
きっとここが伯爵の部屋になるんだろう。
ここに至るまでにも、左右に三つの扉があった。
何かの部屋と思うけれど、さすがに用途はわからない。
そして、目の前にある扉。
明らかに、その三つの扉とは違う。
私でもわかる。
この扉の先に待つのは、悪意……。
*
部屋の中は薄暗かった。
光源は燭台におかれているロウソクの明かりだけ。
ゆらゆらと揺れる明かりに、周囲の影がつられて動く。
ここには、そんな不気味な空間が広がっていた。
見える範囲は限定されているけど、できるだけ観察するように目を凝らしてみた。
中央には大きな円形の机があり、その淵には様々な魔道具が置かれていた。
窓には場厚いカーテンがかかっており、このせいで、夜なのか昼なのかわからない状況を作り上げている。
壁にはほのかな明かりを放つ魔道具が設置されており、何者かの肖像画もそこに掲げられていた。
そしてその人物は、中央の机を抜けたその先にある机に座っていた。
「ようこそ。わが館へ。私はジル=ツー=ノイン伯爵だ。長旅疲れただあろう、まずは旅の疲れをゆっくりと洗うといい」
伯爵が指を鳴らすと、メイドたちが部屋に入ってきた。
メイドたちは感情のない瞳をしている。
しかし、呼ばれた意味を理解しているのか、入ってきたのとは別の扉に私たちを誘導していく。
そして、順番に私たちを部屋から出していった。
「ラミアよ、でかした。褒美を与えよう」
私が連れて行かれる、ちょうどその時、伯爵はあの女を手招きしていた。
あの女はわき目もふらずに、近づいていく。
その顔、今まで見たことのない至福の笑みを浮かべていた。
「はい、伯爵様……ああ……」
あの女の声が、閉まる扉の向こう側から聞こえてきた。
酔いしれるような声を出している。
どんな物かはわからないけど、私には嫌悪感しかもてないわ。
それにしても、ノイン伯爵。
十武候の一人である彼が元凶ともいうべき人だったなんて……。
あの人は危険だ。
私の中で、この屋敷が持つ雰囲気はもともと警戒していた。
しかし、その主人によりさらに高まる。
お兄様、ルナをお守りください……。
どうにかして、一刻も早く脱出しなければならないわ。
メイドたちに連れられて、私はその事だけを考えていた。
***
血を吸われて恍惚の表情になるラミアは、いつもよりもその快楽におぼれている。
はっきり言って、まずいのですよ。
この女はもう、私を楽しませる味を持たないですね。
魔力をかなり持っているから、それなりに楽しんでいたのですが、こうも吸っていると、飽きてきますね。
その上、もはや吸われることに魅惑を持つようになると、その味は格段に落ちていくのですよ。
この女もそうですね。
しばらく吸ってなかったから、少しは楽しめると思いましたが、もういらないのですね。
それに、私をここまで待たせた罪は重いのですね。
「ああ、伯爵様……」
そう言ってラミアは干からびていく。
「ふん、おそいのですね。もういい加減使いまわしにはうんざりですね。あの五人はそれこそ上等なもの。そしてあの金髪と赤毛は何とも言えない甘美なものを持っているのです」
人間の血は特に希望に満ちているときが一番うまいのです。
他の三人とはちがい、ここにきても、なんらかの希望を失っていないのです。
それが絶望に変わる瞬間が、何とも言えない味を引き出してくれるのです。
ああ、久しぶりの極上の味わい。
久しぶりにあれを堪能できるのです、粗雑なものは捨ててしまいましょう。
「おい、地下の奴らはもう処分するのです。しばらくはあの五人で事足りるのです」
イスに深く腰掛けて、執事にそれだけ言っておくのです。
命令は着実に遂行されますね。
この屋敷で、それができないものは用がありません。
いくらでも、代わる人間はいます。
しかし、わたしに至福の味わいを楽しませてくれる存在はなかなかいないのです。
あの二人は、それに近いものを与えてくれるでしょう。
ああ、今から楽しみですね。
「デザートからか、メインからか。はたまた前菜からか、迷いますね……」
これから始まる宴を前に、その甘美なイメージに酔いしれるのも、また味わい深いですね。
コンコン。
しかし、私の楽しみを邪魔するものが現れるものですね。
不快感が膨らんでいくのを感じるのです。
「はいるのです」
この貴重な時間をつぶしてくれた、無粋な使用人と訪問者をどうしてくれましょう。
そう思いますが、まずはその用件を聞いてからにしましょう。
今夜はとっても気分がいいのです。
「モーント辺境伯のご子息がいらっしゃいました。火急の用件で伯爵様にお目通りをしたいとのことです。一応エントランスで待たせています。追い返しますか?」
全く使えないのですね。
「無粋ですね……。客間に案内するのです」
不快感を持って、使用人に告げるのです。
使用人は一瞬怯えたが、自分のやることは理解しているようですね。
「マルスの息子……」
一応は身支度を整えている方がいいのですね。
息子はどうか知りませんが、あの男は危険なのですね。
***
私は客間で密かに魔道具を展開していた。
ルナの反応はこの屋敷の2階に移動している。
間違いなく、生きている。
何よりも安心した。
いや、まだだ。
まだ油断はできない。
伯爵の館にルナがいる以上、伯爵がルナを誘拐したことに間違いはない。
だとすると、これからの交渉は並大抵のものでない。
カルツ先輩の言葉を思い出していた。
「なによりも、魔術師は戦闘そのものを回避するようにしなければならないんだよ」
たぶん戦闘は避けられない。
しかし、できるだけ穏便に済ませたい。
その時、伯爵が部屋に入ってきた。
「待たせたね」
伯爵は、私が案内された扉ではなく、背後にある扉から入ってきた。
そのため、私は腰かけていたソファーから立ち上がり、体を真後ろのドアの方に向けていた。
「初めまして、私はヘリオス=フォン=モーントです。伯爵様におかれましては、ご機嫌麗しく」
最初が肝心だ。
もう、私は失敗することは許されない。
***
美しいのです……。
扉を開けて、まず目についた銀髪。
それはこよなく愛するあの満月を思わせるものなのです。
そして、振り返ったその顔は、まさに月の美しさをもっているのです。
ん?
