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少女誘拐

パーティに出たアネットとルナ。アネットはその中で貴族というものを知っていきます。

「ルナ様、つきました」

アイオロスは馬車のとまる気配を感じたのか、止まる前に到着を告げていた。

馬車が止まる時には、少なからず衝撃があるのよね。

それを前もって知らされていると、驚かなくて済むから助かるわ。

アイオロスの心遣いがうれしかった。


「アネット様、そのように緊張なされては先が持ちませんぞ。大丈夫です。今日まで私の指導にしっかりとついてきましたので、あとは自信をお持ちください」

アイオロスは今日までのアネットの頑張りをそう評価していた。

堂々としてよい。

笑顔でそう言っていた。


さらに、言葉をかけている。

普段のアイオロスからは考えられなかった。


「大丈夫です。相手は子爵家。ルナ様はその上の上、辺境伯ご令嬢です。そのご友人に対してめったなことは致しません、気持ちをしっかり持ってください」

今日のアイオロスは、やけに親切だった。


アネットに指導をお願いした時は、どうなるかと思ったけれど、お願いしてよかったわ。


しかも、私の期待以上に働いてくれている。

何がアイオロスをそうさせたのかわからないけど、私がお願いするまでもなく、アネットの指導を最優先に予定を組みなおしているようだった。


本当にわからない人だわ。

いい人だとは思う。

でも、怖い人でもある。

そして、私の監視役……。


お父様の執事を長年務めているから、作法に関しては信用が置けるが、その他に関して私は心を開いていない。


それでも、アネットのことに関しては感謝しかなかった。

アネットはたぶん、王宮の舞踏会に出ても恥ずかしくないようになっている。

私もうかうかしていられないわね。


そんな考えでいると、馬車は完全にとまっていた。


「ありがとう、アイオロス」

なぜか、今言わなくてはならない気がした。

アイオロスは、一瞬驚いた顔になったが、すぐいつもの冷静な執事になっていた。


「もったいないお言葉」

それだけ言うと、アイオロスは私たちに背を向けていた。


アイオロスは先に降りると、あたりを見回していた。

アネットが下りようとするのを待ち、その手を取って、アネットが降りるのを手助けしていた。


アネットはいつもの髪型ではなく、赤髪を後ろで束ねている。

ドレス姿も相まって、いつもの子供らしさはどこにもなかった。

すらりとしたその姿勢は気品に満ち、とても優雅なふるまいを見せている。

淑女という言葉が本当に似合っていた。

当然、周囲から感嘆の声が上がっている。


当然よね。


連れてきてよかった。

私まで、なんだかうれしい気分になっていた。



***


馬車から降りて、ほっと一息吐き出した。


緊張でお腹が痛くなる。

でも、弱音を吐いてはいられない。

せっかく誘ってくれたルナ様に、恥をかかせるわけにはいかなかった。

最初の一歩を踏み出した。

今も、周りで何か騒いでいるけど、そんなことに気を配る余裕なんてないわ。


ルナ様が出てくるのを見守る。

アイオロスさんが手を取っている。

私もあんな風におろされたんだ。

なんだかよく覚えてなかった。

ただ、降りた時に、周りに騒がれたのだけはわかった。

最初、何かしでかしたのかと思って焦ったわ。

アイオロスさんが教えてくれなければ、私は逃げだしたかもしれないわね。


しかし、私の時にあれだけ騒がれたんだから、ルナ様を見た人は倒れるんじゃないかしらね。


そして次に馬車から降りたその姿を見た人は、声にならない声を出していた。


やっぱりルナ様だわ。


比べる方がおかしいんだわ。


思わず私まで見とれてしまう。

さっきまで馬車にいた時とは別人。

これが貴族なんだ……。


金色に流れるような髪は、とても美しくきらめいている。

深い憂いをたたえたような瞳に、白く澄んだ雪のような素肌。

ほのかな朱色の頬は、命のぬくもりを感じさせる。

そして、わずかにほころびを見せる唇。

風でかかる髪を分けるしぐさも華麗で、しかも、自然とにこやかに目で微笑みを配っている。


その姿、仕草のどれもが美しかった。


