ヘリオス先生5
久しぶりのヘリオス先生の講義となります。
「しかし、ここも見事に、閑散としたものね……」
以前と違い、変わり果てた風景。
思えば、ここにもずいぶん来てなかったわね……。
アイツの講義、ついて行けるかしら……。
そんな不安があったからかもしれない。
教室に入るなり、そう感想を漏らしていた。
いつもの場所にルナがいるのを確認して、その席に向かう。
ルナの隣にある私の席。
そんなにたっているわけじゃないけど。懐かしさがこみあげてくる。
「ユノ様。いえ、ユノ女王陛下。このような場所にいらしてもよろしいのですか?」
ルナが、目を丸くして尋ねてきた。
まあ、その気持ちは分かる気がする。
私が逆の立場なら、同じことを言うでしょうね。
「いいのよ。実際のところ政務はルキウス司祭が見てくれているし、お兄さまもいる。それに、アイツがお膳立ててくれたところに、一日中ただ座ってるだけってのも、なんだか退屈なのよね」
毎日王城に帰ること。
ルキウス司祭が私に出した条件はこれのみだった。
瞬間移動の魔法を習得している私にとって、この条件は簡単なものだった。
これで、この学士院での生活を手に入れることができる。
そう思った私は甘かった……。
ひょっとすると、ルキウス司祭はアウグスト王国の反応を予想していたのかもしれない。
最初、アウグスト王国は私の復帰を拒否してきた。
「ただ、こっちでも羽を伸ばせるわけじゃないんだけどね。でも、この生活を手に入れるのに苦労した分、楽しませてもらうわ」
体をずらして、後ろのアポロンをルナの視界に入れる。
この生活を手に入れるのに、一番苦労したのはアウグスト王国に認めてもらうことだった。
色々交渉して、条件付きでようやく認めてもらった。
この件については、デルバー学長とアイツに感謝しなければならない。
護衛と言う名目で、監視をつけるのがアウグスト王国の条件。
基本的には、私の身辺警護にはアポロンが張り付いているから護衛は十分。
でも、アウグスト側の監視も必要となる。
これを、アイツとデルバー学長が請け負ってくれていた。
正直、見張られてるようで、気持ち悪い。
でも、アイツが私から目を離せないっていうのは、ちょっといい気分だった。
「それにね、このままじゃ、私だけ卒業できないじゃない。それに、メレナ先輩のウエディング姿も見たいしね」
私のウエディングドレス姿は……。
あれは、なかったことにしたい。
それに、あの先輩がどんな顔して結婚するのかが見てみたかった。
「そうですか……。では私は以前のようにユノさんと呼びますね。それと、この教室の状況は、このせいです。正直燃やそうかと思いましたが、たぶんユノさんも知っておきたいと思ったので、一応とっておきました」
ルナは丸めて、くしゃくしゃにした紙を私に見せてきた。
ゴミを見せてどういうつもりだろう……。
分からないまでも、それを広げて、しわを伸ばす。
そこから出てきたのは、アイツの顔をなめまわすおっさんの姿だった。
その顔には大きく『×』が書かれている。
「え!? なにこれ!」
思わず叫んでしまった。
これって、イエールの議長よね……。
しかも、このうつろな瞳に覚えがある。
それに、あの首飾りがアイツの首にかかっていた。
「あー。わかった。もういいわ……」
ルナの希望に沿って、その紙をしっかり灰にした。
「これを見せられたら、誰でもひくわ。けど、アイツこんなので安全確認したっての?」
あの時、顔色が悪くなったわけがようやくわかったわ。
「まあ、真実を知っている人は少ないです。あとはあの人のことを中途半端に追ってた人たちだから、ちょうどいいです」
そう言いながらも、ルナの表情はさえなかった。
誤解とはいえ、アイツがそういう目で見られるのは苦痛なのだろう。
私もそう思う。
「さすが、奥様は言うことが違いますわね!」
厭味ったらしく、ルナに迫る。
「ええ、貫録でしょうか?」
自信たっぷりの表情で言い返すルナ。
お互いにしばらく睨み合った。
ひとしきり睨み合った後、私たちは互いに噴きだしていた。
「あなたも、言うようになったわね」
「ユノさんも、すごい自信ですね」
私たちは、同盟者だ。
お互いにそれぞれの方法で、アイツをこの世界に引き留める。
ルナたちが得た時の掲示はすでに聞いて知っている。
そして、二人がとった行動もすべて理解した。
感情では割り切れない。
その場に私がいなかったことが悔しくてたまらない。
でも、頭ではしっかり理解した。
「それで、勝算はあるの?」
それを確認せずにはいられなかった。
それは、私の取るべき行動にも影響がある。
「シエルさんとの共同作戦です。おそらくはどちらかは必ず……」
まだまだ不確定要素が大きいか……。
でも、仕方がないわね。
こればかりは、タイミングの問題もあるわよね……。
でも、シエルさんはなぜか確信があるらしかった。
なぜそう言い切れるのかわからないけど、あの人は無駄なことは言わない。
今も、あまり人前には出ないらしい。
だから本当に、そうなのかもしれない。
それに、それを信じた方が、良い気がする。
要は、事実というよりもアイツに信じ込ませたらいいのだと思う。
それだけで、責任感のあるアイツはこの世界にとどまる意思を最後まで持つに違いない。
そういう意味で、すでに二人の行動はアイツに勝利したと言える。
二人を残してどこかに行くアイツじゃない。
でも、私は違う方法でいく。
何となく、アイツが見せる寂しげな表情が気になる。
アイツは違う世界から来たと言った。
だからかもしれない。
精霊王として、この世界に確かにアイツは存在している。
でも、アイツとしてはどうなのかしら?