おかしいのですね。
さっきあの使えない使用人はマルスのご子息といったのですね。
もし間違えていたのなら、役に立たない目玉は魚のえさにでもするのですね。
見えなくても、不都合はないでしょうしね。
「初めまして、私はヘリオス=フォン=モーントです。伯爵様におかれましては、ご機嫌麗しく」
その声は、大人でもなく、子供でもなく、実に心地いい響きです。
先に挨拶をされたのは、紳士として失態ですが、まあいいのですね。
しかし、今夜は何という日なんでしょう。これほどまでに月の慈愛に満ちた少女に出会えるなんて。
本当に、夢のようですね。
「これはご丁寧なあいさつを感謝なのですね。私が、ジル=ツー=ノイン伯爵ですね。まあ、まずは話すのですね。フロイライン・ヘリオス」
ヘリオスの向かいのソファーにすわらせ、その姿を堪能した。
実にすばらしい。
今宵の月に感謝するのですね。
「夜分にお邪魔して申し訳ございません。伯爵様。実は私の知人がこの付近で行方不明になっておりまして、その捜索に伯爵様のご領内を捜索する許可をいただきたく思います」
ああ、そんなことはどうでもいいのです。
マルスの血を引いているのです。
マルスの娘には興味があっても、手出しできずにいたのです。
かつて、あのものは、私と同格の存在を滅ぼしたと聞いています。
まったく信じられない事なのです。
でも、あのデルバーがいう事です。
それは真実なのでしょう。
だから、うかつなことはできないのです。
でも、向こうから来るなんて好都合なのです。
「おお、それはまた、難儀なことですね。このジル。あなたの力になるのです。どうぞこの領内のどこでも好きに捜索していただいて結構なのですね」
そう、そこで行方不明になったとしても、私には関係ないのですね。
まさに、私のためにここにきたのですね。
まず、そうマルスに報告してもらうのですね。
さあ、私の目を見るのですね。
これで、思うままですね。
私のこの瞳は魅了の力は強力なのです。異性と限定することで抵抗できなくしているのです。
「ありがとうございます」
そう言ってにっこりとほほ笑むヘリオスは、私の目を見ながら話している。
おかしいのです……。
こんな事、いままでなかったのです。
長らく新鮮な少女の血を吸っていないから、力が衰えたのですかね……。
だとすると、由々しき事態ですね。
まったく、忌々しいデルバーなのですね。
生娘の血。
王都からさらってくる頻度が低下したことは、魔道具が設置されて動きが見張られているということは聞いているのです。
そして、それを開発、設置をさせたのは、あのデルバーなのです。
忌々しいやつなのです。
まさか、そのせいで、私の力が弱められるとは思ってもみなかったのです。
でも、確かにいまこのヘリオスには魅了が効いていないのです。
男というのはありえないのです。
これは、私の力が一時的に弱まったせいなのです。
マルスの娘は、やはり抵抗力もすさまじいのですね。
「伯爵様?」
ヘリオスが私の呼び掛けるのです。
相変わらず、甘美な声なのですね。
ああ、その血、早く味わいたいのですね。
「いや、すまないね。つい知人のことを思い出していたのです。それはそうと、もう今日は遅いのです。たいしたことはできないのですが、ここに泊まるといいのですね。今日はお客が多いので、あまり部屋の外に出られるのは困るのですけどね、雨風をしのぐと思ってもらえばいいのです」
まずは前菜なのです。
メインのほかに、こんなスペシャルメニューがやってきたのです。
まずは、前菜で力を取り戻すのです。
「ありがとうございます」
深々とお辞儀をしたヘリオスの髪が、流れるようにそれに続いていた。
光を受けたその一本一本が、神秘的な輝きをはなっているのです。
ああ、早く吸いたい。
あの極上の味を超える予感がするのですね
***
あの目は……。
顔を上げた一瞬、真っ赤に染まった伯爵の目を見た。
伯爵は使用人を呼び、私を二階の客間に通すように指示していた。
「ありがとうございます。お世話になります」
お礼を告げて、部屋から出る。
盗み見た伯爵の顔は、上機嫌そうだった。
2階への階段を上がって廊下にでる。
廊下は思いのほか狭かった。
屋敷に入る前に、上から見た感じと、やはり狭く感じる。
試しに、バランスを崩したふりをして、左側の壁に体を打ち付けてみた。
「申し訳ございません、すこしバランスを崩したようです」
何事かと、使用人は不思議そうな目で見ていたが、私がそう言う事で、それ以上は気にしないようだった。
やはり、左側の壁は外壁のような作りではない。
この屋敷は、真ん中で見事に分かれているんだ。
私が泊まることになる部屋は階段から上がってすぐの部屋だった。
「奥にもお客様がお泊りです。すでにお休みのご様子。申し訳ございませんが、ご配慮いただけますようにお願いします」
使用人はそう言うと私に深々とお辞儀をしていた。
「ええ、私もすぐに休みます。ありがとうございました」
笑顔で使用人を送り出すと、少し扉を開けて行動を開始した。
椅子に座り、すぐに魔法を発動させた。
「目視観測」
危険だが、使用人に張り付いてドアをくぐるしかない。
伯爵に見つかればおそらくは妨害される。
そんな予感がする。
あの赤い目は吸血鬼の目だ。
私の知識がそう告げている。
バンパイアである以上、一定以上魔力を使うと、魔力感知に引っ掛かる恐れがある。
ひょっとしたら、今も気が付いているかもしれないが、私はこの魔法に自信があった。
極最小限の視界しか飛ばさない。
だから、最小限の魔力消費で済んでいる。
しかし、直接視界に入れば、それは感知されやすい。
とりあえず構造を把握しておかないと……。
何をするにしても情報は重要だ。
転移の失敗を繰り返すわけにはいかない。
冷静になって考えると、コメット師からあの場所は転移不可である警告を受けていた。
完全に忘れていたわけじゃない。
ただ、安易に考えていたから、十分注意してなかった。
単に転移がはじかれるものだと思っていた。
思い込んだその油断が、私の失敗につながっている。
コメット師にどうなるか教えてもらえていたら、あんな目に合わない。
まさか別の空間に強制転移されるなんて、夢にも思わなかった。
だから、もう失敗しない。
まずは構造を探る。
情報のなさが思わぬところで問題になる。
思い込みが思考を狭める。
たぶん、私ともう一人のわたしの違いはそこにある。
これまでわかっていることを整理しながら、視線をあやつる。
伯爵の屋敷は2階建になっており、中央にエントランスがあった。
私はそのちょうど真上に当たる部屋に案内されていた。
エントランスの奥にある壁より前に、応接室はせり出していた。
そして、伯爵は、応接室のその壁側にある扉から入ってきた。
これは、そこにもう一つの空間があることを示している。
エントランスから2階へと続く階段は屋敷の左側に向かっており、そこから折り返すように2階部分で屋敷の右側に廊下が続いていた。
案内された部屋の広さを考えると、2階部分の壁とエントランスの壁は、ほぼ同じところにあると思える。
この屋敷は普通のものとは異なるつくりになっていると見るべきだ。
あの壁で、屋敷の前半分と後ろ半分に分かれている。
分かれているということは、前と後ろで完全に役割が違うということだ。
構造的に前半分が公的なもので後ろ半分が私的なものになっていると思われる。
そして、先ほど伯爵が入ってきた扉の奥は私的な空間の入り口なのだろう。
やはり、応接室から侵入するしかないのだろうか……。
外からのアプローチは屋敷に入る前に試していた。
それは魔力妨害により難しかった。
そう考えながら、私の視界は使用人について応接室を抜けていた。
使用人はその廊下に出ると、右にまがり、地下への階段を下りて行った。
「むごい……」
思わず口に出してしまった。
地下牢に閉じ込められている半分吸血鬼と化している少女たちを見てしまった。
そして、使用人は、何のためらいもなく、その首をはねている。
ごめん、何もしてあげられなくて……。
もう、吸血鬼化している人間は元には戻せない。
せめて、死を与えてあげるのがいいのだと思う。
彼女たち自身の手で、同じ犠牲者を出さないために……。
その後すべての少女の遺体を魔法の袋に収納し、使用人はその牢屋を簡単に水で洗っていた。
そして地下室の扉を抜けて、外の納屋に出ていた。
大体の構造が分かってきた。
脱出路はここを使用することにして、そのまま使用人について行く。
屋敷の外に出た使用人は焼却炉にその魔法の袋の口をつけると、中へ少女の遺体を投げ込んでいた。
それが終わると、火をつけていた。
そのすべてが終わると使用人は屋敷に戻っていく。
帰りに見たときには、複数の使用人が、牢屋をまたきれいに掃除していた。
使用人は廊下の一番奥の扉に差し掛かった。
何となく危険な気がする。
構造的にあそこが伯爵の部屋だろう。
使用人がノックをする映像を最後に、魔法を解除していた。
たぶん、あのまま入ると重要な情報が手に入る。
今まで通った道に2階部分に上がるものはなかった。
奥の廊下に扉があったので、その奥にあるのかもしれないが、それはおそらくないだろう。
伯爵の部屋から2階に上がる階段か、もしくはそこに通じる扉があると考えるのが妥当だろう。
吸血鬼のいる屋敷。
伯爵が真祖かどうかはわからない。
しかし、十武候の一つの家が吸血鬼という秘密。
これは秘匿しなければならないだろう。
そう考えると、この屋敷の普通じゃない構造も理解できる。
これまでの状況を整理して、伯爵の部屋を通らずに、裏の空間に向かうのは不可能だと考える。
やはりこの場所からルナを秘密裏に助けることは不可能だ。
やはり、二階から直接部屋に侵入するしかない。
それには、あの壁を壊すしかなかった。
大きな物音を立てたら、地下室で掃除している使用人を呼び寄せることになる。
それは避けたかった。
人なのか、吸血鬼なのかわからない人を相手にするのは気が引ける。
あれ?
