妄想(イエール共和国)
首飾りを議長が手にしました。
危うし!ヘリオス君。
「ブスタよ。こんな良いものを、どうやって手に入れたのだ?」
わしはこの首飾りの効果を聞いて、興奮を隠しきれなかった。
素人が他人の精神を支配できる。
こんな素晴らしい、いやわしが持っているから素晴らしいと思えるのか。
わしも影響受けるとなると話は別だ。
しかし、これはわしには影響ない。
だが、一般的に考えれば危険なものに違いない。
問題は、どうやって手に入れたのかだが……。
「古代王国期のもので、相手の魔力に反応する品物の様です。なので、使用者の魔力に影響されません。物が物なだけに、盗掘の闇オークションに出ていました。なんでも。二十歳以下しか効果がない限定品で、抵抗されることもあるようです。ただ、魔術師の子供に対して使用されていたようです。おそらくはしつけとか、教育用か何かでしょう。しかし、今回のミッションにうってつけだと思って競り落としました」
ブスタはジュアン王国の調略の最中だ。
候補となる相手はユノ王女、二十歳以下の魔術師。
確かにうってつけだった。
ジュアン王国がクーデター後、泥沼の内戦状態に突入されても困る。
現在の王家の借款はすでにほかの議員に分散済みだ。
ユリウス将軍はスムーズに現在の王家にとって代わる必要がある。
そのために必要な首飾りだ。
そう、必要なものだ。
しかし……。
しかし、わしが使いたい。
どうしても使ってみたい。
一度感じた欲求は、どんどん大きくなっていき、とどまることを知らなかった。
どんどん膨らんでいくその衝動を、ついに抑えきれなくなっていた。
「ブスタよ、計画に支障があったのでは問題だ。その首飾り、使用制限はあるのか?」
表情を表に出さずに、確認する。
一回ぐらいならいいだろう。
そう、これは確認のためだ。
仕方がない。
「いえ、それはないようです。もともとは子供のしつけか何かに使用されていたもののようですので」
ブスタはわしに満点の解答を出していた。
「よし、それではそれをわしが確かめてやろう。ユノ王女は魔術師の中でも実力は高いのだろう? ひょっとすると効果がないのかもしれん」
わしは確認のため、その首飾りを預かることにした。
***
「問題はどうやってつけさせるかだ……」
浮かれるあまり、その方法に関しては検討していなかった。
「議長、また奴の所にいくんですかい……」
ニアヌスが嫌そうな声を出していた。
行きたいが、行けないんだ。
今のわしは、ニアヌスの言葉にも苛立ちを覚えていた。
「文句があるなら来なくていい」
今、お前の相手をしている暇はないんだ。
何とかつけさせる方法を考えなくては……。
ふと見ると、ニアヌスの首に不似合いな首飾りが見えた。
「ニアヌス、お前のその首飾り、どうした?」
こいつがこんなものを自分で購入するはずがない。
「これですかい? これはあのガキが日ごろの感謝だってんで、もらいましたよ。防御力が上がる首飾りのようです」
ニアヌスの言葉は、わしに可能性をちらつかせていた。
「ユスティもか?」
首元なので、見せろとも言いにくい。
しかし、ニアヌスにだけ贈るとも思えない。
「はい。私も同じものをしています。ニアヌスと同じなので、見えないようにしていますが、なかなかの一品です」
おもむろにユスティは首飾りを出していた。
「ふむ。大事にしろよ」
わしは小躍りしたい気分を無理やり抑え込み、冷静にそれだけを告げていた。
何という運命のめぐりあわせだろう。
まさに、幸運がわしのもとに転がり込んできたとはこのことだ。
「よし、いくぞ。ユスティ、あの店のわしがいつも使う部屋を開けるように伝えておけ」
ユスティは何も言わずに従っている。
ヘリオスの奴め、ユスティ好みのものを選んだとみえる。
奴のおかげでいらぬ騒音を聞かなくても済んだ。
よし、いくか。
希望に胸を膨らませる。
こんな気分は久しぶりだった。
*
ラモスの店にいることは確認済みだ。
足しげく通ったので、ラモスの対応もなれたものになっていた。
そしてわしは、ヘリオスを連れ出すことに成功した。
今は笑えないが、笑いが止まらない。