そこが分からないのよね……。
だから、アイツがこの世界を好きで、好きで、たまらないものだったら、アイツはここに戻りたいと願うはず。
誰かのためにいるのではなく、自分のためにここにいる選択をさせたい。
この世界を、誰よりもアイツに好きになってもらいたい。
「でも、このおっさん。イエールの議長じゃない。これが決め手になったの?」
イエール共和国議長、ナルセスは議長職を罷免させられていた。
しかも、殺人容疑で拘留されたとも聞いている。
国家元首から一転して、犯罪者になっていた。
「ええ、そうですね。私が聞いている話では、さらにその先もありますが……」
ルナはまだ何かを知っているようだった。
しかし、その情報源に関しては、あまり言いたくない感じよね……。
たぶん、ルナのよく知ってる人なんだ……。
しかも、それをアイツには内緒にしてるのでしょうね……。
「まあ、どこからとは聞かないわ。誰にも言わない。それで、どうなったの?」
物事を考えるのに、情報は必要不可欠。
そして、その情報を考えるには、その情報元が信用できるのかを考えることが必要。
しかし、その原則をひっくり返しても、私は知っておく必要がある。
ただ、今回はひっくり返さなくても、この子の情報だから信頼できるでしょう。
宣戦布告をしている以上、知らなくてはならない。
たしかに、宣戦布告をしながらも、特に目立った行動はしていない。
それは待っているという意味だけど、いまだにイエールからは何も言ってこない。
一応、役に立つか微妙な密偵も、イエールにすでに潜入している。
だけど、あまりあてにはしていない。
今は国境を閉鎖し、商人の出入りも禁じているから、噂もあまり入らない。
海上航路も封鎖したから、イエールは補給できない状態の上、大回りでアプリル方面に向かうことになる。
ただし、今復興に関与している商人たちのみ、特例で入国を許可している。
それはアイツの頼みだから、だけじゃない。
鉱床の方はしっかりと利益を生みそうだし、何よりあの地に一大産業都市が生まれようとしている。
その芽はつぶさない方がよいという判断。
だから、そこからは情報を得ないようにしている。
結果的に、イエール共和国との関係は、国としての交流は停止したけど、一部の商人のみ契約したという形になっている。
早い時期に、イエールから交渉の申し入れがあるはずだった。
でも、いまだにその気配はない。
何かそのことと関係しているのかもしれないわね……。
「はい、では……。実は、議長は暗殺されたようです」
ルナは重大情報を持っていた。
「あなた、それどこから得たの?」
思わず立ち上がってしまった。
でも、それで納得できた。
元議長がいないから、責任を取れる人がいないんだ……。
ごめんなさい、ルナ。
これはちょっと秘密にできないかも……。
アイツと相談しなければならない。
顔の利くアイツなら、裏交渉もできるでしょう。
「あー。ユノ。もうそのくらいでいいかな?」
気が付くと、教壇前に、アイツがいた。
いつの間に来たの?
あわてて周囲を見ると、皆驚いている。
私だけが分からなかったわけじゃないみたいね……。
「ちょっと周りが騒がしいから、今移動はすべて瞬間移動なんだよ」
たぶん私にだけ告げてきたのだろう。
ルナは驚いてないから、知っているのよね……。
でも、なるほどね。
それは納得できるわ。
人の好奇の視線は大変なもの。
特に色恋沙汰には、目がない。
まあ、わたしもそうだけど……。
それにしても……。
あれからしばらく会ってなかったとはいえ、髪が伸びるの、早くない?