妙な胸騒ぎがしてきた。
なぜ、伯爵は牢屋にいた吸血鬼化した少女たちを捨てた?
彼女たちは、何故半分でとどまっていた?
伯爵は吸血鬼であり、彼女たちはその血の提供者。
そしてルナたちが連れてこられたので、用済みになった。
そうとしか思えない。
ルナが危ない。
戦闘が避けられないのであればすることは一つ。
私はまだ、集団での瞬間移動は使えない。
見つけてすぐに離脱は不可能。
ある程度時間があれば、あの魔道具を使って離脱は可能だろう。
地道にやるしかなかった。
やるからには、作戦が必要。
こちらの動きを悟らせないためには、陽動が必要だ。
幸い、焼却炉はこの部屋の窓からでも見える。
そして、伯爵の部屋は、その焼却炉は見えない。
さっきの焼却炉を爆破するために瞬間移動の魔法を発動した。
そして、特製の時限式魔法陣を焼却炉に刻印した。
急いでさっきの部屋に戻る。
構造的にルナのとらえられているのは、私から一番遠いところだろう。
壁を通して物音を感じられてもいけないという判断が働くものだ。
とすれば、壁の破壊によるけがを避けるためにも、その隣の部屋の壁をぶち抜く方がいい。
そう考えて、そう思える壁を爆破するためにカウントダウンを開始していた。
「3……2……1……範囲縮小爆発」
屋敷がかすかに揺れていた。
時限式魔法陣の爆破はかなり大規模だ。
焼却炉は派手に壊れている事だろう。
タイミングはばっちりだ。
伯爵の報告はそっちに向かうだろう。
伯爵自身もまさか最初にこちら側に来るとは考えにくい。
いずれ気付くだろうが、それまでの間に離脱すればいい。
そのわずかな隙をつくしかない。
真祖だという可能性がある。
そんな伯爵と正面切って戦うことは避けなければならない。
ちょっと前の私なら、戦う方を選んだかもしれないけど、今は違う。
最も優先すべきことは、ルナとアネットを無事に連れ帰ることだ。
もう、コネリーをずいぶん待たせてしまっている。
外が騒然としている中、私はその部屋に突入した。
部屋の中には3人の少女がいた。
少女たちは何が起こっているのか理解できなくて、私をおびえた目で見ていた。
完全に想定外だった。
しかし、誘拐が2人と決まっていたわけじゃない。
むしろ、あの牢屋を見ていると、誘拐された人たちの中に、ルナとアネットが含まれていたと考える方が無難だろう。
「怖がらなくていいよ。私の名前はヘリオス。君たちを助けに来たものだ」
怯えを取るために、にっこりとほほ笑んだ。
三人はルナたちから何か聞いていたのかもしれない。
その瞳はおびえから理解にかわっていた。
三人は一斉に、私にしがみついて泣き始めた。
「ごめんね、今助けるのに必要なことがある。黙って聞いてくれるかい?」
泣きやむように、三人に前置きをしてから、そう切り出す。
悪いが、あまり時間をかけていられない。
「これから君たちに魔法をかける。君たちは体が小さくなるので、私のポケットに入ってもらう。その中にはハムスターがいるはずだからね。一緒に、その中でおとなしくしておいてほしい」
魔道具を取り出した私は、黙って頷く三人にその効果を発動させた。
「妖精化の光」
その光を浴びた三人は、みるみる小さくなっていた。
妖精化したミミルの大きさになった三人を、大事に両手に乗せて、胸ポケットにいれる。
「たのんだよ、ミミル。」
いまだ低活動中のミミルに対して、三人のことをお願いした。
「うん……」
か細いけど、ミミルからは了承の返事があった。
それでも少し心配だったので、胸ポケットを閉じると、ボタンを占めて、封印した。
「施錠」
服に対してかかるのか疑問だったが、しっかりと魔法は発動していた。
よし、やはりルナは隣だろう。
「開錠」
扉は、単に鍵がかかっているだけで、特に魔法で封印されてなかった。
この部屋の扉を素早くあけて、隣の部屋の扉を開ける。
「開錠」
こちらも施錠だけで、封印もない。
伯爵の自信と油断だろう。
それはかつての私と同じものだ。
「ルナ、無事かい?アネットも、無事でよかったよ」
二人の顔は驚いていたが、深刻な体の問題はなさそうだった。
さっきの三人もそうだけど、真新しい服を着ている二人は、とても拉致された姿には見えなかった。
「おっ、お兄様?」
「ヘリオス様?」
私がここにいることが信じられないようだった。
説明は後でもできる。
とにかく、ここを抜け出すのが先決だ。
「さあ、ここに長居は禁物だ、あとでちゃんと説明するから」
妖精化の光の魔道具を取出して、二人にこの魔道具の説明をする。
私のすることを理解してくれたようで、黙った二人は頷いていた。
妖精化の光の魔道具をルナたちに向けた瞬間、かすかな空間の歪みを感じた。
嫌な予感がする……。
試しに、近くの机を物質転送で飛ばしてみた。
しかし、一瞬机は消えたものの、またもとの位置に戻っていた。
転移阻害が働いている。
さっきの空間の歪みだ。
伯爵に気づかれたのは明らかだった。
「急いでここから出ないといけない。二人とも、私のあとについてきて」
二人は黙って頷いた。
しかし、駆け出そうとする私を、ルナが必死に呼び止めていた。
「隣にもいるんです。お兄様」
事情を知らないルナの瞳は、真剣だった。
自分も危ないと言うのに、他人の事もこれまで心配できるなんて……。
私はここまで他人のことを考えたことがあっただろうか?
