嵐の前(アプリル王国)
親子水入らずの会話です。
その夜、俺は久しぶりにオヤジと二人で話し合うことができた。
空には星が煌めいている。
まるでひと時の休息を与えてくれるかのような、静かな夜だった。
俺たちのほかには誰もいない。
オヤジの精霊たちはオヤジの温泉に入っており、ダプネも一緒だった。
そして、ヒアキントスも念願の男湯に入っていた。
残念ながら、男湯はまだ一つしかないようで、しかも砂風呂だった。
何故そのチョイス?
俺はオヤジに聞いていた。
「ヒアキントスと入るとやけどしそうな気がするからね」
オヤジはまた適当な言い訳をしていた。
それならダプネは温泉自体に入れなくなる。
しかし、オヤジの顔はそれ以上聞くなという顔だったので、俺はそれで納得することにした。
おそらく、無理やり作ろうとして反対されて、不人気だった砂風呂ならよいという許可なのだろう。
かわいそうなヒアキントスだが、まあ、仕方がない。
あの温泉はノルンが仕切っている。
ノルンが許可しないと入れないというのが、オヤジの言葉だった。
もちろん強引に連れていくことはできる。
でも、あとでノルンがオヤジを責め続けるらしい。
そんな裏話をさっき聞いていたばかりだった。
とんだ精霊王がいたものだが、俺もあのノルンには頭が上がらない。
俺はこの時間を、ただのんびりとオヤジと他愛ない話をしているこの時間を、とても貴重に思えていた。
「アポロン。ずいぶん頑張ったね。あと一息がんばれ」
唐突な言葉は、いきなり俺を現実に引き戻していた。
そして、その唐突な言葉で、胸が張り裂けそうだった。
オヤジは俺を認めてくれていた。
「ああ」
やっとのことで、それだけ伝える。
今の感動を表現する言葉を、俺は思いつくことができなかった。
相変わらずの笑みでほほ笑むオヤジ。
特別な言葉を言わなくても理解してくれている。
「近日中にメルツ王国軍がローランのところからでも見える位置にやってくる。すでに細工をしているが、仕上げはアポロン。君に任せるよ」
そしてオヤジは、俺にその作戦を伝えてきた。
今更ながらに、オヤジはスケールの大きいことを考えていた。
「ベリンダにもずいぶん頑張ってもらったからね。後でお礼を言っておいて」
オヤジはそう言って、俺に一つの指輪を差し出していた。
「これをオルランドに渡しておいてくれないかい。僕が渡すとまた厄介なことになるかもしれないし、アポロンからこっそりね」
やはり、オヤジはさっきの出来事を知っていた。
「それは、強制転移の指輪だよ。彼だけはこの戦いで失うわけにはいかないしね。それに彼女に貸しを作っておこうと思ったのもある。だから、必ずつけさせるんだ。僕がそう望んでいると言ってもいい」
微妙に憂いを感じさせる表情で、珍しく強制してきた。
そして、聞き逃せない言葉を発している。
彼だけはこの戦いで失うわけにはいかない……。
その言葉の裏には、他は死ぬという意味を込められている。
つまり、オヤジはこの戦いの趨勢をすでに把握しているということか……。
さっきの作戦もメルツ王国の作戦を逆手に取るものだろう。
もしくは、そうなるとすべてわかったうえで行動しているかだ。
なんとなく、後者な気がしてきた。
そんな表情に出していないつもりだったが、オヤジから話してくれていた。
「僕にわかるのは、結果だけだよ。アポロン。君の目と耳で感じる心で物語をしっかりと見極めるんだ。本当に大事なのは、どうなったかよりも、どうしたのかだ。もちろん、これから君が直接手を出すのは禁止だ。裏方に回り、しっかりと見守るんだ。彼と彼の仲間の物語を。君が語り部となるように」
今回に限って、オヤジは俺に細かく指示している。
それだけ重要なのだろう。
「わかったよ、オヤジ」
俺はそれだけ告げていた。
それだけで十分だ。
「明日、軍団移送で砦に飛ばすので、飛ぶ前にそう伝えておいて。そしてとんだ先ではすでに臨戦態勢だろうから覚悟しておくようにも伝えておいてね。そして、君は例の地点で仕上げをするんだ」
俺の肩を持ちながら、しっかり俺の目を見つめてきた。
「アポロン。せっかく君が持った繋がり、仲間を失わせることになるかもしれない。たぶん、君が参戦すれば、彼らのことを救えるかもしれない。でも、それではダメなんだ。君の力は大きすぎる。ローランとその十二人の仲間でこの苦難を乗り切ることができるかどうかが必要なんだ」
オヤジの手に力が入っている。
オヤジは俺のために、苦しんでいる。
ならば、俺のすることは一つだけだ。
