思惑
様々な思いが入り乱れております。
「行ったようだな。本当に行ったんだな……。とにかく報告だ」
学士院の入り口の前を注意深く見守っていた男が、木の陰からゆっくりと姿を現していた。
あたりに人がいないことを確認して、そうつぶやいたその言葉は、自分自身に向けたもののはずだった。
再度周囲に人の気配がないことを確認すると、男はゆっくりと歩き始めていた。
突如、グリフォンが短く吠えた
それを聞いて、男は足を止めていた。
その男の背中には、小さな光がついていた。
それはやがて、周囲の光と同化して、誰の目にも見えなくなっていた。
周囲を注意深く警戒し、何もないことを確認すると、男はまた、歩き出していた。
その先には伯爵以上の子弟が住む屋敷がみえていた。
*
「出立いたしました。これで、この王都には、彼女の守るものはいません。ディーン様、予定通りです」
そう言って男は頭を下げた。
「お前に仕事を頼むのは、兄上に申し訳ないのだけれど、今回は仕方がないのだ。ああ、あの女の後悔と悲鳴を想像するだけで、私の心は癒される」
ディーンは卑猥な笑みを浮かべていた。
「よし、では手筈通りに頼む。予定通り進んでいるとモンターク殿にも伝えておいてくれ。私は、もう少し寝るので、お前はあとの連中にも話しておいてくれ」
ディーンはそういうと、もう眠そうにしていた。
「御意」
男は短くそう告げると、ディーンの部屋を出て行った。
そして、同じ階にあるモンタークの部屋で来訪を告げていた。
取り次いだ執事と、二言三言やり取りを交わして、男はその場を後にしていた。
男が立ち去るその時に、男の背中から抜け出していた光は、執事の足元からこっそりと部屋に入りこんでいた。
その光は執事の背中に回り込むと、先ほどと同じように消えていた。
「モンターク様」
執事はすでに起きて紅茶を飲んでいる主人に対して、来訪者とその要件を告げていた。
はじめ満足そうに頷くモンタークは、ついにこらえきれなくなり、大笑いしていた。
「やっぱりあいつは愚か者だ。こんな見え透いた手にひっかかるとはな。私なら動かんよ。さあ、大切なものを失う気分はどうかな、ヘリオス。お前のその顔が悲しみに満ち溢れるのを早く見たいものだ」
そう言ってまた笑い出していた。
「トーマス。お前の手下は呼び戻してもいいぞ。トラバキの方は今回はなしだ。今、あそこは安定しているほうが良いからな。わざわざ騒動を巻き起こすことはあるまい。ただ、途中の足止めだけはやっておけ」
そう言ってモンタークは、別に用意していた謀略を解除していたようだった。
「あと4日。ヘリオス。楽しみだよ」
そう言って今度は笑いを押し殺していた。
***
「おまえたち、ぬかりはないかい」
女は手下の男たちに、手筈を確認していた。
「はい、姉さん。小屋の方も、その後のルートもすべて整えてあります。いつも通りでさ」
男が問題ないことを告げていた。
「ただ、気がかりなことが一つありやした。例の斡旋所の所長が何やら嗅ぎまわっておりやす。あの貴族の屋敷もひそかに固められてやす」
もう一人の男がそう報告していた。
「あっしのほうは、たいしたことありやせんぜ、姉さん。最近あの辺をガキどもが遊び場にしたようで、追っ払っときました」
また別の男がそう報告していた。
「例の女の方は変わりありません。もう一人連れて行くようで、今日も連れ立って歩いてました」
まともそうな顔した手下がそう言って標的の報告をしていた。
「依頼主からはすべて順調といってきました」
5人目の男が最後にそう報告していた。
「よし、斡旋所の所長は元警備隊員だ。そっちは陽動かけるよ。いつものタレこみだ。子供はほっときな。馬車は森に5台待機しておいてくれ、それぞれに1台ずついつものように。それと今回娘は5人になるようだから、少し大きめのを使うよ。王都からの馬車は例の貴族から借りときな」
そう言って女は抜かりがないことを確認していた。
「ああ、ようやくこれで伯爵様の……」
女はその甘美な言葉を自分ではいて、自分で酔っているようだった。
女のすぐ後ろで、小さな光が一瞬光って消えていった。
***
「貴族名を出しているなんて、仕方ないとはいえ、今回ほど簡単なものはないな」
デントは思わずそう口にしていた。
「そう思うんならデント先輩、なにもこんな時間から張り込まなくてもいいじゃないですか。おれ、今日休みなんですよ」
そう言って男はデントを非難していた。
「正規の仕事中にこんなことさせられないだろ、休みの日だからだよ。おまえ、俺に貸しいくつあったけ?」
そう言って男に脅しをかける。
「へいへい。デント所長様。俺もそっちで雇ってくれないですかね」
そう言って男は両手を上げていた。
「けど、ほんとにここで誘拐が発生しますか?」
男は路地で遊んでいる子供を指さしていた。
遊んでいるのはスラムの子たちだ。
なぜこんなところに?
