水と土と太陽と
ジ・ブラルタル農場へようこそ。
「えー? ここって要塞の中だよね」
頭の上から飛び立ったミミルが、感嘆の声を上げていた。
ホタルまで、驚きの声を上げている。
そこには見事なまでの畑が広がっていた。
空気には流れがあり、風として流れている。
水はきれいに透き通り。
土には活力があった。
そして、鳥が自由に飛んでいた。
なにより、ここには太陽がある。
天井付近に浮遊する光源。
熱と光を持ったそれは、まさしくこの世界の太陽だった。
「なんなのさ。ここ。ミミル的にびっくりなんだけど……」
俺に聞いているわけじゃない。
ただ、無意識に言葉に出ているのだろう。
興味を持ったミミルの視線は、様々なものをその対象としてとらえている。
「ここがこの要塞の最大農場エウローパでございます。他の場所は状態保存の魔法を生み出す魔道具が魔力枯渇していますので、すでに廃墟となっております。ここは数日前に魔力切れを起こしましたので、それほど影響はございません。ヘリオス様に慎重に作業いただいたおかげで、このように活気を取り戻しました」
要塞が飛行したことにより、細々と維持していた仕組みが一気に破たんしたのだろうか?
それにしても、危うかった。
これ以上遅れていたら、取り戻すのにも時間がかかる。
他の場所は仕方がない。
ここだけでも残っていたことが奇跡だろう。
いや、ひょっとするとここを守るために他を切り捨てたのかもしれない。
それは、ザロックに聞いても仕方がないことだ。
守りきる力がない場合、俺だってそうすると思う。
あらためてこの場所を見回してみる。
たしかに、この場所は通常以上の魔法の力で満たされている。
でも、ここにある命は自らの命で生きている。
状態保存の魔法は、あくまで状態を保存しているに過ぎない。
仮死状態なら、仮死状態のまま保存されるだろう。
生きるか死ぬかは、その命が決めることだ。
ここの命は、おそらく脈々とその命をつないできたのだろう。
閉ざされた世界で、何世代にわたっても……。
「ザロック。ここは閉鎖的過ぎる。そして、ホタルが住むには、狭すぎる。僕はここの天井を打ち抜いて、本当の太陽のもとでこの子たちを、ホタルを育みたい。それは許してくれるかい?」
思わず強い意志を込めてしまう。
頼んでいるようであるが、それは命令に聞こえるだろう。
「私どもは、マスターのご希望を叶える存在。マスターのお望みどおりにいたします。それと、天井だけでなく、この壁も、外部区画もすべて切り離せます。この施設は、用が済んだ場合、大地に根を下ろす設計となっております」
ザロックは淡々と説明していた。
「そうか、やっぱりそうだね。古代王国期の魔術師なら、そう考えるよね」
やはり俺の推測は正しかった。
「じゃあ、この中心となるところの案内してくれるかい? 今から、この砂漠は緑の大地によみがえる。その世界の中心には、ホタルの木がある方がいい。あとでエウリュディケも連れてくるよ。いや、今がいいか。ちょっとまってて」
ザロックが恭しく、頭を下げるのを見ながら、俺は瞬時に転移の魔法を使う。
頭の中に、戻る時には声をかけるように注意が聞こえる。
恐らく無理に入ろうとすると排除されるのだろう。
その仕組みはそのまま生かしておきたい。
そうして俺は、エウリュディケとホタルの本体のある森に降り立っていた。
***
待っていたのは、ほんの少しの時間に違いない。
待ち続けたザロックにとって、それは瞬きをするほどの時間でしかないのだろう。
俺の呼び掛けに、ザロックは恭しく応じていた。
頭の中に、あの場所のイメージが鮮明に描き出せた。
恐らく、ザロックが応じなければ、霞んで見えないに違いない。
大きな光の爆発に似たものが起きたのだろう。
ザロックが目を細めている。
「またせたね」
ザロックにそう告げて、その視線の先を振り返る。
相変わらず顔を真っ赤にして怒っているエウリュディケと笑顔のホタル。
申し訳ないけど、今は先に進めることを優先したい。
「いえ、ヘリオス様。では、こちらです。はじめましてエウリュディケ様。ザロックと申します。なにとぞよろしくお願いします」
当然のようにザロックは挨拶を行い、そして案内を再開する。
俺の後ろに付き従ったエウリュディケは、まだ繰り返し呟いていた。
「どうしたのさ?」
よほど気になったのだろう、ミミルがエウリュディケに尋ねている。
「いえ……。いきなりだったもので、心の準備が……」
表情は分からないが、口調からはもう怒ってはないのかな?
