ヘリオス先生4
ヘリオスの死の予言、それは自己犠牲による消失の予言に対して、ルナはヘリオスに帰る場所を作るべく、子供を宿す決意をしました。
しかし、貴族の娘として育てられた彼女の精神はそのことに次第に耐えられなくなっていきます。
自らの罪の意識で自分を責め続けるルナのもとに、ヘリオスは向かいます。
そこで目にしたのは、あまりに変わり果てたルナでした。
「おぬし、今なんと言ったのかの?」
聞こえなかったはずはないだろうに……。
片耳を俺の方に向けるしぐさまでしている。
そこまで、演技しなくてもいいじゃないか……。
よっぽど俺に、同じことを言わせたいと見える。
「いえ、先生の聞こえた通りですよ。大丈夫です」
一応、笑顔だけ返しておこう。
二度も言うのはちょっと抵抗がある。
そんな俺の態度がおかしかったのか、精霊たちも笑っていた。
「おぬしらまで……。おぬしらもそれでよいのかの?」
精霊たちが納得している。
そのことを素直に驚いているようだった。
精霊たちは皆、笑顔のままだった。
「わしだけ、ついていっておらん……。この老いぼれにわかるように説明せんか……」
半ば悲しそうな口調で、デルバー先生は説明を求めていた。
あれ?
本当にわからなかったの?
「先生。おそらくですが、ルナのお腹には僕の子供がいます」
まあ俺個人の心情は、この際脇に置いておこう。
問題は、ルナのこれからだ。
「今の状態で生まれたとして、その子供をいったい誰が守れるんでしょう? ルナとその子を守る家が必要なんですよ。オーブ家は、今は誰もいません。となると、ノイモーント伯爵家がその家としてふさわしい。それに、貴族の娘として育っているルナ自身も今、良心の呵責と不貞とかそんな感情にとらわれていると思います。あの子なりに必要だと思ったから行動したけど、今はそう感じているでしょう。あの子をそんな状態に、いつまでもおいてはおけません。僕はあの子には幸せになって欲しいのですよ」
それは嘘偽りのない真実。
人の世界にあって、家族というつながりは、もっとも重要な意味を持つ。
それに、ルナには幸せになってもらいたい。
「そうか、おぬしら……。まあ、おぬしの死を回避するために必死じゃったんじゃろうが……。ルナも思い切ったことをしたもんじゃ」
デルバー先生はすべて理解したようだった。
「しかし、おぬしは十五とはいえ、ルナは十四じゃぞ。年が明けておるから、ぎりぎり十五とみなすこともできようが……」
デルバー先生は制度的に難しいと考えているようだった。
でも、そんなことは百も承知だ。
と言うよりも、それを言い出したら、俺の精神が持たない。
俺には、月野として生きた三十五年の意識がある。
十四歳なんて、ひょっとしたら娘だよ……。
まあ、結婚してなかったけど……。
とりあえず、その事は出来る限り考えないようにしたい。
「僕も年を超えてギリギリ十六とみなしてください。正式には五月超えてからですが……。ちょうど今、ジュアン王国のこともあります。だから、この事は内密にお願いしますよ。まあ、ルナの気持ちも考えると、カルツ先輩とメレナ先輩の時にひっそりとしますよ」
時期的に発表は後だが、準備は先に進めておきたい。
ルナの気持ちを考えると、やっぱり形としてあった方がいい。
「おぬし、それを知っておったか……。本人たちには『内緒で!』と言われとったがの……。やはり無理じゃったの。まあよい……。そうじゃ、それで、アポロンにも言わんのじゃな?」
デルバー先生は楽しそうに笑い、思いついたようにアポロンのことを確認してきた。
ここでアポロンのことを持ち出すあたり、この人もちゃんと人の世の中で生きているんだな……。
「あの子も一人の存在として周囲に認められてきた頃です。もう僕の存在なしでも、世界はあの子を受け入れるでしょう。だから、あの子にも、自分の気持ちに素直に行動してもらいたいですね。だから、もうすべてを教えるのではなく、あの子がどう考えるのかを見守りたい。特に、あの子の気持ちがどう動くのかを見守りましょう」
アポロンはいろいろ考えだしている。
人の死を通して、自分の死も見つめている。
人とのかかわりを見て、自分がどうすればいいのかを考えだしている。
他人任せじゃない。
自分で考え、歩き出した者は、自分の行動に責任をもつ意味を知る。
