知彼知己者(イングラム帝国)
話しは少しさかのぼりますが、皇帝はアポロンを認識しました。
「そうか、そういうことか……。いやまったく恐れ入った。なら、当分は手出しできないな」
皇帝は報告を聞いて愉快そうに笑っていた。
「マルシル。お前、帰ってくるの遅すぎないか?」
しかし、一転して不機嫌になった。
「おいら色々な国を巡ってたのさ……」
マルシルは精一杯言い訳をしていた。
「だとしてもだ。自分の見聞きしたことを、すべて話しているのはいいさ。でも、その重要性に関しては判断できなかった。そうだろう? マルシル。でなければ、途中で連絡くらいできただろう」
いっそう、凄みを増して、マルシルを睨む皇帝。
その視線を受けて、身動きの取れなくなるマルシル。
笑顔を忘れた道化には、どうすることもできなかった。
謁見の間に走る緊張感。
静寂の中、時を刻む音がやけに大きく聞こえていた。
「まあ、いいさ。実際、お前だけが情報を持って帰ってきたわけだしな」
皇帝はそう言って周囲を見回していた。
マルシルの時が動き出す。
見回す視線を逃れたものは、小さく息を吐いていた。
ただ、ガラティーンとキャメロットは、俯いたままだった。
「じゃあ、アポロンってのが、引き金だというのはわかった。でも、実際用意したのは彼だね。そうすると、今回の件、ガラハッドが何かしても全く効果ないだろうな」
皇帝は一転して機嫌がよくなっていた。
「ジュアン王国はまとまり、イエール共和国も政権交代するだろう。アプリル王国は依然未確定だが、侵攻するわけにもいかないな。まあ、小物が浅知恵で動かしたのだ、そんなものだろう」
皇帝は遠くを見つめて愉悦の笑みを浮かべていた。
「ところで、損害を取り返すのにどのくらいかかる?」
パルジファルに話しかける皇帝。
そこには、先ほどの愉快さは消え失せていた。
「はっ。なにぶん、材料が不足していますので、半年ほどはかかると思われます。境界線上の治安部隊の損傷率が大きくなってきたことが原因でもあります。どうやら、また悪魔族のほうで活性化が見られたようです」
事実を淡々と報告するパルジファル。
まだ話し足らないことが分かっているのか、無言の皇帝は、顎でその先を促していた。
「新退魔砲弾の量産化の計画はできていますので、あとは必要な材料を十分にいただくのみです。量産し、実戦配備をしてまいります。それとお願いがございます。新しい段階に入った試作品の効果検証を悪魔どもにしたいと思います」
パルジファルの声は、だんだん熱を帯びてきていた。
場違いなほど、興奮している。
しかし、状況を思い出したのか、急におとなしくなっていた。
「損害の回復には、半年かかります。新装備の量産はその半分でいけます。同時に進行すると、現在の能力では約一年はかかります。もう少し、人員があればよろしいのですが……。ゴーレムは運搬には適してますが、繊細なことは不可能ですので……。将来的に、人以外でそう言う部分を任せることができるものがあれば、一気に短縮できます」
残念そうな声のパルジファル。
頭の中の理想と、目の前の現実を比較して、思い悩んでいるのだろう。
苦しそうな顔をしつづけている。
「まあ、いいさ。それなら、一度彼とも会っておこうかな。くどいようだけど、ガラティーン。あのダムはまだあるんだな?」
ハルツ川上流にあるダムの再建は報告を受けているのだろう。
先の戦闘のように運用されることを警戒している様子だった。
「はい。以前よりも警備のゴーレムは多くなっております。しかも信じられないことに、あの湖に厄介なものが住み着きました」
フードで顔はよくは見えないが、額の汗をふきながら報告している。
「厄介なものとは?」
その言葉に反応した皇帝は、その先を短く催促していた。
「セイレーンです。あのような場所にどうやってなのかは不明です。調査しようにも、普通の人間では、接近もままなりません」
ガラティーンは自分でも信じられなったことを強調している。
そして、それ以上調査しようがないことも暗に示していた。
しばしの沈黙。
各々が考えをめぐらすことによる空白の時間。
しかし、それをパルジファルが破っていた。
「ばかな、あんなところに自然に発生するわけがないだろう」
何かの間違いだと言いたいのだろう。
生息域のまるで違うところに、突然発生することなどありえない。
「一体ではないのだ。目撃されたのは十体。これがその映像だ」
ガラティーンは、魔道具で映像を投影し始めた。
湖の中央には、まぎれもなくセイレーンの姿が映し出されている。