もう別世界の人だと思うことにした。

そして、同時に場違いなことも思い浮かべていた。


ヘリオス様もこの衣装来たら間違いなくこの雰囲気ね。


思わず、想像してしまった。


私は吹き出しそうになるのを、必死で抑え込んでいた。

私の中で、ヘリオス様が困った顔をしていた。


「なに、アネット?何か楽しいことでもあったのかしら?」

ルナ様は、突然笑いをこらえる私を、不思議そうな顔でみている。

確かにそうだろう。

でも、あれだけの美少女が、困った顔でいるドレス姿を想像したら、笑うなといわれる方が難しいわ。


「秘密です」

そう言って手にした扇で口元を隠す。

アイオロスさん直伝の所作なの。

秘密は、女性を魅力的にするらしいわよ、ルナ様。

まあ、あなたも十分秘密を抱えているからかしらね。

そんなことを考えていると、いつの間にか、緊張がなくなっていた。


ありがとう、ヘリオス様。

また、助けられましたね。



「変なアネット。でも緊張が取れてよかったわ。さあ、まいりましょう」

そう言ってルナ様は私にささやいてきた。

ここからは、大きな声は出せない。

おしとやかに、おしとやかに。


普段の元気な私は、今日はお休みだ。

さあ、まいりますわよ。

私は自分に決意を語っていた。



「ルナ様。それでは、一度退散いたします。ご予定の時間には参りますので、ご無礼ご容赦ください」

アイオロスさんは自分の不在を詫びていた。

前から言っていたことだけど、本当に帰っちゃうんだ。


「いいです、アイオロス。ここは貴族の、しかも子爵家の屋敷ですから、それなりの警護はあるはずです。それに、これだけの貴族がいて、何かするとも思えません」

ルナ様は自分の見解を素直に話していた。

その目はアイオロスさんをじっと見つめていた。


「はい。ただ、従者として申し訳なく……」

アイオロスさんは、そう言って頭を下げていた。

まるでその視線から逃げるような感じ……。

そう言えば、さっきから私の方には一切顔を向けていない。



「お父様の用件でしょうから、それを優先なさってください」

ルナ様は若干冷たく言い放っていた。


「……」

無言でお辞儀をして、アイオロスさんは馬車で屋敷に帰っていった。


ほんの一瞬、何かを言いかけたアイオロスさん。

何が言いたかったのだろう?


そして、悲しそうな表情をしたルナ様。

ヘリオス様もそうだけど、英雄マルスの家族って複雑だわね。


貴族の家ってそうなのかしら。

今度お母さんに聞いてみよう。


「さあ、まいりましょう。来た以上は楽しみますよ」

笑顔を取り戻したルナ様は、私の手を取り、中庭へと向かう。


そうですね。

私は楽しめるかどうかわかりませんが、努力はしてみます。

心の中のヘリオス様が、にっこりほほ笑んでくれていた。



***



「正直げんなりしたわ」

アネットは庭にある展望小屋ガゼボに座ってため息交じりにそうつぶやいていた。


「わたし、平民でよかったかも。ルナ様、ごめんなさいね」

心底疲れ果てた声でそう謝るアネットは、いつものアネットだった。


「貴族のだれもがああではないのよ。ただ、そうしないといけない不文律みたいのものがあるのよね。私も正直まいっているけど、煙か何かと思えば、まあ何とかなるものよ」

そう、気にしなければいい。

でも、近寄ると息苦しいから近寄らない。



「結構辛辣ね。初めて見たわ、ルナ様のそんな顔」

そう言ってからかってきた。


「あら、私は容赦なくてよ」

挑戦的な目でアネットを見つめる。


本当に疲れ果てたようなアネットを見て、先ほどまでのやり取りを思い出していた。


私達はこの茶会でも注目の的だった。

とくに辺境伯令嬢である私には、話をするために列ができていたほどだった。

アネットもその隣で囲まれており、私と話すらできなかった。

そう言えば、アネットは何を話してたんだろう。

ちょっと聞いてみよう。

そう思った時に、アネットは先ほどのやり取りを説明してきた。


「しかし、なにあれ、服のこととかはいいですよ、私も興味あるし。でも、天気なんて見りゃわかるのに、延々と話されても……。挙句の果てに来週の天気はどうでしょうなんて、私にわかるわけないじゃない」