あの時は本当に考えなしに行動してしまった。
ミミルがそばにいたなら、その知識を引き出すことを考えたのかもしれない。
でも、たぶん急いでたから、結果は同じかもしれないな……。
相変わらず、ミミルが興味深そうに尋ねている。
そういえば、目撃者の口止めするのを忘れてた……。
「あのね。お父さんがいきなりエウリュディケの木を丸ごと抜いちゃったものだから、エウリュディケが丸裸になっちゃったの。お父さんの前で」
ホタルの声は、本当に楽しそうだった。
頼むから、蒸し返さないでほしい。
思わず振り返ると、エウリュディケは両手で顔を隠していた。
「ごめんよ、エウリュディケ。僕もドライアドのこともっと知らないとダメみたいだね……。急いでたとはいえ、本当にごめん」
立ち止まって、もう一度謝る。
ザロックも止まってくれていた。
制裁はすでにうけている。
俺の頬には手のあとがしっかりと残されていた。
「いえ、わたしも無礼を働き申し訳ございません。本来であれば、どのような罰であれお受けしますが、せめて、ホタルが一人前になるまでご猶予いただきたく……」
ようやく、落ち着いたのだろう。
自分の行った行為を考えたエウリュディケは、罪の重さで今度は青くなっている。
「じゃあ、それで許してね」
ここはなかったことにした方がいい。
俺も一応精霊王だし……。
「ヘリオス? 乙女の裸を見た罪が、そんなことで許されると思ってるの?」
いつの間にか目の前に来たミミルが、怒った顔のまま頭の上に座り始めた。
それは、まるで自分のことのような怒りだった。
「ミミル、痛いって。髪の毛が減るからやめて。いや、決して軽くあしらったわけじゃないから」
俺の抗議の声は、ホタルの笑い声にかき消されていく。
「ミミル様……。ミミル様を道化として登録いたしましょう」
それまでじっと様子を見ていたザロックが、静かにそう宣言してきた。
その言葉の意味を理解しかねて、ミミルの手は止まっている。
「ちょっ、道化ってなに? あたし?」
ミミルは、髪の毛をむしる手を止めて、ザロックの目の前で聞き直している。
「はい。そのような行為に及んでも、マスターから叱責を受けないのは、道化しか存在しないかと」
生真面目に答えるザロック。
その周りを、目を白黒させて飛び回るミミル。
必死に何かを言おうとしても、全く言葉にならないようで、体全体で何かを訴え続けていた。
そのやり取りに、エウリュディケが思わず小さく噴き出していた。
言葉の意味のとらえ方かもしれないが、楽しませるという意味ではミミルはまさにそうかもしれない。
そう思っているからだろう。
俺も笑いをこらえるのに必死で、ミミルに助け舟を出せないでいた。
「まさしく、道化師ミミル。登録完了です」
ミミルの体を張った訴えも空しく、ザロックは威厳を持って宣言していた。
「そんな肩書き、いらないわさー」
涙目のミミルの叫びに、ついに俺もエウリュディケもたまらず笑い出してしまった。
ホタルだけが、何のことかわからずに、首をかしげている。
「ねえ、お父さん。どうけって、なに?」
一瞬にして、再び肩車の状態になり、顔をのぞかせて真剣に尋ねてくるホタル。
自分だけが分かっていないことに、やや不安そうだ。
でも、この場でその意味を教えるのはよそう。
似合っていても、少しだけミミルがかわいそうだ。
今も、ザロックに取り消しを要求している。
本人はまだ受け入れられないのだ。
いや、ちょっとちがうか?
半ば受け入れているという感じかな?
さっきよりも真剣さが無いような感じがする。
「ホタル。ミミルがいない時に、教えてあげるね」
肩車をおろし、ホタルをそっと抱え上げて、その顔を見る。
今教えない理由があることを分かってもらうために。
そして再び、肩車する。
「ふーん。ミミルはどうけ。ミミルはどうけ」
覚えるように繰り返すホタル。
それを聞きつけたミミルが、今度はこっちに飛んできた。
「ちょっと。ホタル。それはないから!」
ザロックの方はあきらめたに違いない。
その顔は少し涙目だった。
ますますホタルは混乱しているに違いない。
「でも、みんな楽しそうだから、ミミルはどうけでいいんじゃない? あっ。ノルンにも教えあげよ」
ホタルはそう言うと、あっという間に消えていった。
相変わらず、ホタルとノルンは仲がいい。
というか、ノルンがいろいろ教えているからだろう。
今度はホタルが教える番か?
ひょっとすると、ミミルがいないところなら教えてもらえると思ったのだろうか?
「あー!」
追いすがるようなミミルの絶叫が、ジブラルタルの空間に大きくこだましていた。
次は14時です。頑張れミミル!