いや、自分のことで精一杯だった。
ヴィーヌス姉さまの幸せは願っても、私から何かしただろうか?
自らの疑問に押しつぶされそうになったとき、胸ポケットで動く気配がした。
そうだ、今はそれどころじゃない。
これまでのことを考えても仕方がない。
これからのことを考えなくては。
ミミルに感謝しながら、ルナに心配ないことを告げた。
「大丈夫、彼女たちはここに保護しているから」
胸ポケットを指さして、その心配がないことを告げる。
今度もまた、ポケットで動いている。
たぶん、中でもアピールしているに違いない。
「ふふ」
自然とルナが笑顔になっていた。
アネットも、私も、つられて笑顔になっていた。
つかの間の安らぎ。
しかし、まだ安心はできない。
逃走ルート。
急いでこれを決めなくてはならない。
表側の公的な部分を通って逃げるか、裏をかいて、伯爵の部屋を通って逃げるか……。
表側なら、すべての道筋を把握している。
多少妨害があるかもしれない。
裏側は、伯爵の部屋の部分が分からない。しかし、部屋を横切るだけだ。それに、普通なら、伯爵の部屋を通って逃げるとは考えないだろう。
伯爵の存在がどこにいるかだが……。
いや、気付かれた以上、そもそも、壁をこわしても問題ない。
よし、壁を壊して、外に出た後に転移する。
これで行こう。
勢いよく廊下に飛び出し、壁を爆破しようと魔法を発動させようとした瞬間、強制力を持ったその声が、私の注意をひきつけていた。
「フロイライン。君たちはいったいどこに行こうというのです」
その声は廊下の端にある階段から聞こえてきた。
「さっきから、なんだか小虫が飛んでいると思ったのですね。なんとフロイライン・ヘリオス、君だったなんてね。私は悲しいですね」
伯爵は真っ赤な目をしている。
もはや、隠す必要はないと、その目が圧力をかけてきた。
「しかも、わたしの大事な子たちを連れ出そうとするのですね。許せないですね……」
伯爵は一歩ずつ、ゆっくりと近づいてきた。
もはや迷っている暇はなかった。
吸血鬼は危険だ。
ルナとアネットをさっきの部屋に入れると、私がいま出せる最大火力の火炎魔法を伯爵に向けてはなっていた。
「地獄の業火」
一瞬、伯爵は火炎に包まれて消えていた。
あまりの高熱に屋敷が一部蒸発してなくなっている。
そしてその高温の余波で屋敷に火の手が上がっていた。
「ふう」
よかった、真祖じゃないみたいだ。
安心したのもつかの間、消し飛んだ壁をみて愕然となった。
転移阻止だと思ったが、空間封鎖されているのか。
消し飛んだ壁のすぐそばに封鎖領域の壁ができている。
壁を壊して逃げることはできない。
そして、まだここから逃げられたわけではない。
この魔法を発動したのは、魔道具なのか、術者がいるのか……。
この魔法の特性上、術者が死んだ場合は解除される。
もし、伯爵が死んだのであれば、この空間閉鎖は解除されているはず。
それが行われないというのは、魔道具の効果ということになる。
しかし、この空間封鎖が魔道具によるものとは思えなかった。
屋敷をすっぽりと覆っているのではなく、屋敷の壁にそって空間を閉鎖している。
こんなことは魔道具では不可能。
すなわち、術者がいる証。
そして、術者は伯爵以外に考えられない。
その伯爵が消し飛んでも、魔術の効果が残っている。
考えられるのは最悪の結果だった。
「走って」
左にアネット、右にルナをつれて走って行く。
伯爵は部屋で復活しているかもしれない。
元来た道を進むしかない。
階段のところで使用人が赤い目をして飛びついてきた。
この屋敷のすべての使用人が吸血鬼化していると考えた方がいいだろう。
「ちょっとまって」
二人の手を放して、腰から短剣を引き抜く。
すれ違いざまにその首をはねていた。
あまりの出来事に、二人は呆然としている。
たしかに、魔術師の動きじゃないだろうね。
でも、そんなことを説明している余裕はない。
真祖は不滅。
その言葉が頭によぎる。
いつやってくるかわからない。
その恐怖が私を駆り立てる。
早く逃げなくては……。
屋敷を覆っている以上、あの地下通路はあいているだろう。
「さあ、急ぐよ」
焦る気持ちを抑えつつ、二人の手を再び握っていた。
階段を下りて、エントランスにいた使用人の吸血鬼の頭をすべて切り落とした時だった。
出来れば二度と聞きたくなかった声が、階段から聞こえてくる。
最悪の予測が当たった瞬間だった。
「無駄ですよ、フロイライン・ヘリオス。さあ、この私のものになりなさい」
ゆっくりと階段を下りてくる伯爵に再度、魔法を放つ。
「地獄の業火」
そしてまた、屋敷が蒸発し、伯爵はまた消え去った。
周囲がその熱で燃えていく。
やはりここも、空間封鎖の影響を受けていた。
「きりがない」
試しに玄関の扉を開いて外を見た。
赤い光の群れが、こちらに向けてやってきている。
暗闇の中、赤い光が集まってきている……。
外には多くの吸血鬼がいた。
ここの領民すべてそうなっているんじゃないだろうか……。
そう思えるほどの赤い光が、空間閉鎖の壁の向こう側でうごめいていた。
当然のように、玄関は空間封鎖の影響を受けている。
仕組みが分からない封鎖を解除するには、かなり時間がかかる。
その後に、あれだけの人を相手にするのも厄介だ。
やはり、地下通路しかない。
玄関を閉めて、鍵をかける。
そして二人を伴って応接室から地下室に降りていった。
「だからヘリオス君無駄なんですよ」
伯爵はまた地下室の階段のところで追いついてきた。
「地獄の業火」
消えた伯爵が、今度は瞬時によみがえった。
「地獄の業火」
またも伯爵は、瞬時によみがえる。
「地獄の業火」
「地獄の業火」
「地獄の業火」
「地獄の業火」
「地獄の業火」
「だから無駄なんですね。ここは地脈の影響で、私の復活のエネルギーは十分にあるんですね。特に地下に逃げたのは失敗ですね。まあ、私がそう仕向けたのですけどね」
伯爵は邪悪な笑みを浮かべていた。
謀られた?
そう言えば、二階の復活の時間と、一階の復活の時間、地下の復活の時間では明らかな時間差がある。
私は、またも間違えたのか……?