本当にどうでもいい会話だった。


「会話の中身なんてどうでもいいのよ、要は周りの人間に親しく話していたという印象がのこればいいのよ」

一応説明しておく。

貴族のつながりって、ほんと息がつまる。


「わたしなんて、途中から、『そうですか、おほほ』としか言ってません」

私は会話すら聞いていない。


「それ、意味なくない?」

小さな叫び。

さすがアネット。

いつもの声は出さなかった。


「だから言ったでしょ?体面だけなんだって。真実とか意味とはどうでもいいのよ。貴族にとって体裁がすべて……。そこにまきこまれるなんて……」

不意に私の目から涙が零れ落ちてきた。


どうしよう、涙が止まらない。


「お願い、このことは秘密に……」

こんな姿、誰にも見られてはいけない。

もう一人のわたしが、泣くはずなかった。


アネットはただ頷くと、一言だけ告げてきた。


「大丈夫ですルナ様。私にできることがあれば、おっしゃってくださいね」

アネットの配慮がありがたい。

この子と知り合えて、本当によかった。



***



その後も私は疲れる中で、貴族というものを知り始めていた。

さっきルナ様が言ったように、体裁、体面を重視している。


それを満たすように会話すれば、始終ご機嫌だった。


お母さんの言ってた事ってこういうことかな……。


商売にとって駆け引きは重要なこと。

目利きにしても大事なこと。


でも、貴族相手にはそれがかえって邪魔することになるんだわ。

自然とヘリオス様との出会いを思い出していた。


あの時、ヘリオス様がいなかったら、私どうなってたんだろ?


