バーンとシエル
町で新たな出会いがありました。
「だから、やばいんだって!」
机を力いっぱい叩いて、男は叫んでいた。
大きな体に似合った、両手剣を背中に背負った大男だ。
分厚い胸板、太い腕はその大剣であっても役不足のように思えた。
日に焼けた褐色の肌には、一部白い傷跡があり、この男の生きざまを表しているかのようだった。
そんな男が力いっぱい叩いた机は、情けない悲鳴を上げていた。
男はその姿勢のまま、周りにいる者たちを見回していた。
「バーン。もう少し冷静にならんか……」
その中の一人、唯一その大男と向き合っている老人が、そうたしなめていた。
長い白ひげを蓄えた老人は、静かに大男を見つめている。
その声には、他者を圧倒する迫力があった。
長年にわたり、人を育ててきた貫録があった。
その雰囲気に、バーンと呼ばれた男は少し冷静になっていた。
「長老、さっきから何度も言っているんだ。あの森はもう危ない。10年前からモーント辺境伯の領地内でも異変が多発しているのは知ってるだろう?あんたらが、知らないとは言わせないぜ。同じように、5年前からあの森は手が付けられなくなってきた。それも報告されてるだろう?あんた達の耳にはいらない訳ないんだ。すでに、魔獣も確認されているんだ……」
与えられた椅子に座り、静かに告げていた。
しかし、言葉の端々に苛立ちが見えた。
「何度言ったら通じるんだ……」
絞り出すように、小さくつぶやいた言葉は、バーンの気持ちを表しているのだろう。
しかし、それを聞く者はいなかった。
皆、自分の資料や、隣り合ったものと小声で話している。
それは、バーンの言葉に耳を貸していないということだ。
「とにかく、対策は立てた方がいい。何かあってからでは間に合わないんだよ」
そう言ってバーンは腕を組んで目をつぶった。
もう、これ以上は言いたくないという感じだった。
「そう言うけどバーン。そのモーント辺境伯様からの返事が、――なんともない。心配することはない――なんだよ。魔獣の件にしても、討伐しているということらしい……」
少し剥げた感じの男がそう言って手紙を見せる。
そこには、モーント辺境伯の印章が押されていた。
ちらちらと窺うような視線を方々に向けている。
自分の意見ではなく、言わされているのが明らかだった。
すでに、組織的に意見を固めているようだ。
「だからそもそも、そこがおかしいとさっきから言っている。モーント辺境伯領からの避難民は、ここ数年でどれだけ増えたか……。あんたらはわかってんだろう?直接でないにしろ、その人たちからあんたらも何か聞いてるだろう?ひょっとすると、魔獣の件は関係ないかもしない。しかし、討伐したっていっても、現状問題は解決してないぞ?現に魔獣は出現してるんだ」
バーンの拳が強く握られていた。
握りしめた拳が、細かく震えている。
必死に怒りを抑えている姿が、そこにはあった。
その姿勢のまま、威嚇するような視線を向ける。
さすがに、その視線をまともに受けとめることのできる人はいなかった。
ため息をつき、バーンはまた腕を組み、目をつぶった。
「避難民は増えた。しかしそれと今のこととは問題が違うはずだ。英雄マルスの言葉に私は間違いないと思う。皆さんもご承知でしょう、英雄マルスのご活躍を。かの英雄がどれほどの偉業を成し遂げたか!その英雄が心配ないという以上、討伐したという以上、我々は大丈夫です!」
まるで演説をするかのように、芝居がかった言い方をしていた。
幾人かが、その言葉に称賛の拍手を送っていた。
「あんたの言うことはわかったよ、岩塩問屋のフールさん。けどよ、その英雄のとこからやってきた避難民がことごとく、英雄が変わったと言っている。そして、森は間違いなく危険な状態だ」
もう一度立ち上がり、一人一人にらみながら、バーンは話していた。
「そしてなにより、魔獣は現実にそこにいる。昔、英雄はたしかに偉業を成し遂げたさ。それは、俺に真似できないほど偉大なものさ。けどな、今、英雄はこの都市を守ってはくれないんだぜ?ここは王家の直轄領だ。なにかあっても、手は出せない。それを分かって言ってるんだろうな?」
固く握りしめた拳を、フールに向かって突き出している。
その姿は覚悟の表れ、この都市を守ろうとするバーンの心意気を表しているようだった。
しかし、フールは目をつぶったまま、バーンを見ようともしなかった。
