おかえりなさい(ジュアン王国)
とうとうアポロンは悪魔を殴り飛ばしました。
「オヤジたすかったよ! ああいう戦い方もあるんだな」
アポロンは興奮した顔で、アイツに報告していた。
よほど興奮しているのね。
これだけ距離があるのに、しっかりと聞こえてくる。
さっきまで全く歯が立たなかった相手だったのに、アイツの登場で状況は激変した。
まさに、一方的よね。
アイツの一撃で瀕死に近いダメージを負ったのかもしれない。
その後、あの悪魔の動きは、精彩さを欠いていた。
しかし、そうだとしても実力的に劣っていたのであれば、アポロンの攻撃がとどめを刺すこともないはず。
もともと戦い方の問題だったというわけね……。
アイツは、まだ、あの悪魔が消えたあたりを調べている。
ノルンと何かを話しているみたい……。
そっちも気になるけど、今はこっち。
「結局、どういうことなの?」
こっちにやってきたアポロンに、改めて聞いてみた。
戦い方の問題なら、その戦い方を知りたい。
元々興味がわくと、際限なく知りたいと思う性格ということもあるけど……。
悔しかった……。
絶望し、諦めた自分が情けなかった。
もし、私が出来ることだったなら、次に私が同じことに遭遇した時にあきらめなくていい。
そして、私も戦う事が出来るかもしれない。
早く言え。
たぶん私の顔にはそう書いてあるに違いない。
それほどその答えに期待し、軽い興奮を感じていた。
「ん? たたくだけ」
アポロンの説明は、簡潔すぎた。
私の期待を返せ、ばか。
「うん。ボス叩いてただけだね。でも、たまには蹴りいれないと。フェイントの意味で」
ヒアキントスは戦い方について意見していた。
そう言えば、かなり真剣に見ていたわね。
でも、そんな感想はこの際どうでもいいのよ。
「いや、俺は拳ひとつでやっていきたいんだ。足技はなし」
アポロンは自分の戦い方に信念を持っているようだった。
何の矜持よ? ていうか、私の質問にちゃんと答えなさい。
私がため息を吐いて、その言葉を言う前に、ダプネが冷たく言い放っていた。
「マスター、ヒアキントス。王のまえでのおバカな会話はやめてください」
ダプネの目は、二人の体を突き刺すように冷たかった。
この子、ほんとにアイツの前では優等生だわ……。
「はい……」
「……はい」
二人して謝っている……。
おいおい、君は仮にもこの子の契約主でしょうに……。
この子たちの関係っていったいどうなってるのよ……。
「我にもわからん。が、王が楽しそうだからよいではないのか」
それを眺めるインドラが、楽しそうにつぶやいてきた。
インドラ、初対面のあなたまで、アイツを王って呼ぶんだ……。
鈍感王と思ってたから流していたけど、前からそれ、気になってたのよね。
「ねえ、インドラ。ダプネもあなたも、王って言ってるけど、それってヘリオスのことなのよね? なぜ、あなたたちはアイツを王と呼ぶのかしら」
前々からの疑問をインドラに投げかけてみた。
「王は王だから王なのだ」
偉そうに答えるインドラ。
心なしか、誇らしげにしている。
なにそれ?
どこの世界の謎かけ?
「いや、だから……。言い方を変えるわ。あなたたちが王と呼ぶアイツは何の王様なの?」
聞き方に問題があったのかもしれない。
少なくとも、これなら謎かけにはならないでしょう。
「我らが王と呼ぶのはただ一つの存在。精霊王のみ」
インドラの言葉は私の理解を超えていた。
「はあ? 精霊王?」
不覚にも、間抜けな声を上げていた。
全員が私達の方に向き直った。
丁度、戻ってきたアイツと目があった。
「ダプネ。君も場所をわきまえようね……」
アイツはダプネの頭に手を置くと、二度軽く叩いていた。
今にも泣きそうな顔でうつむくダプネ。
それを見たヒアキントスが、何やら楽しそうにしている。
「まあ、いずれはわかることだけどね。雷精。君もおしゃべりだよ? というか君が直接、暴露したんじゃないかな?」
「もうしわけなく……」
インドラはその場で跪いて、頭を下げていた。
ダプネの氷の視線が、容赦なくインドラを貫いている。
「いや、いいよ。さっきも言ったけど、いずれわかることだしね。それよりも君、名前は?」
インドラの肩に手を置きながら、名乗るように問いかけている。
この子、私の契約の時、かなり強情だったから……。
「我は雷の精霊。名をインドラと申します」
あっけないほど、簡単に教えていた。
私の時はあれほど渋ったくせに!