コネリーの言うように四大貴族に連なる人たちを相手にして、ただで済んだとは思えない。


あの場にヘリオス様がいてくださったからか……。

この場にいないヘリオス様に感謝しても、感謝しきれなかった。

それでも、心の中のヘリオス様は、いつも私にほほ笑んでくれる。


あれ……。

何だか変な感じ。

体の力が抜けるような……。


不意の眠気と、脱力感を感じたが、私はそれに抗うことができなかった。


ヘリオス様……。


そうして私は闇の中に引きずり込まれていった。



***



正直言うと、もう限界だわ。


アネットにそう言ったものの、私はアネットの倍以上の人の相手をしている。

そのほとんどが、お父様へのご機嫌取りだった。

何とかして繋がりを持とうとしているのは明らかだ。


最初、この話は断っていた。

ここの子爵様を知っているわけではない。

王都でもお会いしたこともたぶんない。


しかし、何かの力が働いたらしく、珍しくお父様からの指示がきていた。

最初その手紙を受け取った時には、手の震えが止まらなかった。


ひょっとすると、ばれたのかもしれない。

そう思ったけど、そうじゃなかった。


手紙には簡単に、――出席せよ――とだけ書かれてあった。

アイオロスに聞いても、何かする必要はないみたいだった。


だからアネットを誘うこともできたのだけど……。


そのアネットを見て、素直にきれいと思った。

赤毛の髪は普段は幼い少女を、快活な雰囲気で彩っている。

しかし、今日のようにドレス姿で髪を束ねた姿は、かなり大人びて見えていた。


ヘリオス兄様がこの姿を見たときにどう思うだろう……


普段、ヘリオス兄様が偶然店に来たときは、奥に隠れるようにしていた。

そこからヘリオス兄様を覗き見る。


アネットとヘリオス兄様は、いつも楽しそうに話している。

私もあのようにお話ししたい。

その日はいつまでも、もやもやした感じを引きずってしまい、自分が嫌になる。


そんな思いも、繰り返されるうち、いつしかそれ以上を望んでいた。


私のこの姿を見てもらいたかった……。

もう私はあの時のような小さな子供じゃない。


一人の女性として見てほしい……。


いけない、いけない。

今はダメだ。

今の自分はこの指輪の自分を演じないといけない。


アネットにはさっき不覚にも涙を見せてしまった。

たぶん大丈夫とは思うが、何処からどうなるかわからない。

まあ、アネットからばれることは無いでしょう。


自然とアネットの方を見た。

アネットは少しふらついている。

なんだか危なそうなので、急いでアネットの方に駆け寄った。


「アネット!?」

糸が切れるように、アネットの体が力を失い崩れ落ちた。

飛び込むように手を伸ばし、何とか頭を打ち付けることだけは防ぐことができた。


これは……。

睡眠薬……?

いえ、魔法?


訳が分からない。

思いつく魔法を使ってみたけど、効果がない。


けど、安らかな寝息を立てている……。


状態はわからないけど、緊急性はなさそうね。

でも、ここでは休ませることができないわ。

それに、この状態を引き起こした人から守るのも難しい。


「だれか手を貸してちょうだい」

周囲の人にアネットを運ぶように指示を出す。

私の迫力に押されたのか、周囲の貴族も対応してくれていた。


「屋敷の中へ」

魔法をかけたのであれば、周りにまだいるはず。

周囲を注意深く観察したが、それらしい動きは見られなかった。


それにしても、異常回復リカバリー解毒デトキシファイに反応しないなんて……。


とっさに唱えた信仰系魔法に反応しないアネット。


私の知らない薬物?

それとも魔法?