ついでに言うと、とてもきれいになっている。
ルナにも言えることだったけど、どうも大人っぽくなっている。
もしかして、私だけ取り残された?
少し自分の成長に疑問を持ってしまった。
*
「それでは、久しぶりにユノも参加できたし、もうここには精霊魔術師だけしかいないから、大事な話をしておきます」
めずらしく、前置きをして話し始めている。
そう、ここには精霊魔術師しかいなかった。
テリア、ナタリア、アリス、私に、ルナ。護衛のアポロン。
そして名前を知らない子が二人。
あれはだれだろう?
見たところ、同じ髪の色に同じような服装。
後ろ姿からは、どちらかと言えば、小さい子のような気がする。
もっと観察したかったけど、アイツの話が始まっていた。
だから、自然とそれは薄れていた。
それだけ、アイツの話は衝撃だった。
この世界。
ここには四つの大陸がある。
まず、始まりの大陸と呼ばれるアースガルド。
そして中央のミズガルド大陸。
西の方にあるアールブハイム大陸。
そして嘆きの大壁と航行不能海域でかこまれた、今私たちのいるバルハラ大陸。
その大陸に、それぞれの精霊王が存在しているということだった。
私はてっきり、精霊王は一人だと思い込んでいた。
そしてアイツがそうだと、ついこの間知ったばかりだった。
しかし、それは間違いだった。
四人の精霊王、その中の一人がアイツということだった。
「その存在の序列みたいなものはあるのですか?」
ナタリアが質問していた。
当然の質問だ。
それは私も疑問に思う。
精霊は明確な序列をもっている。
その階層は単純に、上位と下位だが、それでもその差は歴然としていた。
では四人の王はどうなのか。
そして、あるとしたら、それがどのように影響するのか。
非常に興味があった。
「ないよ?」
アイツの答えは単純だった。
私があっけにとられたように、全員があっけにとられていた。
その顔を見て、自分の答えが納得いかないものだと悟ったのだろう、補足説明をしてきた。
「もともと一人が四人に分かれたからね、四人がそれぞれだと言えるし、同一だともいえる。まあ、四人でそれぞれの場所を共同で見ていると思ったらいいのかな?」
何ともあいまいな説明だった。
詳しくせがんで、ようやく理解した。
でも、アイツはこのことにはあまり触れたくなかった感じがする……。
もともと一つの存在として精霊王がいたが、大陸分断により、その管理のために四つの存在に分かれたらしい。
精霊は時間と空間も別次元の存在だが、この世界に影響を及ぼす以上、その方が、都合がいいという話だった。
もっと複雑な理由があるのかと思ったけど、すごく単純な話だった。
だからこの世界は、精霊にとっては四つの世界といっても問題ないのかもしれない。
そうすると、一人でも精霊王が消えた場合はどうなるの?
その疑問が喉まで出かかっていた。
でも、やめた。
そうならないために、私たちは頑張るんだ。
そして、アイツの話は、ここバルハラ大陸の開拓の歴史に及んでいた。
もともと、このバルハラ大陸は最後に発見された大陸のようだった。
超古代王国期には、それぞれの大陸に文明があったようだが、その文明はすでに伝説でしかない。
古代王国期にはこのバルハラ大陸を支配していた者たちと、たびたび争うことがあったようだが、それでもこの大陸の半分しか影響力を持っていないようだった。
古代王国期で半分しか治められていなかった。
その争っていた相手というのは何だろう?