アポロンは今、そういう時期に来ている。
その結果、多少計画が狂ったとしても、それはそれで修正すればいい。
むしろ、俺はそう望んでいるのかもしれない。
「ダプネ。いるんだろ?」
たぶん、遠慮して出てこないのだろう。
あの子は、本当に物分かりの良い子だ。
「おそばに……」
目の前に水着姿のダプネが現れていた。
ただ、ちょっと抜けてるところがあるけど……。
まあ、それも愛嬌かな……。
「ダプネ、そこ、机だから降りようね。それと、話は聞いていたね。アポロンには内緒で頼むよ。これは王としての命令だからね」
濡れているダプネの髪をふきながら、そう命令しておく。
命令なら、後で知ったアポロンも仕方がないと思うだろう。
しかし、この子の水着センスも独特だよな……。
「はっ、このダプネ。王命には必ずや」
ダプネ版カールスマイルは、今やこの子のお気に入りなのかもしれない。
でも、言葉と表情が合ってない。
むしろ無表情の方がましな気がする。
「……はやってるのかい? それ。まあ、ダプネも砕けてきてうれしいよ」
本家のカールスマイルではない、それぞれが微妙なアレンジを加えてくるようになった。
今後ますます、このカールスマイルが進化していくことを考えると、なんだか疲れてきた……。
ダプネをタオルから解放し、精神的に疲れた体を椅子にしずめる。
すかさずミヤが膝に飛び乗ってきた。
丸くなって、まるで猫のようにうずくまっている。
今までの分、甘えたいのだろう。
自然にミヤの髪を左手でなでていた。
「話は元に戻りますが、先生。僕は世間から理解されていなくても、この子たちや僕とつながりのある人たちが、わかってくれればそれでいいですよ」
たぶん、あのことが流れると、いずれここにも知れ渡る。
そうなると、この学士院では白い目で見られるだろう。
何と言っても、ここは貴族の学校だ。
学生とはいえ、その貴族的価値観はあるはずだ。
「しかし、それではマルスと変わりあるまい」
デルバー先生は、それを危惧しているのか……。
俺が、世間から孤立すると……。
「いえ、違いますよ。少なくとも、僕はこの手を離しません。僕が伸ばすこの手の先に、いつでもこの子たちがいてくれる。それが分かるから、僕は孤高にはなれません。それに、僕はさびしがりですから」
シルフィードを見て右手を伸ばす。
その右手をシルフィードが自然に握る。
そんな様子をデルバー先生に見せておく。
ほんの小さなことであっても、つながっている限り気持ちはつながる。
何よりも、手を伸ばせば、すぐそこにこの子たちがいる。
「今日はここで満足な」
ノルンが俺の肩にホタルを乗せていた。
ちょうど肩車をしているようになっている。
例え、手を伸ばせなくても、この子たちはこうして近づいてくれる。
「やあ、ホタル。元気かい?」
両手がふさがっているので、ホタルを落とさないようにしながら見上げた。
ミヤは押しつぶされる格好になったけど、そのままそこに居続けた。
「うん。ホタルいい子だよ」
わしゃわしゃと髪をいじくり、ミミルが抗議の声をあげても、ホタルは俺の髪の感触を味わっていた。
「先生。だから僕はあきらめませんよ」
ホタルにいいようにされているけど……。
「いや、そんななりでいわれてもの……」
もはや我慢できんといった感じで笑い出すデルバー先生。
「うん、説得力に欠けるわ……」
前に回ったノルンが、俺を見て笑っていた。
「ミミル的には、とーっても困ってるんですけどー!」
髪に絡まったミミルは、憮然とした表情で抗議しているだろう。
そもそも、そこにいるからなんだけどね……。
ハムスターにならなくてよくなったミミルは、基本的に頭の上で過ごしている。
今回はそれが災いした。
身動きの取れなくなったミミルを頭の上に乗せている姿は、たぶん滑稽だろう。
感覚でわかる分、何となく自分でも見たくなった。
「うん、ホタル。もうやめようね。ミミル、いったん温泉に行こうか。水着はいつも、着てるだろ?」
ミミルの救出し、その元凶を断つ。
大抵の物事の解決法は、基本的にはすべてこの形になる。
「はーい。いいこ、いいこして」
ホタルはそうせがんでいた。
ホタルが何かしてほしいと願うのは珍しい。
それだけ、この子にも無理をさせてたんだな……。
でも、もうすぐだ。
ジュアンが片付けば、自ずとイエールも片付く。