息苦しさを感じる。
胸が締め付けられる思いだ。
「それに、あなたもそうですが、こんな地下でそのように火炎魔法を連発したらね。ほら、後ろのお嬢さん方が苦しそうですよ」
しまった。
こんな場所で、何度も高温な炎を出したら呼吸ができなくなる。
私は絶えず保護結界を張っているので、気づかなかった。
崩れ落ちる二人を背中に感じ、とっさに保護の結界を二人に展開した。
ルナが必死に回復魔法をアネットにかけていた。
いかな保護結界とはいえ、空気がないと呼吸ができない。
火炎魔法を連発しすぎた。
だんだん、私自身も立っていられなくなっている。
かろうじて流れてくる風の流れで、何とか持ちこたえていた。
二人も何とか生きている。
私はまた間違えたのか……。
こんなとき、もう一人の私はどうするのだろう。
場違いな疑問が頭をよぎっていた。
***
ミミルは必死になのよ。
あの時、ヘリオスはあのヘリオスを拒絶したんだわ。
ヘリオスは気が付いていないだろうけどね。
ヘリオスとミミルのつながりは、あのヘリオスとミミルのつながりの上に乗っているだけなのよね。
その関係だから、たとえ本人にその気がなかったとしても、あのヘリオスとミミルのつながりは、ヘリオスによって邪魔されていた。
全くおしゃべりができない。
みんなからは文句言われるし、散々だわさ。
でも、ミミルもさびしい。
だからミミルはその存在をかけて、ヘリオスが間にいないつながりを必死に作っていたのよね。
その分、眠りにつかないといけないけど、仕方がないよね、ヘリオスが悪いんだからさ。
でも、思ったより難しかったのよ。
新しくミミルの方からちかよっても、必ずヘリオスがくっついてくるんだわ
もー、いい加減にしてよねって感じだわさ。
そんな時、ミミルを呼ぶ声が聞こえたのよ。
「ヘリオス!」
ミミルはその声に向かって必死に手を伸ばす。
「ミミル!」
ミミルを呼ぶ声。
懐かしいその声。
ミミルたちの幸せ。
必死にその声を掴み取った。
これって、運命の再会ってのだよね、ヘリオス。
ふふん。
ミミル的に、ちょーすごいって感じなのよ。
後で、いっぱい褒めてよね。ヘリオス。
***
俺はあれから車には乗っていなかった。
安定しているとはいえ、やはり危険だと判断したからだが、それなりに不便さは感じている。
特に郊外の場合、公共の交通機関をもともと想定していないだけに、移動だけで時間がとられる。
その分早く出発しなければならない。
今日も電車を乗り継いで、その場所に向かっていた。
しかし、ほんの少しの時間を利用して、夢を見ることができていた。
不便だが、便利だった。
待ち時間、電車に揺られている間、俺はひたすら夢を見続けた。
すでにヘリオスは伯爵のところにたどり着いている。
「よし、いいぞ、ヘリオス。がんばれ」
あれからのヘリオスの成長には驚かされる。
相変わらず、安心してみていられるものではないが、それでもヘリオスは頑張っている。
商談も無事に終わり、次に移動しようと思った時、なんだか胸騒ぎを覚えていた。
ミミルとの交信できない以上、俺は見ていることしかできない。
不安と焦りが俺の中でどんどん大きくなっていく。
取引先は、郊外のスーパーマーケット。
いまは、その駐車場を歩いている。
周りには、休憩する場所もない。
仕方なく、歩行者の妨げにならないように、ショーウインドウを背にして目を瞑った。
俺の不安感の正体。
ヘリオスの危機。
なんとか俺がいけないか。
精霊の力を借りることができれば、このピンチは回避できるはずなんだ。
今もシルフィードが何とか頑張ってくれている。
ミヤもベリンダも、伯爵の足止めをしようと体を張っている。
「ミミル、ミミル。答えて、ミミル」
俺は必死に呼びかけていた。
今、現実世界にいるにもかかわらず、夢の世界に向かう自分を強く意識する。
ヘリオスが危ない。
ルナが、アネットが危ない。
きっと精霊たちはその力を十分に揮えずにいるのだと思う。
何とか俺が行けないか。
この世界で、この体がどうなっても構わない。
幸いここは人通りもある。
急に倒れたら、誰かが運んでくれるだろう。
だから、お願いだ。
俺は、向こうに帰りたいんだ。
そう願っている最中に、俺は痛みに襲われていた。
それは一瞬の出来事なのだろう。
やってきた激痛に、一瞬にして現実に引き戻された。
車。
自分の体が、バックしてきた車に弾き飛ばされている。
ショーウインドウに挟まれ、それを突き破り、向こう側にはじかれている。
やけに、ゆっくりと進行しているが、あれでは俺は無事なはずがない。
まあ、いいさ。
俺もそう願った。
だから行く。
遠ざかる俺の体を見ながら、俺の意識が引き寄せられるのを感じていた。
***
俺はいつの間にかヘリオスの姿になっていた。
しかし、いつもの感じじゃない。
何と言うか、ここは違うと感じた。
目の前には涙目のミミルがいる。
だから、間違いじゃないというのだけはわかっていた。
「ああ、ミミルありがとう。でもここはいったいどこだい?」
ミミルに尋ねているときに、俺の目の前にヘリオスが現れていた。
「ああ、ここは私とあなたの精神のつながりの世界だと思います。はじめまして、私。こんなこと言うのは初めてだからかな、変な気分ですね。でもなんだか懐かしい感じがします」
ヘリオスは、何とも言えない表情をしている。
それもそうだ。
俺たちはたぶん、全く同じ姿でいる。
顔だけ、俺ということはないだろう。
「こちらこそ初めまして。僕も君と同意見だ。なんだかもともと二人で一人だったような気がするよ」
自然とそう口にしていた。
何となくそう思ってしまう。
それだけ俺はヘリオスを見続けている。
ヘリオスは頭を振ると、ゆっくりと話し始めた。
「私は長い間、あなたの存在を妬ましく思っていたのかもしれない。私にできないことを次々とやってしまうあなたに嫉妬したんだと思います。そして、本来はあなたが受け取るべき賞賛を、わたしはその意味も分からずにもらい続けていました。私の知らないところで、私はいつも活躍していて、いつも認められていました。そんな私は何一つとして覚えてもいないんです。これって悲しいと思いませんか……」
俺に今まで抱いていた想いをぶつけてきた。
これだけ正直に、はっきりと言うこいつも珍しい。
俺だからだろうか?