男はそう言いたげだった。
デントは順番に少年たちを見ていた。
ある少年は、遊びながらも、周囲に気を配っている。
また違う少年は屋敷の出入り口で見張りをしている。
全員で、何らかの変化に対応できるようにしている。
スラムの少年たちは、王都では厄介者だ。
貴族の屋敷近くで遊んでいると、警備隊を呼ばれる可能性が高い。
だから、こんなところでは遊ばない。
しかし、今はその常識が崩れている。
屋敷も通報していない。
少年たちは遊んでいるというよりも、ただ騒いでいるといった感じだった。
普段の常識が通用しないということは、何かが起きるともいえた。
そして、その中に見知った顔を見つけた様子のデントは、確信をもって答えていた。
「ああ、なんせ俺には勝利の女神いや、あれでも男だから、神がついているからな」
そう言ってデントは自分の間違いを鼻で笑っていた。
「そんな神様がいるんですかねー。少なくとも、今の所長様の周りには、なんだか光るものがあるみたいですけどね。あれ?気のせいですかね」
男は、肩をすくめて見張りを続けていた。
「実際お前も救われた口だよ」
デントは小さくつぶやいていた。
***
「とにかく、あそこで遊ぶ。そしたらおいらの宝をやる。それでいいだろ?」
クラウスは仲間の子供たちに、遊び場所を限定していた。
「でもあそこって、貴族の家だぜ、通報されたらどうするんだよ。俺、危ない目にはあいたくないぜ」
少年は文句を言っていた。
「大丈夫だよ、決まった時間だけ、あそこにいるといいんだ」
クラウスは苦しそうにそう言っていた。
「確かに危険かもしれないけどさ、それでも、少しでいいんだ、大丈夫だよ、たぶん」
言っていることがめちゃくちゃだった。
自分でも何言っているかわからなくなったのだろう、それ以上は説明しなかった。
「とにかく頼むよ。おいらの宝全部やるから」
ただ、必死に頼んでいた。
「おい、クラウス。おまえ、何を隠してる。リーダーである俺にも言えないのか?」
それまで黙って話を聞いていた少年が、クラウスをじっと見て話しかけてきた。
他の少年とは体つきが違う。
そして、その目は鋭かった。
その目をみて、クラウスは一瞬たじろぎ、そしてうつむいていた。
「ベン……」
クラウスは自分たちのリーダーである少年をみて覚悟を決めたようだった。
「おいらの姉ちゃんのことは知ってるだろ?あの時の騒動、その時にいた人のこと覚えてるかい?」
クラウスはスラムであった騒動を話していた。
あの時のことはスラム中が話題にしていたので知らないものはいないはずだった。
「ああ、俺もあそこにいたからな。あの女のような兄ちゃんがお前の姉ちゃんをかばったやつだろ。おれもあの時あの場で魔法の餌食になりかけた。けど、あの兄ちゃんがスラムの人間に守りをかけたって話だ。警備隊がそう話してるのを聞いたよ」
ベンは自分の知っていることをクラウスに教えていた。
周囲の子供たちも、初耳だというもの、知っていたというもの、それぞれに分かれて話し始めていた。
「おいら知らなかったよ……。姉ちゃんを連れて行ったから……」
一瞬沈んだクラウスは、顔を輝かせて話し始めた。
「その兄ちゃんに、おいら恩返しをしたくて、あとをつけてたことがあるんだ。そしたら、近所の奴らに通報されて、警備隊につかまったんだ」
まわりで動揺する声が聞こえてきた。
何故出られた?
