優しい闇(ジュアン王国)
ユノは婚姻の儀式で使った神殿の丘でまっていました。
薄暗い世界の中、再び私はここに立っていた。
一歩一歩、踏みしめて歩く。
星明りはあるけど、足元はよく見えない。
朝日が昇るにはまだ、時間がかかる。
けれど、世界は少しずつその姿を変えていた。
今ある薄暗い世界は、色々なものを隠している。
さっきまでの暗闇の世界は、それすらも分からない。
見えないもの。
見たくないもの。
見る者の意志とは無関係に、それは隠していた。
悪意でも、善意でもない。
暗闇の世界はそこにあるだけ。
暗闇の世界というのは、そういうものをすべて包み込む世界。
それも、まもなく明けようとしていた。
私の目の前には、見えない向こう側がある。
見えないものには、不安が付いてくる。
その不安が何を現すのか、私は知らない。
ただ、言い知れぬ不安は私を押しつぶそうとすることは確かだった。
だから、見ようとする。
不安を取り除くために?
『自ら視界を落としてはいけない』
何かが私にそう告げたようだった。
自らの意志で視界を上げていく、するとそこには瞬く星々があった。
自ら輝ける星もあれば、光を受けている星もあるという。
その違いは何だろう?
そんなことを考えても、私にはわからない。
分からないけど、不安にはならない。
そして、それを気にしたところで、星々が織りなすこの夜空の光景に、いったいどのような変化があるというのだろう?
私の見え方が、変わるのだろうか?
少なくとも、見るところを違えただけで、私が見えるものは変わっていた。
丘の下には、まだ暗い世界が広がっている。
でも、さっきまでただの暗闇だけと思っていた世界は、星の光がほのかに降り注ぐ優しい暗闇の世界に変わっていた。
そして見えない不安も、さっきとは全く違っていた。
「こうして丘の上に立つと、つい下を見てしまうのね」
思わず声に出していた。
それではいけないんだ。
世界はこんなにも変化に富んでいた。
暗闇の世界には、驚くべき悪意や恐怖といったものが隠されるのかもしれない。
それを明るい世界に出して、安心するという方法は確かに良いことなのかもしれない。
でも……。
もしも、善意でそこに隠されていたら?
それを、あえて明らかににする必要はあるのかしら?
私の疑問に、誰も答えをくれない。
ただ、時間は私を待ってはくれなかった。
さっきよりも、世界は明るくなっている。
暗闇の世界は終わりを見せる。
丘の下は、まだ薄暗い。
それでも何があるのか、だんだんとわかるようになってきた。
どんどん明るくなると、どんどんわかることが増えていく。
それでもわからないことはある。
例えばあの大岩。
あそこに大岩があるのは見えている。
あの裏側がどうなっているのか、ここからではわからない。
わからないことは、不安になる。
不安は排除したくなる。
もし、大岩をどければ、ここからでもその裏側だった場所も見る事が出来る。
それで、安心する。
しかし、大岩をどけたことにより、そこに大穴が広がってしまったら?
それは新たな不安にはならないのだろうか?
大岩の後ろに、何が隠されていても、それを見る必要はあるのかしら?
分からないことを分かるようにすることが、全てなのかしら?
不安をなくすため、安心を得るために、隠された真実を浮き彫りにすることが正しいのか。
何らかの変化が訪れるまで、あるがままを受け入れる方が正しいのか。
それすら今の私には答えられない。
少なくとも、大岩は、今は何もしていない。
将来に何かするわけではないのかもしれない。
その大岩の後ろに隠してあったとしても、それを見る必要はないのかもしれない。
「あーもう、わかんない!」
思わず叫んでしまった。
「何が分からないんだ?」
いつもの調子で近づくアポロン。
まっすぐに私を見つめるその瞳には、不安そうな私が映っている。
ああ、君はそういう私を見ているからか……。
「なんでもない。考え事がまとまらなくてね」
だから、この子は私を守ろうとするんだ……。
この子の中で、私はいつも不安におびえているに違いない。
「そうか。まっ、眠れないのも分かるけど、休んだ方がいい。まだ太陽は昇らないよ」
アポロンは片手をあげて、元いた神殿に戻っていく。
あの婚礼で使われるだけの神殿。
そこには仮眠を取れる場所もあった。
もう一眠りするつもりなんだろう。
「君はすべてを明るみに出したい人だよね」
何故かわからないけど、アポロンの背中に向かってそうつぶやいていた。
アポロンは自分の考えに正直だった。
自分が納得できなければ、それを是正すべく行動することができる。
私はどうなのだろう?
事ここに及んでも、やはり心のどこかで迷いがある。
お兄さまを倒して、その口から何を聞こうというのか……。
私は果たし状に書いてしまった内容を後悔していた。
いまさら、何を語ってほしいのだろう?