そうなれば、後は帝国。
うまく皇帝を刺激すれば、あの場所にあれがやってくる。
そうすれば、一気に問題を解決してみせるよ。
あの場所で。
ホタル。
それまで、待っててね。
「ノルン、ちょっと手伝って、シルフィード、ちょっとごめん」
精神的に不安定になっているミヤはそのままにして、右手を自由にして、ミヤを左に座らせる。
そのまま左手でホタルの頭をなでると、ミヤが必死にしがみついていた。
離されると思ったのだろうか……。
「えへへ」
照れたような笑みを浮かべ、ホタルは満足そうに笑っていた。
再びノルンの手を借り、ホタルを肩車する。
その途端、すかさずノルンが左に座り、ベリンダがホタルを支えてくれていた。
肩にとまれないフレイは、なぜかミヤの横にさらに小さくなって出てきていた。
そしてダプネは、俺の左足の所で控えている。
あらためて、全員でデルバー先生に向き合っていた。
「これでイエール共和国の方も片が付くと思いますので、お願いします」
今回も真剣に話しているつもりだけど、たぶんそうは伝わってないだろうな……。
こんな姿では、無理があるだろう……。
「まあ、いいかげんに見慣れたからいいがの……。わかったわい。おぬしの好きにせい」
肩をすくめるデルバー先生。
でも、口元はほころんでいた。
あれは、絶対に何かをたくらんでいる顔だ。
「ジュアンの方は具体的にどう動く? あの魔剣、なかなかに厄介じゃぞ?」
俺のそんな考えを見抜いたのか、話しをいきなり変えてきた。
でも、確かにそこが厄介なところだ。
魔剣となったジュリアスシーザー。
ある意味、この魔剣シリーズの中でもっともたちが悪い。
「人の心を縛るんですよね。あとは、悪魔召喚でしたか?」
心という、あいまいな定義で発動するわけじゃない。
でも、そう表現した方が納得できる。
そして、問題は悪魔召喚。
「そうじゃ、魔剣と化したあれは、使い手に応じた悪魔を召喚しおる。悪魔王まではいかんじゃろうが、それに近いものを出すかもしれん。追い詰めんようにせんといかんぞ」
危険極まりない。
デルバー先生は魔剣をそう警戒している。
確かに、今の古代語魔法の力では、悪魔に太刀打ちできないだろう。
「ええ、それは心得ていますよ」
でも、それは今の古代語魔法だ。
「ふむ。おぬしがその顔で言うのなら間違いなかろう。後は何かあったかの?」
デルバー先生は、用事は終わったとばかりに、そわそわしだしていた。
その様子から、どこかに行こうとしているのが分かる。
「おでかけですか?」
どこに行くつもりだろう。
今日は用事がないと言ってたはずなのに……。
「さっきの申し出を王にしてこようと思っての。それに、わしもただ見ているだけではつまらんしの。それはそうと、おぬしもプロポーズはしっかりとするんじゃぞ。まあ、それは見ているだけにするがの。ほっほっほ」
他人事だと思って……。
「先生、だからのぞきは犯罪ですよ……。でも、そうですね……。今日のところは言葉だけで……、といっても駄目ですよね……。まあ、考えがありますので、大丈夫です」
結婚は、本来魂の結びつき。
幸い、その憑代には、事欠かない。
ある意味、ルナの行為はこのことに意味があるのかもしれない。
ルナと俺とに魂の回廊を作ればいい。
「ま、しっかりとするんじゃぞ。わしもルナの親代わりみたいなもんじゃから、ひとこと言わせてもらっただけじゃ。あと、長らく預かっておったノイモーント伯爵位。今日でおぬしに帰すからの。後になったら、周りがまたうるさいかもしれんし、当主になった方が、責任も取れるじゃろ」
それだけ言って、転移したデルバー先生。
さっそく王に謁見しているに違いない。
この世界の妙な部分からの横やりがないのは、おそらく先生のおかげだろう。
「さて、じゃあみんな、そろそろ行こう」
ミヤを含め、全ての精霊たちがヘリオス温泉へと移動していた。
「先生、ありがとうございます。さて、ルナは家にいるんだよな……」
いなくなった先生に対して、深々と礼をしておく。
そして、指輪の力を発動した。
***
「ルナ、いるんだろ? 入るよ」
ドアをノックしても反応がない。
しかも、鍵がかかっていなかった。
中にいるのは間違いない。
でも、それを疑ってしまう状況だった。
そこは薄暗く、空気も淀んでいた。