多くの少年は、その事を疑問に思っているようだった。
それをベンは手で遮る。
「その時に、その兄ちゃんが助けてくれたんだ。身元は自分が保証するって。何も悪いことしていない子がその存在だけでつかまるのなんておかしい。まちがってるって警備隊でおいらを守ってくれたんだ」
クラウスは涙交じりに訴えていた。
「だから、おいら恩返しがしたいんだ」
そして懐から小さな魔道具を取り出した。
「なんだか知らないけど、あの兄ちゃん、おいらを信用して何かあったらこれで連絡するようにって、この魔道具を渡したんだ」
あまりの展開に周りの子供たちは唖然という表情になっていた。
魔道具はどんなものでも相当な値打ちがある。
それをスラムの子供に渡すなんて考えられないことのようだった。
「それでも何かまでは教えてくれなかった。ただ、あの胡散臭い連中のことを聞いていただけだった。そのあと、おいらその兄ちゃんの紹介でハンナの店の人たちと知り合いになって、そこの子から、貴族の屋敷で開かれるパーティに、その兄ちゃんの妹が参加するって聞いたんだ」
クラウスの表情は必死だった。
ただ自分の知っていることをつなげて、話している。
「だから、何かあると思うんだ。兄ちゃんは何も言わなかったけど、あそこで。でも、これはカンだから……」
そう言って、それ以上は言えないという雰囲気でうつむいた。
「つまりは、俺たちを使って、あそこに世間の目を向けさせる。それも警備隊を含めてというわけか」
ベンはクラウスの目的を包み隠さずに周囲に告げていた。
仲間から言いようのない視線をむけられて、顔を上げられないクラウスは、うつむき続けるしかなかった。
沈黙があたりを支配していた。
静寂な中で、クラウスが鼻をすする音だけが聞こえる。
皆、ベンの話を待っていた。
ベンは目をつぶり、自分の考えをまとめているようだった。
「クラウス。俺たちは仲間を危険には巻き込めない」
クラウスを見つめて静かにそう告げていた。
一瞬体を硬直させたクラウスは、ゆっくりと顔を上げていた。
そこには自分一人でもやるという強い意志があった。
「ただな、俺は恩人を見捨てることはしないし、仲間を危険から守るのも仲間だと思う」
クラウスはベンの言っていることが分からないようだった。
「だから、これは強制じゃない。分け前もない。参加したいもんだけが集まる遊びだ。場所はメーア子爵の屋敷近くの路地。わかったな!」
周囲から歓声が上がる。
取り残されたように唖然とするクラウスを見て、ベンはその肩に手を置いた。
「お前は俺たちの仲間だからな。その仲間を助けてくれた恩人は、俺の恩人でもある。そして俺たちを理解してくれる人かもしれない」
真剣な目でベンはそう告げていた。
「まあ、ちゃんとおわったら、俺たちにも紹介してくれ」
そう言ってベンは、歯を見せて笑っていた。
「ありがとう……ベン。みんな」
クラウスはうれしさで泣きながら感謝を告げていた。
その様子を見て、子供たちはますます盛り上がって行った。
少年たちの頭上を、小さな光が楽しそうに動き回っていた。
***
「おかあさん、こんなもんかな?」
苦労して身に着けた所作を、何度も何度も確認してくる。
どれだけうまくなっても、不安はとれないのだろう。
それも仕方がない。
私だってそうだった。
ルナ様のところで、最低限のマナーを教わったとはいえ、実際に使ったことがないのだ。
その不安は無理がなった。
「大丈夫だよお姉ちゃん、すごく上手だもん」
コネリーはそんな姉を尊敬の目で見つめている。
このところ、アネットはルナ様のところで修行をしていた分、私が配達に出るときには、自然とこの子が留守番だった。
最初は帰った時には涙ぐんでいたものだが、今は平気で留守番をこなしている。
留守中に、しっかりとお客さんと話して、売り上げを伸ばしてるのもこの子だ。
ひょっとすると、この子は引っ込み思案なだけで、商才があるのではと思ってしまった。
親ばかだわね。
でも、コネリーはよく勉強している。
たまに、ヘリオス様から何かを教わっているようだけど、それは私には内緒のようだった。
知らない間に、二人とも大きく育っている。
「2人がこんなに変化したのも、ルナ様のおかげかね」
きっかけを作ってくれたのは、ルナ様だ。
あの人に感謝しないといけないねぇ。
それと、アネットに言っとかなきゃいけない。
貴族がすべて、アデリシア様のような人ではない。