実は本心じゃなかったんだ?
そんな言葉をもらったところで、いったいどんな価値があるのだろう?
私の事なのに、私の気持ちが分からない……。
アポロンは私を助けるために、ここにきている。
アイツを殴り倒してまで、ここに駆けつけていた。
そして、今は共に戦う決心をしてくれていた。
うれしいがけど、なにか物足りない。
私の心はこれからのお兄さまとのことで、不安定にゆれている。
その揺れを支えてほしいとは思わない。
いや、思っているのかもしれないけど、それだけではない気がする。
「全く、何を考えているのよ……」
ため息とともに、ますますわからない自分の気持ちに嫌気がする。
たぶん、私は怖いと思っている。
お兄さまと戦う決心はしたものの、戦った後のことを想像できていない。
結局、私はお兄さまのことをどう思っているの?
許せるの?
許せないの?
今は許せない。
けど、これからもそう?
胸を張って、そう言い切れる?
それにしっかりと答えることができなかった。
お兄さまの隠された気持ちを知った時に、私はどう思うの?
それすらもあやふやなのよね……。
見えていた姿がすべてかもしれない。
でも、英雄マルスのことを聞いている私は、気になっていることが一つある。
お兄さまの剣は英雄マルスと同じ人が作っている。
私の中で隠された真実という、一つの仮説が生まれている。
いえ、それは希望なのよね……。
お兄さまが魔剣に操られている、もしくは英雄マルスと同じように、魔剣に乗っ取られている。
そういう希望。
それを支える、そう思いたい私。
まるで人が変わったような印象は、人が変わったと思いたい。
たぶん、私はそう思っている。
あれが、お兄さまからでていたのか、それともお兄さまが封じられているから出ていたのか……。
そこを明らかにして、私は本当に大丈夫なの?
知らずにいた方がいいのではないのかしら?
一度納得させた心の傷に、もしかしたらと言う希望の薬をつけてしまった。
再び、傷つけられた時の痛みに、私は耐えられるの?
同時に、この試練を超えたアイツを本当にすごいと思っていた。
アイツはそのことについて多くは語っていない。
結局一人で行って、一人で帰って来て、一人で落ち込んでいた。
それでも、笑顔でみなと過ごしている。
たぶんアイツはこういうことを見越して、私を封じておきたかったのでしょうね。
すべてを自分一人で背負って、暗闇の中に隠しておく。
そうすることで生じる私の不満や怒りのすべてを、その身で受け止めて背負い続ける。
ああ、そういうことか……。
妙に納得のいく気分だった。
薄暗かった世界も、かなり明るくなってきている。
まもなく日が昇る。
色づき始めた世界が、暗闇を遠くに押しやっていた。
そして見えることが増えていく。
あの大岩の周りには、小さな花が咲き誇っていた。
遠見の魔法で、その花をよく見てみる。
月見花、通称、日陰の花
夜にしか咲かない不思議な花。
強い光の元では十分に咲けない花。
「……。そういうことね」
私にとって不安だったあの大岩も、あの花にとってはかけがえのないものだった。
見方を変えれば、世界も変わる。
お兄様にも、それを教えてあげたかった。
*
神殿の方から、歩いてくる気配がする。
振り返ってみると、やはりアポロンが片手をあげて近づいてきた。
太陽の光を浴びたその姿から、その顔は見えない。
でも、きっと笑顔なんだろう。
「見えなくても、見えるものがある」
「……あと、見なくてもいいものもある……」
最近、自分の予感に驚かされる。
近づいてきたアポロンは、予想通りのカールスマイルだった。
「あなたたち、カールに文句言われても知らないからね」
笑顔でそう告げておく。
たしかカールは、それは自分のだと言い張っていた気がする。
どうでもいいことだけど……。
「あれ? なんか、ふっきれた?」
アポロンは私の顔を見るなり、そう言ってきた。
「わたしも、大人になったと思うわ」
試しに、わたしもカールスマイルをやってみた。
「……」
「……」
しばしの沈黙。
ごめんね、カール。
これやっぱりないわ……。
アポロンの顔を見て、私は後悔していた。
「オヤジのこと、整理ついたんだな。よかったよ」
沈黙の後、話題転換のつもりなのか、そのことに触れてきた。
「べつに……」
不機嫌が顔に出てしまう。
そっちのことは考えないようにしてたのに……。
「あれ?」
アポロンの焦った顔は、本当にアイツそっくりだった。
なんだか、ちょっと仕返し出来た気分ね。
「ふふふ」
思わず笑みがこぼれてしまう。
つられて、アポロンも笑顔になる。
いつしか二人で笑いあっていた。
「余裕だな、私もなめられたものだ」
何の前触れもなく、頭の上からその声は聞こえてきた。
戦いの前に、ユノはヘリオスのことを思いました。