少し腹が立ったけど、それはすぐに驚きに変わった。
「そうか、インドラよ。ではそなたに命じる。ユノを守れ」
たったそれだけの言葉。
「はっ」
インドラが、短く応えたその瞬間、私にもわかるほどインドラの存在感が増していた。
それを見届けた後、満足そうにインドラから手を離している。
「おお、すばらしい。このような……。王よ。感謝いたします」
インドラは深く感謝していた。
「たのんだよ」
それに対して、コイツの返答は軽かった。
でも、それどころじゃない。
「え? どういうこと……」
目の前で起こったこと、精霊王という言葉、すべて理解したけど、納得できなかった。
「そういうことです。でもね、ユノ。一応、秘密ですよ」
そう言って、片目をつぶって見せてくる。
ていうか、また私に秘密にしてたわね……。
私のにらみを、涼しげな笑顔で応えている。
「……まあ、いいわ」
ため息とともに、納得していた。
コイツが何者あったとしても、私にとって、コイツはヘリオス。
もう、それでよかった。
「それより、元の質問。まだ答えてもらってないんですけど? いったいどういう事?」
アポロンではらちが明かない。
コイツに文句を言ってもいいだろう。
「ああ、悪魔には結界があるって言ったよね。あの結界は積層型に組まれてるんだけど、かなり肉体に近いところにあるんだ。悪魔がこの世界に具現化した時、その結界で自身を構成しているものを守ってるんだけどね。だから、その結界がなくなると、急激にこちら側での力を失う。で、そもそもその結界は魔力を介した事象は効果がないんだ。なにせ、その結界は魔力を吸収しているからね。それを上回る力がないと、壊すまでにいかず、吸収されるだけになる。今の古代語魔法では、悪魔の結界を超えるのは難しいね。超古代では、そうでもなかったみたいだけど……。ちなみに、悪魔のこの結界をヒントにして、魔剣クランフェアファルは作られているみたい。だから、魔力ではなく、違う力で対抗するのがいいんだよ。まあ、一番は霊力を直接たたきこむのがいいんだと思う。精霊の力も直接叩き込めば有効だよ」
私の質問を聞いてたかのように、淡々と説明してきた。
確かに、講義で習ったわ。
確か、英雄の出来事を問い詰めた時、魔剣クランフェアファルはへし折ったって言ってたわよね。
つまりは、無効な力でも、それを凌駕すれば対応は可能ってこと?
そして、悪魔には魔力ではなく、他の力で対抗すべきってことよね。
精霊の力は分かる。
でも、霊力をどうやって?
「んー」
理解に苦しむ。
仕組みは理解できたわ。
でも具体的にどうしたんだろう。
そんな私の考えを見抜いたのか、コイツはその話をしてきた。
「具体的にはね、アポロンはあの悪魔を回復するつもりで殴り続けたということだよ」
笑顔であっさりと告げてきた。
「はあ? それって、おかしくないの?」
殴りながら回復する。
じゃない。
回復しながら殴るの?
なんだか妙な気分よね?
