ガイア会談(前編)
イングラム皇帝ジークフリード・クラウディウス・アウレリウスは砂漠でヘリオスを待っています。いっこうに現れないヘリオスにイライラしながら、皇帝は自分の考えを整理していました。
「いったい、いつまで待たせる気だ」
そう言ってみたものの、答えるものはいない。
天幕の中には、俺とシグルズしかいないのだから、返事を期待したものではない。
いたとしても、俺に答えられないのだ、誰も答えられるわけがない。
それでも、そう言わずにはいられなかった。
帝都を出る前に、記録魔道具は転送している。
二日もあれば、デルバーの元に届くだろう。
残念ながら、そのくらいの諜報網だ。
あの国は魔法的なものの出入りをかなり入念に確認している。
それを差し引いても、すでに六日。
明らかに、遅すぎる。
奴の機動性なら、ここまではすぐに来れるはず。
王都から、旧モーント辺境伯までは転移できるからその時間は関係ない。
マルスと違い、空も飛べるから、砂漠の移動も苦ではないはず。
正直、以前はそれで苦労した。
そういえば、不思議なことに、今回はそれほど苦痛に感じていない。
以前に比べて、砂漠の気候がかなり落ち着いているからだろうか?
そういえば、このオアシスも植物の量が多くなっている気がする……。
「気のせいか? それとも、時間の経過というやつか。しかし、遅い」
期日を設定しなかったのは俺の落ち度だ……。
それに、俺の方が早くついているだろうから待つとまで言ってしまった。
奴なら俺より先について出し抜くことくらいするかと思ったが、そうではなかった。
遠くに見える移動要塞。
その姿にそれほどの変化はない。
しかし、確実に近づいている。
だが、まだここに来るまでには時間がかかるだろう。
その姿を見せつける俺の意図は、正確に読んでいるにちがいない。
奴がどの程度のものか、実際に見ないとわからない。
しかし、さすがにあれを目にすれば、心を揺さぶられるに違いない。
この俺でも、最初見た時は興奮したのだから。
古代王国期の遺産である、移動要塞。
人類がその活動範囲を広げるために生み出した兵器。
現代日本でも、あれと同じものは作ることはできない。
全長一キロメートルもある巨大建造物が、地上五十メートルを飛ぶことなど、考えられない。
しかも空中待機できるなど、夢の世界の物語だ。
しかし、この世界はそれを可能にしていた。
魔法という偉大な力のおかげだ。
しかも、あの要塞は周囲の天候を変化させることができるらしい。
今はその姿を見せつけるために丁度いいが、本来はあの城塞は巨大低気圧の中心になることができるらしい。
その周囲には乱気流と雷雲が発生し、近づくこともままならない。
それは、悪魔や天使といえども、例外ではなかった。
竜族でもあの嵐を超えるのは困難だという。
古代王国期の魔導師たちの英知の結晶。
それが、ジ・ブラルタル。
ただ、残念なことに、それを実証することはできていない。
すでに失われた技術。
だから、古代王国期の遺産という呼び名がついてしまう。
ただ、その末端は復元できている。
「でも、それだけでは足らんのだ」
自らの思考に、自ら文句をつけていた。
記録によれば、あの城塞には大気中から水を抽出する魔道具や、城塞内での温度調整、気候調整の魔道具があり、上空でも水の補給や農作が可能というものだった。
中にはまだ解明されていない装置もあるようだがが、記録から考えると食物プラントのようなものだろう。
稼働させることができれば、一気に食糧事情を塗り替えることもできる。
しかし、今はその入り口さえ確認できていない。
巨大な力だ。
古代王国期の人間であれば可能であっても、今の人間には不可能な力だ。
実際、帝国の文献上、あの城塞は自在に飛行可能で、もともと大地に降りるものではないと書かれてあった。
しかし、発見時には地面に埋もれていた。
なぜか?