それに興味があったけど、アイツの話は先に進んでいくので、後で調べるしかない。
まあいいわ。
後で調べるなり、こっそり聞くなりしてみよう。
それで納得することにした。
私だけ、置いて行かれてはたまらない。
古代王国が滅んだ後、航行不能領域を突破した最初の船団がこの半島に国を作った。
それが、初代アウグスト王国。
そして、そこから戦乱の時代を経て、今の国の区分になっていた。
王国分断にはそれぞれ理由があった。
大きく分けると、未開発領域への侵攻を目的とした開拓派閥と、この狭い半島でよいと思う保守的な派閥。
この二つにより、大きく分けられていた。
その分裂を決定づけたものが、古代王国の遺産というものの存在だったらしい。
それをどう活用するかで、意見が分かれたようだった。
そして、開拓派閥は、もっとも未開拓領域近くを国として立ち上げていた。
それがイングラム帝国のなりたちだった。
イングラム帝国が大陸内部側にあるのも、その遺産によって侵攻したことの証明になる。
そして当時、どのようなことが起こったのかは定かではないが、その建国に際して、龍王の末裔の力が関与したと言われている。
龍王そのものだと言う話もある。
真偽は定かじゃないけど、あの国には龍王の力が存在しているとのことだった。
古代王国の遺産と龍王の力、イングラム帝国はこの世界において、並ぶものがない力を持った国だった。
いままでその力は、未開拓地を広げることに向けられていた。
しかし、今の皇帝はその力を人の住む世界の統一に向けている。
これらのことは、ある程度は歴史書や、伝説といったものに書かれている話よね。
しかし、国によって多少異なるように伝えられていることをわたしは知っている。
それぞれの王国に、自国に都合のいい話が出来上がっていた。
歴史とは、そういうものだと思う。
そして伝承も、人の手によるもの。
しかし、アイツの話はどれも、その知識から来るもの。
精霊王の知識。
悠久の時を経て蓄えられた知識が、今、私たちの前で語られている。
感動せずにはいられなかった。
古代王国の発掘で、超古代王国の存在を知ることができたが、アイツの中にはその文明すらも、ごく自然に存在しているみたいね。
そして、この大陸の奥で繰り広げられた覇権あらそいの種族。
それこそが、竜族とエルフ族と神族と悪魔族という者たちのようだった。
後で調べようと思っていたことが一気に解決していた。
このバルハラ大陸は、四つの種族が覇権を争う、抗争の地のようだった。
四つの種族のうち、竜族以外は固有の世界を持っているらしい。
古代王国期で半分ということは、四つの種族がいかに強大か、うかがい知ることができる。
はじめ、人はこの半島にたどり着いた時に、エルフ族の領土を削り取る形で侵略を開始したようだった。
もともとエルフ族はこの地での抗争事態は積極的ではなく、その固有の領地を守っているだけのようだった。
そのころの彼らはすでに、大半が妖精界に移住していたらしい。
一部の部族だけが、この世界に居続けていたという話だった。
そして、人はエルフ族の領地をほとんど手にいれ、国を作っていった。
そしてついに、イングラム帝国ができ、建国時に竜族と協定を結んでいる。
それはつまり、神族と悪魔族の争いの激化が関係しているようだった。
そもそも、その二つは固有の世界としてそれぞれ、天界と魔界というものを持っていた。
そして、天界と魔界の接点が、このバルハラ大陸であり、どうしてもここが戦場になるようだった。
悪魔族はその強さを身にしみてわかっていたが、神族というものが分からなかった。
それは信仰系魔法の神を指しているのかしら?
質問しようとしたときに、私の代わりにアリスが質問していた。
「先生。質問がありますわ。神族とは、いわゆる私たちが祈る神なのでしょうか? 私達は、神は唯一という教えを持っていますわ。神族と呼ぶからには、多数いるということでしょうか?」
真剣な顔で質問している。
それはそうだ。聖騎士の家に生まれたのだ、その教えはとうに知っているはず。
ここにきて、精霊魔法を使えるようになった。
騎士でありながら、精霊魔法を使うことができる彼女は、稀有の才能の持ち主となっているけど、その家は聖騎士の家柄。
彼女は信仰系魔法の習得をしなければならない。
その根底が崩されることを、アイツはこの講義で話しているのかもしれない。
「いや、アリス。それは違うものだと思ってほしい。信仰系魔法で神とよばれるものとは全くの別物だよ。今話している神族というのは、その力をもっとも効果的に使える者たちと考えてくれていいよ。まあ、そうだね、天使族と呼んだ方がいいのかな? 君たちの言う神は唯一だ」
アイツは慎重に言葉を選んでいた。
信仰系魔法にとって、信仰心は魔法の発動に影響するらしい。
当然と言えば、当然よね。
その言葉は選ばなくてはならない。
でも、隣で楽しそうにアイツを眺めているこの子はいったい何を信じているのだろう?
ルナは信仰系魔法の使い手であり、精霊魔法の使い手となった。
「ねえ、そうなの?」
私は言葉ではなく、紙に書いてルナに見せていた。
もう同じ失敗なんてしない。
「私の中の神は唯一です。だからそれでいいかと思います」
ルナも、そう書いて返事していた。
そうか、神というものは、そういうものなのか……。
ならば、私にも使えるのかもしれない。
私は何となくそう思ってしまった。
アイツができるんだから、私も挑戦してもいいかもね。
私に新しい目標が追加された瞬間だった。
そのとき、あわてた様子の男の子が飛び込んできた。
あれはたしか、クラウスといったかしら……。
ぼんやり眺めたその少年の名前を思い出したのは、少年と目があった瞬間だった。
ヘリオス先生のスキャンダル報道に揺れたアカデミーでした。
そして、講義の最中にとびこんできたクラウスはいったい?