「実際に、そういう技もあるからね。過治療といって主に修道士の技だけど、アポロンはそれを習得しているからね。霊力を叩き込むコツを教えたらすぐにできたよ」
そういうことか……。
コイツがメレナ先輩にあの子を預けた理由が分かった。
すべて、この日のためでもあったんだ。
あらゆる可能性を考慮して、どんな経路をたどったとしても、それに対応できるようにしておく。
準備段階で、すでにコイツの手の中というわけね。
あーもういいや。
なんだか、張り合うのもばかばかしいわ。
でも、だからこそ、こいつの力になれるのも私だと思う。
コイツのことを理解できる私だから、コイツの力になることができる。
「それで、あんなにあっけなかったのね」
私の言葉に得意満面のアポロン。
まあ、あれだけ苦戦したあとだから、喜びも大きいのはわかるわ。
「もし、そう見えたとしたら、それはアポロンが強すぎたともいえるんだけどね。たぶんあれは、悪魔王に近いものだよ。やり方が分かっても、実際には小さな霊力なら、積層型の結界で阻まれる。結界を超える霊力を叩き込んだから、こっちの世界にいることができなかっただけ。だから、悪魔界に行くと奴はぴんぴんしていると思うよ、たぶん」
なるほどね、こちら側だから追い返せるということか……。
そして、それが勝と言う事ね。
じゃあ、あの断末魔のような悲鳴ってなんだろう?
そんな私の疑問は、素直に照れているアポロンをみると吹き飛んでいた。
とりあえず、追い返す方法さえわかればいいわ……。
でも、それだけ異なる世界に出現するには、大きなエネルギーを必要とするわけね。
召喚という出入り口は確保されても、この世界でその姿を維持するのに膨大な力を必要として、そして制限も受けるんだ。
まあ、それが召喚だものね。
もしも、悪魔がその姿を維持するのに力を使わずにいられたら、その力の制限を無くしたら、とてつもない力を持つってことよね……。
「いずれにしても、もう戦いたくはないわね」
素直な感想だった。
自分一人なら勝てる気がしなかった。
というよりも、戦う選択が間違っている。
「そうだね。ああいうものを呼び出すものではないよね」
その顔……。
コイツが時折見せるその顔は、どこか寂しげでもある。
ねえ、何を考えてるの?
少し儚げなその顔に、なんだかとっても危うさを感じる。
でも、なんて言ったらいいの?
迷う私の心からは、コイツにかける言葉が見つからなかった。
それでも、一歩踏み出す。
今は言葉が見つからなくても、探し出せばいい。
今、コイツの手を取らなくてはいけない気がした。
コイツの手をとり、その顔を見た時、隣からお兄さまのうめき声が聞こえた。
コイツは私の手に手を当て、そのまま私の手を離す。
そして、くるりと向きを変えて、私の背中を軽く押してきた。
一瞬覗き見たコイツの顔は、いつもの笑顔だった。
「お兄さま?」
そばにより、よんでみた。
私の声に反応するかのように、再び唸るお兄様。
その手を握り、もう一度呼びかけてみた。
「ああ、ジュノン……。ユノ……」
うっすらと瞳を開けて、お兄さまは目を覚ます。
私を見たお兄様の顔は、みるみる苦悩にゆがんでいった。
結界が徐々になくなり、それまで浮いていたお兄さまの体が地面に横たわる。
「私は、君にひどいことをしたというのに、まだ兄と呼んでくれるのか……」
体を起こしたお兄さまは、そのまま座り、目を瞑って考えこんでいるようだった。
「ユリウス将軍。あなたは魔剣解放時にすでに死んでいます。本来であれば、その魂は、魔界へと連れて行かれるはずでした。でも、ユノの想いが、あなたをこの世界にとどめた」
いつの間にかそばに来たアイツは、お兄さまを見下ろしていた。
その雰囲気はいつものアイツじゃなかった。
壮大で、威厳のある雰囲気。
恐怖を感じないのは、たぶん私がアイツを知っているからだわ……。
とても一人の人間が持つ雰囲気じゃない。
お兄様もそう感じたのだろう、姿勢を正し、かしこまっていた。