しかし、計画は最後の瞬間まで気取られないことが重要。
相手はこう見えても高位の魔術師だ。
油断はできない。
道中何かを話していたが、正直あまり聞いていなかった。
いつになく人通りも少なく、歩きやすい。
想像していたよりも早く、目的の店にたどり着いた。
いつものように、いつもの部屋に案内される。
もはや目を瞑ってもいけるところだ。
これからの行動をいかにさりげなく行うか。
静かに機会をうかがうことにした。
タイミングが重要。
そう、さりげなく。
それが必要だった。
ただ、さっき話していた重要な書類は完成させておかねばならない。
わしは一度席を立って、その間に書類を仕上げてもらうように説明した。
*
「今度、この国で身寄りのない子供たちのためにチャリティというものをしたいと思いまして、そのための準備をしてたんですよ」
ヘリオスは書類を書きながら、この国に来ていた理由を話してきた。
「そうですか、どんなことをするのですか?」
わしは、待っていた。
もうすぐそれは、やって来るという感覚があった。
「私と私の生徒たちで劇をしようかと思っています。私の魔道具をふんだんに使用したものを考えています。魔物は使いませんが、魔法は使いますので、コロシアムを使用させてもらおうと考えています。その収入をすべてプレゼントしたいと考えてます」
きた、きた、きた、きた、きたー!
わしは歓喜に振るえていた。
「それはいい考えです。私も協力させてもらいましょう」
声が震えているのが分かった。
わしの生涯で数えるほどしかない失敗の一つだ……。
「そんなに感動していただけるとは思いませんでした」
しかし、ヘリオスはいいように誤解してくれていた。
「ところで、プレゼントで思い出しましたが、部下が素晴らしいものをいただいたと聞きました。今まで、お礼を申せず申し訳ありませんでした」
頭を下げて、謝罪する。
気にしないでよいというそぶりを見せるヘリオスに対し、首を横に振って立ち上がる。
さりげなく、あれを取り出すための芝居。
この部屋を、半ば私物化しているのは知っているはず。
さりげなく、豪華な箱の中から、あのネックレスを取り出す。
「お礼と言ってはなんですが、これをヘリオス様に差し上げたいと思います。私からの感謝の気持ちと思っていただけるとありがたいです」
わしは恭しく、お願いしていた。
二度と同じ失敗はしない。
はやる気分を押し殺し、平静を装う。
わしのお願いだ。
しかも重要そうな箱から取り出した。
これではつけなければ失礼だろう。
鑑定のような無粋なこともしないはずだ。
そのくらい親密な関係を構築している。
「このような素晴らしいものをいただくのは、さすがに気が引けますが、ご厚意をありがたく頂戴します」
そう言ってヘリオスはわしの手から首飾りを受け取り、その首に着けようとしていた。
わしは固唾をのんで見守った。
ヘリオスが首飾りをつけた途端、首飾りから光があふれだした。
そしてヘリオスは、まるで操り人形の糸が切れたように、だらしなく座っていた。
「ヘリオス様?」
わしはあわてたふりをして、その体を小さく揺さぶってみた。
何の反応も示さない。ただ、わしに揺さぶられていた。
そっとその顔を覗き込む。
その目には意志がなく、わしの顔をじっと見つめていた。
「よし、しっかりと座るんだ」
わしはためしに命令してみた。
性能の悪いゴーレムのような緩慢な動きで、ヘリオスは椅子に正しく腰掛けていた。
「ふ……。ふふ……、ふはははは!」
わしは喜びのあまり、思わず天を仰いで笑っていた。
「おお、なんという素晴らしい首飾り。これでわしの思うままだ」
これで、これまでしたくてもできなかったことができる。
ヘリオスの体をなめまわすようにじっくりと観察した。
その細くしなやかな腕をとり、袖をめくる。
「きれいな肌だ……。玉腕というのだったか、とても少年には思えんな。いや、少年だからこそいいのだが……」
そのままその腕にわしの頬をあててみた。
「何という……。筆舌に尽くしがたい。こんな感覚は、今まで味わったことがない」
その感触に酔いしれていた。
他はどうだ?