「自分は冒険者として、この都市で生きてきた。ここの人たちに危険が迫っている以上、無視はできない。俺から言うことはこれだけだ……」
固めた拳は、目標を探すかのように、自らの左手に打ち付けていた。
そして固く口を結んで、もう二度と発言しないと言わんばかりに、目を閉じ、腕を組んでいた。
すでに会議という様相は消え失せていた。
それぞれで勝手な発言をしている。
しかし、大半は楽観的にみており、やはり英雄を信じる気持ちが強いのか、それとも危険な状況に目をつぶりたいのか、フールの意見に賛同していた。
「とにかく今は情報が混乱しておるな、結論はまた今度にしよう。それぞれいろいろ考えることはあるだろうが、この都市のことを第一に考えてくれ」
そういうと長老は、会議は解散とばかりに腕を振った。
それぞれの派閥単位で部屋を出ていく。
だれも、バーンに話しかけようとはしなかった。
会議室には長老とバーンと小さい魔術師だけが残っていた。
「バーンよ、どう思う?」
長老は意味ありげな視線をおくっていた。
「間違いなく息がかかってるでしょうね」
バーンはため息を吐きながらそう答える。
「やはりそうか……。あやつ。しかし、確証がないな……。もともと今の岩塩採掘場が、英雄の実家の領地だったとしても、証拠にはならんな」
長老は、その目にただならぬ気配を見せていた。
しかし、証拠がなくては対策が取れない。
苛立ちにも似たもどかしさを、頭を振って表現していた。
「証拠を見せるほど間抜けなら、この場にはいない」
魔術師は無遠慮にそう言い放つ。感情の読み取れない表情だった。
その言い方に、感情が込められていない分、言われた方が気の毒に感じてしまうほどだった。
「そりゃそうじゃ。ところでシエルよ。そなたの眼にはどう映っておる?」
長老はシエルというその魔術師にお手上げというしぐさで質問していた。
先ほどの会議では一切発言していない。
しかし、その議論を始終見守ってきた魔術師だ。
客観的な意見を期待したのだろう。
「……三文芝居」
シエルは短くそう答えた。
「はっ!ちげーねー!」
バーンは手を打ってはしゃぐ。
「相変わらず身もふたもない……。しかし、言いえて妙じゃな……。じゃが、どうするかじゃな……」
長老は苦しげに笑いながら、遠くを見ていた。
「役者が足りない」
シエルはそうつぶやいた。
「俺は悲劇がきらいだ。演じるなら、楽しいのがいい。それなら主役でもはってやる」
バーンはそう言って胸を張りポーズをとる。
自慢の筋肉をこれでもかという具合にアピールした。
「バーンは無理。主役は美形」
あっさり切り捨てて、そのままシエルは部屋を出て行った。
後に残されたバーンの肩を、長老が優しく叩いていた。
***
「あー。やっと終わった」
口に出さずにはいられなかった。
時間の浪費に付き合ってしまったことに後悔する。
心はすでに、魔術師ギルドの方へ向かっていた。
まだ、約束の時間には十分間に合う。
でも、これ以上無駄な時間を作りたくなかった。
足取りは軽く、鼻歌でも口ずさみたくなっていた。
思えば、本当に幸運だった。
森の遺跡で発掘した遺物に関して、興味を持った人物からの買い取りの打診がある。
そうギルド職員に告げられていた。
物が物なだけに、ギルドに預けてはいるものの、私にとっては何の価値もないものだった。
精霊の首飾り
古代王国時代に作られたもので、下位精霊ならば4つまでその首飾りに封印できるという品物だった。
しかし、その封印は精霊側から解除することが可能なようで、封印というものではない。
通常の運用はできないものだ。
要するに、使いどころが分からないものというのがギルドの見解だった。
そのため、ギルドは研究対象に指定してきた。
私にとっては、単なるキャリーケースにすぎない。
私は一応古代語魔法の使い手だ。
精霊魔法には興味がないので、精霊を連れて歩いてもしょうがない。
いや、精霊とかかわるのはもうごめんだった。
破壊するというバーンの気持ちは分かったが、何故だか、そうしてはいけないような気がしていた。
本当にそうしなくてよかったと思う。
買い手が付き、いくらでも譲るつもりだったが、その相手を聞いて驚いた。
一度会ってみたかった人の一人。
偉大な古代語魔法の使い手。
その魔力をこの目で確かめたい。
そう思うと、興奮で胸が高鳴っていた。
「くふふ、楽しみ」
魔術師ギルドの前で、思わず笑みがこぼれてしまった。
*
