強さの意味(ジュアン王国)
大火力の魔法攻撃も悪魔には通じませんでした。
どうしようもない力の差に、ユノの心は折れていきます。
「ありえない……」
あれだけの攻撃をまともに受けているはずなのに、あの悪魔は平然としていた。
しかも、あれだけの冷気、あれだけの熱気の中で、優雅に紅茶を飲んでいる。
まさかとは思うけど、水と熱はそこから?
こんなの知らない……。
こんなの、人が戦うという選択をすること自体間違っている……。
小刻みに震える体が、正直に私に告げている。
夢だったらどれほどいいか……。
でも、この熱気も振動も、私の目の前で起こっている現実。
「くそ! どうなってやがる」
アポロンのうめきが、現実であることを物語る。
彼はまだあきらめてはいなかった。
ヒアキントスも悔しそうにしている。
「マスター。多重結界です。今ので少しは突破してます」
ダプネは冷静に観察していたようだった。
あなた達、気は確かなの?
こんなのと、まだ戦うというの?
こんなの、私たちの手で何とかできるはずないじゃない……。
でも、私だけが絶望しているとわかると、少しだけ冷静になれていた。
「うんうん、そこの氷の精霊ちゃんの言うとおりだわぁ。我ら悪魔族はこの身を自然と結界が覆っているのよね。そこを突き破れないとだめね。あなたの魔法はね……。うーん……。まあ五枚くらいは突き破ってきたわよ、たぶん。そういえば、新記録よ? おめでとう。でも、なんだかがっかりしちゃったわ。悪魔王が気になるって言ってたから、わざわざ出てきたのけど、この程度じゃね……」
今まで以上に、アポロンをじっと見つめる悪魔。
その表情が、微妙に変化したように感じた。
「あら? でも、あなたヘリオスってのじゃないのね?」
言うが早いか、アポロンのすぐそばに来る悪魔。
「でもー。そっくりよね。魂の波動が少し違うのかな? 映像で見ただけだからわかんないわね。ふふ、もっともあなたたちの区別って、元々つきにくいのだけどね」
アポロンの髪を触ろうと手を伸ばしていた。
「触るな! 気色悪い!」
その手を振り払い、距離を取るアポロン。
その眼は怒りに燃えている。
「あら~。勇ましいのね。そういうの、私も好きだけど、もうそろそろ終わりにするわね。この人間も限界に近いようだし。わたしもなんだか、飽きちゃったしね」
元の位置に戻った悪魔は、お兄さまを引き寄せようと手を伸ばす。
「あら?」
自分の手に感触がなかったことを不思議に思ったのか、顔をそこに向ける悪魔。
でも、さっきまでお兄さまを漂わせていたところには、お兄さまはいなかった。
「あら? あら? あらら? どこいったのかしら?」
方々探し始めて、はるか上空に浮いているのを見つけたようだった。
悪魔の視線につられて、私もそれを見る。
「いつの間にそんなところに! あなた、なにもの! 降りてらっしゃい!」
少し苛立っているのかしら?
私たちを前に見せていた、余裕の態度は完全に消えていた。
「いえ、お話の途中で申し訳なかったですし、彼も瀕死でしたから先に治療しておこうと思いまして」
懐かしい声が徐々に下りてくる。
なんだろう、この安心感。
さっきまでの絶望感がまるで嘘のように消えていた。
アイツだ。
アイツが来てくれた。
たったそれだけで、この場の空気が変わっていた。
小さな背中が、私たちの前に降り立った。
その途端、私の目の前には、大きな山が出来た気分だった。
「初めまして、悪魔……公?さん。名前はまあいいです。僕はあなた方に干渉する気はありませんし、できたら穏便に手を引いていただけるとありがたいです。もちろん、彼のことはあきらめていただきますけどね」
無造作にお兄さまの結界をやぶり、別の結界に包んでいる。
「魔剣の契約よ? 私からできるわけ、ないじゃない! どうしてもというなら、私を追い返すしかないわ! できるならね!」
悪魔はなぜか遠ざかっていく。
「そうですよね……。では、悪魔王にお伝えください。僕は当面そちらと事を構える気はありません。こちらの不始末は、こちらでつけますので、そちらも静観していただけるとありがたいです。あなた方も、色々と忙しいでしょ? まあ、あなたがこれから負うけがのお詫びは、改めて挨拶に行きますよ」
まるで子供同士の喧嘩に、年上の子供が乱入したことを責めるような言い方……。
ゆったりと手袋をつけながら、悪魔に対して近づいていく。
ダプネが近寄り、お兄さまを受け取っていた。
「はん。そんなこと、約束しないわよ!」
悪魔は押されるようにして、また遠ざかっていく。
「アポロン。悪魔の結界の破り方を教えます。ちゃんと見ておくのです。やり方は今思念で送った通りですよ」
アイツは悪魔を無視して、こっちを振り返っている。
アポロンも無言で頷いている。
相変わらずゆっくり悪魔に近寄っていくアイツ。
その分、遠ざかる悪魔。
両者の距離は一向に縮まらなかった。
ただ、私たちとの距離が開いていった。
「では、はじめましょう、ちょっとじっとしておきなさい」
無造作に、アイツは悪魔の顔を殴りつけていた。
悪魔はその衝撃で、吹き飛ばされていく。
もう跡形もない丘の残骸をつきぬけ、あたりの巨石をなぎ倒し、地面にめり込んでいた。
「え?」
見たままのことが、信じられなかった。
一瞬で近づいて、顔面を殴っただけに見えた。
見逃したの?