そのまま視線を上にあげる。
そこには淡く光を放つような、銀色の髪があった。
「そして、この髪。すばらしい。きめ細かく、さらりとして、そしてこの光沢。まさに神のつくりたもうた芸術品のようだ……」
その流れるような銀髪に酔いしれていた。
「それにこの香。なんともいえん」
髪の香りを堪能する。
まさに極楽。
今ほど、生きていることに感謝したことは無い。
そしてわしは誘惑に勝てずに、その頬をなめていた。
足先から頭を駆け抜ける、しびれるような感覚にわしは襲われていた。
甘美にして淫靡な感覚がわしを支配する。
その感覚を求めるように、あらゆる感覚がマヒしていくようだった。
それでもいい。
余計な感覚は不要。
この感覚だけがあればそれでよかった。
その感覚に酔いしれていたわしは、いつの間にか真っ暗な世界の中にいた。
「議長?」
わしを呼ぶ声がする。
「議長? 議長?」
わしはその声に驚いた。
なぜわしを呼ぶ?
急に回復したわしの視界の中に、心配そうにこちらを見るヘリオスがいた。
なぜ?
首飾りはしている。
自分の位置を確認する。
わしはヘリオスに近づいてさえいなかった。
「大丈夫ですか、議長? お疲れなのでは?」
相変わらずヘリオスは、わしを心配そうにみている。
「いや、大丈夫です。ただ、今おかしな気分になっていました」
夢だったのか?
わしの願望が大きすぎて、幻を見せていたのか?
なんだかわからないが、ヘリオスは首飾りをしても、しっかりと自我はのこっているようだった。
ただ、顔色はかなり悪い。
「私は大丈夫です。ヘリオス様は大丈夫ですか?」
一応確認しておく。
「ええ、なんだか少し意識が混濁しているようです。申し訳ございませんが、顔を洗いたいのですが……」
そう言ってヘリオスは首飾りをはずし、顔を洗いに出て行った。
「…………。まあ、効果はあるようだな……」
ヘリオスは抵抗したということか。
わしは幻を見たということだろう。
もう少し見ていたかった気がするが、わしはその感覚を思い出すことができた。
ならばよい。
もともと、借り受けるつもりだったので、今回はこれでよいとしよう。
うまく首飾りも外してくれたので、偽物の方にすり替えておく。
これならば、ジュアンの方ではうまくいくだろう。
ヘリオスで意識混濁という効果が出ているのであれば、ユノでは問題ないはずだ。
しばらくして帰ってきたヘリオスは、全身ずぶ濡れだった。
どれだけ顔を洗ったんだ?
わしは不思議に思っていた。
「申し訳ございません、議長。やっぱり気分がすぐれないので、今日は失礼します」
わしの返事を待たずに、そのまま店を後にしていた。
わしは妙に現実味のあったあの感覚をもう一度味わえるか、ためしに目を瞑っていた。
目を閉じれば、そこは暗闇の世界。
さっきの感覚がよみがえってきた。
「ふっふふ、ふはは」
わかる。わかるぞ。
何となくだが、本当に体験したかのようだった。
そしてわしは、その感覚にいつまでも酔いしれていた。
***
「議長、いかがでしたかな?」
ブスタは首飾りの効果が聞きたがっていた。
それもそうだろう。
これから、その効果を説明する者としては、実際に試したわしの意見が欲しいのだろう。
「ふむ。効果はあるようだが、やはり抵抗される危険はある。可能ならば、抵抗できない状態の時がいいな。寝ているときなどにすればよかろう」
実際に使ってみてわかるのは、抵抗する意志があるとかかりにくいという感じだった。
あの時眠らせていたらどうなったか?
それはまた今度の機会にしよう。
いまは、あの感覚で満足できた。
欲張ってはいけない。
これはすべてに共通することだ。
「おお、さすが議長。わかりました。そのように致します」
感心したブスタは、さっそくそれをもって部屋を出て行った。
「さて、次はなんとかメルツ王国に残るであろう人物を籠絡させる方法だが……。こればかりは、わからんな……」
わしはしばし、甘美な感覚をわきに置いて、考えることにした。
あの日以来、わしは物事を考えるたびに、そうすることにしていた。
しかし、それは難しいことだった。
「いかんな……」
いくら脇においても、再びわしの前にやってくるその感覚に、わしは抗いようがなかった。
ご満悦な議長。
はたして、ヘリオス君は無事なのでしょうか?