私が部屋に入るなり、貴婦人が椅子から立ち上がり、優雅に挨拶してきた。
銀色の髪がまぶしいくらいに輝いている。
もう結構な年のはずだが、その美しさはまるっきり損なわれていないように思えた。
そのまま近づき、私は見てしまった。
あまりの衝撃で、私はその場から一歩も動くことができずにいた。
「はじめまして、わたしはメルクーア=フォン=モーントです。あの……シエル・メタリカさん……?」
挨拶は聞こえている。
うわさ通りのすごい魔力だ。
圧倒される威圧感さえある。
しかし、そんなことはどうでもよかった。
私の眼は別の人物にくぎ付けだった。
そんな私の態度に、ギルドマスターは咳払いをする。
急に現実に引き戻されて、私はこれまで私が培ってきたイメージを壊すまいと、必死に冷静さを取り戻していた。
「はじめまして、メルクーア様。私のことはシエルとお呼びください」
冷静に、冷静に。
そう頭の中で繰り返す。
「それで……。あの……。そちらの方は?」
若干声が震えていた。
こんなに冷静でない自分を見るのは久しぶりだった。
しかし、周囲の状況は手に取るようにわかる。
ギルドマスターは、けげんな表情を浮かべている。
「これは、私の息子です。ほら、ヘリオス、ご挨拶をなさい」
メルクーアはそう言って自分の半歩後ろにいた少年を前に出して紹介していた。
「はじめまして、シエル・メタリカ様。僕はヘリオス=フォン=モーントといいます。本日は母とまいりました。なにぶん若輩者ですので、失礼があるかもしれませんが、ご容赦ください」
堂々とそしてはっきりとした自己紹介だった。
そんなヘリオスをギルドマスターは驚きと感心した表情で見つめている。
でも、そんなことはどうでもよかった。
なに……!?おとこのこ?
私の受けた衝撃は、メルクーアの隕石召喚をも上回る破壊力だったに違いない。
見たことはないが、たぶん……。
なんとか最初の衝撃から立ち直ったが、なおも私の中でその余波が暴れ続けている。
一言も発することができない。
私の中で暴れる力は、やがて私の中で新しい力となっていった。
私は、必死にそれを押しとどめる。
自制心という力を最大限に高めた。
「あの……シエル様……僕、なにか……」
ヘリオスは、何か自分が間違ったことをしたのかもしれないと思ったのだろう。
もう一歩私に近づいてきた。
小首をかしげて、私を覗き込むように見つめる瞳。
不安感なのか、その瞳はうるんで見える。
銀色の髪が、そんな仕草に遅れて、流れるような動きを見せた。
それを無造作に、押しとめて、もう一度私を覗き込んできた。
その瞬間、私の中の自制心は、とどめを刺されていた。
自由になった私の中の衝動は、私を自由に動かしていた。
私の心は解き放たれた。
自分でも驚くほど素早い動きで、しっかりとヘリオスを抱きしめていた。
今、まさに至福の時間がここにあった。
時の女神がいるのなら、ただ私のためだけに、それを用意してくれていた。
見るだけでは、決して味わえなかった心地よさに、私は完全に酔いしれていった。
誰も私の邪魔はさせない。
幸い、ギルドマスターもメルクーアもあの子も動かない。
沈黙と静寂が、私の幸福をより一層高めてくれていた。
***
俺は混乱していた。
シエルと呼ばれた女性は、年齢は20歳ということで自分よりもお姉さんだ。
ちょうどプラネート姉さんと同じくらいと思っていたが、実際に会ってみると自分と同じくらいの背丈しかなく、薄い青色の髪は短く、くりっとした目の愛らしい童顔だった。
年齢を聞いていなければ、まちがいなく同じ年代の美少女にしか見えない。
その彼女から、いきなり抱きつかれていた。
訳が分からなかったが、なんとか最初の衝撃から立ち直った。
とりあえず、この拘束を解こうと頑張ってみたが、それは無駄に終わっていた。
どうしよう……。
真剣に困ってしまった。
その時、俺の周囲に風がうまれた。
シエルは弾き飛ばされ、壁に体を打ち付けられていた。
心の中で、密かにお礼を言う。
ただ、シルフィードのご機嫌はかなり悪かった。
その時、扉が開き、大柄な男が入ってきた。
男はゆっくり部屋の中の状態を眺めていた。
「あーその……。うちのシエルがすみません」
頭をかきながら、その男はすべてを悟ったように、頭を下げて謝罪した。
***
「どんだけ楽しみだったんだよ……」
そうつぶやいて魔術師ギルドへの道を歩いていた。