アポロンに比べると技術も何もあったもんじゃない。
無骨なまでの一撃。
そう、ただ近づいて、殴っただけに感じた。
でも、悪魔はその一瞬で体を硬直し、アイツに殴られたように見えた。
「あれ? 意外と弱い悪魔だった?」
アイツは自分の拳と悪魔を交互に見ながら同意を求めていた。
「んー。まあ、たぶん爵位もちだとは思うけど、わからんわ。名前聞いとけばよかったのに」
ノルンが出現し、お手上げといった感じで反応していた。
「という感じだ、アポロン。君もできるからやってみるといい」
アイツはアポロンを手招きして、もう一度何やら話している。
アポロンも真剣に頷いている。
その顔……。
すでにあの悪魔のことを気にかけていない顔だわ……。
アポロンに教えることに集中している。
「ふふ……。これは……。わたしの……」
悪魔は最後まで言葉を言えなかった。
アイツから何かを聞いたアポロンは、さっきまで手も足も出なかった悪魔を滅多打ちにしていた。
時折悪魔が反撃するも、華麗な動きでかわしつつ、その隙に拳を叩き込んでいた。
アイツの動きに比べると、アポロンの動きは華麗だった。
舞い踊るようにしなやかで、そして電撃のように鋭く。
「なんだか、生き生きしてるわ……」
思わず、そう漏らしていた。
「そうだね。知っていれば、アポロンが苦戦することはないんだよ。ただ、あの悪魔がユリウスの魂ごと帰ると厄介だったからね。油断して離れるまで我慢したよ」
いつの間にかやってきたコイツのそばに、ダプネがお兄さまを連れてきた。
「おかえり、ユノ。がんばったね。そして、お疲れ様」
満面の笑顔だった。
私の頭をなでる手が心地よい……。
でも、それだけに、無性に腹が立った。
「ねえ、ヘリオス。アポロンから聞いたんだけどね。なに? シエルさんのお腹は、どうなってるのかな? あと、髪。き・ち・ん・と、説明してくれるわよね?」
気が付くと、アイツの目と鼻の先に顔を近づけて説明を求めていた。
「うん。まあ、いろいろややこしいから、帰ってから話すよ。今は、アポロンの戦いを見守るのと、ユリウスを救うのが先だよ」
私の肩に両手を置き、少し離してからそう告げてきた。
優しく笑顔を向けてくれる。
なんだか少し、満足した気分になっていた。
でも、はぐらかされた……。
あれ?
でも、え?
ちょっとまって……。
いま、救うって言った?
「ちょっと、救うって……」
その先の言葉は出なかった。
あきらめていたのに。
決断したのに。
なのに、またもコイツはそれも覆してきた。
「文字通りの意味だよ。あの魔剣シリーズは所有者と同化するか、乗っ取るか、するからね。ユリウスの場合は同化してたようだけどね。でも、悪魔が出現したから魔剣とは完全に分離したとおもう。今なら何とかできるよ。あとは本人次第さ。僕だったら無理だったけど、アポロンならギリギリ大丈夫だと思ったよ」
お兄さまの状態をもう一度確認した後、視線はアポロンに向けている。
まったく、コイツは信じられないことを考えていた。
アポロンの乱入により、お兄さまへの攻撃を自分からアポロンに変えた。
そして、お兄さまがぎりぎり生き残ることを考えた。
そして悪魔を呼び出すことも……。
そうしたうえで、お兄さまを救う方法に変えたんだ。
もう、何も言えなかった。
ただ、ひとこと。
これだけは言えそうだった。
「ありがとう」
頬に伝わる涙を感じる。
私はまだどこかであきらめきれていなかったんだ……。
そして、最後の最後まであきらめずに、その方法を探してくれていたコイツに、これ以上の言葉で気持ちを伝える方法を知らなかった。
「ユノ、君にはいろいろつらい決断を迫ったと思う。ごめん」
本当に申し訳なさそうに謝っている。
そんな姿、めったに見られないだろうなと、どこかで考える私がいた。
「いいわ。私のこれからのことを考えて、あえてつらい決断をしっかりと下せるようにってことでしょ? もう大丈夫よ。私は女王だもの。決断する時には、しっかりと決断するわ。大事なことを見失わないように。目的と手段をはき違えないようにするわ」
腕組みして、目を瞑る。
ちょっと顔を横に向けながら、そっとコイツの顔を細目で覗き見た。
「そうか……」
驚いた顔で、コイツは何かを考えているようだった。
「ユノ。君は強い人だ。正しい判断と理解。そして正しい決断をしようと努力している。それは君の強さだと思う。でも、忘れないで。君が持つ強さ、それを持たない人たちの上に、君がいるんだということを」
真剣な表情だった。
思わず、正面から向き合っていた。
「強さは、弱さを理解している事でもあるんだ。だから、耳を傾けることだけは忘れないでほしい。でなければ、君の強さを誤解する人が出てくる。弱いところがないのが強いということじゃないんだ」
悲しそうな顔……。
コイツは英雄のことを考えている。
わたしに、その失敗をさせまいと教えているんだ……。
悪魔の断末魔の叫びが聞こえる中、私はコイツの言葉の意味をかみしめていた。
強さについて考えるユノでした。