「大丈夫だ。任せてくれ」
肩にあてているオヤジの手を取り、両手でしっかりと握りしめた。
*
翌日、出発のときにオヤジはいなかった。
昨日の雰囲気で、たぶんそんな気がしていた。
オヤジはセンチメンタルな部分がある。
これから彼らに待ち受ける未来を、ひょっとしたら自分が変えることができるかもしれないのに、それをしない自分と、そうしなければならない自分との間で揺れている。
揺れているけど、そうしないといけないと自分に言い聞かせている。
まあ、俺もそうなんだけど……。
でも、オヤジのあんな姿みれば、俺がそれに対してどうこう言えるものじゃない。
精霊王としてこの世界の理を司る。
だけど、妙に人間臭い。
その表れが、オルランドの救出だ。
たぶん、それがぎりぎりなのだろう。
出発前のあわただしさに紛れるように、こっそりとオルランドに指輪を渡した。
オヤジからの話を多少変えて話しておく。
オルランドを守るように、オヤジが作った指輪だと。
案の定、オルランドは感激し、さっそくその指輪をつけていた。
これでよし。
次は現地だ。
俺はローランの仲間たちと共に、軍団移送を受け入れるべく準備をしていた。
皆、いつの間にか戦いを前にした表情になっていた。
「では、いくかの」
見送り兼転送役のデルバー先生、いやノイモーント伯爵は簡単に説明してきた。
これもオヤジに頼まれたのだろう。
師匠使いが荒いと言うのは、どうやら本当のようだった。
「ではお主ら、転移したらおそらくは開戦準備中じゃ。お主らの活躍、期待しておるぞ」
デルバー先生はたぶん知っている。
それでも、激励していた。
「ありがとうございました」
オルランドが皆を代表して答えていた。
最終的な装備の点検を彼らに指示するデルバー先生。
そんな中、先生は俺を手招きしていた。
「お主だけは、別の場所に飛ばすのでな。その役目を忘れずにの」
やってきた俺の耳元で、そうくぎを刺してきた。
「はい」
素直な返事に、デルバー先生も驚きを隠せないようだった。
もう、俺は割り切っている。
ここから先は、彼らの戦いだった。
俺はそれに手を貸すが、基本的には傍観者でなければならない。
「ではいくかの。最後の最後まであきらめるなよ」
デルバー先生の意味深な言葉と共に、軍団移送は完了していた。
***
そして、おれはいきなり山の上に飛んでいた。
足元には巨大な、巨大すぎる湖ができていた。
その湖は人工的に作られたものだった。
ダム。
オヤジの知識から、それはそういう名だった。
ダムの淵まで来ると、眼下にはブロッケン平野が広がっており、左手にはメルツ王国軍が遠くの方から迫っているのが見えていた。
「メルツ王国が鉄板作戦で地雷原をどう突破するのか見どころだな」
半ば干上がったハルツ川を気の毒に思いながら、ダムの淵に腰かけていた。
「ダプネ。君の魔法で見せてもらおうかな」
俺はそう頼んでいた。
「イエス・マスター」
ダプネは遠見の魔法を展開していた。
ローランの様子と暴君、ベルセルク王の姿が左右に展開して映し出されている。
「ヒアキントス。僕が合図したら君の力を存分に揮ってもらうから、それまでは君も観戦だよ。もう、こないだのようなことは無しで」
ダムの橋に座りながら、足をぶらぶらさせているヒアキントスに、くぎを刺しておく。
「オッケー・ボス」
ヒアキントスはなぜかカールスマイルをしていた。
まっ、いいか。
俺は観戦に徹しようと決意していた。
ふと横を見ると、ダプネが申し訳なさそうに、はりせんを出している。
「えっと……」
あえて説明を求めるように、ダプネを見る。
「マスター、王より命令がありましたので……。一応ご許可だけいただきたいです」
俺と目を合わさないダプネは、本当に申し訳なさそうだった。
でも、態度はしっかりとやる気を見せいている。
ああ、なるほど……。
「俺もセンチメンタルな部分があるから、もしそうなったら頼むよ」
俺からもダプネにお願いしておく。
「イエス・マスター」
ダプネは心労が取れたような顔つきだった。
何となく、救われた気がする。
「ありがとう、ダプネ」
「ありがとう、ヒアキントス」
二人はこれから起きることを知っている。
たぶんオヤジから聞いている。
そして、俺がどういう心理になるかもたぶん聞いている。
だから二人はそういう態度を取っていた。
いいもんだ。
俺はそう思いながら、もう一度眼下に広がる景色を眺めていた。
アポロンは計略のため、離れた場所で見守っています。