シエルが出て行ったあと、すぐに会議室を出た。
しかし、シエルの姿はどこにもなかった。
小柄なシエルと俺とでは歩く速度が違う。
一緒に歩いているといつもシエルは後をついてくる形になる。
それがいつもの光景だ。
先に出たとはいえ、追いつく算段をしていた俺は、予定が狂ったことを半ばあきれていた。
「メルクーアか。英雄の女房にして、大魔導師。まさか会えるとは思わなかった」
面会を求められたのはシエルだが、自分もその席に立ち会うことは先方も承知している。
何せ俺もその遺物発見に一役買っていたわけだからだろう。
「まあ、俺のことなんかしらんだろうけどな。なんにせよ、つながりと情報は大事だ」
冒険者をしていたら誰でも知っていることだ。
人脈と情報。
このどちらもおろそかにはできない。
「俺の印象を悪くしても、シエルの方でつながっていれば何とかなるだろう。今回おれは、おまけだしな」
森の状況、辺境伯の状況。
これはこの都市にとって死活問題だ。
何より喧騒の中心にいる人物と親しい人物との接触は、この時期奇跡に近かった。
「あのガラクタさまさまだな……」
正直あの遺物に、それほどの価値があるとは俺も考えていない。
シエルなどペットのキャリーケースと評価している。
相変わらずの毒舌ぶりだが、今回は俺もそう思っていた。
「ついたか……。さて、気合を入れてかからないとな……。相手は大魔導師。油断はできない」
そういって気合を入れて入ると、ギルドの受付と目が合った。
「やあ、シエル来てるよね?入らせてもらうよ?」
このギルドでは紳士的にふるまっている。
そのせいか、ここでは問題は起きていない。
「バーンさん、奥の会議室です」
勝手知ったるなんとやらで、俺は案内がいらないことを手で示す。
受付は笑顔で了承していた。
会議室の前につくと、中から大きな音がして、小さな悲鳴が聞こえていた。
あわててドアを開けてみると、壁を背にシエルがすわっており、反対には美少女が青い顔をして硬直していた。
ギルドマスターと知らない婦人は呆然としていた。
この婦人がメルクーアだな。
この美少女は……。
そう思うのと、何があったのか察してしまった。
とりあえず謝罪は早い方がいいだろう……。
「あー、その。うちのシエルがすみません……」
全員の視線を浴びながら、小さくなれるなら、小さくなりたい気分だった。
***
「なんてこった……。本当にすみません。俺はバーン。ここの冒険者ギルドの戦士です。このシエルとは同じパーティメンバーです。本当に、うちのシエルが申し訳ないことをしました」
幾分立ち直ったギルドマスターに簡単に紹介されて、バーンが自己紹介をしてきた。
あらためて、これまでの経緯を確認したあと、シエルの頭を押さえながら謝罪していた。
「ほら、シエル。ちゃんとヘリオス様にあやまれ」
頭を下げるのをなぜか抵抗するシエルだった。
何とか無理やり頭を下げさせた後、バーンはその大きな体を小さくしていた。
大きな体を小さくしたバーンと小さな体で今にも襲い掛かろうとするシエル。
対照的な構図に、俺は思わず笑顔になった。
「でも、失礼ですが、本当に……?」
俺の笑顔につられたかのように、バーンは自分の疑問を再び口にしていた。
どっちの確認かわからないが、さしあたって問題がない方を答えておこう。
これ以上なんて言っていいかわからないが、とりあえず断言しておけばいいだろう。
「はい。バーン・アルフレド様。私はヘリオス=フォン=モーントです。一応男です」
問題点を絞っておけば、そちらに注目するだろう。
今はこの容姿に感謝していた。
この身を風の精霊が守護していること。
これは黙っておいた方がよかった。
予想通り、まじまじとこちらを観察している。
まあ、バーンの気持ちはわからなくもない。
まじまじ見ても、少女にしか見えない。
あどけないその表情は10歳の子供だからという説明は、何の意味も持たない。
立場が逆ならそう思う。
しかし、そんなに見るのはさすがに失礼じゃないのだろうかと思ったが、それよりも失礼なのが横にいた。
「かわいいは正義」
意味の分からないことをつぶやくその頭を、後ろからはたいて、バーンは再度謝罪をしていた。
ボケと突っ込みに近いノリに、俺はもうどうでもよくなっていた。
「ヘリオス様、メルクーア様。重ねて申し訳ありません。こいつは普段はまともな奴なんですが、かわいいものを見ると、途端に暴走しまして……。こういっては失礼かもしれませんが、ヘリオス様があまりにかわいいと思ったんでしょう」