それはそれでうれしかった。
「うん、そう思うよ。僕の方こそ君を妬ましいと思っていたよ。そちらの世界でいくら頑張っても、僕にはその実感がないからね。いつも君を通して世の中を見ているし、感じている。どう、これも悲しいと思わないかい」
お返しに、俺も不満をぶつけていた。
しばしの間、俺たちは互いに見つめあった。
「ふふ、そうですね」
「ふふ、そうだよね」
俺たちは同時に笑っていた。
「こんな簡単なことを私はうじうじ考えてたんですね」
「こんな簡単なことを僕は不満に思ってたんだね」
俺たちはお互いの不満を認め合った。
「ちょっと、もう限界近いんですけどー。ウチもう休んでいいかなぁ」
ノルンの声が聞こえてきた。
今回、ノルンは本当に頑張ってくれていた。
今も、ヘリオスの体を守ってくれている。
「この子たちの存在はわたしにとって嫉妬だったんです」
悲しそうな顔だ。
それもそうだな。
俺が反対の立場なら、そう思うかもしれない。
でも、それは理解できるだけだ。
「あははは。この子たちは、僕のだよ、たとえ君でも渡さないよ」
この子たちは、俺と共にいる。
悪いが、ここは譲れない。
「あはは、ノルン、私も今度ゆっくり話がしたいな。だからもう少しお願いします」
表情が柔らかい。
本当にそう思っているんだろうな。
「わかったよー。しょうがないなー」
相変わらずの口調。
なんだかんだ言って、ノルンは優しい。
「では、私は私の戦いをこれで終えるから、あとの仕上げはよろしくおねがいします」
俺に向かって右手を差し出してきた。
握手を求めている。
しかし、その顔は寂しそうだった。
「いいや、ヘリオス」
俺は首を横に振りながら、その手をもって、上にあげる。
けげんな表情を浮かべるヘリオスを無視して、その掌を俺に向けさせた。
「この戦いはもともと僕たちの戦いだ。進行は君、仕上げは僕というわけさ。ちょっといつもと逆なだけだよ」
そしてその手を思いっきり打ち返していた。
よく頑張った、ヘリオス。
後は任せてくれ。
気持ちいい音があたりに響く。
「これは単なる選手交代だよ。あとは僕に任せてくれ」
ありがとうデルバー先生。
ヘリオスと話し合う機会を作ってくれたのは、たぶん先生ですよね。
感謝しながら、俺は仕上げをするために、その地に降り立った。
***
「ふむ、厄介な結界ですね。光の結界ですか……」
魔法で攻撃したり、自慢の筋力で打ち付けたりしていた。
しかし、まばゆい光にさえぎられて、その攻撃はすべて結界で阻まれている。
「これは厄介なものを出してきたのですね……」
ため息をついてみていると、ヘリオスの体から光があふれ出していた。
「なんなんですかね!」
思わずその光から目を背けている。
そうしている間に、ヘリオスはゆっくりとその場で立ち上がっていた。
周囲を確認した後、自分の体を確かめるため手を握り、開く。
そして軽く息を吐いていた。
「よし」
短くいうとヘリオスは再び状況を確認する。
ルナは横たえたアネットを守るように、覆いかぶさっていた。
アネットは大丈夫そうだが、ルナは火傷をしている。
「本当によく頑張った」
愛おしそうに、ルナを見つめ、ゆっくりと両手で抱きかかえた。
そして、何事かを小さくつぶやいていた。
光がヘリオスとルナを包んでいく。
その光が収まるころ、目を閉じているルナに語りかけていた。
「ルナ、もう起きても大丈夫だよ。よく頑張ったね」
***
心地よい光……。
温かな光に体がつつまれていくのを感じる。
さっきまでの苦痛は全く感じない。
そしてしっかりとした安心感が心を満たしていくのが分かる。
このぬくもりの中で、いつまでも過ごしていたい。
不意に名前を呼ばれた気がして、ゆっくりと目を開けてみた。
先ほどの感じとは全く違う。
そこは、私が待ちに待った場所だった。
「にいさま……。ヘリオス兄様……」
にっこりとほほ笑むその顔。
このぬくもり。
思わず涙があふれ出す。
どうしようもなく、その胸に顔を沈めていた。
この雰囲気、その笑顔、間違いない。
あのお兄様だ。
「ああ、お兄さま……」
森の事や、図書館での思い出。
あれほど心に安らぎを満たしてくれた人はいなかった。
二人を包んでいた光は、淡くゆらめき、ゆっくりと消えていった。
「ルナ、もう傷は言えたと思うよ。アネットの方を見てくれるかい。君が魔法をかけていたから大丈夫と思うけど。一応ね」
お兄さまは私をゆっくりと地面におろしていた。
今更ながら、抱きかかえられていたことを強く意識してしまう。
「あっ……」
名残惜しさが、つい声に出してしまった。
子供のようだ……。
恥ずかしさで、顔向けできない。
それでも、お兄さまは、うつむく私を、だまってなでてくれる。
心地いい感覚に、つい顔がほころんでしまった。
「ルナ、もう一度。いや、今度こそ、これを受け取って欲しい」
私の胸に、お兄さまは何かをつけてくれた。
「!!」
両手で口元をおおい、言葉を隠す。
でも、目からは涙があふれだしていた。
無くしたと思ったスズランのブローチ。
もう一度と言ったわ。
今度こそと言ったわ。
あらためて、お兄さまの気持ちを知ることができました。
もう決して無くしたりしません。
ルナは、これを一生大事に致します。
そして、お兄さまは伯爵に背を向けたまま、アネットに手をかざしていた。
「うん、大丈夫だね。さすがルナ」
お兄様はアネットの頭をなでていた。
そして自分の指輪をはずして、アネットの右手にはめていた。
あれは、最初の指輪……。
お兄様が最初に作った魔道具だと聞いている。
強い守りの効果がある魔道具だと聞いている。
必要なことなのだとは思うけど、なんだかアネットがうらやましかった。
でも、何かしら、なんだかとっても違和感があるのよね。
幸せすぎて、しっかりとみていなかったけど、お兄さまがしたことって……。
私の傷が癒えている。
喉を少し火傷していたはず。
とっさに回復魔法をアネットにかけたから、自分の体は後回しになった。
あらためて見ると、体にあるはずの火傷のあとも痛みもない。
「お兄様、あの……回復魔法を……」
遠慮がちに言う私の唇を、お兄さまの人差し指がさえぎった。
顔が赤くなるのを抑えられない。
「ルナ、内緒です」
そのまま、笑顔で笑っている。
お兄さまの言っている言葉は聞こえているけど、さっきからぐるぐる頭が混乱して、自分でも訳が分からない。
「はい、内緒です」
そう告げるのが精一杯……。
そして専用空間から指輪を取り出して、私の右手を取るお兄さまを呆然と見つめる。
少しずつ、私は落ち着きを取り戻していた。
右手には、あの指輪がはめられている。
二度と支配されたりするものですか。
その指輪を見るたびにそう思う。
そのほかにも、右手にはいろいろな指輪をはめていた。
私はこれら指輪の効果で、回復魔法の効果を高めている。
どれも大事な指輪。
お兄さまはそれが分かるのでしょう。
あきらめて左手の空いている指に、指輪をはめていた。
お兄様、そんな……。
その指輪は、そこに収まるのが当然と言う輝きを放っている。
少なくとも私にはそう思える。
それにしても、こんなことされたら、もう……。
気を抜けばそのまま倒れこんでしまう。