この子にわかるように説明するには、アデリシア様ではだめね。
もっと身近に、もっと特殊な人がいた。
その事はわかってないといけない。
「アネット、貴族の世界というのを一度見ておくことは必要だよ。わたしも小さい時にそういう経験をしとけばよかったと思うよ。まあ、私の場合はちょっと特殊な貴族社会はしっているけどね」
アデリシア様の前では、みんな丁寧に接してくれたからわからなかった。
貴族は皆、私ではなく、私の後ろにいるアデリシア様を見ていた。
私は、それが理解できていなかった。
「あんたは本当についてるよ。ヘリオス様と知り合いになれたことが大きいかね」
ヘリオス様のおかげで、ここの生活が変化した。
「そうだね、お姉ちゃんひょっとしたら不敬罪でつかまってたかもね」
コネリーはアネットをからかっていた。
自信が付いた子供は、どんどん成長する。
いま、コネリーは伸び盛りだろう。
「あんただって、一人で店番できずに、今でもこそこそしてたかもね!」
アネットも負けずに応戦していた。
しばらく睨み合っていた二人は思わず吹き出して、笑っていた。
自分たちの変化を、お互いに知っているからだろう。
私がとやかく言うまでもなかったけど、私が言いたいのはそういう事じゃない。
「あんた達、よくお聞き」
どんなにふざけていたとしても、この子たちは雰囲気をよく感じ取れる。
私が真剣なことを言うのが分かっているのだろう。
ちゃんとそういう顔になっていた。
「この王都は、王様がいるから一応安全だよ。でもね、貴族社会を侮ると、手痛い目に合うよ。平民と貴族では、身分という垣根がある。あまり感じないかもしれないけど、ルナ様や、ユノ様、カール様やカルツ様、メレナ様にしても、それは変わらない。それは、心の垣根だからね」
悲しいが、これが現実さ。
生まれた時に貴族だったものは、どれだけ知識を持ってたとしても、貴族としてふるまわなければならない。
自然と出てくるものだ。
生まれの差というものは。
「ただね、ヘリオス様だけは違う気はする。あの人は平民とも、身分的にはその下にいるスラムの住人さえも友達になっていく人だ。しかも、それが不自然だとは思っていない。私もずいぶんいろんな人を見てきたけど、そんな感じを持っているのは二人目だよ」
それは常識では考えられないことだ。
貴族として生まれながら、貴族ではない社会を知っているかのような……。
マルス様とヘリオス様。
この二人に共通するのは、親子というだけでなく、そういう雰囲気を持っているということだった。
以前いわれた、デルバー学長の言葉を思い出す。
「ハンナ、人は自分と他人を知らず知らずに物差しで測っておる。そして、その上下をつけたがるんじゃよ。それは人の業ともいえる。だからそれをわかったうえで、対応するとよい」
そう言って悲しそうな顔をしたデルバー学長の顔は今でも忘れない。
そんなデルバー学長も、マルス様はわからないと言っていた。
たぶん、ヘリオス様もそうに違いない。
「どうなっているのかデルバー学長に聞いてみたいもんだね」
おもわず声に出していたその言葉に子供たちが反応した。
「なになに、何を聞くの?ヘリオス様のこと?」
コネリーは興味津々だった。
ヘリオス様にいろいろ教わっているからだろう。
ヘリオス様の事となると目の色が変わっている。
「あら、コネリーはよっぽどヘリオス様が好きなのね」
コネリーのその人懐っこい笑顔。
それが、私の心を癒してくれる。
「うん。だってヘリオス様優しいし、いろんなことを知ってるんだよ。僕、いつかヘリオス様の役に立ちたいんだ」
コネリーはそう宣言していた。
「頑張れ、コネリー」
アネットがコネリーの頭に手を置いて応援していた。
「それに、お姉ちゃんだってヘリオス様のことが大好きなんだよ。こないだだって寝言で言ってたもん」
しかし、コネリーはまだまだ子供だった。
「コネリー!」
その声を聞いて、コネリーは反射的に逃げていた。
顔を真っ赤にしてコネリーを追いかけるアネット。
その顔は恥ずかしさとうれしさでいっぱいだった。
本当に、いい出会いをありがとうございます。
今は探索に出ているヘリオス様に、もう一度お礼を言わなきゃね。
「どうかまたこの子たちに、あの笑顔で答えてあげてください」
一瞬、何かが光る。
柔らかで、暖かで、包み込んでくれるような光。
まるで、ヘリオス様が笑顔で答えてくれたような気がした。
ノルン大忙し!