シエルの頭を押さえて、何度も下げさせながらバーンは謝罪していた。
「いいえ、バーン様。僕も先ほどはいきなりだったものであわてましたが、もう大丈夫です。しかし、僕も一応は男ですので、シエル様のようにお美しいかたに抱きつかれますと、どうしてよいかわかりません。できましたら、このようなことはご遠慮していただきたいです……」
俺はやんわりとだが、しっかりとシエルの行動をけん制しておいた。
これ以上は勘弁してほしかった。
シルフィードの機嫌がますます悪くなる。
ここにいないが、ベリンダとミヤに後でなんて言われるかわからない。
今もベリンダの魔法で見ているに違いなかった。
ついでにミミルに髪の毛をむしられるのも勘弁してほしかった。
「ほう……」
小さな呟きが、バーンの口からこぼれていた。
普通ならば聞こえないが、今はシルフィードが音の流れを操っている。
その呟きは、しっかり耳に届いていた。
会話の中から値踏みしている。
さすがは歴戦の戦士といったところか。
俺はバーンとの会話を腹の探り合いと認識した。
隣で沈んだ表情のシエルはとりあえず放置だ。
少し涙目な表情に同情しかけるが、油断してはいけなかった。
「どんだけなんだよ……」
バーンの呟きがまたも聞こえる。
その瞬間、俺はバーンと分かり合えていた。
バーンは半ば病的なシエルを見て、あきれているようだった。
話をする相手との共通意識をつないでおく。
これは交渉において、最初の重要なプロセスだ。
そんなやり取りを、横からギルドマスターが口を挟んできた。
「ところで、バーン君。君は今回あくまでも同伴者ということでここにいてもらう予定だったが、シエル君があんな調子なので、パーティメンバーであり、リーダーでもある君と交渉した方がいいような気がするんだが、どうだろう?」
ギルドマスターはそう言ってシエルに視線をうながしていた。
「そうですね……。メルクーア様。それでよろしいでしょうか?」
バーンはいろいろ思案したようだったが、決意したようにその結論を告げていた。
恐らく筋書きが変わったことで、目的を修正したといったところか……。
シエルを後ろに下げたことにより、自らが交渉の主導権を握っていることを、こちらにアピールしている。
予想通り、交渉事がうまそうだった。
しかし、それでは困るのだ。
あくまで、精霊の首飾りの所有はシエルにある。
後であれは同意していなかったと言われても困るのだ。
所有権の譲渡は、本人の意思が必要不可欠。
後でもめないためにも、それは拒否しておかなければならない。
「お母さま、差し出がましい口をきき申し訳ありません。ですが、かの遺物の所有者はシエル様と聞いております。いくらリーダーといえメンバーの所有物に対して決断なさるのは、パーティ内であとあと禍根が残る可能性もあります。僕は、できましたらシエル様と交渉していただければありがたいです」
こちらの思惑でなく、そちらの都合に合わせた理由であれば、断ることもできないはずだ。
バーンはいつの間か隣に出て、頭をぶんぶん縦に振っている人物は無視している。
その視線は、まっすぐ俺をとらえていた。
俺もそのまま、バーンを見る。
つかの間の沈黙。
先に視線を逸らしたのは、バーンだった。
「まいったな……」
シルフィードに感謝を告げる。
交渉事で、相手の心の動きがつかめるのは、ありがたかった。
そして、その言葉から、バーンの狙いも読めていた。
バーンにとって、この首飾りに関する交渉はどうでもよいのだろう。
今回は無難に流しておいて、もう一度交渉する機会を持つことが目的だった。
理由はシエルとのコンビに亀裂が入りそうだからとかそんな理由だろう。
頼み込むようにすれば、こちらとしても話を聞かないわけにもいかない。
戦士としての実力も聞いている。
しかし、それ以上に物事を柔軟に対応する力がありそうだった。
そう思うと、この出会いは幸運かもしれない。
ヘリオスにかけているもの。
それは、ヘリオスをしっかり助言できる年長者の存在だ。
子供は父親の背中に影響を受ける。
しかし、ヘリオスに父親と呼べる存在はいない。
母親との関係は良好になったが、父親とは疎遠なままだった。
一人でも、本当にヘリオスに味方してくれる人がほしい。
それなりの実力者で。
あらためて、バーンをみる。
戦士はいわば観察者だ。