しかも、そこには歩哨として警備するゴーレムの姿も映し出されていた。
唖然とした表情のパルジファル。
再び沈黙が訪れていたが、誰もその答えを見つけることはできないようだった。
「やってくれる。これではここを落とすことから始めなくてはな。しかし、兵士が正気を保てまい。この方面では単純な大規模戦術は展開しにくいというわけだ」
その中で、皇帝が自嘲気味につぶやいた。
「となると、砂漠越えか。そっちはどうなっている? キャメロット」
皇帝の声に、キャメロットが苦しそうな表情を見せていた。
しかし、皇帝の質問だ。
報告しないわけにはいかない。
一息ついた後、意を決したように報告を始めた。
「申し訳ございません。すでに、旧モーント伯爵領はゴーレム兵団が整っております。また、旧オーブ子爵領も直轄領になり、長官が赴任、そこにもゴーレム兵団が配備されました。フリューリンク領アテムは要塞化が進んでいますが、こちらには通常戦力しかございません」
キャメロットは慎重に言葉を選びながら報告をしているようだった。
しかも、普段の彼女とは違う落ち着きのない声だった。
その口調から受ける印象としては、アテムまでは侵攻が可能だが、その先は困難であるということだろう。
「何と素早い。ゴーレム兵団の実数はわかるのか?」
皇帝はその規模について報告がまだであることを追求していた。
いつものキャメロットの報告とは違うことに、皇帝も気づいている。
「最初は各街で、数はバラバラでした。しかし、その後増加しております。今ではそれぞれの都市に約五千体配備されております。しかも、すべてストーンゴーレムです」
キャメロットも違う魔道具で映像を投影し始めていた。
様々な映像が映し出されていく。
その間、誰も言葉を発しようとはしなかった。
見るものを圧倒させるその映像。
それはもはや、壮大としか言い表す事が出来ないだろう。
街道の両脇に、一定間隔でゴーレムが配置されていた。
しかも、頭部には記録映像魔道具を配置されてある。
一つに異変があると、それに応じた増援が可能という仕組みのそれは、フリューリンクにもイエール共和国の街にも配置されているものと同じものを取り付けている。
だから、イングラム帝国の情報にものっているはず。
それが、合計一万体。
客観的に見て、その数は少し多すぎたかもしれない。
「それは、その二都市だけなのか?」
ガラティーンが震える声で、そう尋ねていた。
「いや、ベルンも同数ある。しかも、ベルンにはひときわ異質なゴーレムもあるようだ」
キャメロットは忌々しげにそう報告していた。
「そうか、そうか。なるほど、山を削った分、それをゴーレムに当てたのか。すると材質は一級品だ。硬度、耐久性、耐火性に秀でたあの山の岩石なら、高値で取引されるからな。しかも、自立性と、統制性という切り替え可能な状態とは」
皇帝はあきれたように自分の見解を話していた。
「各都市に五千体。防衛に対して両都市をまもっているが、ベルンからの増援もあるということか。これでは、通常戦力では歯が立たない。いくら魔法を制限しても、あの国は我が国よりも上位の存在がいくらでもいる。そして、ゴーレムは通常武器では歯が立たない。魔導機甲部隊だけで対応しなければならないが、五千を倒すとなると、その経費もバカにならない」
パルジファルは冷静に計算していた。
「実際にやってみなければわからないが、奴のことだ。まだ兵力は増えると見積もった方がいい。配備しているのが五千ということだ。戦う時には増えているぞ。それを考えると、試作型でも役に立ったかもしれんが、まあ過ぎたことは仕方がなかろう」
皇帝は独り言のように話していた。
ただ、機嫌が悪くない。
その事に、一同は驚きを隠しきれていなかった。
「とりあえず、ガラハッドにあのダムを攻めさせて、その防衛力を評価させろ。それからでも遅くはあるまい。それと、新型の開発と例のものを砂漠に展開させておけ、急げよ。その間に俺は奴と一度会ってみる」
決断を下した皇帝の顔には、余裕とも見える笑みがあった。
立ち上がったその姿は、凛々しくもあり、優雅でもあった。
「はは」
強い意志のこもった声が、見事な調和をもって響き渡る。
皇帝が決断した以上、自分たちは従うのみ。
全員がそう考えているに違いない。
「まさか、親子ともども、その実力を自分の目で確かめることになるとはな……」
玉座を後にしながら皇帝はそうつぶやいていた。
皇帝ジークフリード・クラウディウス・アウレリウス
万人を魅了すると謳われるその笑みは、今はたった一人に向けられている。
皇帝はヘリオスに会う決断をしました。