でも、お兄さま。
心の準備ができていません。
それに、もう少し雰囲気があるほうが……。
私の気持ちがぐるぐる回る。
そんな思考を、指輪の声が邪魔してきた。
ミミルの指輪だよ。
直接頭の中にそう告げられていた。
でも、それどころじゃないわ。
この指輪の効果と思われる現象。
思わず凝視してしまった。
お兄様が少女たちに囲まれている。
そして、お兄さまと伯爵の間にも少女がいた。
「もーあかん。しんどーい。おふろはいりたいー」
少女はそう叫んでいた。
その表情はそれほど必死な感じではなかった。
どちらかと言うと、相手してほしいような……。
「ルナ、僕はこれからここを離れるけど、心配しないでね。あと、この子たちをお願いするね。その指輪をしている限り、そこいらの吸血鬼は君たちに触れることはできない。だから、安心してここで待っていてね。あと、これを必ず持っていてね」
三人の小さな姿の少女。
小さくなった、アリスとナタリアとテリアの三人だった。
三人を私の掌にのせて、最後に筒状の魔道具を渡してきた。
これ以上はもてません。
そんな顔をしてたのでしょう。
お兄様も困った顔になっていた。
ふふ。
ちょっと新鮮で、楽しかった。
お兄様の困った顔。
そのお顔も、なかなか素敵です。
その魔道具をわきに挟んで、何とか受け取ることができた。
たぶん大事なものなのでしょう。
しっかりと意識して持ってます。
「じゃあね、3人とも帰ってきたら元に戻してあげるから。まっててね」
お兄様は三人の頭を順番に、人差し指でなでていた。
私と共にいれば、私がもらった加護を受け取れる。
三人を元に戻さないのはそういう事ですね。
「さて、これで準備は整いました。お待たせしましたね。伯爵」
お兄さまの声に、怒りが混じっている。
立ち上がる時に、お兄さまの顔を少しだけ覗き見た。
今まで見たことのない顔……。
少しのぞいたその瞳、それは敵意に満ちていた。
「ヘリオス君。君もいい加減学習した方がいいですね。私はこの場所では不滅なのですからね」
伯爵のあきれた態度。
それは、もういい加減にしてくれと言わんばかりだった。
伯爵は倒してもすぐに復活する。
真祖だ。
こんなの一人で相手にするなんて普通考えると、無謀に思える。
でも、お兄さまはそこかお散歩に行かれるように、軽く伯爵に告げていた。
「そうですね、じゃあ場所を変えましょう。強引ですが、付き合ってもらいます」
「次元の門、加速」
そう言って伯爵の服をつかみ、出現した漆黒の渦にお兄さまは飛び込んでいった。
とっさの出来事に、伯爵は反応すらできなかった。
二人の姿が消えた後、その漆黒の渦は消滅していた。
そして、地下室の雰囲気が変化していた。
屋敷から、火の手がいつの間にかやってきている。
それまで、せき止められていたうっ憤を晴らすように、火は地下室の物に燃え移っていた。
「お兄様、無事のお帰りをお待ちしています」
何故だろう、全くお兄様に心配がいらないように感じていた。
燃え盛る地下室にあって、私たちがいる場所はドーム状巨大な結界でおおわれている。
私とアネットはそれぞれの指輪で光り輝いていた。
アリスたち三人は自分たちに起きたことを理解できずにいるようだったけど、無事に帰ることができそうな雰囲気に安堵していた。
「お兄様……」
その先でお兄さまは戦っている。
私は何もできない。
ただ、お帰りを待つだけだ。
真祖だけど、お兄さまなら何とかしてくれる。
それでも、私はお兄さまの無事を祈る。
きっと帰って来てくださる。
私はそう信じている。
***
「……。こんなところに連れてくるなんてですね、ヘリオス君。あなたはいったい、何者なんですかね」
伯爵は自身の体に起きている変化を悟られないように、それまでの態度と同じように、語りかけていた。
まあ、やせ我慢もいいとこだよ。
俺が連れてきたんだ、その変化は俺がよくわかっている。
「伯爵。無理はよくないよ。僕と違ってこの次元でのあなたは、不滅でもなんでもありませんので。たぶん魔法ですぐその存在は消えちゃいますよ?」
そのためにここに連れてきた。
伯爵は自分で地脈と言った。
地脈とはすなわち星の息吹。
生命の力、仮に霊子力といったらいいのか。
あの地で真祖になったものは、あの星のそれを吸収して存在している。
だから、単純にそれが無い次元に移動しただけ。
でも、体内で崩壊と再生を絶えず繰り返している真祖にとって、供給されないと崩壊しか残っていない。
「馬鹿な!ありえない。私は真祖。生命の奥義をもって、死を超越した存在です」
自身の力がどんどんとなくなっていることを感じているのだろう。
その恐怖におののきながらも、必死に虚勢を張っていた。
「まあ、それで勘違いしていたら世話ないですね。いいですか、生命にとって、死は終わりではないんですよ。あなたはあなた自身をその世界のカテゴリーから外したにすぎません。だから、あの世界では不滅なんていうことを言えてたんですよ。実際には、あの世界でいったん滅んでるので、不滅ではないですね」
説明だけはしてあげよう、このまま黙っているのも芸がない。
「つまりあなたは仮に霊子力と呼ぶエネルギー体として存在する世界に転生したにすぎないのです。たまたま、あの世界とつながっているから、もう一度あの世界にやってきているだけです。あなたは、迷惑な来訪者なのですよ。まあ、その点では僕も同じかもしれないですけどね」
自分の周囲を見回す。
俺の体は精霊たちに守られていた。
精霊界の中でも、より純粋に精霊力だけが集まる次元。
この子たちが守ってくれないと、俺自身も崩壊する場所。
「この次元は霊子ではなく、違う原理が働いています。存在しないものは、この次元に飲み込まれるでしょう。その仕組みは、私も分かりません。ただ、原理が違うというのは、意外に残酷だということです。あなたの中から霊子力がなくなっているでしょう。そのうちその体も崩壊しますよ。何せあなたの体はそれがすべてですから」
さあ、説明はここまでだ。
最後の瞬間まで、その精神に恐怖を植え付けてやる。
今まで、さらった子供たちに、どれほどのことになるかわからない。
でも、ほんのささやかな手向けになるかもしれない。
「あなたがこれまで奪った、いたいけな命の償いが、こんなことで終わるとは思いませんが、あなたはそろそろ消滅してください。この次元で、その存在が消えるまで、私が見届けてあげましょう。ああ、私のことは気にしなくても結構です。私にはこの子たちがいますので、大丈夫なんですよ」
慈悲をかけない。
そういう目で伯爵を見ていた。
伯爵はもはや動くこともできずにいた。
どんどんと力が抜けているようだ。
久しく感じていなかった死という概念を持っている事だろう。
「なぜだね!こんなことはありえないのだよ!私は最高の存在。真祖なのですよ!こんな少女にいいようにされるべき存在じゃないのですよ!」
伯爵は俺をにらんでいる。
もうそれしかできないのだろう。
悔しそうにしているが、それは恐怖を感じまいとする、必死な姿に思えた。
「ああ、そうそう、言い忘れてましたが、僕は男ですので、消えるまで忘れないでくださいね」
淡々と伯爵の滅ぶ姿を眺める。