前線において敵と戦いながら、彼我の戦力、状況変化、それらを判断して仲間に指示を出す。
その時、バーンの目が変化したのに気が付いた。
あれは、こちらに興味を持っている目だ。
交渉相手というよりも、俺自身に興味を持ったということか……。
「……そうですね。私としたことが、失礼をしました。ヘリオス様。仲間のことを気遣っていただきありがとうございます」
バーンは素直に、俺に頭を下げていた。
「メルクーア様。たびたびのご無礼を申し訳ございません。大変申し訳ございませんが、先ほどの私の申し出に関しては撤回させていただきます」
バーンの申し出に、メルクーアはただ、にっこりとほほ笑んでいた。
「私の方も申し訳ございません。少々取り乱しておりました」
そう言ってシエルは全員に謝罪した。
唖然とした空気がこの部屋を覆う。
それはシルフィードの力で、どうにかなるものではなかった。
その場のだれもがシエルに対して「少々なの!?」と突っ込みたいのを我慢しているようだった。
「それで、この遺物なのですが、性能はもちろんご存知とおもいますが、通常のものではございません。というのも……」
そこからのシエルは、これが本当の姿だと言わんばかりのものだった。
事実、簡潔にして要領がいい。
無駄な言葉は一切なかった。
「最初からそうしておいてくれ……」
バーンのつぶやきを拾ったシルフィードは、バーンに同意しているようだった。
「では、この遺物は精霊を不当に拘束するのではなく、精霊の存在を隠匿することが目的というわけですか?それも4つの精霊を同時に?」
シエルの説明を聞いて、俺はそう確認しておいた。
バーンがちらりとメルクーアの様子を確認している。
そして、何事もなかったかのように、視線をまた俺に戻していた。
メルクーアは、ただ見守っているだけ。
そう確認したようだった。
「ええ、そうですね。そういう考え方もございます。正直私は精霊の運搬としか考えていませんでした。精霊の方から拘束を解除できることから、不当な運搬には使用できず、古代王国時にはペット的に扱っていたのかと思っていました」
シエルは本当に感心したような表情で俺をみていた。
目がキラキラしている。
あっこれやばい?
俺がそう思った時に、シエルにむかって風がふき、まとまっていた髪を乱していた。
シルフィードの威嚇は功を奏し、今にもとびかかろうとしていたシエルは、機を逸したようだった。
だれもがその様子にあっけにとられている。
つい俺は、誰もいない空間に視線をおくってしまった。
今は窓が閉められている。
タイミングよく風がシエルを妨害した。
バーンの視線を感じ、俺の行動こそが軽率だったことを理解した。
「なるほどですね……。それで、価格に関してなのですが、いかほどでしょうか?」
バーンをちらりと見ながら、シエルに向かってそう切り出した。
とにかく話題を変えよう。
それに、交渉に口を挟まないようにしておかないと。
あくまで決めるのはシエルだ。
もう一度バーンに視線をおくり、シエルの方に向き直った。
さあ、どのくらいの値段をつける?
「プレゼントします」
鼻息荒くそう言うシエルの答えは、俺の予想の斜め上をいっていた。
よほど間抜けな顔をしていたに違いない。
獲物を狙う視線を感じた。
「あっその顔もかわいい……」
シルフィードが運ぶシエルの声に、俺は正気に引き戻された。
「あの、シエル様!」
「シエルでいいです。ヘリオス様」
間髪入れずにシエルがいう。
「いえ、これでも長幼の序というものがございます。つまり、年長者に対して、それなりの態度が求められるというものです。僕のことはヘリオスで結構ですが、シエル様はシエル様でお願いしたいです」
本題からそれるが、そこはしっかりとしておきたい。
「じゃあ、シエルさんで」
シエルは若干不満ながらも妥協案でねばる。
「はい。それならばよろこんで」
これ以上不毛なやり取りはごめんだった。
俺は満面の笑みを浮かべて、シエルにそう答えた。
瞬間、後ろにのけぞるシエル。
しばし固まったその姿に、皆それぞれの思いをはせる。
「大丈夫ですか?シエルさん」
本当に大丈夫だろうか?
俺はますます心配になってきた。
この人、まともに生活してるんだろうか?
場違いな心配もやってきた。
そんな俺の心配は、シエルの周りに怪しげな雰囲気が漂い始めたことで、自分への心配に置き換わっていた。
何かくる!?