「あなたには、二つの選択肢があります。招かれざる異世界人よ。自らの罪を嘆き、その重さに耐えきれずに、このままその魂をこの世界から消滅させるか。それとも、自らの罪を背負い、この世界の人々に尽くすか。いずれにせよ、世界が受け入れるには、あなたの強い意志を示すことが必要です。もし、その覚悟があいまいであれば、再び世界はあなたを飲み込むでしょう」
圧倒的な力とすべてを包み込む優しさで、アイツはお兄さまを見ていた。
「あなたはいったい……」
呆けたように尋ねるお兄さま。
その気持ちは分からなくもないけど、ちゃんと答えてよ……。
「私が何者であったとしても、あなたの選択には関係ありません。ただ、あなたの力にはなれるかもしれません。それは、あなた次第です。あなたには、あなたを信じて待っている人がいます。その人の願いをわたしはほんの少し後押ししたにすぎません」
静かだけど、力強い言葉だった。
そして、やっぱりそうだった……。
「そうか……。私は大切なものを失ったあまり、周りが見えなくなっていたのだな。私が大切にしていたいものは、私が思っている以上に大切なものだった……。私はそんなことにも気づかなかったのか……。ありがとう、気づかせてくれて。私はそのことに気が付かずに、消えてしまうところだった。それどころか、自分で大切なものまで失う所だった」
目を瞑り、お兄さまは静かに考えていた。
そんなお兄さまを、私もアイツも、ただ見つめている。
アイツの想いは分からない。
でも私は、どんな答えであっても受け入れよう。
それが私のお兄さまの出す答えだから……。
ふと、アイツの優しげな視線を感じた。
いつの間にか、私の両手は祈るように握りしめられていた。
「…………。許されるのであれば、償いがしたい。この身はすでにないものとして、私のために、いろいろと失った人たちに、少しでも役立ちたい」
アイツを見るユリウス兄さまの姿は、かつての兄様の感じがした。
私の敬愛する兄さまが、帰ってきた。
「おかえりなさい、お兄さま」
気が付くと、私は泣いていた。
「ジュノン……。ユノ女王陛下……。どうか、泣かないでほしい。私が間違っていました。許してほしいとはいいません。ただ、この罪を背負って償っていく機会を与えていただければと思います」
振り返ったお兄さまは、私の前で跪き、真剣に、そう宣言していた。
私は何も言えず、両手で口を覆っていた。
「ユノ……」
さっきまでお兄さまの前だったのに、いつの間にか私の隣に来て、肩に手を置いていた。
そっとその顔をのぞき見る。
コイツの顔はすでに前を向いていた。
その視線の先、はるかかなたに王城があった。
「摂政ユリウス。そなたの任を解きます。これからは、ユリウス将軍として、もう一度やり直しなさい。あなたの最初の仕事は、国内の安定です。王城に戻り、私の言葉を伝えなさい。女王ユノは、今この時を持って正式に即位をしたと。すべての貴族を王城に集めなさい」
高らかに宣言する私は、すでに女王として歩いている。
この時この瞬間から、私は泣くことは許されない。
「アウグスト王国からの親書は、僕が持っています。ユノ女王陛下。アウグスト王ハイス=ナーレスツァイト=ウル=アウグスト陛下は、ユノ女王陛下とより親密な関係をお望みです。私、ヘリオス=フォン=ノイモーント伯爵はその全権を任されております」
そう言うとコイツは左目をつぶって見せた。
なるほど、デルバー先生からの応援なのね。
ありがたくなった私は、思わず頭を下げそうになっていた。
「ユノ。今の君は下を向いちゃいけないよ」
コイツの笑顔はいつも通りの笑顔だった。
その笑顔は反則だ。
「うるさい! ばか!」
思わず、本音が飛び出てしまった。
「まあ、今は僕もただのヘリオスだけどね」
声を出して笑うコイツを、久しぶりに見た気がする。
つられて、精霊たちも笑顔だった。
そうね。
でも……。
この時間が、ずっと続けばいいのにという願いは、心の片隅にそっとしまいこむことにした。
ヘリオスの精霊王としての存在を知ったユノ。そして、許されたユリウス。
ジュアン王国の立て直しはどうなるか?