部屋の構造はどこも同じなので、中央のリビングに進んでいく。
中央の部屋にあるソファー。
そこに少女がすわっていた。
少女は虚空を見つめ、ただ、そこに座っている。
薄暗い、よどんだ空気をまとった少女。
時折吐き出すため息が、少女が生存していることを物語っていた。
「ルナ……」
それ以上、言葉は出なかった。
ゆっくりとルナに近づくが、ルナは気付いてもいない。
すでに、心と体が分かれている状態だ。
「ルナ、あの時は理由も聞かず、怒ってごめん。今、君を苛んでいることを、僕にも背負わせてほしい。それは君一人で抱えるものじゃないよ。僕も君と共にそれを背負って歩むよ」
ルナの正面にたち、片膝をついてその左手を取っていた。
ルナはうつろな瞳を俺に向けている。
「こんなになるまで、君は自分を責め続けて……。君の行為は確かに褒められるものじゃない。でも、ルナ。君をここまで追い込む必要はないんだ。もうこれ以上、自分を責めなくていい」
ルナ薬指からミミルの指輪をはずし、それを右の薬指に付け替える。
その途端、ルナの瞳から、大粒の涙があふれ出していた。
その表情は、言い知れぬ痛みに耐えているようだった。
「これが僕の気持ちだよ。ルナ」
立ち上がり、長い髪をうなじの部分でたばねる。
そして、短剣を取り出して、一息にそこから断ち切った。
切り離した髪をねじり、端を合わせ、髪の輪をつくる。
つなぎ目を左手でもちながら、それに霊薬をかけていく。
決められた手順、複雑な工程。
ついに、目の前の空中に、魔法陣を描きだす。
仕上げにルナの髪を一本もらい、その束に加えて、魔法陣を発動させた。
目の前で起こる事象に、ルナの瞳に色がともる。
最後の仕上げとして、ルナを見ながら誓いを告げる。
「ルナ、僕は君を残してはいかない。この指輪にかけて誓おう」
その宣言のもと、まばゆい光が部屋を満たしていた。
やがてその光は収束し、光り輝く一つの小さな指輪が、俺の前に浮いていた。
白金地に金色の線が入ったシンプルな指輪。
おもむろにその指輪をつかみ、片膝をつく。
そして、やさしくルナの左手をとり、その薬指に指輪をはめた。
ルナの瞳に、強い光がともる。
涙で潤むその瞳は、喜びと感動の光を溢れ出していた。
頬は赤く染めあがり、弾む息を無理やり整えているようだった。
「結婚しよう、ルナ。もう君を一人にはしない」
その瞬間、再びルナの瞳から涙があふれ出していた。
とめどなくあふれる涙を押しとめるため、ルナは俺の胸に顔をうずめてきた。
「おかえり、ルナ。君を不安にさせて、ごめん。理解しなくて、ごめん。苦痛の中において、ごめん」
優しく頭をなでながら、ルナに謝る。
ルナは無言で頭を振っていた。
いっそう強く、ルナを抱きしめたあと、両肩をもち、ルナに顔を上げさせる。
真剣にその瞳を見つめ、優しく、そして力強く、再び宣言する。
「僕は死なない。君を残しては死なないよ。だから、安心して」
そして俺は、自らの意志でルナの唇に唇を重ねる。
その瞬間、俺達二人の間には、これまでにない、確かな何かが生まれたようだった。
***
「え? シエルさんもなの?」
翌日、ノルンから話を聞いて、愕然となった。
時の精霊の掲示を受けたのはルナとシエルさんの二人だった。
そして二人は同じ選択をしたようだった。
「どうしよう……」
そんなこと、さすがに想定してなかった。
というか、シエルにあれから会っていない……。
まさか、ルナのようになっているとも思えないが、いったいどこに行ったのだろう……。
「バーンとヘルツマイヤー様に報告してくるって、喜んで出かけていったよ」
シルフィードがそのわけを教えてくれた。
どおりで見かけないわけだ……。
師匠を探すのは、さすがに骨が折れるだろう……。
でも、一気に二人か……。
なにやってんだ……? 俺……。
「まあ、なんとかなるって」
ノルンが俺の背中をたたきながら、気楽に言ってくれる。
でも、その根拠のない言葉に、少し救われた気がしていた。
投稿日時で6月の花嫁です。
はたして幽閉中のユノは祝福してくれるでしょうか?
これを聞いたアポロンはどうするでしょう?
そしてシエルさんはハンナの店で、さっそく新妻グッズをそろえて、でかけたようです。
おめでとう、シエルさん。
ひっそりと、作者は祝福しています。




