実直勇者と夜の侵入者(二人目)
「……あっ」
ロイの手がエーデルの肩に触れた途端、エーデルはビクッ、と体を小さく震わせる。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫だから続けて……」
「……わかった」
エーデルからの了承を得たロイは、エーデルをゆっくりと引き寄せると、彼女の腰へと手を回し、力を込めようとする。
すると、
「……ロイ?」
コンコンと控えめに扉をノックする音と共に、誰かが声をかけてきた。
「すまない、ロイ……怖くて眠れ……んなっ!?」
ロイが返事をするよりも早く扉を開け、中に入ってきたプリムローズが目の前に飛び込んできた情景に目を丸くする。
「こ、ここ……こんなじ、じじ時間に、ななな何をしているんだ?」
プリムローズの質問に、エーデルが不機嫌そうに答える。
「ちょっと、私とロイの愛の営みを邪魔をしないでよ」
「愛の営みって……ロイ、それは本当なのか!?」
必死の形相のプリムローズに迫られ、ロイは思わず一歩後退りする。
「いや、エーデルが怖くて眠れないから、抱きしめて欲しいって……」
「なん……だと」
プリムローズは鬼の形相で抱き合う二人に歩み寄ると、エーデルを力ずくでロイから引き剥がし、エーデルの胸倉を掴んで吐息が届きそうな程の近距離で睨みを利かせる。
「エーデルゥゥゥゥゥ、貴様っ!」
「ひゅ~、ひゅ~」
胸倉を掴まれたエーデルは、気まずげに視線を逸らし、鳴らない口笛を吹き続ける。
「ちょっと面貸せ!」
煮え切らない態度に業を煮やしたプリムローズは、エーデルを部屋の隅へと引っ張って耳打ちする。
「おい、エーデル。あたしたちの約束を忘れて何を抜け駆けしようとしてるんだよ」
「約束? 抜け駆け? 何の事かしら?」
「……忘れたとは言わせないぞ」
それはロイと共に旅をした仲間内、その中で女性陣だけの秘密の約束だった。
勇者は竜王を討ち倒す為の存在で、その行為を阻害するもの、障害となる知識は一切必要ないという教育方針から、ロイは勇者として関係ないもの、とりわけ色恋沙汰に関係する物は極力触れないようにされてきた。
これには、勇者であるロイが旅の途中で特定の女性と恋仲になり、竜王討伐が成されなくなるのは困る。ましてや狡猾な魔物によってハニートラップを仕掛けられて骨抜きにされる。最悪、暗殺されるという事態は絶対に避けなければならないという配慮からだった。
この教育は見事に上手くいった。いや、上手く行き過ぎてしまった。
世界に平和が訪れ、晴れて恋愛解禁となったはずなのだが、そういった感情を知らずに育ったロイは、恋愛感情を抱くどころか、女性というものに一切の興味を抱かなかった。
幼馴染として育ったエーデルをはじめ、プリムローズのような共に旅をした仲間、果ては冒険の途中で救われた国の姫までもが、ロイに幾度と無くアプローチを仕掛けたが、その全てが彼に想いを届けるどころか、その意味さえも理解される事は無く、それどころか足を引っ張る存在としてロイから疎まれる事すらあった。
余りの成果の上がらなさに、大抵の女性は早々に諦めてロイの元から去っていったが、それでも何人か残った女性のうち、特にロイにとって身近な存在である女性たちは、ロイが異性に興味を持つようになるまでは、アプローチはせずに見守ると互いに誓い合ったのであった。
「そ、そんなこと……あった……かしら、ね~?」
冷や汗を流しながら言い淀むエーデルの様子は、それだけで嘘である事がすぐに見抜けた。
協定違反をした事に多少に後ろめたさがあるのか、エーデルはあちこち視線を彷徨わせていたが、ふと、ある事に気付く。
「……ところで、プリムは何でロイの部屋に来たの?」
「はへっ!?」
「私の耳が確かだったら、怖くて眠れない……とか言ってたわよね? 悪鬼の如く魔物を屠り、いつも魔物の返り血で真っ赤に染まっていた鮮血の戦乙女と呼ばれたあなたが怖くて眠れない事なんてあるのかしら?」
「ふぐぅ! そ、その名前であたしを呼ぶな! それより、誰も見ていないからといって堂々と抜け駆けするなんて、エーデルはとんだ淫乱だな!」
「そういうプリムローズこそ、女らしさをアピールするなら、その無駄についた筋肉をどうにかしたらどうなの? 筋肉だるまに迫られても恐怖しか感じないわよ!」
「ぐぬぬぬ……」
「ぐぎぎぎ……」
エーデルとプリムローズは額をくっつけて近距離で睨み合い、いつもの応酬を始める。しかし、互いに後ろめたい気持ちがあるのか、それとも夜遅い時間という配慮からなのか、いつもより声量も迫力も控えめで罵り合っていた。
そんな囁くように罵りあう女性二人を、心底呆れたように眺めていたロイは、
「そうだ、調度いい解決策があるじゃないか」
妙案を思いついたとひとりごちる。
ロイは、瞬きもせずに睨み続けている所為で涙目になっている二人の脇に立つと、両手をそれぞれの肩に乗せ、笑顔で自分の妙案を告げる。
「エーデルもプリムローズも怖くて眠れないなら、二人で寝たらどうだ?」
「えっ?」
「はっ?」
ロイからの提案に、エーデルとプリムローズは揃って間抜けな声を出す。
「ちょ、何で私がこんな貧乳と……」
「誰が貧乳だ。あたしだってこんな淫乱女となんて……」
「はいはい、二人とも、夜遅いから静かに、な」
抗議の声には一切の耳を貸さず、ロイは二人の手を取ると、部屋の外へと引っ張って行きそのまま部屋の外へと二人を放り投げる。
「キャッ!?」
「アイタッ!?」
「それじゃあ、二人ともおやすみ。明日は早いんだから寝坊するなよ」
ロイは爽やかな笑顔で傷んだ尻を擦っている二人に告げると、有無を言わさず扉を閉め、中から鍵を掛けてしまった。
「ちょ、ちょっとロイ。開けてよ!」
ようやく正気を取り戻したエーデルが扉に張り付き、中のロイに必死に呼びかけても、既に寝てしまったのか、何の反応も返ってこない。
「ねえ、ロイ! ロイってば!」
それでも諦めず部屋のノックを続けるエーデルに、プリムローズが後ろから力ない声で話しかける。
「よそう、エーデル。こうなったらロイは絶対に起きてこないのは知っているだろう?」
「そうだけど……」
「あたし等がいくらロイに迫ったところで、ロイにその気がないんじゃ意味がない。残念だが今はまだその時じゃなかったってことだよ」
「そう……ね」
街を歩けば、道行く男性の視線を嫌でも集めてしまう程の美貌の持ち主であるエーデルとプリムローズは、顔を見合わせると盛大に溜め息をついた。
実直勇者が恋愛感情を知るのは、まだまだ先になりそうだった。