そう予感した瞬間だった……。
パーン
小気味よい音がシエルの頭から響いていた。
バーンがシエルの頭をはたいた音だった。
「……大丈夫」
うつむきながらも必死にそう答えるシエルだった。
そんなシエルにバーンがすかさず耳打ちをする。
その時シエルの体が一瞬震えた感じがした。
聞かなかったことにしよう。
せっかくシルフィードが運んでくれたが、それは聞かなかったことにした。
気を取り直して、先ほどの会話を振り出しに戻す。
「でも、いくらなんでもいただくのはどうかと思います」
古代王国の遺産はどのようなものであっても歴史的価値がある。そしてそれにみ合った値段がする。
俺は予備交渉で価格を想定していたので、自分で購入できる自信があった。
正確にはヘリオスだが、俺が稼いだのだから文句は出ないだろう。
交渉次第では変に価格を吊り上げられる可能性もある。
直接言われたときにはそれも考慮していた。
話しは慎重に進めていた、今のところ交渉自体は向こうが失敗を犯している。
値切れると思っていた。
しかし、まさか無料の提示はないだろう。
何か裏があるのかもしれない……。
黙ってシエルを見つづけた。
「お友達料金」
声の方は、どうやら完全に通常運転のようだった。
しかし、なぜか顔は下を向いたままだった。
「今日は大変ご無礼をいたしました。もともと我々では用途が限られていましたし、ギルドの方でも真新しい発見はなかったようです。それよりも、今日はこうしてお目にかかれた方が、我々にとっても喜ばしいことでした。今後できましたら、ヘリオス様とお友達になることをお許しいただければと思います」
バーンはそう言って、メルクーアに対して説明していた。
シエルの説明不足を補っていると同時に、この事態を収拾する最高の一手だった。
「ヘリオス。出会いというものは大切にしなければならないことを、この方たちはよくご存じなのです。あなたと話して、知り合えたことが、この魔道具の価値以上にあると判断されたのでしょう。先ほどあなたが長幼の序といいましたように、ご好意は素直に受け取ってよいと思いますよ」
メルクーアはバーンの意図をしっかりとつかみ取ったようだった。
これでは、俺が折れるしかない。
まあ、それもいいのかもしれない。
お互いに、この交渉で目的のものを手に入れた。
俺は首飾りを。
バーンとシエルはつながりを。
いや、この場合、俺の方に利益が大きい。
俺もバーンとシエルの出会いを価値あるものと考えていた。
「……。ありがとうございます。では、甘えさせていただきます」
シエルとバーンに笑顔でお礼を伝えていた。
***
「それでは失礼いたします」
ヘリオスとメルクーアは全員に挨拶をしていた。
最初からそうだが、貴族の対応ではなかった。
途中、ヘリオスは魔術師ギルドの受付嬢に何やら尋ねているようだった。
物珍しいのだろう、あれこれと質問しているようだった。
メルクーアはそれをほほえましく見つめていた。
その後、笑顔で魔術師ギルドを後にしている。
受付達は、ヘリオスの話題でもちきりだった。
今日はこの町で宿泊し、明日はこの町を見学するらしい。
シエルがその案内に名乗りを上げたのは言うまでもない。
その後俺たちは、自然と部屋にもどり、今日のことを話しあった。
もちろんその中心はヘリオスについてだった。
「いや、さすがは英雄の息子だけはある。10歳であれだとどうなるんだ?みたところ母親と同じ古代語魔法だろ?風の精霊の加護もあるようだし両系統の魔術師になるのか?」
ギルドマスターはさすがに精霊のことを見破っていた。
「いや、それだけじゃない。俺は正直魔法なんてわからんが、それ以上に交渉力、判断力、理解力、決断力が半端ない。そしてなによりも収束力だ」
本当に、今日はいい出会いをした。
朝からの時間の浪費を帳消しにできる。
「収束力とは?聞かない言葉だな」
ギルドマスターはけげんな表情を浮かべてその意味を聞いてきた。
「物事を集める力だよ。それは人であったり、ものであったり、知識であったり。とにかく自分に必要なものを集める力かな?一言でいうとリーダーの器だってこと」
マスターにわかるように、大まかな説明をする。
「ああ、それならわかるな。さすが英雄の資質」
ギルドマスターは納得したようにそう答えた。
「しかし、いい買い物をしたな。おまえら」
ギルドマスターは心底羨ましそうにしていた。