もう体を構成していることもできなくなった伯爵は、俺の言葉を聞いているのかわからない。
しかし、間違いは一応正しておこう。
「……」
伯爵の存在が消えた後、何となく俺はその場にいた。
誰も俺に話しかけない。
たぶん、俺が話すのを待っているんだ。
「ねえ、シルフィード、ミヤ、ベリンダ、ノルン、そしてミミル。僕はあの世界に帰ってもいいのかな……」
俺も、伯爵と似たようなものだ。
よその世界からやってきて、自分の好き勝手に行動している。
「そんなことはこの姿を見てからいうんだね」
珍しくノルンが真っ先にそう言っていた。
それはイメージとして頭に伝わる、ルナの祈る姿だった。
「そうだね。帰ろう。君たちの力もずいぶん消耗させてしまったし、ごめんね。無理させてしまって……」
そうだ、わがままかもしれない。
でも、俺は約束した。
今は帰ろう。
こんな俺でも、待ってくれる人がいる。
守ってくれる人がいる。
そばにいてくれる人がいる。
導いてくれる人がいる。
だから帰ろう。
みんながいる世界に。
いいか悪いかは、俺が判断することじゃない。
俺の行動で、みんなに判断してもらおう。
俺がここにいていいのだと、俺自身が思えるように。
まずは、精一杯やってみよう。
判断するのは、その後でいい。
「次元移動」
ルナとルナの持つ魔道具、ベータを目標にして、俺は次元を超えていた。
*
ルナが俺の気配に気づき、涙を浮かべて飛びついていた。
「おかえりなさい」
俺の胸に顔をうずめて、はち切れんばかりの笑顔で迎えてくれていた。
「ただいま、ルナ。またせたね」
帰ってよかった。
その頭をなでながら、そう考えていた。
ルナの顔は喜びで満ち溢れている。
この顔を、悲しみにはさせない。
俺は、決意を新たにしていた。
「よし、ベリンダ、このあたりの消火を頼むよ」
ベリンダに頼んだ瞬間、巨大な存在感があたりを覆い尽くしていた。
そして、その存在感の主が、ゆっくりと姿を見せていた。
いつの間にか、周囲の炎はすべて消えている。
「久しぶりによい炎をもらった。礼を言う。そなた、名はなんという」
圧倒的な存在感。
その姿に圧倒された一同は言葉を発せずにいた。
精霊たちですら、驚いているようだった。
やはり、珍しいんだろうな。
「僕の名前はヘリオスです。君は?フェニックスでいいのかな?それとも、火の鳥?」
思わず、元の世界の感覚で尋ねてしまった。
しかし、精霊図鑑でもそう書いてあったし、あながち元の世界のファンタジーとこちらの世界って似通っているんだよな。
「フム、この炎。そなたの生み出したものか。よい炎であった。私の力を借りたくなったらわが名を呼ぶがいい。わが名は『ラー・ムウ』おぬしのことが気に入ったよ。どれ、今日は気分がいい。後始末くらいはやってやろう」
そう言うとフェニックスは瞬時に消えていた。
「あれがフェニックスの浄化の炎か……すごいね」
地下通路をでて、小屋から出た風景を見て、思わずそうつぶやいていた。
その身の炎で吸血鬼を浄化している。
しかも確実に、吸血鬼だけを燃やしている。
吸血鬼が何かにつかまっても、まったく燃え移ることは無かった。
「兄様……精霊魔法まで使えるのです……」
ルナのその唇を指で押さえる。
「しー。ルナ。内緒です」
唇を抑えた指をそのまま自分の口元に持っていき、黙っているようにお願いした。
ルナは黙って頷いていた。
この情報の重大さが重くのしかかっているのだろう。
うつむいて、体を固くしていた。
そして、小さな三人の少女にも同じようにお願いをする。
ずるいようだけど、その約束をしてから妖精化の光を解除していった。
「ありがとうございました。このご恩は一生忘れませんわ」
アリスは上品にお辞儀をしていた。
その顔は興奮のためか真っ赤に染まっていた。
「ありがとうございました」
ナタリアは丁寧にお辞儀をしていた。
しかし、俺とは目を合わせなかった。
「ありがと……」
テリアはそう言って俺に抱きついていた。
それが精一杯のようだった。
ミヤみたいな子だな……。
言葉でうまく伝えられないのだ。
何故かわからないが、そう感じた。
ならば、俺のすることは一つしかない。
黙って、その頭を優しくなでていた。
ミヤが好きなこと。
たぶん、これで大丈夫だろう。
ゆっくりとテリアの肩をもって引き離す。
ん?やけに細い?
年齢はルナよりも一つ下のはず。
そう言えば、体格もほかの二人に比べると、ずいぶん小さい。
気になるが、今は帰ることが先決だ。
みんな待っているに違いない。
「さあ、アネット、いつまでも寝たふりしていないで……。ほら、帰るよ。寝てる君は何も見たり、聞いたりしていないだろうけど、ここでのことは内緒だからね」
その頬を軽く叩いてアネットを起こす。
真っ赤になり、アネットは俺に背中を向けていた。
図星を指摘されて、恥ずかしいのだろう。
それとも、せっかくの配慮を台無しにしたから、怒っているのだろうか……。
まあ、また聞こう。
とりあえず、今は無事な姿を一刻も早く見せないと。
「よし、じゃあみんな帰ろう」
そう言ったものの、どうやって帰ろうか……。
妖精化の光をつかうと、帰った時に、また解除することになる。
あまりこれは見せたくない。
それに、せっかく帰るんだ。
自分の姿の方がいいだろう。
しかし、そうなると……。
まあ、仕方がない。
「じゃあ、みんな手をつないで、しっかり僕につかまっててね」
そう言うと、みんな俺に向かって突進してきた。
何なんだ?
しかも、先頭はミヤだった。
「ミヤ……あとでね……」
涙目になって訴えるミヤに、必ずミヤの好きにしていいからと諭す。
この世界に帰ってから、ずっとミヤにかまっていない。
そうミヤは無言で訴えている。
慌ただしくて、それどころじゃなかったけど、まあ、それもそうかと思ってしまった。
精霊たちは、それは自分たちもだと言い張って、首飾りに入って行った。
「ウチ、がんばったよね?がんばったよね?」
最後に入った笑顔のノルンに、俺はなんて答えていいかわからなかった。
なぜか、前にテリアうしろにアリス右にナタリア、左にアネットという形で、俺にしがみついていた。
俺と接触しているだけでいいんだが……。
仕方がない。
そして一人残ったルナを、俺の首にしがみつくような形で抱える。
ルナは、最初照れくさそうにしていたが、身内以外でこんなことさせれるわけがない。
この子たちは、いずれも名家の令嬢。
まあ、アネットは違うけど、それでも大切にすべき子だ。
いまでも、色々問題があるかもしれないが、一瞬だ。
できるだけ、人目につかず、すぐに人目につける場所……。
あそこがいい。
あの場所なら、うってつけだ。
「集団瞬間移動」
唱えながら心に誓う。
デルバー先生のように、この魔法をうまく使いこなそう。
瞬時に学士院に到着した俺たちは、グリフォンの威嚇を受けていた。
怯えるアリス、ネタリア、アネットの三人。
しかし、ルナとテリアは笑顔だった。
「あら、おかえり」
カルラはそう言っているだけだった。
ヘリオスは自分の中のヘリオスと和解しました。そして、ヘリオスはついに回復魔法を習得していました。これは月野君の変化によるもです。
でも、月野君の体は大丈夫でしょうか……。