精神疲労メンタルファティーグかなにかかも……。

いずれにせよ、敵意を持った存在がいることは確かだわ。


そういえば、何人かが気分不良で屋敷で休んでいるような会話があったような……。

参加者が噂していた内容を思い出す。

倒れたのはみんな少女ばかりだ。


だとすると、ここは退散した方がよさそう。

この屋敷には、何らかの悪意を持った存在がいるんだわ。


その標的に、アネットが選ばれた。

ごめんなさい、アネット。

こんなことなら連れてくるんじゃなかった。


アネットは貴族じゃない。

こんな薄汚れた世界に連れてくるんじゃなかった……。


「一刻も早くこの場から退散しないと……」

周りにはもう誰もいなくなっていた。


さすがに、私一人ではアネットを抱えて歩けない……。

アイオロスがいてくれたらと思うが、それは無理な相談だろう。

今も、お父様の命令で何かをしているに違いない。


あの人は執事であり、暗殺者だ。

その仕事は、私が口出ししていいものじゃないとわかってる。

でも、それでも……。


つい、張りつめていた気が緩んでしまったのかもしれない。

私の精神に何者かが干渉してきた。


必死に抵抗する。

これでも、魔法抵抗はメルクーア継母かあさまから基礎は仕込まれている。

意識をしっかり持って、体内の魔力マナを張り巡らせる。


そうして体勢を崩しながらも、耐えることができていた。

今も続けてやってくるその干渉に、意識を保とうと必死にあらがう。


何人かが部屋に入ってきて、アネットの方に向かっていく。


意識をそちらに向けた時に、女の声が聞こえてきた。


「あら、意外にいい根性ね。気に入ったわ」

女は何事かを唱えていた。


言い知れない不快感。

それから逃げ出そうと抗うが、体がすでに動かない。


「これは……。呪いの一種ね……。アネット……」

これ以上は私の力では無理だ。


運び出されるアネットを見ながら、私の意識は閉ざされていった。



***



「デント先輩。俺、緊急招集かかったから行きますね。すんません」

そう言って男は張り込んでいた場所から警備隊本部の方に走って行った。

緊急招集ならやむを得ない。

しかし、何か都合がよすぎる気がする。


「おかしい……。静かすぎる」

小さな悲鳴が確かに聞こえた。

しかし、集音の魔道具も、さっきから何も反応していない。

そして、その後に騒動は起こっていなかった。


何もないところで、悲鳴は起きない。


そして、何かが起こった場合、貴族は我先に安全を確保する。

何かが起きた以上、貴族は逃げるのが常識だ。

しかし、誰一人屋敷から出る者はいなかった。


表門の方はわからないが、裏門の方は実に穏やかだった。


「待つしかないか……」

裏門のそばで遊んでいた子供たちは、屋敷の使用人によってずいぶん前に追い払われている。

ここは俺しか見ていない。

そう思っていると妙な雰囲気が漂ってきた。


「くる」

俺の直感が、何かくることを教えてくれている。

長年つちかった感だ。

周囲を警戒しつつ、追跡の態勢に入る。

そして注意深く、裏門に意識を向けた。


緊張から、口が渇きだす。

喉が潤いを求めてくる。

それらを無視して、意識を裏門に向けつづけていた。


そして、門が開け放たれた瞬間、俺は行動を開始しようとした。

しかし、その望みはかなえられず、そのまま前のめりに倒れてしまった。


俺の体は麻痺していた。

油断した。

あまりに意識を門の方に向けすぎた。

顔が裏門の方に向いていたのは幸いだったが、己の不注意を呪っていた。


大きめの馬車が突然猛スピードで裏門から走り抜ける。

その馬車には紋章がついてあった。


あれは城門守備隊には手出しできないものだ。


ゾンマー家か……。

体は麻痺しているが、思考はできる。

この見張りを麻痺させる手口、それは少女誘拐犯がよく使う手口だった。

俺は見張りではないが、見張っていると言えば、見張っている。


その手口は公開されていない。


これの意味するところは、あの集団が少女誘拐犯の仕業の可能性が極めて高いということだ。

屋敷からの運搬は、アイツらが請け負っていた。

そして御者の一人は、あの時受付にいた奴だ。


しかも、それを使っているものが、ゾンマー家の紋章のついた馬車を用いている。

紋章には、魔術的刻印が記されている。

偽造しようがない。


アイツらとゾンマー家。

そのつながりはわからないが、何らかの接点があることは確かだ。


くそ、警備隊に連絡さえできれば……。


あの紋章のついた馬車に対して、城門で誰何の権限は守備隊には与えられていない。

しかし、警備隊にはその権限があった。


くそ!もう少し連れてればよかった……。


麻痺が早くとれるように、精神を集中して麻痺を破ろうと努力を続ける。

しかし、俺の背後に何者かが立つ気配がした。


一瞬で心臓を握られたような気配。

暗殺者が一瞬見せる気配だ。


そして、俺の意識は何者かの一撃で刈り取られていった。



***



「おそいな……お姉ちゃん……。そんなにかかるって言ってたかな……」

今の季節は、暗くなり始めるとすぐに暗くなる。


暗くならないうちに戻ると言ってた。

でも、あと少しで日が暮れる時間になる。


「ヘリオス様……」

不安になった時のおまじない。

僕を勇気づけてくれるおまじない。


一人で店番をした時も、優しく勇気づけてくれた人。

その顔を思い出すだけで、僕はいつも不安がなくなる。

けど、なぜか今日はそうならない。

代わりに、ヘリオス様の言ったことを思い出していた。


「コネリー。大事なことだからちゃんと覚えて対応しておくれ。僕と連絡を取りたいときにはこの魔道具に話しかけるといい。これと同じものをクラウスにも渡しているから、何かあったらお互いに助け合ってくれないかい」