「まあな、あの首飾りには感謝するぜ。正直鑑定を聞いた時には、苦労を考えると壊そうかとも思ったさ。でもあの時シエルが、何かの役に立つかもといって自分のものにしたことが、幸いだった」
あの時のシエルは、このことを想定はしていない。
ただ、精霊を不当に拘束するものではないと知った時、一瞬だが、何か考えたようだった。
それが何かわからないが、まさかあのことだとは思えない。
俺の心配をよそに、シエルはいつものシエルに戻っていた。
無用なことは話さない。
さっきからずっと押し黙っている。
「そう、わたしのおかげ。だからヘリオスはわたしのもの」
腰に手を当て、高らかに宣言しだした。
鼻息荒く、再び繰り返していた。
頭の中で、いろいろ考えているのだろう。
その目は遠くを見ていた。
「おまえ……そんなやつだっけ?」
この変化に、俺は正直ついていけなかった。
しかし、その気持ちだけは理解できた。
「まあ、今日の出会いに感謝してみますか!」
俺もまた、高らかにそう宣言していた。
「おまえたち、いいコンビだよ……」
ギルドマスターの賞賛を惜しみなく受けておいた。
***
「お母さま、今日はありがとうございました。僕はこれを大切にします」
ヘリオスは宿に着くと、私にそう言って感謝していた。
「今日のことは立派でした。特に魔法を使わない交渉をしっかり見せていただきました。本当によくやりました。これで安心して外にも出せます」
この子はたまに、とんでもない力を見せるかと思えば、そうでないときもある。
魔力マナにしてもそうだ。
以前のような圧倒的なものは全くないが、訓練で使わせると、それがわかる。
しかも、そうでないときもあるので理解に苦しむのだが……。
今回の遺物に関しても、さまざまな遺物、魔道具のことが知りたいというから、たまたまそういうものが発見されたことを話しただけ。
珍しく、どうしてもそれが欲しいというわがままを言い出した。
正直この子から物をせがまれるとは思っていなかった。
私が行ってきたことを考えると、普通の親子のようにできないと思っていた。
つい、欲が出てしまった。
この子とそんな時間を過ごしてみたい。
私に与えられた時間は、あとどれだけあるか……。
禁忌の呪法の代償は、確実に私の体をむしばんでいた。
その結果、とんでもないことを成し遂げた。
古代王国期の遺物を交渉で無料にするなんて通常考えられないことだった。
多少変なことはあったにしても、無料というのはいきすぎだった。
これはやはりアカデミーに入学させるべきだ。
この子の才能を先生に伸ばしてもらおう。
この子の中にある不思議な物。
それは私ではわからない。
そのためにも今回の首飾りはとてもいいものだ。
古代語魔法の使い手に、精霊の加護となると、命を狙われかねない。
あの人たちは大丈夫だという自信がある。
しかし、アカデミーでは特に注意しなければならない……。
王立アカデミーは他国の子弟も留学してくる。
モーント辺境伯家の三男とはいえ、軍事力として認識されかねない。
秘匿は必要だろう。
マルスにも秘密にしているし……。
マルスが何やらよからぬことをしているのは、私もうすうす感じている。
あの人は全く変わってしまった。
アデリシアの愛した人は、もうどこにもいない。
アデリシアの見た夢を信じて、私は今ここにいる。
いえ、もうそれだけではない。
私は、ヘリオスのために私のすべてをかけましょう。
マルスが何を考えているのかわからない。
けれど、それにヘリオスを巻き込まないようにする。
それが、私があの子にしてあげられる、唯一の罪滅ぼし。
「ヘリオスさえ無事ならばよい……」
そのためにも、あの二人にも役に立ってもらいましょう。
本当に、ここに来てよかったわ。
マルスの英雄への一歩は、この都市から始まっている。
ヘリオスもまた、一歩この都市で歩みだした。
その先がどこに向かうのかわからない。
その先を見守ることはおそらくできない。
ならば、せめてその道がさびしくないようにしてあげたい。
その道が、苦しくないようにしてあげた。
後はお願いします。デルバー先生。
手紙を書き、それを魔法で封印する。
ヘリオスの明日を信じて。
文字数も多くなった改稿物語
ここで伏せられている内容は、外伝で明らかとなってます。メルクーアは孤高の英雄(マルス英雄譚)で、その想いを述べています。バーンとシエルの関係と、シエルの首飾りの想いは外伝、空という名の少女でつづられます。
デルバーとアイオロスの物語は、もう少し本編が進んでからの方が良いと思います。