無血開城(イングラム帝国)
第2次ブロッケン平野攻防戦の時にはすでにイングラム帝国は、メルツ王国に進軍しました。
ちょうど戦闘が終わったころに、王都を襲撃したようです。
その日、メルツ王国はかつてない緊張に包まれていた。
押し寄せてきたのはイングラム帝国。
同盟国――といってもメルツ王国は半ば従属していたのだが――少なくとも敵対はしていなかった。
しかし、そのイングラム帝国が大挙して王都に進軍してきた。
国王不在。
全軍を率いた遠征。
城を守る留守の騎士たちは、抗うすべもなく、その門を開いていた。
「帝国は、暴君の圧政から民衆を救済するために立ち上がった」
進軍に先駆けて、帝国軍はそう宣伝していた。
しかし、圧制者はこの城にはいなかった。
そして噂として、ブロッケン平野での戦いはメルツ王国の大敗北と広められている。
市民は動揺していたが、イングラム帝国の規律は正しく、略奪や暴行など一切しないという告知がされていた。
そして、それは確実に守られていた。
見慣れぬ軍容、そして規律正しい軍隊
帝国のプロパガンダは瞬く間に民衆に浸透したようだった。
***
「それで、王国内の反対派の動向は?」
玉座の間にあって、皇帝ジークフリード・クラウディウス・アウレリウスは眼下の騎士にそう尋ねていた。
しかし、玉座には座っていない。
「はっ、陛下のご威光に背く者はいません」
メルツ王国の騎士は、恭しく、そして明快にそう答えていた。
「そうか」
皇帝は満足そうに頷くと、騎士に命令していた。
「敗残の兵を回収しろ。彼らを粗末にするな。彼らは暴君に従ったのではない。無理やり従わされていたのだ。これは全員に通達するんだ」
皇帝は敗残兵を暴君のお供と見なさないように厳命していた。
暴君への集中的な憎悪。
皇帝ジークフリードはこれにより、急速にメルツ王国をまとめていくつもりだろう。
「はっ、申し伝えます」
元メルツ王国の騎士は、震える声で玉座の間から退出していった。
その姿は、感激していることがありありとうかがえた。
「長かったですな」
イングラム帝国騎士が、皇帝ジークフリードに感想を告げていた。
「そうだな。犠牲を出すのであれば、もっと早く侵攻できたのだが……。何せここにいた野獣は、もともと何するかわからん上に、手負いになると、ますます何しでかすかわからん……。それは皇太子の時に、十分わかっている」
今は何もない玉座を見ながら、皇帝はそうつぶやいている。
それはさっきまであったものを見て言っているだけではなく、以前組み合った時のことを思い出しているのだろう。
「勝つには勝ったが、最後には、こちらも傷を負わされていた。信じがたい膂力だった。あれから奴は、戦い方を学んでいたようだが……」
皇帝の眼は、はるか先をみつめている。
その方向には、あのブロッケン平野が広がっている。
「報告によれば、ローランの仲間もあいつ一人で片づけたようですな。結局ローランには負けてしまったようですが……」
帝国騎士は自分の把握している情報を皇帝に伝えていた。
おそらく、既に報告は済んでいたことで油断したのだろう。
皇帝の雰囲気の変化に、徐々に騎士の顔がこわばっていた。
それは、自らの発言が失敗だったことを物語っていた。
「それは分かっていたことだ。ローランの剣は所有者の意志の強さに反応する。しかし、肝心なところはわからんのか?」
皇帝は少し不機嫌になっていた。
「申し訳ございません、確実に情報を持ち帰るために、三体に分かれておりましたが、最後の一体が撃ち落されました」
騎士は申し訳なさそうに頭を下げていた。
戦況はつぶさに記録させていたが、最終局面では、帝国にとっては予想外のことが起きたようだった。
「ローランのところにはオリヴィエがいたからな、並みの魔導師ではあいつの周囲で魔法を発動できん。記録魔道具は飛行性能を持たせたが、記録時間に問題がある。それは仕方がない」
皇帝は性能を伸ばせなかったのは自分の落ち度だと言いたげだった。
「いえ、決してそのような……」
騎士はあわてていた。
突然、皇帝から不機嫌な気配がなくなっていた。
「ふふふ、ガラハット。騎士団長ともあろうものが、そのようにうろたえてはいかん」
皇帝は楽しそうに笑っていた。
「そうだろう。シグルズ」
皇帝は笑いながら、幼竜をなでていた。
幼竜は興味なさそうにガラハッドを見て、顔を背けていた。
「ガラハッド、愛想つかされているぞ」
皇帝はさらに笑っていた。
「面目次第もございません」
ガラハッドはただ、頭を下げていた。
「それはそうと、山の方はやはり観測できなかったのだな。ガラティーン」
皇帝は先ほどまでと同じ不機嫌さをにじませていた。
今度の矛先はフードをかぶった人物だった。
「申し訳ございません。すべて爆死しました」
ガラティーンは失敗の原因を報告していた。
「爆死だと? 奴は今イエールにいるという報告だったが? 違うのか、キャメロット」
もはや不機嫌を隠そうともしない皇帝の圧力に、女はあわてて頭を下げていた。
「それは間違いありません。あの時刻、奴はナルセス議長と会談中です。記録には取れませんが、直属の部下からの報告です」
キャメロットは記録魔道具こそないが、信頼できる部下からの報告だと告げていた。
「ならば、いったい……」
皇帝は判断材料のないことを、いたずらに思案していることにいらだちを感じているようだった。
「陛下、あのような手段、一介の魔導師に取れるわけがありません。あの水量。時間をかけなければ得られるものではありません。仮に、せき止めていたとして、その水量を支える構造物が必要です。それは、かのものがあの場にいなければ難しいと思います。この地域でそんな芸当ができるものが、他にいるとは思えません」
直言した魔術師は、人為的なものではないのではないかと考えているようだった。
「たしかにパルジファルの言うとおりだが、引っかかるのだ、何か見落としていないか……」
皇帝はしばらく考えていたが、自分なりの結論が出たようだった。
「気にはなるが、わからないことを考えても仕方がない。貸し与えたのは試作型だからこちらの痛手にはならないな。データが十分に取れなかったのは痛いが、欲張っても今は仕方がない」
皇帝は思考を切り替えたようだった。
「よし、まずはこの国の掌握だ。この国に眠る鉱脈を洗い出せ。アプリルは手負いだが、今はこちらが優先だ。俺は帝都に戻る。ガラハッド。ここの総督として手腕を発揮しろ」
皇帝はガラハッドに命令すると、その返事を背中で聞きながら、自らは玉座の間から早々に立ち去って行った。
その後を三人が付き従っていく。
「大役だ」
言葉とは裏腹に、ガラハッドは緊張から解き放たれ、安堵のため息をついていた。
漁夫の利を得る形でメルツ王国を得たジークフリードはメルツ王国の統治を騎士団長ガラハッドに託しました。自らは帝都に戻り、何かをするつもりのようです。
戦略家は、盤上の駒が足りないことを気にしているようでした。