その魔道具はいつも持ち歩いていた。

これも僕にとってお守りだ。


簡単に使うわけにはいかない。

でも、使いどころを間違えてもいけない。

そんな気がしていた。


「とりあえず場所はわかってるから、探しにいってみよう」

メーア子爵の屋敷にいけば、何かわかるかもしれない。

僕の不安はたぶんお姉ちゃんの顔を見ないと収まらない。

ヘリオス様は、僕にいけと言ってるんだ。


店を閉めよう。

お母さんもたぶんわかってくれる。

お姉ちゃんに笑われても構わない。

だって、お姉ちゃんが心配だから。



***



今日ほどこの仕事が嫌になったことはない。


ここにきてから、ルナ様は健気に振舞っていた。


あの日から、わしの一存で屋敷からつれてきた使用人はすべて帰している。


今は王都で雇い入れた使用人だけになっていたが、その者達に対しても、わしに対応するのと同様に、ルナ様は気を張って過ごしていた。


雰囲気が違うんですよ、ルナ様。


残念ながら、あなたに芝居はできません。

それでも芝居を続けるルナ様に、わずかながら応援したくなっていた。

しかし、それも今日で終わりです。


申し訳ありませんが、わしは義務を果たさなければならない。


眠らされたかのようなルナ様に対して、もう一度謝罪する。


今まさに、そのルナ様が馬車の中に連れ込まれていた。

他にも四人の少女がその馬車に乗せられていく。


アネット、あなたまで巻き込んで申し訳ありません。


アネットが連れて行かれる。

胸が締め付けられる思いだ。

あの頃の……。


アネット、短かったですが、あなたを見ると孫娘ができた気分でしたよ。


わしたちの子は、こんな感じだろう。

その子が子供を産めば、こんな感じだろう。

久しく乾いていたわしの心に、潤いを与えてくれた。


アネットが馬車に入れられる……。

わしの教えたことを見事に吸収していくアネット、わしは顔がゆるむのを何度も自覚していた。

やるせなさと、悔しさが入り混じる。


できるのであれば、このまま乱入して二人を救いたい。


二人を救いたい……?

わしは救いたいと思ったのか?


ふと出てきた自分の感情に揺さぶられる。

しかし、そうしている間に少女たちは全員馬車に入れられていた。


その一部始終を記録映像として魔道具に残していた。

それが主命。

割り切れない思いがこだまする。

しかし、すべてを記録しなければならない。


せめて見送ろう。

どこかで許しを請おうとしているのかもしれない。

わしは頭を下げていた。


そして向こうにいるネズミを黙らせる。

命まで奪う必要はない。

そんな命令は受けていない。


ただ、王都から離れるまではおとなしくしてもらわないと……。


黙らせたネズミがいたところは、もっとよく見えるとこだった。

再び記録を開始する。


その時、ルナ様を乗せた馬車は恐るべき速さで屋敷を出て行った。

その馬車の紋章。

ゾンマー家の紋章もしっかりと映像に残されていた。


わしの仕事は、これで終わりだ。


学士院アカデミーの退学許可は、朝デルバー学長に提出した。

そして屋敷の引っ越しも、今頃は終わっているだろう。


もうこの場所に用事がない。


しかし、なぜか離れる気になれなかった。

それは、デルバー学長の言葉が原因だろう。

別れ際に言ったその言葉、なぜか今蘇ってきた。


「それでは、アイオロスよ。古い友人よ。ヘリオスを理解するものよ。お主はいい加減解放された方がいい。お主は何のためについて行ったのじゃ?そのことを思い出すがよかろう。そして、ヘリオスを理解するものとして、言っておく。お主に与えられた仕事が終わっても、最後まで屋敷の周りをしっかりと見届けよ。お前さんがそれをどう思うかは、アイオロス。お前さんに任せるがの。そして迷ったなら、わしに話してほしい。今度こそ、わしに手伝わせてくれ」

デルバー学長の目はまっすぐにわしを見ていた。


時の流れは、感情を風化させていく。

今のわしには、あの時のような憤りはない。

ただ、デルバー学長、あんたはまだ気にしてたんだな……。


そして、そのままの状態で待っていた。

記録映像はすでに確認して、袋にしまってある。

後はこれを届けるだけのはずだ。


なぜこの場に居続ける?