単純なことだ。
魔力の補給がきれたから落ちたのだろう。
あの城塞は魔力で動いている。
巨大な魔石に蓄えられた、膨大な魔力を消費することで活動できる。
いわば、巨大魔道具なのだ。
だから、落ちた。
初代皇帝――まだ、その時は皇帝でもなかったが――は、その発見、稼働に成功している。
およそ十年の歳月をかけて、五日間の飛行に成功していた。
十年かけて、やっと五日だ。
今の人類にはそれが限界。
切り札であることに変わりはない。
だから、この百年魔力を蓄えつづけている。
今もまだ満タンになったという報告はない。
ただ、この百年間の蓄積で、理論上五十日の活動が可能となっているだろう。
古代王国の侵攻に使用されていたので、帝国の端にそれはある。
計算上、移動だけで三十五日かけないと、ここまで来ることもできないものだ。
アプリルとの戦争ごときに使ってよいものではない。
だから、あれはとっておきだ。
今回も、ここまで運ぶつもりは毛頭ない。
あれは人相手にするには過剰戦力だ。
だから、おれはあれに変わる兵器を求めた。
魔導機甲部隊はいわば実践兵器。
あんな使い勝手のない兵器に頼らなくても、俺には現代知識がある。
それを魔法技術と融合させるのに、ここまで時間を費やした。
後は、より多くの魔導師。
とくに、アウグスト王国の魔導師を研究に組み入れて、人類をもっと発展させる。
悪魔や天使という存在をこの大陸から駆逐する。
そうしなければならなかった。
それほど、奴らの存在は脅威だ。
こちらの魔術が通用しない。
それを知った時、俺は恐怖を感じていた。
そして今も、帝国領のすぐそばにその脅威がある。
それは、この地域のどの王国よりも帝国が真っ先に被害にあうということだった。
歴代皇帝は、古代王国の遺産。
移動要塞ジ・ブラルタル、移動要塞マンセル、移動要塞ウインザーといった要塞で何とかしようと躍起になっていたようだが、そんな物でどうにかなるはずがない。
魔力切れになるのが目に見えている。
そうなれば、確実に人類は滅ぶ。
奴らの力の前に、今の人は塵にも等しい存在だ。
幼いころに、最下級の悪魔と戦った俺だからこそ、わかるのかもしれない。
俺自身の力をだして戦わなかったら、どうなっていたかわからなかった。
勝利したおれも傷ついた。
当時はまだ幼かったから、龍の力をうまく使えなかったこともある。
それでも、その力がなければ、到底太刀打ちできないものだった。
「まあ、今では楽勝だが」
当時まだ五歳。
自慢ではないが、よく戦ったものだ。
自らの思考の中から抜け出したとき、天幕の外側がざわつく気配がした。
おそらく奴の姿を確認したのだろう。
「きたか」
思わずそう口にしていたのは、思った以上に待ち遠しかったのだろう。
いよいよ奴との対面だ。
「ああ、楽しみだ。なあ、シグルズ。お前もそう思うだろう?」
俺の問いかけにも、相変わらず幼竜は興味なさそうにあくびをしている。
その姿は、かりそめのもの。
それをわかっていても、ついつい昔のくせは抜けきらない。
「さあ、出迎えるとするか」
俺は皇帝。
しっかりと奴を見極めてやる。
ことごとく、俺の計画をつぶしてくれた奴を、殺す前に一度見ておきたい。
ナルセスのように役立つのであれば、泳がせておいてもいい。
俺の言うことを理解できるのであれば、使ってもいい。
むしろその方がいいのか?
どちらにせよ。決めるのは俺。
ジークフリード・クラウディウス・アウレリウス以外には許されないものだ。
*
天幕をでると、騎士たちが皆、同じ方向を見ていた。
いまだに周囲は、騒然としている。
ただ、まだ小さい姿は警戒を呼び起こすものではなかった。
「あれは、グリフォンだな。しかし、斥候はよく見えるものだ」
俺の目をもってして、その姿はグリフォンに乗った人と認識できる。
普通の人間なら点に見えるのではないか?
その時、何か違和感がうまれ、急速に膨らんでいく感覚があった。
転移ではない。
魔力はそう働いていない。
しかし、何かが来る。
確信にも近いその感覚に、思わず一歩後ろに下がった。
さらに、危険をも感じたその刹那、奴は俺の目の前にいた。
「お招きに預かり、光栄に存じます」
俺の前で、にこやかに、そして洗練された挨拶をしている。
暴れまわる驚きの感情を無理やり押さえつけながら、さっきの方向を確認する。
まだ、はるか遠くに、グリフォンだけが悠然と飛んでいる姿があった。
やっと到着したヘリオスは、帝国のど真ん中に現れました。久しぶりに縮地を使ったヘリオス君です。