その問いに、答えるものはいない。


何度となく繰り返されたその問いのなか、すっかり日が暮れていく。

その時、わしの目はあの少年たちをとらえていた。


ヘリオス様が救ったスラムの少年とハンナの店のコネリーが、それぞれこの場所に来ていた。

なぜここに?

コネリーはわかる。

アネットのことが心配になったのだろう。

しかし、あのスラムの子は?


ばったり出会った二人は、何やら話していた。

その様子は、お互いに信頼しているような感じがあった。

スラムの子がコネリーの肩に手を置いている。

うろたえるコネリーに、何か必死に訴えている。


スラムの子が、街の子を励ましているのか?


スラムの子と街の子が?

一体何が起きている……。


ここでは聞こえない。

近くまで行ってみるか……。


暗殺者として鍛えた能力をふんだんに発揮して、少年たちの会話が聞こえるところまで近づいていた。


「助けて、ヘリオス様。お姉ちゃんが、お姉ちゃんが……」

「ヘリオス様、やっぱりあいつらだよ!あいつらが、かんでたよ!」


それぞれが、それぞれの報告をしていた。

それぞれが、魔道具を持っている。

その相手は、二人ともヘリオス様だった。



「魔道具?ヘリオス様が渡していた?しかし、今更どうすることもできないだろう……」


コネリーの悲痛な叫びを聞いて、やるせない思いにとらわれていた。


アネットを見殺しにした。

まだ、これからいろいろ人生を楽しむことができる年代だ。

それを、このわしの手で……。

罪の意識が、さっきよりも激しく攻め立てる。

アネットにわしがしたことは、結果的にはわしの悲しみの原因と同じではないか。


まぶたを閉じれば、いつもわしに微笑みかけてくれるあの笑顔が、今は悲しみの顔になっていた。

一体わしは何をしているんだ……。


わしの思考をさえぎるように、コネリーの明るい声が、聞こえてきた。

「うん、わかった。店で待つね。お願いだよ。ヘリオス様」

コネリーの声は希望に満ち溢れていた。

この少年が、ヘリオス様のことを心の底から信じているからだろう。


「よかったな」

「うん、クラウス。ありがとう。僕はこれからお姉ちゃんのためにあったかいものを作っておくよ」

「へえ、いいなぁ」

スラムの子と街の子が肩を寄せて話している。


「よかったら君もおいでよ、クラウス」

コネリーは笑顔だ。

心配はあるのだろう、でも、笑顔ができるようになっている。


「んーじゃあ、おいらも一緒に待たせてもらおうかな。アネット姉ちゃんが帰った時に、二人で文句言おうぜ」

クラウスの方も抵抗がなかった。

コネリーを心配そうに見ている。

コネリーのそばにいることを選んだのだろう。


わしは唖然としていた。


市民がスラムの子を食事に招待するなんてありえなかった。

少なくとも自分の知っている世界ではありえなかった。

しかも、形式ではない。

お互いに思いやる関係ができている。

ヘリオス様を中心として、この二人には確かなきずなが存在していた。


なぜかデルバー学長の言葉がよみがえる。

「お前さんがそれをどう思うかは、アイオロス。お前さんに任せるがの」


デルバー学長が言いたかったのは、このことなのだろうか?


「デイオペア……わしは……」

思わず出たその言葉を胸に、少年たちを見送る。


仲良く歩いている姿、あれはわしたちが求めたものじゃないのか?

まだ、歩き始めたばかりだろう。

でも、こんな年になっても、わしには、マルス様ですらできなかった。


それを、王都に来て2年もたたずに……。


わしは道を誤ったのか?

デイオペア……。


記録映像の入った袋を、ただぼんやりと眺めていた。


アネットとルナは誘拐されていきました。その姿を記録として残すアイオロスはどう指示されて、どう行動するのでしょうか

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